ルート66 2000年

キングマンからロスアンゼルス

そして米国西海岸ツーリング

全国のロータリークラブ会員でハーレーダビッドソン乗りによりルート66と米国西海岸のツーリングが企画さ れてからすでに1年が経つ。メンバー10名と石原隊長夫人および米国人のサポート車ドライバー、マイケルの総勢12名が参加し、バイク7台、サポート車1 台にて2000年秋決行された。本リポートはその実走行記録である。選ばれたルートはラスベガス、ニードルズ、バーストウ、サンタモニカ、モロベイ、サン フランシスコである。これを5日間で走った。本旅行の参加者のうち石原敏男隊長と都城の財閥の長、江夏昇氏は共に72才の高齢である。実走行距離は1,112マイル(1,800km)であった。

今年夏、摂氏50度で熱死者も出した砂漠も10月末ともなれば寒いくらい。雨が懸念された西海岸も雨があがり、快適な気候であった。

ルート66はインターステート・フリーウェーが出来る前、シカゴに始まり、サンタモニカで終わる西部の幹線道路で あった。1930年代大恐慌のなかでオクラホマ地方を襲った旱魃を逃れてオーキーといわれる人々がカルフォルニアに逃れた道である。ジョン・スタイベッグ がこれをテーマにした小説「怒りの葡萄」でマザーロードと名付けた。当時この道を10ドル払ってロスアンゼルスに行った80才代のオクラホマの人による と、道中、対向車に行き逢わなかったそうである。本旅行はそのほんの一部であったが、一言で総括すれば、「米国は広い」ということに尽きる。

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全行程図

第一日(土曜日)成田からラスベガスへ

成田10月28日(土)仕事の都合で今回参加できない中本隆久氏差入れの押しずしを賞味したのち成田発、8時間のフライトで同日朝9:00マカラン国際空港着。ラスベガスは禿山に囲まれた盆地の底にある。ただちにタクシーで全員ラスベガス・ブルバード経由イースト・トロピカーナ・アベニューにあるホテル・サンレモ・アンド・リゾート(Hotel Serial No.170)に 着く。このホテルも他のホテル同様、ロビーはカジノである。チェックインは14:00時までできないため、手荷物をコンシエルジに預けて空港の南バー ミューダ・ロードにあるアラモレンタカー社に行き、8人乗りのシボレー・バンを借りる。全員の手荷物と余剰人員を乗せるサポートカーとするためである。予 約は七人乗りだったが、手荷物が多いので最大の車種に変更した。この間、他のメンバーはラスベガス・ブルバードにあるニューヨーク・ニューヨーク等を散策 後、ハーレーダビッドソン・カフェで昼食をとる。(Restaurant Serial No.157)グリーンウッド氏はここでHDマークの野球帽を購入。

アラモ車のドライバー付保手続きをした面々はアラモ車でハーレーダビッドソン・カ フェに行き、昼食。食後、バイクに乗る全員がアラモ車で空港の東方ボールダー・ハイウェーにあるクルーズ・アメリカに向う。ここで5台の2000年モデル のヘリテージ・ソフテイルと2台のロードキングを借りる。保証金300ドルと1日当たりの保険金23ドルは主契約者のカードで支払う。保証金300ドルは サンフランシスコで返却時返済される仕組み。車のレンタル代金は日本でエージェント経由支払済み。

全員ホテル駐車場にバイクを持ちこみ、バイク付属の直径15ミリのケーブルで後輪 に施錠。前輪は簡単にはずせるので無意味とレンタカー会社がいう。可能なら電柱などに巻きつけるか隣のバイクに巻きつけるのが望ましい。エンジンキーと ケーブルの同時施錠が盗難保険が有効になる最低限の条件である。これらの条件の確認のため、事前に契約書を取り寄せて確認しておくことをお勧めする。グ リーンウッド氏の借りたハンドルキーはピンが折れていて施錠不能。同行のハーレー専門メカニックである広川氏もハンドルキーは力を入れてねじるとピンが折 れるので盗難防止には役立たないという。日本のディーラーはハンドルキーの方が大切と間違って教えていることになる。

夜は旧ラスベガス・ダウンタウンのフリーモント・ストリートにタクシーで行き、フリーモント・ストリートのアーケードの天井のコンピューター制御の電飾見物とショッピング、レイス・ロックで夕食を楽しむ。(Restaurant Serial No.158)当日はロデオ祭りのため、タクシー不足気味。

