田母神論文

村上龍が発行しているJMMの論説員のなかで私は冷泉彰彦氏の論文はいつも説得力あると思っているものである。冷泉彰彦氏は日本のイデオロギーは特に国家観の部分で大きく3つに分裂していると指摘する。

(1)中央にある国是としては「対外的には敗戦恭順国家として軽武装を継続、国内的には君主が政治に関与しない立憲君主制」というイデオロギーがあります。「敗戦恭順国家」というと、激しい言い方のように思われるかもしれませんが、日本は第二次大戦の枢軸国の中で、唯一国体護持を続けている一方で、第二次大戦を「最後の世界大戦」とすることを設立理由とする国際連合に加盟しているのですから、テクニカルにそうなるのは仕方がありません。日本国憲法はこの立場であり、内閣以下日本の政府は全てこのイデオロギーを中心に動いていると言って構わないでしょう。

(2)ところが、この国是には積極的な支持層は少ないのです。世論には「危険の多い時代だから、国家による国民の安全の保証を求めたいが、その国家観について、過去の戦争とは世代の違う自分たちが周辺国に見下される理由はない」といういわゆる保守層と、

(3)「国家が敗戦国の汚名を背負い続けることで、個人は国家より道徳的に優位な立場に立てるし、その結果として非武装の理想国家が実現できれば嬉しい」といういわゆる反戦リベラルが存在しています。

私はおおよそ(3)のような無責任な考えで日々を暮らしているが、友人のKは機会あるごとに(2)のような見解を披露している。2008年11月田母神前航空幕僚長の論文に関しても以下のようなメールをもらった。Kは日ごろ(3)のような態度をとる朝日新聞の記者だったのだから不思議だが、山東半島から苦労して引き上げるという幼児体験を持っている。このような国の保護がなくなった時の悲惨さを身にしみて知っているという体験があるためだろうか?

冷泉氏は続けて次のような牛健太郎氏の意見を紹介する。

「政治家が田母神氏のテレビへの露出を恐れたという事実には、深刻な懸念を感じざるを得ない。自衛隊員を武人とするならば、政治家は文、つまり言葉を武器とし、議論によって生きる人たちであるはずだ。その政治家が、国民の目の前で自衛隊の制服組トップと議論によって対決する自信がなく、NHKもそれを受け入れた。 いかなる制度も、その制度を担う人たちの気概や能力があってはじめて保たれるものである。文民統制ももちろんそうだ。もし政治家に自衛隊員を言葉の力で押さえ込む自信も気迫もないならば、いくら文民統制の制度はあっても、魂はない。今回の件で、政治家は足元を見透かされた。今度、自衛隊内で文民統制の裏をかこうとする動きが出たとしても不思議はない」

そして正直言って戦慄を覚えたという。冷泉氏は「確かに大変な危機だと思います。ですが、この危機を乗り越えるためには前掲の(1)つまり「対外的には敗戦恭順国家として軽武装を継続、国内的には君主が政治に関与しない立憲君主制」という「国是」をもっと真剣に政治が支えるべきだと思うのです。タテマエは(1)だが、ホンネや選挙民向けのトークでは(2)であるとか、本当の気持ちとしては(3)だという人が多すぎるように思うのです。情念的な(2)や(3)に社会が分裂してそれに格差や経済の先行き不安といった要素が結びついてグラグラすることを避けるには、とにかく(1)が国是だということに魂を吹き込んでいくしかありません 」というのだが。


グリーンウッド殿、

航空幕僚長が、日本の中国侵略を正当化する論文を書いたとの理由で更迭されました。そこで先日の「松談会」の懇親会での議論を思い出します。弁護士をしている参加者が唐突に、「あなたは日中戦争を侵略と認めないのか」などと何段も飛躍した挑発をしてきたので、つい私も年甲斐もなくそれに乗せられて、冷静さを欠き、周囲にご迷惑をかけ、未だに反省をしております。

さて、田母神氏の論文です。

「日本は朝鮮半島や中国大陸に一方的に軍を進めたことはない」、「日本政府と日本軍の努力で現地の人々は圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」

