信濃三十三ヶ所霊場と巡礼路

信濃三十三ヶ所観音霊場がいつだれの手によって選ばれたかはわかってはいない。寛文年間(1655-1672年)には定められていたという説がある。松尾芭蕉が姨捨の月を仰いだ「更級紀行」から遡ること十数年前に当たる。とすればほぼ350年の歴史をもっていることになる。寛文年間以前に札所が認められているのは「江戸」「三河」「福島」の3ヶ所だけであるという。

三十三寺の殆どが、北国脇往還(善光寺西街道)や北国街道の道筋近くにある。明治の廃仏毀釈、世界大戦、天災により廃寺になったり再建されたり、または無住となった寺もあるがなんとか霊場として維持されている。

13番札所開眼寺の観音堂は高校同期生の和田弘正氏のご先祖、和田弥左衛門正廣が1651年に寄進したとか。同じ同期生の清水聡明氏が住職を勤める鬼無里の松巌寺観音堂を番外として加える。松厳寺は伝説の鬼女紅葉が持っていたという地蔵菩薩が残っている古刹である。

札順はあまり意味がない。公共交通機関でスタート点に移動し、そこから終点まで徒歩による巡礼(区切り打ち)とする。土、日、月の2泊3日のサイクルを繰り返すとして交通機関の時刻を予定した。ルートの都合で2日で打ち切る場合と水曜日も継続し4日間一気に歩く場合もある。

一日の歩く限度は最大25`とし、宿泊はできるだけ個室として安眠を確保する。雨が多く、気温の高い7-8月はお休みとする。所要時間は平地は時速4`、勾配10%の山道は時速2`として計算する。距離は地図上をマップメジャーを走らせて測定した。

本企画は秩父巡礼坂東巡礼に参加している北沢(栄)氏が言い出したことで、彼が探し出した清水光朗氏発行の「信濃三十三番観音札所めぐり」 と西長野の武田温さんの「信濃巡礼紀行」を参考にした。

 

ルート図

万感の 思いを抱き 遍路旅     風に吹かれて 胸がいっぱい ・・・梅雪選

 

コース

場所

霊場 巡礼路 ⇒徒歩、→交通機関

ご詠歌

距離(`) 時間(時)
上水内郡鬼無里村320番地

番外松巌寺観音堂

第1回第1日2007年9月1日(土) 9:10長野駅前集合⇒9:40駅前バス停発→(川中島バス鬼無里線  系統74)→10:42鬼無里村⇒松巌寺

1 0.3
上水内郡小川村椿峰4031 32番西照寺 松巌寺⇒32(無住、33番で朱印)

椿峰や 高き恵みは いかばかり 深きとがみも 浮かぶとぞ聞く

5 3
上水内郡小川村稲丘7119 33番高山寺 32⇒33

高くとも やすく登れよ 寺坂を 九品浄土へ 参る身なれば

2 0.8
上水内郡中条村大字御山里8859 31番広福寺 33⇒31(無住、集印所は民家で隣の清水宅)

広福寺 誓いを頼む 八重桜 峰の嵐も 吹きや散らさじ

6 2.0
    31⇒やきもち屋19:00着(梅木鉱泉)泊(026-267-2641) 7 2.5
上水内郡中条村大字日下野1874 30番正法寺 第1回第2日9月2日(日) やきもち屋8:00発⇒30

正法寺 月はみかのの 峰に出で くだる片岡 寺のともしび

3 1.0
長野市大字塩生甲3074 8番西明寺 30⇒8(無住、集印所は近くの塩入宅)

みなかみも さし出で見れば 西明寺 岸うつ波に 船ぞ浮かめる

15 5.0
長野市安茂里小市3-45-8 12番無常院 8⇒12⇒バス停「小市小田切口」16:15or17:06発→(川中島バス高府線 系統27)→16:37or17:27着善光寺大門⇒客番

