経済産業省の存続の是非について

最近の社会現象につき、グリーンウッド氏かっての職場仲間をメンバーとする非公開のラウンドテーブル21(一種の掲示板)に投稿した雑感と対話録史観についてのつづきです。

皆さん、

最近、論争がありませんね。にしさんが、沈黙してしまったからですかね。少し、寂しいですね。 話は変わりますが、最近といっても5月に、経済産業省が「グローバル経済戦略」という本を出版しました。その論点が(本文ではありません) http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g60228d05j.pdf に掲載されています。内容はともかく、遅まきながら、やっと目覚めたということでしょうかね。 何方か、感想を聞かせてください。

パイントリー

 

 

パイントリーさん、

白洲次郎が作った通産省の成れの果ての経済産業省の小役人が書いた作文など読みたくもないのですが、他ならぬ小松さんの依頼とあって一寸のぞいてみましたがやはりガッカリです。 日本にとって必然性のないことをただ願望で書き連ねているだけで実現性が見えてこないのです。自分達の利権はとりあえず確保しておこうという魂胆がまる見えで、かえって産業界の足をひっぱる恐れさえ感じます。経済産業省は役目を終えた役所かもしれませんね。 腐臭がします。経済産業省の生みの親の白洲次郎氏も「臭いものには蓋をしないで、いつか始末しなければならないんだから、外へだしたらいいんだ」と言っています。

EUをまねしようとしておりますが、かっての隣国への侵略行為を天皇以下全国民が反省もせず、首相が靖国に参拝しても半数の国民がこの首相を支持しているのです。こうして隣国の国民の感情を逆なでしてしておいて、仲良くしよう、おれの後について来いといったって無理でしょう。ドイツは自分達の非を反省したからこそ今のEUはあるのではないでしょうか。 いずれにせよグローバルな構想を練るなど経済産業省などという狭い仕事範囲の役人の手にあまることでしょう。

日本がアジアの産業界でリーダーシップを維持してゆくには国民の個人個人の創造性をあげてゆかねばならないのに、田丸先生のご指摘の通り、文部省はその役割に失敗しました。日本中の幼稚園、小学校、中学校、高校、大学の教官の総入れ替えをしなければだめのような気がします。 文部省の基盤政策課がやっている知的クラスター創成事業など無残な失敗でしょう。税金を5年間で100億円使って何も生み出さなかったというではありませんか。金をもらった大学の先生の能力もどうしようもないのですが。文部省の小役人は自分の仕事を作ろうと米国のシリコンバレーなみのベンチャーキャピタリストをまねたわけです。しかし技術開発で成功した人が自分のポケットマネーを投資するベンチャーキャピタリストの形だけまねて文部省の文官が国民の浄財をばら撒いても結果がついてくるはずもありません。技術の識別眼もなく、智恵を引き出す文化を持たない人々にはドダイ無理なことなのです。

米国などがパワーレーザーを使う慣性核融合に舵を切っている核融合研究において成功の見込みのない磁場核融合方式(トカマク方式)にコミットして無駄な税金を1兆円も使って公共事業化しているのもやめたほうがいいと思いますよ。 本当のクリエーティブな研究がどれほど犠牲になっていることでしょう。まづ文部省と経済産業省を合併させなければどうしようもないのではないでしょうか? まえじまさんの世界にはいることでしょうが、意外に世界中の子供達は日本製アニメで育っていて頭の中は殆ど日本人ですのでここら辺に着目したほうがよいとおもうのです。

しかし経済産業省の役人の頭のなかにはそのようなアイディアは浮かばないようです。 多分このように悪態を言って切って捨てるので、皆さん沈黙をまもるのでしょうね。それこそ「和をもって尊すとなす」という我が民族の悪弊でしょう。経済産業省も文部省と一体となってここら辺から民族改造に手をつけてもらわないと日本の地盤低下はジワット利いてくるとおもいますよ。

グリーンウッド

 

 

パイントリーさん、

追加です。アニメは多分経済産業省の作文の中のコンテンツでカバーされているのかもしれませんね。手書きで書いていた頃はアニメは日本の独断場でしたが、デジタル時代にもリーダーシップをとれるかは心配ですね。もうアニメはTV経由というよりネット経由でディストリビュートされる時代が来ていると思うのです。 そのとき肝心の日本のアニメは生き残っているのでしょうか?

