コッツウォルド紀行

コッツウォルドとは

コッツウォルドとは古英語で「羊小屋のある丘」という意味である。コッツウォルド地方はストラートフォードアポンエーボ ンを北端とし、バースを南端とする丘陵地帯である。石炭を産しなかったためと丘陵地帯のため、鉄道も敷設されず、産業革命以降発展から取り残されてきた牧 畜を主産業とする地帯であった。元来丘陵から亜麻色の石灰岩を切り出し、建築資材としてきたため、丘陵地帯のあちこちに散在する、村や町の家並みが時代と 共に美しさを増した。新築の家も少なくとも外観は高価な同地方産出の石灰石を使い伝統の建築様式を守っているので見事な景観を生みだした。英国の貴族や事 業家は田舎、カントリーに屋敷を構え、街にはタウンハウスをかまえた。このようにしてできたマナーハウスの一部はナショナルトラストに移管され、一般に開 放されている。カントリーハウスを買い取って美しい庭を造り、開放している造園家もいるため、特に女性に人気のある観光地となっている。交通が不便なの で、レンタカーが必須となる。だれでもが牧場を通り抜ける権利を持つパブリックフットパスもたくさんあり、徒歩による散策も人気がある。

観光地になってもコッツウォルドは人口も減りつつあった。ところがモータリゼーションの時代になり、舗装道路が完備され たため、ロンドンなど大都市への通勤が可能となり、通信インフラの普及で自宅勤務が可能になると、知識階級がここに住み始め、過去10年間、人口も増えつ つあるという。花一杯の古風な家に高級車がおいてあっても調和していてまことに心地良いところである。

グリーンウッド夫妻は1971年にストラートフォードアポンエーボンを訪れたことがあるので少し南のチッピ ングノートンからコッツウォルドに入り、バースまで順次南下することにした。そのまえに道順にあるウッドストックにあるブレナム宮もついでに訪れることに した。コッツウォルドの訪問場所を事前に調べてルートを決めたのはグリーンウッド夫人であり、グリーンウッド氏は運転手を勤めたにすぎない。

林望の「ガーデニング王国 花紀行 英国コッツウォルドの愛すべき風景」 によればフランス式貴族庭園は絶対王政が人民を威圧する目的で自然を征服する意志をもって幾何学的に作ったものであるが、英国式の庭園は産業革命で荒廃し た国土を修復し、自然を回復するためにその復元的縮小再生産として個人庭園として作られているため、日本式庭園にも通じ、親しめる。3,000以上のナ ショナルトラストと個人庭園がナショナルガーデンスキームというチャリティー財団に入場料の一部を寄付しているという。

ブレナム宮殿(第5日)

ロンドンを脱出してM40 をオックスフォードに向かい北西方向に時速90マイル走ってゆくと緩やかにうねる丘を過ぎ下りにかかると眼前に見事な田園地帯が広がる。おもわず車をとめ たくなるほどであるが、モーターウエイである。時速90マイルを守る。オックスフォードへのICがあるがこれを無視して走り、次のICでM40を降りる。 一般道を南西に向かう。英国では過不足なく道路標識が整備されているので英国特有のラウンドアバウトをいくつかウッドストックへの案内標識に従って曲が る。ラウンドアバウトをいくつも曲がると方向感覚を失ってしまうが、案内標識を信じることが大切。ラウンドアバウトのルールはすでにラウンドアバウトに 入っている右から来る車が優先である。海上の船の国際交通規則と全く同じ。日本や米国のように直進車優先ではない。米国人は左側通行もなれていないので、 よく死亡事故を起す。ウッドストックに入る直前、突然左側にブレナム宮への入り口が現れる。入園料を支払い、案内の紳士の指示に従って芝の上に駐車し宮殿 に入る。

