四国一周ツーリング

2005年

ロータリーハーレー会、石原隊は2005年10月26日から31日にかけての6日間かけて久しぶりにツーリングを行った。四国ツーリングの旅である。佐渡に始まり、北海道北海道パート2九州、そして海外遠征に引き続きつぐ メジャーなイベントであった。

ルートは徳島にフェリーで渡り、そこから反時計回りのルート(青色)を採用した。参考までに四国八十八ヶ所霊場の遍路ルートを赤色で示した。こちらは時計 回りである。

ツーリングルート (青色

石原隊長はヘルペスで目の水晶体のピントを調節する神経が麻痺してなかなか直らないということで残念ながら奥様を同伴してクラウンでの参加である。あとは 斎藤、飯塚、北原、 押川の常連である。斎藤氏が今回の計画を練った。

 

第一日

雨の中、有明東京フェリーターミナル19:10出港東九フェリー徳島行きにバイクを持ち込む。大型二輪1台と大人1人一等料金合計は26,860円也。東 九フェリーはトラック便が主要な収益源らしく、観光客の数は極端に少ない。我々を含め20人以下だ。都合で参加できなかった徳山四郎氏がわざわざターミナ ルまで餞別をもって見送りにきてくれた。

このちっぽけな乗客に対し、有明東京フェリーターミナルは巨大で、国際空港ターミナル並みに豪華だ。東京都庁の役人の需給見通しの悪さの典型例である。税 金の無駄使いだ。船会社の方の需給予測はかなりしっかりしていて、客室数は北海道フェリーに比し少なくレストランも小ぶりだ。

夕食を摂ってデッキに出ると横須賀沖だ。風呂に入ってから外を見ると観音崎灯台がみえる。就寝前に船室から左舷方向を見ると浦賀水道を出たらしく大島の灯 がみえた。しばらくすると式根島かなにか小さな島の灯が見えた。

 

第二日

遠州灘は夜中に過ぎたようだ。目覚めれば右舷に紀伊半島らしきものが見える。朝食後、コーヒーをとりながら船窓の外をゆっくり流れる紀伊半島の風景を楽し む。熊野の山塊が一段と高く見える。潮岬の東に断崖を持つ大きな島と灯台が見える。断崖の下は岩礁地帯だ。紀伊大島と樫野崎灯台だ。オスマンパシャ提督の 乗艦エルトゥール ル号が遭難したところだと後日知ることになる。船ゴラ礁もその中にあったのだろう。いずれ紀伊半島の旅で訪問してみよう。

小型タンカーの交通量はかなりのものだ。潮岬を回れば熊野灘から紀伊水道に入ると思いきやその入り口は広く四国は正午近くなるまで見えなかった。御坊の火 力発電所が右舷にみえるころようやく行く手左舷に伊島と蒲生田岬が見える。13:30徳島港着。

四国最大の川、吉野川、その他沢山の橋を渡って鳴門海峡と大鳴門橋を見下ろす展望台を訪れる。潮の流れは川より早く10ノットはありそうだが、うず潮逆巻 くという感じではない。

展望台よりみる鳴門海峡 大鳴門橋

高松高速道経由、夕闇せまる高松着。ここは1960年代に対岸の水島に試 運転で出張していた時、週末の休暇で一度日帰りで栗林公園を訪問したことがある。屋島は記憶より大きな姿を見せていた。タクシーの運転手は高松の 発展は四国三橋が完成してから寂れる一方とのことであった。物流と人の流れが変ったらしい。むしろ松山が発展したそうである。

パークサイド高松は栗林公園前に立地し感じのよいビジネスホテルであった。(Hotel Serial No.328)タクシーで ダウンタウンにでかけ居酒屋で夕食。帰りがけに手打ちうどん鶴丸(Restaurant Serial No.266) で讃岐うどんの釜揚げを食す。

 

第三日

朝食後、栗林公園を散策する。入場料400円。讃岐藩主歴代が改築をかさね、松平家11代228年間下屋敷として明治維新まで使われた広大な回遊式大名庭 園で裏山の借景が成功している。

栗林公園 掬月亭(きくげつてい)

