読書録

シリアル番号 856

書名

紅葉そなたは <鬼女>であれ<貴女>であれ

著者

落合宏

出版社

信濃毎日新聞社

ジャンル

歴史

発行日

2006/11/1初版

購入日

2007/5/18

評価

高校同期の 戸隠の和田光二氏の蔵書。

山また山の山の会の山菜採りに参加したときに借りる。

戸隠には九頭龍伝説(くずりゅう)や「青葉の笛」をもつ鬼の官那羅(かんなら)の話、荒倉山の南隣の虫倉山の山姥伝説 、天武天皇の遷都を妨害した一夜山の鬼などがあるが、荒倉山の鬼女紅葉伝説を詳しく紹介している。大まかには鬼女紅葉が荒倉山で平維茂(これもち)に討たれるストーリーであるが伝説には3通りあって、微妙に異なる。

別所北向き観音常楽寺版:能・謡曲「紅葉狩」のもととなった伝説。清和天皇(866年)のころ応天門ノ変の罪を押し付けられた伴(とも)大納言善男(よしお)は伊豆に流された。その子孫の伴笹丸と妻は麻利支天 (飯綱様)に祈って呉葉という女の子を授かる。利発で美しいこの子は先祖の家名再興のために京に登る。呉葉は名を紅葉とかえ、源径基(つねもと)の愛を受け子を身ごもる。しかし正妻を呪いころそうとしたことから戸隠の水無瀬(みなせ)の里に流される。村人は紅葉を匿う。紅葉は京文化を村人に伝える。しかし落人や盗賊たちにそそのかされた紅葉は荒倉山に拠点を構えて盗賊集団のリーダーとなった。しかし水無瀬にはけっして危害を加えなかったという。朝廷は平維茂を信濃守に任じて、鬼女紅葉の討伐を命じた。維茂は陣馬平に布陣し、矢本八幡宮から柵神社(矢先八幡)に向け矢を射たのち、柵橋を渡ってついに紅葉を討ち取る。紅葉と一味の墓は柵神社のそばの鬼ノ塚だという。

荒倉山東面の柵(しがらみ)大昌寺版:大昌寺は鬼女の菩提寺とされる荒倉山東面には紅葉の岩窟(いわや)、竃(かまど)岩、釜背負岩(かましょいいわ)、舞台岩、安堵ヶ峰などがある。地名として毒平(ぶすだいら)、追通(おっかよう)がある。紅葉の幼名は呉葉といい親娘は陣馬平の峠を越えて京に旅立つ。紅葉の配下の「おまん」という怪力女がいた。

荒倉山西面の鬼無里松巌寺版:維茂軍がやってきたのは南隣の小川村との境の大洞峠越えとする。水無瀬の里は鬼女が退治されたので鬼の居ない里という意味で鬼無里と変えたという。紅葉の遺骸の傍らにあった地蔵菩薩の木像は供養のために松巌寺におさめた。こうして鬼無里の松巌寺は鬼女の菩提寺とされる。 ただ伝説の時代は平安時代の中ごろに背景があるにもかかわらず、地蔵菩薩は鎌倉時代のものという。ちなみに高校同期の清水聡明氏が住職を勤めている。彼は鬼女は善玉という立場だ。

ではこの伝説に秘められた歴史のオリとはどのようなものなのだろうか?平安時代の「応天門ノ変」は皇族でない人民太政大臣藤原氏の権力独占が始まった時代で紅葉が藤原氏のライバルの伴氏の血筋という設定は反藤原権力への怨念が隠されていると見える。醍醐・村上の天皇親政で藤原権力を押さえ込んだが、平将門の乱で地方勢力が立ち上がり武士の時代の萌芽が見られる。紅葉の恋相手となった とされる源径基は将門の謀反を朝廷に讒訴し、乱後は藤原氏にとりいった人物である。紅葉の敵役となったとされる平維茂は東国武士の平繁盛の養子で全て実在の人物である。しかし紅葉との関係はフィクションであろう。

紅葉の実像は巫女だったというのが本当らしい。弥生期稲作文化で中心だった母系的シャーマニズムが男性優位の父系に移行するときの宗教の男性化による喪失感を伝説にしたのだろうというわけである。山姥も紅葉も異端の巫女宗教となって中央政府より弾圧されたのである。巫女の力の根源はシツナノソソゲ(女性の陰毛)にあるとする。戸隠の裏から流れ出す裾花川の名前すらソソハナが訛った煤花川(すすばながわ)だとの伝承がある。強い霊力のある長いソソゲをもつのは近江の竹生島(ちくぶじま)の女と信州戸隠の女とされる。

さて水無瀬の里は鬼女が退治されたので鬼無里となったとされているが、水無瀬という地名のほうこそ後鳥羽天皇、新古今集、熊野詣での頃の京都盆地の南にあった景勝地からの借用語であるという。むしろ縄文中期に日本に渡来しこの界隈で栽培されていた大麻に語源があるらしい。すなわちキナサは大麻を意味する「木麻」、「生麻」、「木那佐」から来ているという。ちなみに北隣の小谷村(おたりむら)は「麻垂り」に由来するという。

信濃、特に上水内郡には山を鎮める神、川を鎮める神、あるいは養蚕の神、織物の神とされている。天白神(てんぱくしん)を祀る天白社が多いという。同時にミシャグチ神もまつられているという。織物の神と大麻との関係もあるのかもしれない。現在では大麻は栽培禁止となり、農家はかわりにタバコ栽培に切り替えている。

鬼無里は平安期の裏往還の十字路にあったとみてよい。このため落人伝説がある。木曽義仲の武将の今井四郎兼平が落人になったことから柵や鬼無里の今井姓との関連もあるとされている。山また山の山の会が開催される戸隠中社の金輪院今井旅館も関係あるのか?「宝治の乱」で三浦氏が滅ぶ前の宮騒動のとき京に送り返される頼経につきそってきた三浦三郎野泰久が鎌倉をすてて鬼無里の田之頭集落に落ちのび、川浦と名を変えて世を忍んだという。川は三を90度回転させた字だ。


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