その通りです。特に朝鮮半島についいては、近頃の無知な歴史家やジャーナリストが「侵略」という言葉を使うが、これは事実に反する。日本の朝鮮半島併合は、国際法に則り、条約によってなされたものであり、国際的にも当時の全世界が公認したものである。それが、日本の当時の国力(経済力と軍事力)によって実現したことは事実だが、少なくとも、軍隊が攻めて行ったわけではない。侵略という用語はあてはまらない。そして、韓国併合の1910年当時、地球上の大部分が欧米の植民地であったことも想起すべきである。

19世紀後半、欧米列強は自国の国益基づいて、朝鮮半島に殺到した。日本もそれに加わった。そして、欧米列強が手を引いて、日本が勝ち残った。地勢的にもっとも近く、国益上最も切実だったからである。あるいは、欧米の世界支配の中で、朝鮮半島ごときは欧米諸国の国益に占める比重が低かったからだ。 

日本は、未開発地帯朝鮮半島に、近代的法治主義を植え付け、教育を普及させ、経済のインフラを構築し、産業振興につとめた。日本の朝鮮半島運営が、日本財政からの持ち出しであったことを今の日本人はどう考えるか。私はパキスタン、エジプト在任中に英国の植民地支配についていささか勉強したが、英国の植民地支配などは、それこそ一方的な搾取だけである。

英国は、インドの綿糸、綿織物産業を叩き潰し、インド産綿花を英国に運び、それを糧に産業を起こした。また、インド人を人間扱いしなかった。従って、英国のインド支配を植民地支配というなら、日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではない。英国のアイルランド併合に比すべきものである、と心ある研究者が言っている。

日本は、朝鮮人を二級市民としてではあったが、同じ日本人として扱った。植民地だったらそんなことはしない。それが皇民化,創氏改名、日本語強制、徴兵につながった。これは、愚策であった。

日本の敗戦時、日本陸軍における朝鮮人の最高位は中将であった。大東亜戦争で、日本軍が東南アジアで戦った相手の英国陸軍は,将校は英国人、兵隊は全員植民地人のインド人であった。
    
歴史に「もし」はない、といわれる。が、もし、日本が朝鮮半島を統治しなかったら、ロシアがかわりにでてきただろうことは間違いない、と一部の歴史研究者ガ小声で言っている。私もそう思う。何十年か後、日本敗戦時に朝鮮北部をソ連が占領した。そして今日の北朝鮮の現状がある。
     
韓国が最近開発途上国の域を脱し、先進国に伍していけるようになったのは、日本統治時代の日本の教育で育った指導者、労働者、日本が築いたインフラによるところが大きい。英、仏の植民地だった国の現状と比べて見ると良い。

    
中国については、田母神氏も「一方的に軍を進めたことはない」と留保をつけている。一方的に、と。

私も日中戦争は「侵略」の要素は大きかったと思う。しかし、単に侵略と割りきれるものではないと思う。地方軍閥の群雄割拠の中国(1911年の清朝崩壊から1949年の共産党政府樹立まで)には、外交交渉の相手となるきちんとした政府が存在しなかった、およそ国家の体をなしていなかった、これを放置するとアジアは大混乱に陥ることは眼に見えていた、それを救おうと日本人は明治來ずいぶん理想主義に基づいて活動した(宮崎滔天をはじめとして)(孫文は日本に亡命していたし、蒋介石も周恩来も日本に留学した)(日本の知識人は日本の文化文明が千数百年来中国の恩恵をうけていることをよく自覚していた、悪く言うと劣等感を持っていた)、欧米諸国はアヘン戦争以来日本よりはるかに中国を食い物にしていた(英、仏は何度も中国に戦争を仕掛けた)、それに比べ遅れて出て行って最後に泥沼にはまり込んだ日本は外交と戦略が拙劣だった、国際連盟派遣のリットン調査団がその例だが、列国は日本の台頭を好まず、日本の足を引っ張った、それに引き換え日本が満州や北支に残した中国近代化のための物質的、精神的遺産は膨大である、戦後の中国共産党政府(毛沢東)が国民党政府との凄惨な内戦の痕跡と自らの所業を糊塗し、政権奪取の正統性誇示と国民の統一維持のために日本軍を、あるいは日本人を実際以上にはるかに誇張して悪者に仕立てた、それを根拠に新中国成立後外交面で日本を恫喝し続け、日本政府は中国にへいこらへいこらしてきた。挙げればキリがありません。