高松市を出て金刀比羅宮に向かう。この界隈は平野に急斜面のオムスビ型の山が点在する特異な地形である。金刀比羅宮のあ る琴平山も例外でない。参道を20%くらい登ったところで参拝は断念。こんぴらさんの祭神、大物主神(おおものぬしのか み)は農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様となっている。特に船頭達の人気が高かったようだ。

こ んぴら船々

こんぴら船々 追手(おいて)に帆(ほ)か けて

シュラシュシュシュ

(まわ)れば 四国は

讃州那珂(さんしゅうなか)の郡(ご うり)

象頭山(ぞうずさん)金比羅(こんぴ ら)大権現(だいごんげん)

「一度廻(まわ)れば」

・・・

・・・

お宮はこんぴら 船神(ふながみ)さまだよ

キララララ

時化(しけ)でも無事だよ 雪洞(ぼ んぼり)ゃ明るい

(いかり)を下(おろ)し て 遊ばんせ

「一度廻(まわ)れば」
 

という正調節が記憶からよみがえった。

そもそも金比羅はインドから渡来したものでサンスクリッド語でクンヒーラと言い、ガンジス河の鰐を神格化したものとか。

今回の四国ツーリングの案内をしてくれることになっている鰍ンなみの社長曽我部孝行氏と落ち合う予定の田舎風釜揚げうど ん専門店「長田イン香の香」(Restaurant Serial No.270) を斎藤氏のトライクルと石原隊長のクラウンのナビに入力するが、なぜか善通寺についてしまう。やむを得ず曽我部氏に善通寺まで迎えにきてもらい「長田イン 香の香」に向かう。曽我部氏は四国でアイスクリームとアイスバー製造・卸をしている方である。そして我が隊のメンバーの斉藤氏はその製造機械の製作と据付 を生業としていうという関係だが、商売を超えて友人として付き合っているという。曽我部氏にショウガを暖かい汁にタップリ入れるのが讃岐流であると教わ る。曽我部氏のビジネスの成功の秘訣は四国の名水百選の西条市の水にあるとのこと。石槌山系からのうち抜き水がいいようだ。安定剤に天然の寒天を使ってい るという。後日、その製品を贈っていただき毎日色とりどりのアイスバーを楽しませてもらっている。

昼食後、善通寺に取って返す。メンバーの殆どは現役の経営者であるのでバイクでお遍路をしている暇はない。そこで代表し て善通寺にお参りすることになったのだ。善通寺は真言宗の開祖、弘法大師空海の誕生所であり総本山である。四国八十八ヶ所霊場の第七十五番札所となってい る。東院(伽藍)の金堂はたいしたことはないが西院(誕生院)の御影堂がやけに立派である。

金刀比羅宮参道の とらや

善通寺東院五重塔

松山自動車道でいくつかのトンネルを通過して夕刻、松山に到着。ここは路面電車が健在である。石原隊長夫人が松山名物のタルトの本店に連れてゆく。通常タ ルトといわれるものはパイ生地の上にリンゴなどの果物やジェリーを載せて焼いたアップルパイのようなものであるが、松山名物のタルトはスポンジケーキの上 にアンコなどを乗せてロールしたロールケーキのようなものであった。ためしに食してみたがうまい。

今夜の宿は道後温泉ホテル椿館だ(Hotel Serial No.329)。巨大なホ テルだ。新潟は赤倉のホテル経営者の荻野夫妻はサイドカーで九州を回ってきて合流した。荻野氏は今となってはこのような巨大ホテルの経営は苦しいだろうと つぶやく。斉藤信義氏はアイスクリームやスティックアイスの製造機械メーカーであるサイトー機械金属を経営しているがスティックアイスを多量生産するロー タリーバーフルイーザーを開発した人だ。斎藤氏の別のビジネス陶芸教室のパトナーである八柳彩子女史とその姉君、および曽我部氏の久美子夫人も合流する。 八柳彩子女史は麻布陶芸苑という陶芸教室を経営して いる陶芸家である。道 後温泉本館(通称ぼっちゃん温泉)の前を歩いて路面電車でダウンタウンの居酒屋、酒八本店で夕食。(Restaurant Serial No.267

 