ブレナム宮殿はサー・ウインストン・チャーチルが生まれたことで有名である。事実だが、トニーによればブレナム宮の主 マールボロー公爵の後継ぎとしてではない。父は8代マールボロ公の弟のランドドルフ・チャーチルで妻のジェニーがたまたまブレナム宮殿に滞在していたとき 生まれたのだそうだ。現在は11代マールボロー公が当主である。それでも一族の誇りであろう、宮殿内にはウインストン・チャーチルゆかりの品、特に誕生の ベッド、油絵などの展示室が用意されている。

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ブレナム宮殿

ブレナム宮殿は1代目マールボロー公のジョン・チャーチルは18世紀初頭のアン女王の時代、その妻サラがアン女王の親友 であったこと、オランダをフランスからの侵略から守る連合軍の指揮官として才能をふるったこと、引き続き、1704年のスペイン継承戦争中、ダニューブ河 沿いのブレンハイム村でルイ14世率いるフランス軍を破り、ウィーンをフランスの侵略から守った功績のご褒美としてアン女王から女王のマナーであったウッ ドストックと宮殿の建設資金をもらって建てたものである。ブレナム宮の名称もこのブレンハイム村に由来している。グリーンウッド夫妻が訪れたとき、東門の 上にはマールボロー公が在宅であることを示すマールボロー公のスタンダードが翩翻とひるがえっていた。

ここにくると英国の公爵がいかに広大な領地を所有し贅をつくした宮殿にすんでいるか理解できる。宮殿の西北に広がる広大 な湖もダムを築いて人工的に造ったものである。ダムは人口の滝となっている。この池にかけたアーチ橋のはるか向こうにある戦勝記念の円柱はトラファルガス クエアのネルソンの円柱にひけをとらない。英国の風景を変えたといわれる庭師のラ ンスロット・ブラウンが設計したものだという。宮殿の巨大さにも驚くがその木々の大きさにも驚く。いたるところ巨木だらけだ。初代が植樹したとして樹齢300 年となる。

グリーンウッド夫妻は宮殿の参観と園内散策に半日を要した。

チッピングノートン・モートンインマーシュ

ブレナム宮殿の参観も終わり、宮殿付属のレストランでビター付き昼食をとる。いよいよコッツウォルドに向け出発だ。小さ な街道沿いのウッドストック村を通過し、一路チッピングノートンに向け田舎道を走る。チッピングノートンも街道沿いの小さな街だ。観光化されて観光客相手 のお店や宿が軒を連ねている。ここで小休止。街はずれに新築されている家はすべてコッツウォルド特産の石灰石を使い建築様式も伝統に従っている。石灰石は レンガやその他の建材に比べて割高だそうである。このような考え方がコッツウォルドの品位を保っているのだろう。

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チッピングノートン

今日はブロックリー村のB&B、ミルデーンが目的地だ。先を急がなければならない。次の街モートン・イン・マー シへと道を急ぐ。モートンインマーシュもチッピングノートンと同じような町だ。路上駐車が多く停車できない。そのまま通過。いよいよコッツウォルドの丘を 登り始める。緩やかな登り坂をのぼってゆくと憂そうと茂った森の中にはいる。昼直暗い。太古の昔はイングランドはこのような森に覆われていたはず。木を暖 房用に切り倒した後は牧場になった。英国は日本のような山岳地帯が少ないので、エロージョンもなく、牧場が維持できる。森林は管理が大変だか、牧場は簡単 だ。羊を放牧し、時々大型の機械で牧草を刈り取って、プラスティックシートで覆い、発酵させ飼料とするだけだ。省力化が出来る。少ない人口で広大な土地を 管理維持できる。