中見堂 参りて拝む ありがたや よしもあしきも 洩らし給ふな

3 1.5
長野市大字元善町491 客番善光寺 客番⇒長野駅解散 2

0.5

第1回小計

2007年9月1日-3日

- 44 16.6(2日)
飯山市瑞穂7082 19番菩提院 第2回第1日(土) 8:10長野駅集合、8:31発長野駅→(JR飯山線)→9:36着戸狩野沢温泉駅スタート⇒菩提院観音堂19

小菅寺 南を見ればあづまやの 誓いを頼み 願う後の世

5

1.3

中野市

-

19⇒(菜の花公園)⇒木島平⇒夜間瀬(代案として谷街道経由)⇒(中野陣屋)⇒中野駅前小阪屋泊(0269-22-2016 19

4.8

須坂市大字米子寺内34 9番蓑堂 第2回第2日(日) 小阪屋8:00発⇒9(無住)

井の上や よなよな来たる みのん堂 雨はふるとも 身をばぬらさじ

16 4.0
須坂市仁礼町中村868 10番高顕寺 9⇒10(無住)

あづまやの 川瀬の波の音聞けば み法の船の たがわざりけり

2 0.5
須坂市

-

10⇒須坂駅前サンシャインエイト泊  個室(026-245-8121) 6 1.5
長野市若穂保科1949 16番清水寺(せいすいじ 保科観音) 第2回第3日(月) 須坂駅前サンシャインエイト7:30発⇒16

かりそめも にごる心を 求むなよ 影清水に 月は澄みぬる

1 2.8
長野市松代町東条菅間 11番清滝観音堂 16⇒(山本堪助の墓)⇒11

清滝や 川瀬の波の 繁ければ 心静めて 頼む後の世

14 3.5
長野市松代町豊栄字宮崎6531-1 7番桑台院 11⇒7

虫生田に かげを隠すは 東条 有明月は 西にかたむく

5 1.3
長野電鉄河東線   7⇒(海津城)⇒松代駅18:21発→(長野電鉄 屋代線)→屋代駅18:44発→(しなの鉄道)→長野駅19:03着、解散 3 0.8
第2回小計 2007年11月   49  14.9(3日)
長野市松代町清野宮村452 4番風雲庵 第3回第1日(土) 長野駅8:44発→(しなの鉄道小諸行き)→屋代駅9:03着、9:25発→(長野電鉄 屋代線)→松代駅9:38着⇒4(無住、集印所は民家で毎年変る)

清野寺 立ち出でみれば 霧雲の 晴るるところは もとのすみかよ

3 0.8
千曲市大字倉科竹ノ尾1192 5番妙音寺 4⇒(妻女山)⇒(雨宮の渡し)⇒5(無住、集印所は民家で小出宅)

くらしなと 思えばいずる 明星の ひかり田水に 浮かむ星影

8 2.0
千曲市森大峯2650 6番観龍寺 5⇒6(無住、集印所は長雲寺)

雨の宮 森の木陰に 寺見えて 参る心は 涼しかるらん

3 0.8
    6⇒17:04屋代駅→(しなの鉄道)→17:23着長野駅東口メルパルクNAGANO泊 個室(026-225-7800) 6 1.5
千曲市八幡4984 14番長楽寺 第3回第2日(日) メルパルク長野7:49発⇒長野駅発→(しなの鉄道小諸行)→屋代駅8:08着⇒14

音に聞く 姨捨山を 来てみれば 月の都は ここにこそあれ

6 1.5
千曲市八幡中原249 13番開眼寺 14⇒(田毎の月)⇒13(無住、集印所は民家で青木宅)

開眼寺 後は山に 前はよし 北を流るる 志川なるらん

4 1
    13⇒長雲寺(6番観龍寺の集印所) 5 1.3
長野市篠ノ井塩崎878 18番長谷寺(はせでら) 長雲寺⇒18

初瀬寺 松の葉ごしの 影よりも 遠に見えゆく とをの山寺

1.5 0.4
長野市篠ノ井岡田裏 21番常光寺岡田観音 18⇒(塩崎城跡)⇒(川柳将軍塚古墳)⇒(布施の古戦場)⇒21(無住、集印所は民家で岡沢宅)