日中戦争と太平洋戦争(大東亜戦争と呼ぶことが日本ではタブーとされていることとも密接に関連するが、)とは別のものだと私は考えます。これを一緒にして15年戦争に仕立てあげたのが東京裁判(これについても私はかつての法学徒、政治学徒してこれまで勉強を続けているつもりですが)です。日中戦争で果たして日本は本当に負けたのか私は疑問に思っています。日本軍は中国大陸から一兵卒たりとも退いていません。精密に検証して「日本は本当に中国に負けたのか」などという本を書いたら日本の世論がうるさいし、中国政府がなんと言ってくるか想像できるが。

アメリカは、アジアにおける日本の台頭が自国の国益に反する(あるいは米国自身が中国食い荒らしに遅れて参加したのをとりもどすために)ので日本を抑えるために、そして中国国内の共産化を防ぐために、日米戦争開始前から蒋介石政府を支援していた。それに乗った蒋介石がその後巧みに、連合国の一員に成りすまし、勝者面をすることに成功した、と私は分析します。
中国については、日本の植民地だった台湾を含めて、朝鮮半島について以上に考えたこと、言いたいことがありますが、長くなるのでまたの日に譲りたいと思います。


さて再び、田母神氏の論文。「大東亜戦戦争後、多くのアジア、アフリカ諸国が、白人国家の支配から解放された。日露戦争、大東亜戦争を戦った日本の力によるものだ」

その通りです。100パーセントとはいえないが、おおむねその通りです。日本の暦者学者も、日本の知識人も、普通の国民も、「日本は東南アジアで悪いことをした」という東京裁判史観と戦後教育にに染まり過ぎている。自国の歴史を之ほど貶めている国を私は知らない。

日本軍と日本政府は、インドネシア占領中、対オランダ独立闘争の指導者スカルノを援助した。日本敗戦の翌日から,日本軍将兵(3,000人とも言われる)がその独立闘争に参加した。スカルノは独立戦争に勝ち、インドネシアの初代大統領になった。ビルマでも、アウンサン将軍の対英独立闘争を支援して、戦後のビルマ独立につなげた。ちなみに、今ミャンマー(旧ビルマ)の軍事政権の手で軟禁されているアウンサン・スーチー女史は同将軍の娘であり、彼女は戦後だいぶ経ってから、京都大学に学んだ。

日本は、大東亜戦争の最中、インド独立運動の闘士チャンドラ・ボースをずいぶん助けた。日本軍がセイロン(現スリランカ)の飛行場を爆撃し、英軍の飛行機を炎上させたとき、現地住民の間から拍手が起きたと聞く。自分たちを支配している大英帝国の飛行機をやっつけるような国があるとは夢にも思っていなかったのである。

トルコは、長年痛めつけられてきた陸続きの隣りの大国ロシアを、日本が日露戦争で破ったことを大いに喜び、いjまでもイスタンブールの街には「東郷(平八郎)通り」があり、私も訪ねたことがある。

日本の無知な若者は、「東郷ってだれ?」と質問してトルコ人にあきれられ、軽蔑されている。自虐的な日本の戦後教育のなれの果てである。
    
私自身の体験を言えば、パキスタン(1947年まではインドの一部)で、私的雑談の中で独りの知識人から、戦時中のインドの対英独立運動に対する日本の支援に敬意を表されたことがあります。あるいは、ジュネーブで、戦後対日感情があれほど悪いといわれたフィリピン人(彼はジュネーブの国連欧州本部で運転手)から、父親から聞いた話として「日本軍の規律は厳正だった」といわれたことがあります。フィリピンは、1898年まではスペインの、第二次大戦直後まで米国の植民地としてさんざんいじめられながら、フィリピンで日本軍がマッカーサーの米軍と戦った時、米国寄りのゲリラが日本軍に刃向かったところです。

商社員やジャーナリストとして東南アジアに在任したことのある私の友人何人もが、「日本が東南アジアを戦場にしたことを諸国の国民は、全く恨みに思ってなどいない」と私に話したことがあります。

オランダは、長年支配したインドネシアから、「日本のせいで追い出された」と日本を恨み、日本軍のオランダ人捕虜虐待(これだけでなく、いい加減な裁判で処刑された日本人B,C級戦犯は多い)を訴えた国であり、戦後かなり経ってから天皇が訪問した時に生卵をぶつけた国だが、ある日本人が「では、あなたがたオランダ人は、そのときなぜインドネシアになどいたのですか」と言ったら相手は絶句したそうです。彼らは植民地支配を反省したことなどない。