第二日(日曜日)ラスベガスからニードルズへ

朝7:00起床。8:00出発準備開始。ホテル前で記念撮影後、サポートカーに横断幕を張る。サンレモの向かいにはMGM経営の総ガラス張りの巨大なホテルが聳えている。9:00出発。

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ホテル・サンレモ玄関前に整列記念撮影

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サポートカーに横断幕装着

午前中はグリーンウッド氏がナビゲータを勤める。無線は144.90MHzとする。混信が無いようなので、このま ま固定。サポート車先導でトロピカーナ・アベニューを東にルート515に向う。程なくロードキングの一台のシフトレバーのピンの緩みが発生。広川氏がたち どころに修理。ルート515を南下し、程なく93に入り、95に間違って入らないようにフーバーダムに向う。風が強く、空気が冷たいという報告が入り、時 速60マイル(96キロ)をキープ。制限速度は道によって異なるが、パトカーは制限速度の10マイルオーバーまでは見逃してくれるとマイケル氏が教えてく れる。

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ルート93でフーバーダムに向かう(先導車から撮影)

フーバーダムは1930 年代の大恐慌を乗りきるためにセオドア・ルーズベルト大統領によって決断されたプロジェクトであるが、決断を先送りした前フーバー大統領の名を政治的取引 のためにつけたと同行のマイケル氏が説明する。フーバーダムはグランドキャニオンが尽きる最後の狭い谷間を埋めるように建設されている。草木一本も無い褐 色の岩の中に埋めこまれている。その岸壁に建てられた駐車場に駐車し、ダム見学をする。発電目的のため、目のくらむダム直下に水車発電機が並んでいるのが 見える。ラスベガスからは42マイル。(68キロ)

先を急ぐのでダムを渡り、岩山を越えてネバダ州からアリゾナ州に入りルート95を南下、一路キングマンに向う。途 中マイケルがビッグホーンが見えると教えてくれる。異常に大きなカタツムリ状の角を付けた山羊のような生き物が岩山にたたずんでいる。早速全車に無線で伝 える。キングマンまでは一本道のため、バイクは各自の力量に応じて任意のスピードで走ることにした。結局速度競争になり、サポートカーは置いてきぼり。キ ングマンに近くなると無人の砂漠の中にも小屋が見え隠れするようになる。ウォッシという水の無い川を幾つも渡る。キングマン近くになるとテーブルマウンテ ン(メサ)が見え始め、ルート68も右から合流してくる。キングマンまで112マイル(180キロ)のため、ここで給油と昼食。(Restaurant Serial No.159)キングマンはかっては鉱山の町だったそうであるが、今はこぎれいな町である。

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キングマン近くのメサ

Cracker Barrelにて昼食後、I氏のバイクの姿が消えているのを発見。エンジンキーをロックせず、ハンドルキーのみをしたという。力をかければハンドルロック のピンは折れてしまうという。盗難と判断。警察を呼んで届け、2時間後に出発。契約書を読むと盗難防止のワイヤをしてないと盗難保険の対象にならないと書 いてある。15,000ドルの損害請求は13,000ドルに値切ったが130万円である自己責任ということになっているも、仲間として半分カンパして支援 する。調書を取った警官がハーレー1台盗まれたというのに、この連中は何で陽気なのかと不思議がる。

グリーンウッド氏は初めてヘリテージ・ソフテイルに乗る。寒いのでチャップスとレザージャケットを着用。チャップ スはカウボーイが馬に乗る時ジーンズの上に羽織った保温具である。鉄馬にもそのままのデザインで着用できる。下馬したとき簡単にはずせるので蒸れなく快適 である。フォワードコントロール方式のグリーンウッド氏所有のソフテイル・カスタムとレンタルしたヘリテージ・ソフテイルのシフトレバーの形式が違うた め、なかなか2速にシフトできずまいった。慣れるまで、頭で操作せざるを得なかった。

キングマンはかってはルート66だけが通っていたのだが、今はインターステート・フリーウェー40が主要な道路で ある。計画ではここから旧ルート66を西に向い、オートマン経由トポックに出てここからインターステート・フリーウェー40でニードルズに向う予定であっ た。しかし、ここでナビゲーターが勘違いし、旧ルート66を東に向い、ピーチスプリングまで約60マイル(96キロ)間違いに気がつかず走行。次第にテー ブルマウンテンの頂部が広くなるのを訝りながらの走行であった。このまま東に向かって走っていたらニューメキシコ州にはいり、メサの頂上にある原爆開発の 中心地ロスアラモス研究所についていたかもしれない。