もとやまや 常に光の 御寺にぞ 有明月に 朝日かがやく

7 1.8
しなの鉄道

-

21⇒信越本線今井駅17:30発→長野駅17:40着、解散 3 0.8
第3回小計

2007年12月

- 46.5

 12.9 (2日)

小諸市大久保2250 29番釈尊寺(布引観音) 第4回第1日(土) しなの鉄道小諸駅8:10集合スタート⇒(懐古園)⇒29

望月の 御牧の駒は 寒からじ 布引山を 北と思えば

5 1.3
上田市御岳堂84 23番宝蔵寺岩谷堂 29⇒北御牧小⇒北御牧中⇒八重原口⇒(芸術村)⇒箱畳池⇒丸子町署⇒23

宝蔵寺 見上げてみれば 岩谷堂 峰の松風 谷川の水

15 3.8
上田市腰越向井1186 28番龍福寺鳥羽堂 23⇒28(無住、集印所は民家で藤澤宅)

鳥羽山や 登りてみれば 龍福寺 田子の浮き舟 松風の音

3 0.8
上田市別所温泉1666 客番常楽寺(北向観音堂) 28→(バスまたはタクシーで15km短縮、可能なら古安曽(ごあそ)の無言館訪問)→客番 0 0
別所温泉

-

客番⇒別所温泉「臨泉楼 柏屋別荘」泊(0268-38-2345) 0 0
    第4回第2日(日) 別所温泉安楽時8:00発⇒殿戸(とのど)峠⇒青木村⇒松本街道⇒麻績口⇒修那羅峠(修那羅の石仏群)⇒坂井村草湯温泉冠着(かむりき)泊(0263-67-2216) 16

6.0

東筑摩郡筑北村坂井4747-1 3番岩井堂 第4回第3日(月) 草湯温泉冠着荘7:30発⇒3(無住、集印所は民家で宮下宅)

安坂川 波間にむすぶ 岩井堂 雨露くずまでも 浮かみこそすれ

3

0.8

東筑摩郡麻績(おみ)村上町麻8147 1番法善寺 3⇒1

逆縁も 洩らさで救う 西谷の 巡礼塔を おがむ尊さ

2

0.5

東筑摩郡麻績村上町麻8239 2番宗善寺 1⇒2(無住、集印所は1番法善寺)

おしなめて 知るも知らぬも 宗善寺 寺へ参るは 後の世のため

0

0

東筑摩郡筑北村坂北別所135 05 15番岩殿寺(がんでんじ) 2⇒15⇒碩水寺(無住17番の集印所)

つみとがも 露と消えなん いわととの 松吹く風も 御法なるらん

5 1.3
東筑摩郡筑北村東条50 17番関昌寺今見堂 碩水寺⇒17(無住、集印所は碩水寺)

むかしより 大悲の御影 今見堂 後世こそ大事 たすけたまへや

6 1.5
松本市会田611 20番長安寺岩井堂 17⇒立峠⇒20

岩井堂 岩にぞ御堂 懸けつくり 谷をへだてて うつす水かな

8 2.0
篠ノ井線

-

20⇒立峠⇒西条駅18:46発→(篠ノ井線)→長野駅19:36着、解散 7 2.5
第4回小計

2008年4月

-

47

 19.5 (3日)

伊那市大字西箕輪羽広3052 22番仲仙寺(ちゅうせんじ 羽広観音) 第5回第1日(土) 中央線辰野駅9:48集合、9:53発→(飯田線)→伊那市駅10:27着⇒(7.5kmタクシー利用して徒歩距離短縮可)⇒22 ⇒(15km)⇒辰野⇒(有賀峠経由13.5km)⇒諏訪湖ホテル21:00着、泊 (0266-52-2151)

はるばると 登り向かえば 仲仙寺 いつも絶えせぬ 松風の音

36 10
諏訪市上諏訪唐沢山7633-1 24番阿弥陀寺 第5回第2日(日) 諏訪湖ホテル8:00スタート⇒(2km)⇒正願寺(24集印所)⇒(2km)⇒24(無住)⇒(中山道塩尻峠経由)⇒塩尻駅前 「ホテル中村屋」16:00着、泊  個室(0263-52-1300)

