ノースウエスト・アース・フォーラム

有機野菜の収穫

綾瀬の西沢農園

2008年11月22日にノースウエスト・アース・フォーラムの仲間のうち、綾瀬の西沢農園に近いメンバー(土屋、宮崎、西沢、グリーンウッド)が有機野菜の収穫に集まった。 日本晴れの天気で広大な農地の向こうには雪をいただいた富士山と丹沢山塊がくっきりと全貌をさらしている。

西沢は野菜屑を有機肥料としてリサイクルする事業を経営する片手間で自らの商品の有効性をテストするために有機農業をしている。 綾瀬市役所前には広大な畑が区画整理されて広がっている。西沢はここの農地1ヘクタールを不在地主から借りて農園を営んでいる。

西沢はここでいろいろな作物を試験栽培している。蕎麦の栽培を試みたところ、栄養過多で巨大な草になってしまい失敗したそうである。蕎麦は貧栄養の寒冷地が適地であることが分かったという。

種苗メーカーのトンプソン & モーガン社から購入したアルト F1 ハイブリッドという新種のビーツ(表題左のカット)を試験的に栽培したのも この農場だし、カサブランカもトウガラシも試みに栽培している。

カサブランカ

トウガラシ

綾瀬の農地は周りが宅地化されているなか、農水省が最後に残った貴重な畑作地として農地として残すモデル地区としているところだ。不在地主化する農地を企業が借りることはまだ農水省 がマッカーサーの農地解放を受けて作った農地法により禁じられている。そこで西沢が個人として借り上げて農業をしているわけである。農水省がマッカーサーの残した農地法を後生大事に守っている政策の後遺症で農作物の国際競争力が失われて久しく、耕作放棄も多発している。(2008/11/28に農水省もようやく重い腰をあげて企業が農地を借りられるように農地法を改訂 して農地の総量確保と集約化に乗り出すことを検討していると報道された。

研究目的だから採算度外視、土地を耕すために40万円の中古のトラクター耕運機をポケットマネーで購入して畑脇の小屋に保管している。耕した土地に有機肥料を撒いて来年に備えている。 化学合成肥料を使っている周辺の農地の土の色は9月にオクラホマで見た農地と同じ明るい黄土色だが、有機肥料を使っている西沢の農地は黒々としている。

集まった面々 後方は綾瀬市役所と公民館

施肥したゾーンの隣は黒いビニールシートで畝を覆い、ダイコンを育てた。一番低地にはサトイモを植えた。

有機肥料の施肥

実ったサトイモ

まずサトイモを掘り出し、親芋は捨てて、小芋だけバラシ、土を払う。これをバケツ一杯、ビニール袋にいれて、車に積む。サトイモは種芋を春に埋めるだけ。

次はダイコンだ。西沢がビニールシートに空けられた穴に種を2個づつ撒いたところ発芽率は90%だったという。 少し育ったところでおろぬき作業をして1本にすると穴一杯に育つ。ダイコン10本を引き抜き、これもビニール袋に入れて車に積む。

あとはサツマイモを掘る。サツマイモは茎を土に挿すだけで増えるという。そういえば子供の頃、茎を土に挿す作業をしたことを思い出す。

作業の片手間に田母神前航空幕僚長の論文などの世間話をする。この論文の元ネタは戦前の内務官僚だった三田村武夫が昭和50年に書いた「大東亜戦争とスターリンの陰謀」という本のようだ。岸信介が巻末で「近衛、東条そして岸はスターリンと尾崎に踊らされた繰り人形だった」と大東亜戦争開戦責任をスターリンに転嫁していると紹介すると、宮崎が「仮にその陰謀説が正しいとしても陰謀に踊らされた岸ら 政府・軍部指導部の責任は消えまい」という。また「仮に田母神前航空幕僚長の主張するように侵略ではなく、国際的に合意された併合であったとしても、その後の統治の仕方に問題があったから、日本は戦後うらまれたと思う 」という。台湾人が恨んでいないのは統治の仕方が良かったのかもしれない。

宮崎は綾瀬の住人だ。彼の案内で 4人一緒に公民館の食堂で昼食を摂り、散会。家に帰って収穫物を水洗して近所に配る。夜はダイコンと葉の塩漬け」、菜めし」、 「里芋の味噌汁」と同じ要領で「里芋の肉あえ」などを作って楽しむ。

このほかマーケットに出せない椎茸をいただいたので干し椎茸にし、カリンは砂糖漬にしよう。

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November 23, 2008

Rev. November 28, 2008


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