それから経済産業省はデジタル流通でリーダーシップを取るといいますが、国内は楽天でなんとかなるのかもしれませんが、アマゾン、ヤフー、グーグルのように世界制覇できるのでしょうか。今の日本の人材の能力では無理で、米国がリーダーシップを握って、中国、インドに拠点を築き、そこをハブにしてデジタル流通の世界ネットワークが張りめぐらされるような気がしてなりません。 「Google誕生」や 「ウェブ進化論」を読めばがっくりきます。文部省も通商産業省もなにしていたんでしょうね。

グリーンウッド

 

 

パイントリーさん・グリーンウッドさん、

末席から議論に加わらせてもらいます。こまつさんの「最近論争がありませんね」に対しての私の理解です。

(1)グリーンウッドさんやにしさんの論争を読んでいるとお二方の知識の豊富さ、理論立ての正確さ、そして文章組立の流暢さ等々、全てに圧倒されて自分が何か意見を差し挟んでもただただ大海原に小石をぽちゃっと投げ込む程度のインパクトしかないと思えるのです。小石を投げ込んだら直ちに理路整然とした意見に押しつぶされ私の小石はこなごなになって跡形も無くなることが目に見えているので意見が出せないのです。サッカーでいうとroundtableに参加しているやまさんとかよしさんとか私がWorldCupの試合にPlayerとして出たような感じに近いと思います。

(2)それとグリーンウッドさんご自身も指摘されているよう「切って捨てる」意見がとても多くて建設的、救済的、改善的、地道的なところが無くて出す意見の切り口の見当がつかなくなるのです。建設的 、救済的、改善的、地道的な論争なら本質的に様々な意見を吸い上げるものです。そのような議論になるなら私でも参加できると思います。

(3)「グローバル経済戦略」について私はもっと中小企業の役割の実態を把握して今後の展開について議論を深める必要があると思います。この「論点メモ」では一項目を割いているだけで 、それもあまりにも常識的なことしか書かれていません。韓国、インド、中国との中小企業間の製造業での協力支援を何年かやってきた経験からすればこの分野は幸い政治には全く左右されずに建設的 、救済的、改善的、地道的に関係を強化していけるものと感じています。

みやすぎ

 

 

みやすぎさん、

論争参加ありがとう御座います。建設的、救済的、改善的、地道的なところがないとのご指摘、いつも女房に言われていることです。「切って捨てる意見など聞いてもチットモ面白くない」と言われ続けております。切って捨てるところまではまことに簡単ですが建設的、救済的、改善的、地道的な提案をするにはエネルギーをチャージし、学び、より物事を深く考えないとできないわけです。というわけで省エネルギー生活をして居る者にはしんどいことであります。それにいいアイディアなり技術があれば公言せず自ら事業化に乗り出すでしょうね。 みやさんのように現役で活躍している方が自ら考えて実施されることこそ国の活力の元でしょう。

 みやさん自身、韓国、インド、中国との中小企業間の製造業での協力支援をされてきたとこのと。私のバイク仲間は殆どロータリークラブのメンバーで皆様しっかり中小企業を経営されて成功されているわけです。韓国 、インド、中国と提携すれば上手く行くのにと思い本人達に直接進言したこともありますが、なにせ歳でその気力なしと言われました。ここらへんが後継者難の中小企業の限界かなと思います。 みやさんは「この分野は幸い政治には全く左右されずに」というキーワードをおっしゃいました。まことにその通りで日本では政治や官僚に干渉されないことが大切なことと思います。欧米の活力はまさに規制緩和から来ているわけですから。

わたしが経済産業省の作文を読んで不快感を感じたのは、グローバリゼーションという日本政府の干渉の少ないところに経済産業省が自分達の利権を作ろうとウゴメク様を感じたからにほかなりません。戦後の復興期に白洲氏が通産省を作ったのは理にかなったことでしたが、日本の産業が世界レベルに達してからは通産省の役目は終わったと思っております。もう解体したほうがよいのではありませんか?白洲氏が生きていたらそうするのではないかと思います。オットまた切って捨てるモードに入ってしまいました。でも腐臭を立てるものには蓋をしないほうがよろしいのではないでしょうか?いずれ処分しなければならないのですから。

グリーンウッド

 

 