第四日

雨の中、松山自動車道経由で出発。ここから宇和島までは結構な山の中だ。しかし高速道路を走るだけでは事前に読んだ司馬 遼太郎の「南伊予・西 土佐の道」に記述されたような情緒は感じられない。宇和島の前で雨は上がる。宇和島は山が海にせまり狭い。市街地には空き店舗が目立つ。土佐街道 を南下、四万十川流域に入り狭いワインディングルートを勝間沈下橋に向かう。

大型トラックとすれ違うためにバックしているときにバランスを崩して立ちゴケ。ハーレーダビッドソンを購入して早や10 年、一度も倒したことはなかったが、よる年波には勝てないのか。幸いにもバイクのマフラーに引っかき傷をつけただけで大事には至らなかった。

勝間沈下橋は平成15年5月「釣りバカ日誌14」のロケ地となったところだそうで屋形船で川遊びと食事サービスを大川遊覧船が提供している。貸切で 食事込み5,000円であった。浅瀬を乗り切ることが出来ずエンストしたときは舳先に数人乗り移り艫を浮かせて成功。四万十川の水はきれいだが、大雨では 暴れ川となる。岸辺の樹木の上から二割の高さに農業用ビニールシートが引っかかっているので増水時は現水面より10m位は上がるようだ。

四万十川 屋形船での昼食 斎藤氏撮影

四万十川下流の中村市は市町村合併で四万十市となっていた。四国電力が原発建設を断念した窪川をすぎ、須崎まで一般道路 だ。窪川の三十七 番札所岩本寺へゆくのかすげ笠、白衣、金剛杖、輪袈裟(わげさ)の4 点セットで身を固めたお遍路の一団が黙々と歩いている。暗くなってようやく高知市に入る。

荻野氏のサイドカーの後輪ブレーキが利かなくなったため高知のバイクショップに修理にあずける。高知市でも路面電車は健 在であった。

屋形船

はりまや橋

今夜の宿は繁華街中心にあるビジネスホテルの高知ワシントンホテルプラザだ。(Hotel Serial No.330)夕食は高知 ワシントンプラザホテル前の小料理「磯の茶屋」でとる。(Restaurant Serial No.268) カラオケは苦手だが皆に付き合う。皆上手すぎてとても歌う気分にはなれない。高知市旧大川の世代橋近くにある屋台「安兵衛」でラーメンを食す。押川氏にさ そわれて石原隊長夫妻と「はりまや橋」を見物。

土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た・・・

と歌われ、讃岐の国へ駆け落ちした三十一番札所五台山竹林寺の僧・純信と、恋人の お馬さんの恋の情熱は伝わってくる。 実話はもっと複雑で、純信と慶全という二人の僧とお馬の三角関係が背景にある。お馬の心が純信に移ったのにあせった慶全がかんざしを買った。これが評判と なって慶全は寺を追われる。恨んだ慶全が「かんざしを買ったのは純信」と言いふらした。いたたまれなくなった純信がかけおちしたというのが真相のようだ。

川は暗渠になってかって「日本三大がっかり」の一つと言われたようだ。高知市内の天然の川はほとんど暗渠になって地下に もぐり、歓楽街がその上に出現している。これが高知市民の文明開化だとすれば悲しい。この反省にたってか現在では人工のせせらぎが観光客用に復原されて多 少汚名挽回している。

 

第五日

北原氏は早起きして山内一豊が築城し現在に至る全国でも数少ない古城の一つという高知城を散策したらしいが、その他のメンバーは昏々と眠りほうけた。

朝起きればホテルの前の道は半分、交通規制され日曜市になっていた。朝食後、桂浜に向かう。八柳姉妹はここからはレンタカーに乗り換える。荻原夫妻のサイ ドカーもブレーキオイル補給で直ったようだ。

桂浜で全員集合 斎藤氏撮影

桂浜そのものは竜王崎と竜頭崎に抱かれた400m位の礫浜である。しかし竜頭崎の方は巨大な駐車場建設のため、コンクリートとテトラポットで固められてい て残念。駐車場は閑散としている。動物園が併設され一時代前の観光地の雰囲気である。背後の丘の上には龍馬の巨大な銅像が建っているが、桂浜と龍馬の関係 がどうだったかの説明は無い。帰って調べたが昭和3年龍馬を慕う青年たちが全国を回って募金を集め銅像を建立したものという以外、龍馬とは何の関係も発見 できなかった。龍馬は土佐の高知の生まれとはいえ、観光に勝手に利用されていて気の毒な感じもある。