盗難の後処理に手間取り15:00出発であったので、ピーチスプリングでは日が暮れかけていた。ピーチスプリング で老夫婦に間違いを教えてもらい、今来た道をキングマンに戻る。旧ルート66は小石が路面にあるため、前の車が跳ね上げる小石が足や風防に当たる。目がね だけでは危険。風防付きヘルメットが必須である。ピーチスプリングは高度があり寒いが皮のチャップスのおかげで寒さは気にならない。キングマン手前で完全 に漆黒の夜の走行となる。ようやく1軒だけある店で空直前のガソリンタンクにガソリンを補給できた。

キングマンからはインターステート40でニードルズに向う。照明の無いインターステート40を時速70マイル (112キロ)で巨大なトレーラーに挟まれて走るのは容易ではない。ユッカの近くでグリーンウッド氏は再び、ナビゲータとなる。ニードルズでインタース テート40を降りてナショナル・トレイル・ハイウェーに入るとモーテル、ベスト・ウエスタン・コロラドリバー・イン(Hotel Serial No.171)は すぐ見つかった。19:30到着。夕食はモーテルの近くのトラック運転手が使うレストランで摂る。アルコール類が出ないので、健康には良い。食事の質は高 い。モーテルの南西側の丘の上にアチソン・トペカ・サンタフェ鉄道が走っており、夜中は地響きを立てて貨物列車が通る。宿舎の北東側の谷には見えないがコ ロラド河が流れているはず。

第三日(月曜日)ニードルズからバーストウへ

前日と同じく、朝7:00起床。8:00出発準備開始、給油。グリーンウッド氏は再びバイクにまたがる。インター ステート・フリーウェー40をエセックスまでサポート車先導で行き、ここから旧道ルート66に入る。ここからアンボイまでは一本道で対向車も来ないため、 バイクは自由行動とする。たちどころにグリーンウッド氏のバイクとサポート車を残して全員消えてしまった。無線も通じない。路面は良くないのに明らかなス ピード制限違反とおもわれるのだが、捕まえるパトカーもいない。未確認だがロードキングはここで110マイル(176km)出したとか。ソフテイルは90 マイル(144km)で速度リミッターが作動したという。グリーンウッド氏のバイクとサポート車は広大な風景をめでながら制限速度プラス10マイルで走 行。途中何度も停止して休む。

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アンボイ手前

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道路に横になって疲れを癒すマイケル

幸い全員無事でアンボイで待っていた。本来はここのロイズ・カフェで昼食の予定だが、まだ11:00である。一休 みし、ロイズ・カフェのマグを買い、近くにある火山性のアンボイ・クレーターの説明書をもらって、ルッドロウまでサポート車先導でゆく。速度に堪能した面 々は皆で時々止まり、写真を撮ったり、道路上に寝転んだりのゆっくりペース。

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アンボイのロイズ・カフェ

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アンボイ・クレーター

アチソン・トペカ・サンタフェ鉄道の長大な貨物列車と並行走行をする。コンテナー船に載せる大型コンテナーを二階建てに載せて走っているのは、JRのチマチマしたコンテナーを見なれた目には迫力万点。列車の長さも数キロはあろうか。

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アチソン・トペカ・サンタフェ鉄道の長大な貨物列車

ルッドロウ12:00着。給油と昼食をとる。グリーンウッド氏はここからナビゲータとなる。予定ではルッドロウか らカリコのゴーストタウンまではインターステート・フリーウェー40をとることになっていたが、時間の余裕があるため、旧道ルート66をとることにする。 カリコのゴーストタウン2:45着。カリコのゴーストタウンはかっての銀鉱山の跡に鉱山街を復元した郡経営のテーマパークである。入場料を払って入る。ナ ビゲータ氏は15:30のガンファイトまでパブでビールを一杯引っ掛ける。江夏氏はガンファイトの流れ玉に当たって俄か役者になり、子供のあこがれの的と なる。

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カリコのシェリフ

カリコのゴーストタウン6:30発。インターステート・フリーウェー15経由バーストウの町に入る。イースト・メーン・ストリート(これもナショナル・トレイル・ハイウェー)に降りるとすぐわれわれのモーテル、ベストウエタン・デザート・ビラ・イン(Hotel Serial No.172)は すぐ見つかる。17:00着。ここもアチソン・トペカ・サンタフェ鉄道がすぐそばにある。ベストウエスタンはルート66を旅する人を対象としているため、 これと並行して走るアチソン・トペカ・サンタフェ鉄道もすぐ傍になるという道理らしい。貨物列車は頻繁に走る。経済活動が盛んである証拠か。イースト・ メーン・ストリート沿いにある中華料理店で特製のとりスープの緬を堪能。