グリーンウッドさん

大変おだやかにお答え下さりありがとうございます。

私はグリーンウッドさんの「グローバリゼーションという日本政府の干渉の少ないところに経済産業省が自分達の利権を作ろうとウゴメク様を感じたからにほかなりません」といういつもの「役人のウゴメキ→自分たちの利権の獲得」という図式こそ短絡的ワンパターンでないかと「切って捨てたい」対象と思っています。

経済産業省の役人の中にも日本の将来について真面目に建設的、救済的、改善的、地道的に政策を立案し、実施に移そうとしている者が多数いる、そういう人たちにエールを送りつつ希望を託すことも重要だと思います。世の中の若い人たちの日本に対する思いをもっともっと素直に取込む姿勢こそ我々の年代に求められていることだと思います。

みやすぎ

 

 

みやすぎさん、

イヤーたしかに「役人のウゴメキ→自分たちの利権の獲得」という図式こそ朝日的、短絡的ワンパターンであるのではないかとのご指摘 、その通りです。つい使い古された常套句をつい使ってしまいました。そして「切って捨てたい」対象と思うのも無理もありません。

経済産業省の役人の中にも日本の将来について真面目に建設的、救済的、改善的、地道的に政策を立案し、実施に移そうとしている者が多数いる、そういう人たちにエールを送りつつ希望を託すことも重要だという思いにも同意します。 しかしやはりまじめな役人がいても経済産業省は自覚せずして害をなしています。善良でまじめな役人がいても所詮、組織の人、期待しても無理ではないでしょうか。その例を私の経験から挙げて見ましょう。 それは経済産業省がしている電力税、石油税の見返りの税でNEDOが無駄な研究に金をばら撒いていることです。それより国としては治療費も支払えないような極貧層を救済することはないでしょうか。日本政府のしていることは支離滅裂なのです。

NEDOが支援している研究はほとんど民間企業が利益を狙って自らの身銭を切ってするべきことです。それに政府が金をばら撒くので日本の企業の研究はその金に群がって無能な研究者の救済資金としているのです。私の奉職した会社の研究所ですらそうでした。私はそういう救済的な研究資金を総て返上すべきと主張し実施したのを誇りに思っています。多分無能な研究者からは恨まれたことでしょう。

いやしくも国家が支援すべき研究は企業と競合する研究ではなく、どのような応用分野があるか分からない段階の基礎研究とそれをすることにより有能な研究者を育てることでしょう。そうしてこそアジアのリーダーになれるのではないでしょうか。そういう意味で文部省や、科学技術庁がもっとしっかりしなければいけないのです。そして経済産業省は静かに退場すればよいのです。役に立たない経済産業省の役人の家族を維持することと治療費も支払えないような極貧層を救済することとどちらに社会正義はあるのでしょうか?

グリーンウッド

 

 

グリーンウッドさん

「無駄な政策より極貧層の救済が社会正義あり」という構図も短絡的ワンパターンです。なぜなら誰も反論ができない正論だからです。「日本政府のしていることは支離滅裂なのです」とグリーンウッドさんはおっしゃいますが、予算的に閉じた複数の空間にいる役人達がそれぞれの空間で実施したことあるいは実施すべきことを私たちが総合的に見た時に整合性が保てていないからといって「支離滅裂」と結論付けるのも短絡的です。 グリーンウッドさんのおっしゃる「支離滅裂」は日本政府の構造上の問題からくるものであり 、政治が解決すべき問題なのです。役人の責任とは思えません。なのに「役に立たない経済産業省の役人の家族を維持することvs.極貧層の救済」に飛躍してしまうのは グリーンウッドさんの経済産業省に対する怨念がなせるわざとしか思えませんが。

みやすぎ

 

 

みやすぎさん、  

日本政府のしていることが支離滅裂なのはおっしゃるように日本政府の構造上の問題からくるものであり政治が解決すべきであることはそのとおり認識しております。なにも役人個人個人に責任があると言っておりませんで、仕組みが悪いので悪い結果になると言っているわけです。国民と政治家は「役に立たない経済産業省の役人の家族を維持することvs.極貧層の救済」を正しく認識しなければならないといいたいわけです。

イエス、経済産業省には怨念が沢山あります! しつこいようですが、かっての通産省のした愚行に石油公団があります。巨大な負債を抱え込んで、政治家である堀内大臣でしたか、ようやく石油公団をつぶして事なきをえましたね。所詮ある組織が存在理由を失うとこういうことをしでかすのではないでしょうか?そして今正に石油が枯渇しかかっているとき、石油公団はないわけです。それでも何の不都合もないではないですか。政治家が黙っていると通産省のいわゆるまじめな役人が暴走してしまうので、国民としてはしっかり目を開いていなければならないと思うものです。