 

さて、もう一度、田母神氏の論文、その反響・結果と私の批判、感想

1、本を何冊書いても足りないぐらいのこんな大問題を、(400字詰め15枚程度と推定される)論文で扱うのは無理だ。安易に過ぎるし、誤解を招くに決まっている。

2、自衛隊の部内誌には同じ様なことを何度も書いているそうだが、今回のは世間に公表されると思わなかったのか、そしてどんな反響が出てくるか予想しなかったのか、更迭されるとまでは考えなかったのか。判断が甘い。 

3、クビを覚悟でしたことなら、大いなる敬意を払いたい。職を堵して信念を吐露することは立派なことだ。先日、本当のことを指摘して、首になった中山国土交通相は立派だったと私は考えている。

4、彼は自衛隊幹部として、公務員として、本分に反する行為をしたわけでもないし、日本の国防に害を与えたわけでもない。個人的な歴史観を述べたに過ぎない。日本に思想と言論の自由はないのか(実は、私はかねて日本に本当の言論の自由はないと思っているが)。

5、新聞は,「これは麻生政権のアジア外交に痛手となる」などといっているが、日本にこういう意見があることがアジア外交になぜ痛手なのか。民主主義にはいろんな意見があるのだ(実は、私は日本に真の民主主義があるか、かねて疑っているが)。 外交は他国の思惑ばかり気にしていてはできでない。外交とは自国の国益を守ることである。 

6、新聞は、案の定、中国、韓国政府の反応を騒ぎ立てている。何かと言うと中国と韓国の言い分を気にする。教科書問題、靖国問題もそうだが、とにかく、歴史問題について彼の国は、日本には文句をつけておくに限る、それが国益だと思っていることに、日本人はまだ気がつかないのか。

7、新聞は「シビリアン・コントロールの観点からも問題視されることは必至』などと見当違いなことをいっている。新聞記者の無知もいいところ。これはシビリアン・コントロールとは関係ない。   

8、田母神氏は「集団的自衛権も行使できない。武器使用も制約が多い。攻撃的兵器の保有も禁止されている」と現在の自衛隊を批判している.これは正鵠を射ている。普通の国の普通の軍隊にしてほしいと言っているに過ぎない。アメリカが、アメリカに刃向かってくることのないように、米軍の補助部隊として便利なように育てた自衛隊の現状に日本人は鈍感すぎる。20年近く前、カンボジアの国連PKOに自衛隊が派遣された時、外国の新聞は「第二次大戦後初の日本軍(Japanese Army)海外派遣」と書いたが、発砲を禁じられている日本自衛隊は現地で、オランダ軍に守ってもらった。そのときの自衛隊員の屈辱を私は思う。

もし、ここまで読んでくださったとしたら感謝します。

K

 

 

Kさん、

Kさんの論旨はロジックが一貫しているので最後まで一気によませていただきました。

米国や欧米は過去300年くらいしたい放題のことをしてきたことはまぎれもない事実です。 だからといって太平洋戦争までの日本が欧米をまねたからといってその行為を正当化できるということもないでしょう。

最近ではレーガン以降の米国が規制緩和、自由放任、ご都合主義の金融技術で世界の富を引きつけ花見酒に酔ってきたことも事実です。我々はそれに付き合うのが無難と思ってきたわけですが、その彼らがつまずいて、いい気味だとおもったのはいいが、貧乏になった米国がお客様だということが分かって我々はいまうろたえています。こんどこそ自立するにはいい機会だと思うのですが、自分で考え行動するくせを忘れてしまった我が民族はその自覚が足りませんね。
 
今日は、チェルノブイリでの体験にたって原発事故時の汚染マップ作成を早急に作成する体制をつくるべきことを提唱している川奈の老物理学者のお宅でおなじ目的を密かにいだいている自衛隊諜報機関の元締めをしていたSというご老体にお会いしました。あまり深くは話しませんでしたが、お互いに田母神氏の論文にはふれないようにしていました。S氏は某名門建設会社の創始者の子孫とのことでした。

1986年ヤンゴンで日本陸軍に訓練を受けたアウンサン・スーチーの30人の志士の一人であった人(ボ・ム・アウンだったかもしれないが名前は忘れた)と一晩飲んでKさんの認識とおなじことを聞いたような気がします。

グリーンウッド
 

November 22, 2008


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