高知自動車道を川之江JCTまで全員一緒に走行。川之江JCTでお世話になった曽我部夫妻と八柳姉妹とは新潟での再会を 誓ってここでおいとまする。

ここからは徳島自動車道を吉野川にそって一路徳島に向かって下る。 吉野川は四国を東西に貫く中央構造線(大断層線)に沿ってナイフで切ったように直線状に並ぶ山(断層崖)に両側を囲まれた真っ直ぐな谷底を流れ下る河だ。 断層崖が厳しいところでは自動車道路は崖の内側に穿ったトンネル内を走る。

「泊瀬女(はつせめ)の 造る木綿花(ゆ うはな) み吉野の

滝の水沫(みなわ)に 咲きにけらずや」   万葉集 笠金村(かさのかなむら)

徳島自動車道の利用状況は非常に低い。我々以外殆ど車の走行が認められない。この吉野川流域の水田は民家や工場に占拠さ れつつある。

荻野氏のサイドカーの後輪ブレーキが再度利かなくなったが、空気抜きをしてブレーキオイル補給で直った。

明石海峡大橋

いよいよ四国ともお別れである。鳴門海峡を渡り、淡路島を縦断して明石海峡大橋を渡った。淡路島は意外に大きな島だ。山 並みの姿は四国と同じ。明石海峡大橋はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジに似て美しい。明石海峡大橋を渡り終えればそのまま六甲 の山の中を掘削したトンネルに入り、山陽自動車道の三木JCTに達する。大阪の吹田JCTで名神高速道に入る頃には渋滞もあり、日も暮れかかった。日が沈 むと気温が14度まで下がり、寒いため米原JCTまでは非常に長く感じた。琵琶湖は淡路島のように大きい。多賀SAで革ジャンの下にスェーターを着込み、 チャップスを着用してようやく人心地つく。米原JCTから北陸自動車道に入り、長浜ICまで走行。

長浜ロイヤルホテル泊。(Hotel Serial No.331

 

第六日

長浜ロイヤルホテルは豊公園内にあり、隣には、秀吉が建造した城のコピーかどうか分からぬが、城が復原されている。琵琶湖畔をドライブ。この湖岸はコンク リートで固められておらず心地よい。

長浜IC→米原JCTで名神自動車道に入る。関が原でどこが戦場だったのか探すが戦いのできる平地は水田が少々あるだけ で草原は森林に覆われてしまっている。戦国時代はもっと見晴らしのよい草原だったのだろうと思うが、植林はしたもののグローバリゼーションによって用材が 不要になっためか、化学肥料と農耕機械の導入のおかげで雑木林の伐採が必要なくなったためか草原は消え失せて、鬱蒼とした森に変わってしまった のだろうと推察した。

長浜ロイヤルホテル前にて

小牧JCTから中央自動車道に入る。1998年に東名を下って明治村を訪れた時は中津川ICまでは一般道を走ったためグリーン ウッド氏にとってはここは初めてである。自然が多くなかなか気分の良い道だ。恵那山(2,190m)の山頂は雲の中だ。

岡谷JCTで長野自動車道にはいり松本ICで荻野夫妻が扉温泉一泊のため分かれる。扉温泉の明神館は超豪華な宿だ。競争 相手の手の内を見ておこうというつもりなのか。気温は10度まで下がるが防寒対策にカッパを着込み、厚手の手袋をしたので問題ない。姥捨SAで休憩してグ リーンウッド氏は翌日に予定されている荒船山、鼻曲山登山のために長野市に向 かう。隊長以下の本隊はそのまま群馬の境町に無事帰着。

今回の走行距離は四国内が800km、四国から600kmで合計1,400kmのはずであるが計測しそこなった。オド メーターは40,525kmであった。

November 06, 2005

Rev. November 15, 2010


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