第四日(火曜日)バーストウからサンタモニカL.A.へ

スタインベックの「怒りの葡萄」のジョード家はバーストウからはルート66を外れてロスアンジェルスの北西のベーカーズフィールドに向かったのだが、我々はあくまでルート66をゆく。

前日と同じく、朝7:00起床。8:00出発準備開始。出発前に給油。予定ではここからインターステート15でロ スアンジェルスに向う予定であったが、時間的余裕が出たので、グリーンウッド氏がナビゲータとなり、イースト・メーンストリートついでウエスト・メーンス トリートからナショナル・トレイル・ハイウェーを行くことにする。途中これから越えるサン・ガブリエル山脈の最高峰サン・アントニオ山(海抜10,064 フィート、3,300メートル)が雪を頂いているのが見える。サン・ガブリエル山脈にはアメリカ=メキシコ国境からアメリカ=カナダ国境まで、アメリカ西 海岸を南北に縦走するパシフィック・クレスト・トレイル(Pacific Crest Trail、略称PCT)が通っている。PCTはインターステート15とCajon Passで交差する。

オロ・グランデという所を通過する。水が少しある河をスペイン語でオロというそうだ。ビク タービルの手前で小休止し、インターステート15に入る。単調な一直線の登りである。外気温は華氏45度(摂氏7度)である。カホン峠(海抜4,269 フィート、海抜1,500メートル)を越えて少し下がり、138号が交わるカホン・ジャンクションで給油。

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PCTが通るカホン峠を越えて

これから一気に下るとロスアンゼルスの東方の平野が見え始める。215号と分かれ、インターステート15を下り、 平野にかかる頃フットヒル・ブルバードが見える。ここを西にパサデナへ向う道が旧ルート66であるが、時間が無いのでパス。4番街でインターステート15 を降り、オンタリオ・ミルズの巨大なショッピングセンターで昼食を摂る。12:00着。

昼食後、13:00グリーンウッド氏はここから鉄馬に騎乗し、インターステート10でサンタモニカに向う。暖かい のでチャップスは止め、皮のベストとする。リトル・トーキョウでダウンタウンに降り、串間氏をおろす。摩天楼の聳えるダウンタウンをパレードする。ブロー ドウェーをオリンピックストリートまで下り、フギュエロアをさかのぼって3番街でルート110に入る。再びインターステート10に入りサンタモニカに向 う。インターステート10の終わり近く、短いトンネルをくぐって急に右旋回してパシフィック・コースト・ハイウェーに出る。シカゴを出たルート66はここ サンタモニカで終わったことになる。米国の母なる道の終焉の地である。サンタモニカピアを訪れる。

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サンタモニカピアで

サンタモニカピアを見物後、サンタモニカ・ブルバードを20番街まで行きベストウエスタン・ゲートウエー・ホテル(Hotel Serial No.173)に16: 10着。ベストウエスタン系のモーテルはヘリテージ・ロードのツーリングを楽しむバイカーの常宿らしく、別の米国人HDライダーのグループもバイクを乗り 入れてきた。ここで面会したロータリークラブ会員である知的所有権弁護士夫妻がビックリしていた。グリーンウッド氏はここで旧友ロンに1年半ぶりに再会。氏のパリ旅行中撮影した写真を入手。全員3番街のイタリア料理レストラン、レミで夕食。(Restaurant Serial No.160)江夏氏はここで賓客のポートレイト描きをサービス好評を博す。