善良でスイバらしい友人が大勢役人になってますが、組織としてはまずい動きをしているといつも直言するので、最近はダイブいじけて気の毒だなと思うこともあります。

グリーンウッド

 

 

グリーンウッドさん、

グリーンウッドさんの友人の役人がグリーンウッドさんの直言にいじけているのを「気の毒だな」と感じるグリーンウッドさんを知って救われた気持ちです。救われたところでこの論争も終止符が打てますね。ありがとうございました。

みやすぎ
 

 

 

みやすぎさん、

みやさんは心優しき人なんだと再確認いたしました。

最後に役所に期待することを言わせてください。それはみやさんの得意なサッカー用語でいえば役所には監督やコーチとしてではなく、アンパイヤないし審判という役割です。企業や個人には自律的に自由に動く自由を担保するが、ルール違反をしたらきびしく取り締まるという。何せ規制緩和するのですから悪智恵のある奴がもぞもぞしはじめます。姉歯やパロマ工業などその典型でしょう。これをしっかり見張ってもらいたいと思うものです。

東大卒の記憶力バツグンの人材が役所に入っても監督やコーチの能力が身につく組織ではないということがこの50年間の日本の歴史で証明されたとおもうのです。その能力は民間企業の前線でもまれて初めて会得できる能力でしょう。賢い学生はそう思っているのではないでしょうか?

グリーンウッド

 

 

グリーンウッドさん、みやすぎさん、

久し振りに、「論争」を楽しませてもらいました。 ところで、このお二人の論争に、口を挟む方はいませんかね。

パイントリー

 

 

グリーンウッドさん

(1)「心優しい人」とお褒めの言葉ありがとうございます。ただ世の中は「心優しい人」を必要としますが、多くの場合「心優しい人」は世の中を変革することはできません。

(2)私にも分かりやすくサッカーに例えて頂いた、役所がサッカーでいうRefereeの役割を担うべきというのは同感です。

(3)一般的に言うと、「怨念」をベースをした論理には飛躍がつきもので、「惻隠」をベースにした論理には説得力があると感じています。

みやすぎ

 

 

みやすぎさん、

さすがみやさん。良くわかっていらっしゃる。 今回の論争では皆様は余りに飛躍した論理と拒絶するだろうから説得する労をとるつもりもありませんでした。それならと永年の会社人生での積もる思いを吐露させてもらいました。アルベルト・アインシュタインは「Scientistは解ける問題を解く。Engineerは解かなければならない問題を解く 」という名言を吐いていますが、これをもじれば「役人は社会が認識した問題にしぶしぶ取り組む。パイオニアは社会が認識しない問題を自発的に解く」となります。これは或る程度真理ではないでしょうか。

むろん政治家になって人々の支持をいただいて社会を変革して行かねばならない立場になれば、惻隠の情も動員して説得しなければならないでしょう。でも私にはそんな時間は残されておりませんし、能力も気力もありません。ただ預言者として奴はそういっていたなとどなたかが記憶していてくだされば幸いです。この態度はしかし高みに逃げて正論を吐く偽善的態度といわれてもやむをえませんね。

みやさんは現役の経営者ですから無論、惻隠の情も総動員しなければ生きてゆけないと思います。東条英機は”心優しい人”で組織内や家庭では全く素晴らしい人だったと伝え聞いています。しかし国民を不幸にしていまだ隣国との関係もおかしくして祟っていると感じます。東条は”心優しい人”であるかのごとく演技して人々の支持を得たとも言えます。”偽善”のギリシア語の語源は「舞台で演ずる」ということだそうです。とすると東条も惻隠の情を吐露する人も偽善者ということになりますね。

こうなるとコンスタンティヌス大帝の甥でローマ皇帝(在位361〜363)となったユリアヌスが抱いた「キリスト教は偽善」という疑い、旧ユーゴスラヴィアの理論家スラヴォイ・シジェクが喝破した「偽善は文明の基礎」という言葉もうなずけます。

最近白洲次郎のファンになって、彼が戦後、日本を救うために、輸出振興目的で通産省を作ったことを知り、彼ならその組織の継承者である経済産業省をどう評価するか空想をめぐらせて論争を展開してみたのです。

