坂東巡礼

第3回 21-26番

山木会の有志 による坂東の第3回巡礼を2007年3月26-28日の3日間行った。 前回との間の3ヶ月間は野沢のスキーの ため、お休みとしたのである。

西川隊長以下、北澤(章)、北沢(栄)夫妻、大久保(博)、松本(英)、飯田(邦)、 藤島池田(司)、 和田(忠)、青木(一)の11名が継続参加であった。 朱印帳をまとめて運ぶ役は足の早い大久保さんに、会計係りは北澤さんから松本さんに変る。

第3回-第1日

3/26(土) 上野駅8:00発常磐線JR特急スーパーひたち7号にて水戸に向かう。ここで水郡線に乗り換え常陸大子(ひたちだいご)に向かう。2006年11月23-24日のハーレーダビッドソンでのツーリングで 通った久慈川にそって北上し、10:42に常陸大子に到着。茨交県北バスにて登山口のある蛇穴(じゃけつ)に 向かう。バスは殆ど貸切状態。11:30に八溝登山口(394m)より標高差428mの八溝山中腹にある21番日輪寺(822m)に向かって林道を登りは じめる。風邪で前日39度の熱を出した西川隊長は八溝山を登れる体調ではない。風邪気味で腰痛を抱える北澤が一緒に登山口の茶店に残る。全員で登山口にて 記念撮影をする。

八溝山登山口に て全員集合 池田氏撮影

八溝山(1,022m)には遣唐使の資金源となった金山があったと司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ33「白河・会津のみち、赤坂散歩」 で読んだことがある。現在ではもう掘りつくされてしまったらしい。ほとんどアスファルトの林道を登るので面白みはない。時々藪に入って直登する。この山の 山林は国有林で間伐もしっかりされている。林道下の広大な面積が伐採されていて、見晴らしがよかった。8合目(760m)で旧巡礼道に入って一旦谷 (730m)に下り、登り直すと日輪寺であった。谷にはワサビが栽培されていた。八溝山山頂を目指した飯田と大久保がまだ着いていない。健脚の大久保に全 員の朱印帳を預けたのだが、200m余分に登り下りしたのだからやむをえない。

日輪寺の坊さんによれば「八溝知らずの偽坂東」という言葉が案内書に紹介されていてその意味は難所だからと書いてある。この難所の意味は山が険しいためで はなく、ここが修験場であったため、一般人は入山できず、また追いはぎの類が出没したため難所とされていたのだという。

茶店に残った隊長と北澤は茶店で昼食を出してくれないのでやむを得ず林道を途中まで登って時間をつぶし、13:50のバ スで水戸に向かった。全員テラス・ザ・ガーデン水戸Hotel Serial No.375)にチェックイン後、近くの飲み屋で宴会。巡礼はじめてのビジネスホテルの個室で安眠をむさぼる。駅直結の至極便利でコージーなホテ ルであった。

第3回-第2日

3/27(日)

今日は雨だ。7:09発の水郡線で常陸太田に向かう。直ちにタクシー3台に分乗して22番佐竹寺(さたけでら)に向かう。佐竹の名はこの地の豪族、佐竹氏に由来する。タクシーは待たせておいて常陸太田に帰り、水戸 に戻り、水戸線で笠間に向かう。笠間駅からはタクシーで23番観世音寺(佐白さしろ観音)に向かう。「笠間 は陶器の産地と聞いたが」と運転手に聞くと、「そのような愚問を発する人間は何処の産か?」と逆に聞かれるしまつ。益子より古い関東一の陶器の産地とのこ と。

茨城県常陸太田市長谷町の茂宮川最上流部にある地層が、日本最古となる約5億1100万年前のカンブリア紀のものだそうだ。

計画では帰りは駅まで歩く予定であったが、雨のため、タクシーを待たせた。佐白さしろ観 音はお堂に内陣で読経させてくれる。隊長は西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所など観 音霊場での正しいお経の上げ方に従い、開経偈般若心経⇒(ご詠歌)⇒回向文の順であげた。伝統文化を伝承するために次回からはご詠歌を用意してき て完璧をきそう。住職が能登半島で深度六の地震があったと教えてくれる。

朱印帳を待つ間、茶をふるまわれた。隊長はここで休憩室にあった ピアノを弾く。

雨が上がることを期待して雨引観音までタクシーはどうかという甘言を振り払い、予定通り水戸線で岩瀬に向かうことにす る。帰りをタクシーにしたため、時間にゆとりができて昼食を笠間駅前の食堂で摂ることができた。 ストックを水戸のホテルのレストランに置き忘れたことに気がつく。携帯で宅急便で送ってくれるように依頼する。