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レミ前でロンと斎藤氏

食後、ハロウィーンパーティーを楽しむ。

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リンカーン・ブルバードのハロウィーン・パーティー

第五日(水曜日)サンタモニカL.A.からモロベイへ

前日と同じく、朝7:00起床。8:00出発準備開始。グリーンウッド氏はここから鉄馬に騎乗。サポート車先導で サンタモニア・ブルバードで給油後、昨日の道を逆行してパシフィック・コースト・ハイウェー(ルート1)に出る。パシフィック・コースト・ハイウェーは オックスナードまで一本道のため、バイクは自由行動。海岸沿いの住宅地は見事。途中無線が切れたら先頭集団はスピードダウンして連絡を保ちながら全員ス ターバックスで小休止。オックスナードでルート10に乗り、サンタバーバラに向う。サンタバーバラではスターンズ・ウォーフでロブスターをエンジョイ。(Restaurant Serial No.161)東 海岸のようなアメリカザリガニのようなロブスター(オマール・エビ)ではなく、日本の伊勢エビと同じ種類だ。同じ太平洋の生き物だ。いけすからいきなり食 卓にでてくる。これがたったの12ドル。スターンズ・ウォーフの先端に釣り人がいたが、大きなペリカンが釣れた魚のお相伴にあずかろうと待機しているのは ほほえましかった。

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サンタバーバラのスターンズ・ワーフ

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スターンズ・ワーフでロブスターを賞味するグリーンウッド氏

昼食後、グリーンウッド氏は再びナビゲータとなる。予定を変更してルート101には乗らず、チャクマ湖沿いのルー ト154にする。マイケルの新妻ケイトのお薦めのルート。山岳コースである。サンマルコス峠(海抜2,225フィート)を越える。ルート154に入るまで しばらくサンタバーバラのメーンストリートを行く。2000年のノーベル化学賞を受賞した白川教授の共同受賞者がいるカルフルニア大サンタバーバラ校はこ こにある。サンタバーバラにもスペインが作ったミッショナリーがある。ミッショナリーの間隔は一日に馬で移動できる距離の40マイルとのこと。いわば宿場 である。

時間が無いので、予定のソルバングには寄らない。人口的にオランダの町をコピーしたテーマパーク的な所との情報で 敬遠した。葡萄園と牧場が続くみちが延々と続く。ルート101に入ってからも単調な牧場の中を行く。住民16人の町がある。カリフォルニアがゴールデンス テートといわれるのは金を産するためではなく、牧草が夏枯れて黄金色になるためであるとマイケルがいう。ロスアラモスで給油。サンルイ・オビスポでルート 1に入り、モロベイに夕日が沈む頃到着。モロベイ・ロックの向こうに発電所の煙突2本が見えるのには多少がっかりだが、モロベイ自体はすばらしい入り江を 持っている。明日のため、モロベイ到着時に給油。ザ・イン・アット・モロベイ(Hotel Serial No.174)も絶好のロケーションにある。本旅行中もっともロマンチックな場所である。夕食はここのメーンダイニングルームで摂る。(Restaurant Serial No.162)夕食後、グリーンウッド氏の個室でスコッチパーティー。

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ザ・イン・アット・モロベイのテラスから見たモロベイ

第六日(木曜日)モロベイからサンフランシスコへ

前日と同じく、朝7:00起床。8:00出発準備開始。グリーンウッド氏はザ・イン・アット・モロベイの裏通りで 写真撮影後、出発。海岸沿いに北上。時間がないためハースト城がサンタルチア山脈の上に建っているのを横目に見ながら通過。ハースト城に行く並木道がイタ リアのトスカーナ地方の風景を思い出させる。

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ビッグ・サーの断崖

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全員集合

いよいよ西伊豆を思い出させる断崖絶壁の道、ビッグ・サーに入る。これが行けども行けども終わらない。さすが米国は大きいと再認識する。

Financial Times、September 24, 2005でBig Sur'sのイバラの茂る道無き丘のトレッキングで飲料水も切れ、遭難しかかった記事を読む。

途中2回休憩。メダルなどを買ったり、ギャラリーに立ち寄る。ここで画家の一人とHD談義をする。

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ギャラリーでアーティストとHD 談義する石原隊長と廣川氏

山岳道路は日本と同じく道路補修が必要で、一方通行の場所が多い。この時間切り替え間隔が長く、先行するバイクと無線連絡が取れなくなる。カーメル湾の向 こうにペブルビーチ・ゴルフ場が見え始めるころから、無線で先行集団の停止を要請するが連絡できず。カーメル市内が普通道のため路肩停止も可能なるもセブ ンティーンマイル・ドライブの入り口ではすでにカブリロ・ハイウェーに入ってしまった。かろうじて押川氏がセブンティーンマイル・ドライブ入り口に行った ことは知り得たが、他のメンバーは直進したと判断、そのまま1号線を追いかける。そろそろガス欠の可能性あり。しかしいくら追ってもみつからない。モント レーの海岸に出るとかすかに無線に信号が入る。サンタクルツとの中間点の火力発電所のある所まで行き、停止、給油し、30分待ち先行部隊はモントレーへ 入ったと判断、引き返す。セブンティーンマイル・ドライブの入り口に行くも押川氏を発見できず。すでに移動した後だった。モントレー湾水族館に行くことも 考えたが、ありえないと判断。モントレーへの出口数カ所をチェックし、これ以上捜索しても発見は出来ないと判断、14:00に救助作戦を中止し、幸運を祈 りながらサンフランシスコに向かう。