グリーンウッド

 

 

パイントリー、みやすぎ、グリーンウッドさん、

「久々の論争」かどうかはともかく、楽しく読ませていただきましたが、「役人はレフェリー役が良い」「そうですね」で終わったようで、少し気がかりなことがあるので「口挟み」ではありませんが、投稿します。

レフェリー:審判と言うからにはAとBが闘う構図があり、審判が居るという形を想定していると思います。アンパイア・レフェリー・ジャッジ・ジュリーなど日本語ではどれも審判ですが、もとの言葉はそれぞれ異なっているようです。

たまたま他所のMailリストでこの違いが話題となり、それによれば、それぞれその言葉を使うスポーツの起源と関係しているようで、その意味、違いの薀蓄を傾けると面白い話があるようです。ここでは受け売りの話になるので私の「心配」に関連したところだけを紹介します。

Umpier:フランス語の古語”nonper”が語源のようで、「A・Bのどちらにも組せず」の意。つまり「第三者を守る人」のようなもの。Referee:”refer”から出ていて、A,Bが争ったとき第三者にrefer toして解決をはかる と言うような意味らしい。競技によっては”umpire"と共に(助けを借りて)競技を進行します。

Umpierを用いる競技には野球・アメフット・フィールドホッケー・ヨット・テニス・クリケット・バトミントンなどがあります。Refereeを用いる競技にはサッカー、ラグビー・ボクシング・レスリング・バスケ・ラクロス・テニス・クリケットがあります。

両方に登場するテニス・クリケット・(実は古くはサッカーも)では両方が居ると言うことのようです。(とインターネットに書いてあります)詳しくはインターネットのwikipedia辞書を参照してください。

どうも「umpier」が先でrefereeの登場は後のようです。umpierの登場する競技ではルールが細かく決められていて、そのルールに則り判断するというイメージなのに対して、refereeの方は人と人との関わり合いを主観を交えて(ルールが決めてないので)判断するイメージのように思えます(松井の仮定)

さて本論ですが、「役人の役割は審判」ということだとすると次のような心配があって、とても賛成できないのですが、いかがでしょうか。

1)refereeは願い下げにしたい。AとB(どっちがどっちでもかまいませんが)は多くの場合「管轄私企業」と「国民・消費者」の構図になると思われます。例外的に「最低賃金」あるいは「生産性を超える賃上げ;最近は滅多にありませんが」をめぐって「使用者」と「労働者」が争う局面に「調停権限」をもって介入した一時の「労働省」がありましたが、今は昔の話となりました。「管轄企業」と「消費者」の争いとなったとき、その判断はどうなるか?経済産業省、国交省、厚生労働省などなど考えただけでうんざりします。過去の実績を見るまでも無くおぞましいことになると想像されます。古くは水俣のチッソ、血清HIVなどの厚生省とか、最近のパロマの最初の事故の頃の通産省などいくらでもその例を見ることが出来ます。

2)ではumpierはどうか?ルールをきめ細かく作ることが前提ですがそれは無理でしょう。役人を更に大増員したり、たとえしたとしても、この複雑な社会で急速に動く経済・技術などに対応して「意味のある法体系」をup to dateに作り上げることはムリと思われます。世は「自主規制」「第三者監査」の時代といわれる所以です。ルールがない限りumpierを任せるのには反対です。サッカーのWCでフランスのジダン選手がヘッディング違反で退場となりましたが、いわれていることが本当なら「言葉の暴力」をルール化できない限り、片手落ちとなる好例と思います。また「証券取引法」の生みの親と豪語した人が、「聞いてしまった」なんてものではなく、詐欺まがいの手法で扇動して株高を作り上げて売り逃げしたのも、一見良く出来ていると思われる「ルール」の隙間を突いた犯罪と思われます。こんなことはこれからも無くならないでしょう。まさに「浜の真砂は・・・・」ですね。これをどうやってルール化するか?とても難しい仕事です。姉歯の一件も例外ではありません。

ということで、「役人に審判役」を任せるとの提案にはとても賛成できません。いかがでしょうか?