笠間から岩瀬への車中、建設中の北関東自動車道が見えた。常磐自動車道、東北自動車道、関越自動車道を連結する計画路線 である。

22番佐竹寺

23番佐白観音

24番雨引観音

雨が小降りになったので岩瀬駅から24番雨引観音までの往復10kmを歩くことにする。ハーレーダビッドソン用に購入したゴアテックス張りのジーンズとゴ アテックス張りのウォーキング・シューズにニュージーランド、バックハウス社のオイル・スキン製のツバ広帽子を着用しているので問題な い。最後の登りはきつく、雨も再び降り出したが、全員無事に到着。

お堂に入って全員で読経する。若い人達が神妙に聞いてくれる。隊長が木魚を叩いて皆が唱和するのでどこかの新興宗教の教祖さまに従う信者ノ一団かと思われ たかもしれない。帰路 、雨で濡れた石段で隊長が転倒、手首を捻挫するが、骨折ではないらしい。池田が持っていた湿布薬と大久保の持っていたテープで固定する。

帰路は水田の中を一直線に走る「つくばりんりんロード」という自転車専用道路を歩く。道路脇のノビルを隊長のこうもり傘で掘り出す。岩瀬から友部まで水戸 線、友部から常磐線に乗り換えて土浦のライフイン 土浦駅東で一泊。(Hotel Serial No.376)ここも駅前ビジネスホテルだ。設備は新しいのに朝食付きで5,000円を越えない。最近は安くなったものである。 夕食は西口のザ・ワタミでとる。こうもり傘で掘ったノビルは酒のつまみとなる。

第3回-第3日

3/28(月) 快晴。おにぎり2個とアイソトニックドリンク1本を仕入れて、水で割って1.5本にする。西口5番バス乗り場から関東鉄道バスで筑波山口バス停に向かう。 バスは土浦城本丸跡の亀城(きじょう)公園脇を通る。ここでマイクロバスに乗り換えて8:41に25番大御 堂に到着。満開の桜の下で記念撮影。日よけ留めクリームを塗り、サングラスを着用。

25番大御堂にて 飯田氏撮影

青木屋の東側の旧巡礼路を北条(ほうじょう)にむかって真っ直ぐ下る。筑波山公園線という名前がついてい る。筑波平野を見下ろす気分の良いところだ。トスカーナのビンチ村とか馬籠を 思い出す。隊長は先週、山仲間と一緒に北条からこの旧道を歩いて筑波山に登ったという。江戸屋に泊まったのかしきりに懐かしがる。

北条からは昨日も一部歩いた「つくばりんりんロード」を小田まで歩く。(2012/5/7竜巻の被害)途中小休止。小田でプラットホーム跡を発見し、この 自転車専用道路は廃線となった旧筑波鉄道(私鉄)の路線跡地利用だとわかった。岩瀬から土浦を連絡していたのだ。

小田十字路からは「つくば千代田線」に入ったが、この界隈は砕石業者が山を崩し、ダンプカーが走り回って騒々しい。とても歩く雰囲気はない。でもやむを得 ず木陰で小休止。清滝観音に向かう道に入ってようやく桃源郷のような美しい田園地帯を楽しむことができた。26番清滝寺はその一番奥まった山間にあった。 清滝寺の背後の山の山頂には筑波山にゆく表筑波スカイラインが見える。かってハーレーダビッドソンで不動峠まで走行し た道だ。

26番清滝寺

ここで昼食。皆の疲労が激しいので当初の常磐線神立駅まで歩くことはあきらめる。最も近い藤沢神社前のバス停まで5kmを歩き、そこで14:10北条発の 関東鉄道バスに乗ることにする。13:00清滝寺出発でなんとか間に合うだろう。これがだめでも14:40北条発のバスになら間に合うと踏んだ。結果オー ライで14:22藤沢神社前発に間に合った。時速3.8kmで歩いたことになる。 アイソトニック・ドリックもちょうど1.5本飲み干した。北沢が歩くことはスキーとは別の達成感があるとつぶやく。

14:40には土浦に到着。ビタミン水と缶ビールを沢山仕入れ、15:00の快速で上野に向かう。上野公園の三分咲きの桜を愛でた後、京成上野駅隣の聚楽 台にて解散会をもつ。(Restaurant Serial No.301) 古風な桟敷席がなつかしい。 3日間のタクシー代と食事代すべて含めてちょうど1万円であった。最終回は京成上野駅をスタート地点としよう。

March 31, 2007

Rev. August 28, 2012


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