モントレーはジェームズ・ディーン主演の1955年の「エデンの東」の舞台になったところだ。そもそもスタイベックの小説は「怒りの葡萄」もそうだがルート66に縁がある。

ルート156, 101, サンノゼ経由、サンフランシスコ着。サンノゼではルート101からオラクルの社屋が見えた。ネットバブル 崩壊直後でシリコンバレーは閑散としていた。サンフランシスコの9番街で降りてオファレル・ストリート経由、16:00ホテル・ニッコウ・サンフランシス コ着(Hotel Serial No.175)。ホテルニッコウの滞在費だけで全宿泊費の50%になるくらいでここは日本並のプライシングである。

約1時間遅れて全バイク到着。聴くと押川氏と他のバイク集団は連絡が取れセブンティーンマイル・ドライブへの出口 から一緒に降りることができたという。サポート車が行くえ不明のため、モントレー湾水族館に行き昼食を取りながら、無線連絡と携帯連絡を試みたという。こ の無線がかすかにサポート車が捉えたものである。残念ながらサポート車の携帯のスイッチは入っていなかった。入れることにも気が廻らなかった。

ホテル・ニッコウ・サンフランシスコ前の一輪で夕食。

第七日(金曜日)サンフランシスコ

前日と同じく、朝7:00起床。8:00出発準備開始。グリーンウッド氏は鉄馬に騎乗。8街からからルート80 イーストに入り、ベイブリッジをオークランドに向かう。バークレイで給油。ルート580、サンラファエル・ブリッジ、ルート101経由サウサリトを見学 中、菅原氏のロードキングのクラッチペダルがゆるくなる。ただちに修理。サンラファエルはアンブロース・ビアスが妻となるメアリ・エレン・デイと会ったところだ。

ゴールデンゲートブリッジを渡り、ロンバード・ストリートに入る。サポート車と別れ、そのまま急斜面のロシアン・ ヒルを登りきる。ペリー・コモの歌う「我が心のサンフランシスコ」の歌詞"I left my heart in San Francisco  High on a hill it calls to me....”そのままの世界である。一時停止標識に従って300kgのハーレーを倒さないように登るには高度なテクニックを要した。頂上部からコイト・ タワーに向かい急坂を下る。サンフランシスコのカーチェイス場面に出るシーンである。ハイド・ストリートとの交差点で写真撮影後、観光客のフラッシを浴び てクリント・イーストウッドの1973年の映画「ダーティーハリー2」でも使われたロンバード・ストリートをスラローム。路面がタイル張りなので、転倒しないように注意が必要。

コロンバス街で駐車し、ピザの昼食をとる。12:00出発。海岸通りのエンバルカデロ経由ブリアント・ストリート からルート80イーストに入る。再度ベイブリッジをオークランドに向かう。今度はルート880サウスを66番街まで行き、クルーズ・アメリカにバイク返 還。取って返して、ブッシ・ストリートでアラモ車返還。

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スラロームしたロンバード通り Ken Glaser Jr. 撮影

夕方、ピア39でショッピング。ピア39の先端はアシカのサンクチュアリーがある。一群のアシカが強烈な獣臭を 放っている。もとはヨットを係留していたマリーナだったのだが、突然アシカに占領され、開放したのだという。夕食はフィシャマンズ・ワーフのカスタニョー ラでチルド・クラッシト・クラブとシュリンプ・カクテルを賞味。カスタニョーラ(Restaurant Serial No.144)は数年前も訪問したが変わっていない。近くの店でバッジなど土産物を購入。無線で相互連絡して一箇所に集まり。40ドルでボディーを伸張したリンカーンコンチネンタルを雇い、パウエル通り経由ホテルに帰る。「いちりん」のバーで解散会。

第八日(土曜日)サンフランシスコ出発

6:30起床。8:30リムジンでホテル出発。全員乗せて132ドル。

第九日(日曜日)成田着

15:15成田着。九州勢は直ちに羽田乗り換えで帰宅。

2000/11/10

Rev. September 8, 2015


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