蛇足ですが、経済産業省の件の一文に対する評価・感想はグリーンウッドさん・みやさんの意見とほぼ同じでした。米国一辺倒にならざるを得ないわが国の外交政策にとって、少なくとも下記の報道で示された「上海協力機構」との関係なども明示して欲しかったと思います。いずれにしても経済官僚の作文」には違いありませんね。

http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0000053578.shtml


まつい

 

 

まついさん、

役人に審判役を任せるとの提案にはとても賛成できません。というご発言、重く受けとめます。みやさんから役人同情論がでていささか反省してデモしかで安易に提案したのですが、浅はかだったと反省してます。

役所が作文にふけっていて、姉歯のごまかし設計、三菱自動車、トヨタ自動車、パロマ、雪印のリコール隠しなど見つけられなかったわけで、これからしっかりやれといってもすぐにはできないだろうと思います。姉歯、三菱自動車、トヨタ自動車、パロマ、雪印などは松井さんのおっしゃる「管轄私企業」ですよね。このように松井さんのおっしゃるようにお役所は生産者の方を向き消費者の方をむいていません。これは戦時生産体制を敷いたときの慣性がまだ継続しているためでしょう。姉歯のごまかし設計を見抜けなかったのも元役人ですし、ルール作りにしたってまつさんのおっしゃるように人を更に大増員したり、たとえしたとしても、この複雑な社会で急速に動く経済・技術などに対応して「意味のある法体系」をup to dateに作り上げることはムリと思われます。

世は「自主規制」「第三者監査」の時代という説を認めます。国民一人一人が自己責任でチェックしてゆく覚悟が必要なのでしょう。消費者の方を向いていないので役所は無用となりますね。そうすると役人のやることがなくなるのではないのではないでしょうか。 それに役所が保護しようとしている「管轄私企業」たる製造業は中国に行ってしまい、日本のできることは技術、商品開発、流通ということになると通産省の保護対象がなくなってしまいますよね。我々が奉職したエンジ産業はあまり通産省から保護されたという思い出がありません。製造業でなかったので目にも留めてもらえなかったのでしょう。というわけで通産省はジリ貧です。

石油税や電気事業税などの目的税の税収は一般会計には組み込まれず、単一目的に使われ続けています。消費税導入時にも生き残り、デフレで税収が減少したときにも一般会計には生かされず、極貧層が人間の尊厳を維持する権利も切り捨てられて今日に至っております。こういうわけで経済産業省はもはや関東軍のような存在となっているわけで、これを政治家はなんとかしなければならないと思います。次期で消費税率を上げる時に国会で議論すべきと思うのですがこれを取り上げる議員がいないのが不思議です。役所の催眠術にかかっているとしか思えません。石油税や電力税は廃止しても地球温暖化防止のための炭素税は取り上げてほしいものですが、環境省と役所の縦割りが柔軟な政策の立案を阻んでいます。

国土交通省だってひどいものです。昨年たまたま元河川局長とその部下2人と酒を飲んだとき、温暖化して洪水はますます大型化するし、天井川もあり「河道に水を封じ込め、流域を平等に守る」という日本の戦後の治水の大方針は破綻したと思い遊水地構想とか扇状地の天井川は長期計画で河川の経路を切り替えてゆくしか解決法はないと考え見解を問い詰めましたが、「いずれそういう考え方も必要になるでしょうね」とまだ先のことのような感想を述べておられました。すくなくとも自分はそんな面倒なことに巻き込まれたくないという無関心さを体で表現しておりました。

ところが2003年の洪水でいためつけられた新潟県は400年に一度の大洪水の経験に立ち、この戦後の国の治水方針を放棄し、刈谷田川の上流の堤防の一部を低くし、水田100ヘクタールを遊水地にする計画に変更したと報じられました。また五十嵐川では水につかりそうな400戸の移転をするというそうです。

ドイツでも同じ方向に方針転換済みだそうです。

国土交通省もようやく重い腰をあげて流域を平等に守る考えを改める方向だそうでいよいよ、我々国民は自分の住むところさえ役所のお墨付きは無視して自分の目で確かめる必要がでてきたと思っております。甘えることの出来るお上はもう居ないと国民が覚悟することは役所を消費者、住民側に建たせる圧力となると期待しましょう。

神戸新聞の中国・上海で開かれた「上海協力機構」の首脳会議についての記事は朝日などの主力新聞が報じていたのでしょうか?国際政治は仲間を作って自国の意見を通すわけで確かに100%米国追従型は危険とおもいます。