唐沢や 岩間にむすぶ 観世音 誓いの水は くめどつきぜじ

25 7
安曇野市穂高牧1812 27番牛伏寺(ごふくじ  牛ぶせ観音) 第5回第3日(月) 塩尻駅前「ホテル中村屋」8:00発⇒27

来世にて 死出の山路は よも越さじ 金峰山へ 参る身なれば

11 2.8
東筑摩郡波田町5997 25番盛泉寺(じょうせんじ 水沢観音堂) 27⇒25

来世にて 死出の山路は よも越さじ 金峰山へ 参る身なれば

15 3.8
松本電鉄

-

25⇒波田駅16:53発→(松本電鉄上高地線)→松本駅17:17着⇒駅前前「松本東急イン」泊 個室(0263-36-0109) 2 0.5
安曇野市穂高牧1812 26番満願寺栗尾観音 第5回第4日(火)  駅前ホテル⇒松本駅7:59発→(松本電鉄上高地線)→波田駅8:26着→25⇒26

ありがたや 功力も深き 観世音 導き給へ 弥陀の浄土へ

21 5.3
大糸線

-

26→タクシー→穂高駅16:02発→(大糸線)→松本駅16:34着、打上げ会後解散 0 0
第5回小計

2008年5月

-

110

30.4 (4日)

全コース合計

-

-

296.5

94.3 (14日)

 

追記

観音堂で立派なのは奈良、鎌倉とならぶ日本三所とよばれる18番長谷寺断崖に造られた29番布引観音、27番牛ぶせ観音である。

その他は無住が多いため、朱印を確実にいただくには巡礼の前に集印所の個人宅、寺に案内本に記載された電話番号に予告して置く必要があろう。

第1回は残暑ということで北国脇往還(善光寺西街道)の鬼無里出発とした。中条村の山中の巡礼路に1軒しかない村営の宿やきもち屋のおかげで成立する計画である。宿の予約はしっかりしておきたい。

番外として加えた松巌寺には鬼女紅葉が肌身離さず持っていたという地蔵菩薩がある。鬼女の舞台は平安中ごろに設定されているが、この像は鎌倉時代造られたものという。

巡礼道は高低のある延々と続く路のため相当の覚悟が要るという。しかし山姥伝説のある虫倉山の南斜面の等高線にそって付けられた歴史のある道であると知れば楽しみも増えよう。虫倉山の東には陣馬平山が連なっている。ここは高倉山の鬼女紅葉が幼少のころ(呉葉と呼ばれていた)母と京に登るとき通過した地蔵峠があるし、朝廷により鬼女紅葉の討伐を命じられた平維茂が布陣した陣馬平は陣馬平山の北面にあるのだ。

虫倉山一帯は新第三紀鮮新世に活動した火山の溶岩や火砕流が積み重なった地層からできている。1847年の善光寺地震では、急斜面の山腹に発生した。特に規模が大きかったのは南側の斜面で、藤沢と太田の崩壊である。

戦国時代、武田信玄と上杉謙信との争乱に巻き込まれた戸隠の衆徒らが約30年間にわたり移り住んだ小川村の高山寺の少し南には北アルプス展望広場があるので天気がよく、余裕があったら訪問するのもよいだろう。

第2-3回は飯山から屋代まで千曲川沿いのほぼ平坦な谷街道をただひたすら歩くコースだ。19番菩提院は小菅神社(こすげじんじゃ)構内にある。小菅神社は現在は神社であるが、もともとは役小角が開山した「神仏習合」思想の産物としての修験寺院・小菅山元隆寺(こすげざん げんりゅうじ)が起源であるという。当時は戸隠飯綱とともに信州三大修験霊場の一つとされていた。武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いは3度あったと記憶しているが、そのうちの1557年は謙信が負けて、ほうほうの体で上杉の庇護下にあったこの寺に逃げ込み匿ってもらったという。追撃する武田軍が全山を焼き払ったという。後に上杉景勝が奥社本殿を再建した。明治時代の廃仏毀釈運動により、寺を菩提寺として分離し、小菅神社となって今日に至っている。菩提寺の観音堂は破壊されずに生き残った。今ある小菅の集落には寺の堂搭が立ち並んでいたという。歩いて1時間かかる奥社へは樹齢400年の杉並木がある。