ロスの友人ロンから最近の米国の若者は中近東の産油国すべてを米軍で制圧して石油の安定的生産を維持すべきとの意見を安易に持ちその数は増えていると書いてきました。米国は民主主義の国ですが国民の大多数がそう考えればかってのドイツのように侵略的に変貌するかもしれぬと考えておいたほうがよいかもしれません。ドイツだってナチ政権を国民が歓迎したのですし、日本だって似たようなものです。

グリーンウッド

 

 

まついさん・グリーンウッドさん、

(1)グリーンウッドさん、私は別に「役人同情論」に立っているのではありません.グリーンウッドさんの「怨念」をベースとした議論があまりにも短絡的でワンパーターンになっていることをたしなめているだけです 。取り交わした少々の議論であいつのは「・・・論」だと一括りにしないで欲しいと思いますね。「経済産業省の役人の中にも日本の将来について真面目に建設的、救済的、改善的、地道的に政策を立案し、実施に移そうとしている者が多数いる。そういう人たちにエールを送りつつ希望を託すことも重要だ」と言っているだけですが・・・・・・グリーンウッドさんに「心優しき人」と言われて喜んだばかりなのに。

(2)まつさん/「審判」に対応する言葉の解説を大変面白く読みました。「umpireの登場する競技ではルールが細かく決められていて、そのルールに則り判断するというイメージなのに対して、refereeの方は人と人との関わり合いを主観を交えて(ルールが決めてないので)判断するイメージのように思えます」というまついさんの仮定に対して反論があります。そもそもサッカーは人間が最も思いのまま操れる手や腕の使用を最初から禁じているため球技の中でルールが極めて単純化されています。手や腕が使える球技の場合はルールでいろいろな制約を与えてやらないと競技自体が面白くなくなるからです。「手や腕の使用禁止+最小限のルール」のもとでサッカーが行われていますので「人と人との関わり合いを主観を交えて(ルールが決めてないので)判断する」というような場面はあまり見受けられません。

(3)サッカーのWorld Cupでフランスのジダン選手が頭突きで退場となったのも「退場となる違反」として決められている「乱暴な行為を犯した場合」あるいは「相手競技者、あるいはその他の者に唾を吐きかけるような行為をした場合」に該当します。相手側も「退場となる違反」として決められている「攻撃的,侮辱的、あるいは口汚い発言した場合」に該当し、「言葉の暴力」に対してのルール化がきちっとされています。ただ反則行為では「仕返し的行為」に対してより厳格に適用されますので、ジダンの場合は相手側の言葉がジダンが主張するような内容であったかは試合の中でRefereeが確認できていない状況下でジダンの「乱暴な行為」と相手側の挑発言動への「仕返し」を適用したものと私は考えています。

(4)まつさん・グリーンウッドさん、役人がRefereeの役割を担うべきだというグリーンウッドさんの意見に私が賛意を表したのは「企業や個人には自律的に自由に動く自由を担保するがルール違反をしたらきびしく取り締まるという」単純にサッカーのRefereeの役割に似ていると思ったからです。

みやすぎ

 

 

みやすぎさん、

みやさんが「役人同情論」に立っていないこと分かりましたが、読んだときはそう思い込んでしまいました失礼いたしました。たしかにマスコミが使うもんきり型の表現は一種のイデオロギーを含んでいて誤解を与えるかもしれませんね。自分で考えた言葉だと、一般性はなく意味が通じなかったり、誤解無く、正確に考えを伝える文章を書くことは、電子時代になって安直化した故にかえって難しくなったかもしれませんね。

グリーンウッド

 


 

グリーンウッドさん・みやすぎさん、

早速お二人からのメールに感謝です。それにしても極短時間にお二人ともきっちりした文章を書く才能は見上げたもので、本当に感服しました。また先ほどから当方の発信不具合でご迷惑をおかけしました。すみません。 反論はありません。ただし、サッカーのルールに疎いものがサッカーの事例を持ち出す、などというおっちょこちょいな行為を反省しています。

さてそろそろ時間となりました。この項の終わりに僕の「失対事業」を提案します。「役人の仕事がなくなってしまう」というグリーンウッドさんのご心配は不要と思います。たとえば経済産業省のHPをじっくり見てください。彼らは自らを「ナビゲーター」になりたいと考えているようです。 僕は条件付で賛成です。優秀な少数精鋭の官僚に絞った「小さな政府」を想定したとき「ナビゲーター」とか、スポーツで言えば「コーチ」など、情報で勝負する(保有する予算の多寡で勝負するのではなく)のは一つの方向と思います。(とはいえ、その情報を「現場感覚」で取捨選択・判断する自己責任は国民側に残りますが)暗黙知様の情報を形式知の形で提供するコーチ役はわが国の発展に有効と思います。個人、企業のどちらへも偏らない情報提供者、コーチ役は、日々忙しい個人・企業にとって有効でしょう。 彼らは(優秀な人が結構多いですから)すでにそれに気づいて、その方向を目指しているように僕は思いました。

まつい

 

 

まついさん、

無論そういう面は一般論として否定しませんが、先にも言いましたように記憶力はすぐれているが創造力で劣る人たちに国民をリードする力などないと思い知らされたのが私の人生でした。リードする力などない人々がリードしているように見せかける手法として情報を国民に対し非公開にして無知化(愚民化)し、さも自分達がリードしているように見せかけることが行われていることです。

情報が不透明化されると必然として多少私服を肥やしてもわからないかと考える輩がでてきて悪に走る誘惑に負けるということになります。報道されない実例も知っております。だからレフェリーも任せられない。先進国で日本が情報公開が一番遅れています。プライバシー 保護法など国民の不安に悪乗りして役人の都合のよいように造った悪法だと思います。

製造業を富の源泉とする時代は過去のものとなり、これからは個人の創造性で勝負する時代となっています。このような時代には大勢の国民を羊のように管理するより、野に放ち自由にさせることが大切で管理統制を目的に存在する役所の存在はマイナスになりこそすれ、プラスにはならないのではないでしょうか。文部省をみてください。日本の次世代を担う創造性あふれる人材の養成に失敗した のではないですか。通産省は企業の研究に金をばら撒いて、学者と企業内研究者のモラルハザードを発生させ、真の創造性育成の阻害要因となっています。彼らにナビゲーターやコーチが務まるものでしょうか。無論中にはその能力をもった個人はいるでしょうが大部分の役人は文部省の不適切な指導でそだった人間ですから期待できないのではないでしょうか?

せいぜい役所にしてもらいたいのは、リードするのではなく、必要な基礎データの整備など地道な情報の収集・整理・公開などでしょうか。そしてこの点で日本の役所は殆どなにもしておりません。自分達はコーチだと思いこんで、下請けに発注し、内容など理解していないのですから。

さて役人の悪口ばかり書き連ねましたが、政治家が必要な方向づけを行っていないからで、その政治家を選ぶ我々が良く考えて正しい判断をしていないことに真の原因があることはいうまでもありません。この論争は”天に向かってつばを吐いている行為”ということになるのでしょう。

グリーンウッド

 

 

 

グリーンウッドさん、

(1)日本の役人に対するグリーンウッドさんの思いがよく理解できました。「せいぜい役所にしてもらいたいのは,リードするのではなく必要な基礎データの整備など地道な情報の収集・整理・公開などでしょうか。そしてこの点で日本の役所は殆どなにもしておりません」・・・このような役所でしたら優秀な人材は全く集まらなくなりますね。その結果役立たず組織になって亡くなりますね。

(2)この話で昔,原子力反対派が原子力資料情報室という組織を作り、産業界から独立して原子力に関する調査研究や資料の収集・整理・公開をやっていたことを思い出しました。それこそ「地道的」な活動で当時は高木さんというとても強い情熱とエネルギーを持った初代の代表がいたと思います。

(3)もし役所に(1)のような役割を期待するのであれば、(2)で挙げたような大義を掲げ,その大義の実現に向けて情熱とエネルギーを持った人がトップにならないと自然消滅してしまうと思います。

みやすぎ
 

 

 

グリーンウッドさん、

経済産業省について言えば、少なくとも昔のMITI時代に強権を振るった「行政指導」の固いイメージは薄くなっていると思います。そして柔らかい「ナビゲーター」になりたいと言っているように思います。国民・企業の「自由」は基本的に自己責任で担保されるわけです。国民をリードする力があるかないかいずれ判明することで、無ければ彼らが提供する情報を誰も利用しなくなりご指摘の通りジリ貧になるでしょう。まあ、それくらい時間をかけてfade outしていただくことかと思います。

まつい

July 25, 2006

Rev. October 30, 2007


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