19番菩提院から下った千曲川沿いの「菜の花公園」があるので立ち寄っても良いだろう。ここから木島平に下り、夜間瀬を経由して中野に出るのがお勧めだが、平らな道を歩きたい向きには千曲川沿いの谷街道経由も代案として考えられる。

谷街道経由の場合は銅戈(どうか)、銅鐸がセットで出土した中野の柳沢遺跡の近くを通る。弥生中期に日本海経由で西日本の影響を受けていた地域である。

中野では時間があれば中野陣屋に立ち寄るのがお奨め。16番の保科観音の後は柴村の山本堪助の墓に詣でるのも一興であろう。

松代では時間があったら駅近くの海津城に立ち寄るのもよかろう。そして屋代に向かう時、第4次川中島の戦いで杉謙信が陣を しいた「妻女山」、そして「鞭声粛々夜河」と千曲川を渡った「雨宮の渡し」近くを歩く。

14番長楽寺は田毎の月で有名。13番開眼寺は千曲川沿いの戦いの神、武水別(たけみずわけ)神社の西方の山の中にある。18番長谷寺から 茶臼山山腹にある21番観音堂に至る山沿いの道には第5次川中島合戦の塩崎城跡、西暦400年頃造営の善光寺平最古の前方後円墳である川柳将軍塚古墳そして第一次川中島合戦の布施の古戦場を通過する。

第4回はしなの鉄道小諸駅集合スタートであるが、駅隣の懐古園(小諸城址)に立ち寄るのがおすすめ。懐古園の額がかかる三の門から千曲川がつくる布引渓谷に向かって坂を下ると小諸城がいかに要害の城であったかが分かる。山本勘助が縄張りしたとされているのもうなずける。29番釈尊寺(布引観音) は御牧ヶ原台地が布引渓谷に落ち込む断崖の中腹にある。懸崖造りの立派なものだ。布引の名は牛に枯れて善光寺参りの伝説にでてくる。この観音さまが牛に化身して千曲川のほとりで布をさらしていた大の信心ぎらいの老婆を善光寺に連れていったとき、角にひっかけた布に由来するらしい。

29番釈尊寺(布引観音)から23番宝蔵寺岩谷堂に至るルートは北御牧小、北御牧中を経由し、八重原口から家康が1万の軍勢を送って2,000人の兵を擁するだけの真田昌幸の上田城を攻めた時、陣を張った八重原に登るのがお奨め。時間があったら芸術村に立ち寄るもよかろう。そして箱畳池から丸子町署に下るルトーが最短ルートだ。坂が苦手なら千曲川沿いの平坦なルートも代案として考えられる。ただ自動車の交通量が多く、へきえきするだろう。対岸の海野宿に渡れないのもフラストレーションとなろう。

28番龍福寺鳥羽堂から客番常楽寺(北向観音堂)へは一日の距離が最大25`を越えるので、タクシー利用となる。時間があれば古安曽の無言館を訪問をすると良いであろう。無言館は作家、井上勉の子、窪島誠一郎が開いている戦没画学生の美術館だ。

別所温泉では安楽寺の国宝三重の搭は必見である。鎌倉時代の建造物である。 翌朝は別所温泉の安楽寺の裏山から殿戸(とのど)峠経由で青木村に出て松本街道を青木峠に向かう。

途中、麻績口から修那羅峠に向かう。時間がゆるせば修那羅の石仏群を往復するのもよかろう。 修那羅峠にはイツネが出没する。当日は坂井村の草湯温泉冠着荘に1泊となる。

第5回は伊那から安曇野までの厳しい修行となるだろう。諏訪大社の出雲との古い関係や諏訪湖の成因などを考えながらあるくことになろう。中山道塩尻峠は武田晴信と信濃守護小笠原長時との塩尻峠の戦いのあったところである。

巡礼予備調査報告は

信濃巡礼 予備調査行1

信濃巡礼 予備調査行2

Rev. November 14, 2008


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