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そうこうするうちに突然ブロックリー村への案内標識がチラット見える。即、右折して坂を下ると谷間にブロックリー村が見 えてくる。ミルデーンは観光施設向けの公式標識があったおかげで簡単にみつかった。(Hotel Serial No.219)ノルマン時 代(1066年)にはじまったといわれる水車小屋を改造したB&Bだ。水車はもうなく、あったとおぼしきところは滝となっている。滝の上流のミル ポンドの周りに魅力的な庭園がしつらえてある。賞もとったというその庭園は雑誌やTVで英国、ヨーロッパ、日本に紹介され有名である。2匹のネコがわれわ れを歓迎する。ウエンディー(Wendy Dare)夫人は庭園賞の審査委員でもある。水車小屋の経営者の住居だったところがB&Bに改造されている。オーナーのセンスがとてもよく、実に 魅力的な内装である。備品はアンティークである。裏の斜面はキッチンガーデンとなっている。

デンマークからの老夫婦、ドイツとオーストラリアからの母娘が同宿だった。ガーデンルームでとる朝食時の話題はどこそこ の村は静かでよいとか男の話題はむろんサッカーだ。ちょうどデンマークと英国の試合の時はこのデンマーク男は朝食中「試合が気になるので失礼」といって自 室にもどった。夫人は「夫は普段はサッカーに興味もないのに」という。ウエンディーもオーストラリアからの老夫人もハンプトン出身とのこと。奇遇に話題も はずむ。夕食は近くのクラウンホテルに出かける。(Restaurant Serial No.180)

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ミルデーン

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ガーデンルーム

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バスルーム

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ウエンディーさん

ヒドコット・マナー・ガーデン(第6日)

ヒドコックマナーはグリーンウッド夫妻がコッツウォルドで訪れた最北の地点にある。ブロックリーからヒドコックマナーに 行く途中にあるエブリングトンの村は鄙びていて静かでよかった。(Botanic Garden Serial No.177)

ヒドコックマナーはアメリカ人のローレンス・ジョンストンがここに移り住み、30年かけて作った庭で、いまはナショナルトラストが管 理している。ナショナルトラストはピーターラッビトの作者ビアトリックス・ポターを見出して育てたローンズリー牧師(Rawnsly)らがビクトリア朝時 代に設立した自然保護団体である。ここでナショナルトラストの会員となる。向こう1年間有効だ。ボーダーガーデンといわれる、生垣で区切った異なる庭がモ ザイクのように連結されている有名な庭である。しかになにより感銘を受けたのは作られた庭より垣間見える教会の尖塔がある田舎の村の姿である。コッツウォ ルドの丘の麓の村が大きな樹木で切り取られ、手前には羊がのんびりと草をはんでいる。肌寒いのでショップでガーデン作業用のベストを買う。

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ヒドコックマナーの庭より垣間見える田園地帯

チッピング・カムデン

ヒドコット・マナーよりの帰り道立ち寄った。コッツウォルドで観光客に人気のある街で事実観光客であふれている。駐車場 さがすのも一苦労。13-14世紀に栄えたウールの集荷する拠点だったところ。町の中心に石灰石で構築した重厚なマーケットホールが残っている。少し傾い て危うげであるが街の子供達がたむろするところとなっている。

マーケットホール

この街のリゴンアームズホテルのパブでビターを飲みながらランチとする。ブロードウェイの名門ホテルと同じ名だが、こち らの方はささやかだが心地よいホテルである。(Restaurant Serial No.181)

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チッピングカムデンのフラワーショップ

ブロードウェイ

チッピングカムデンからコッツウォルドの丘を南西に向かって直登し、丘の頂上でこれにクロスするA44を下れば谷の底に ブロードウェイがある。中世からコッツウォルドの交通の要衝として栄えたところだそうだ。広い通りの真ん中に600年の歴史を持つ名門旅籠のリゴンアーム ズが昔の風情を保っている。この界隈ではこれが最も高級なホテルである。日本の旅評論家が絶賛している。

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ブロードウェイのリゴンアームズホテル

スドリーカースル

スドリーカースルはブロードウェイのある谷を谷伝いに南西に下ったところにあるブロードウェイと同じくらいの規模の街、 ウインチクームからスドリー村に少し入ったところにある。(Botanic Garden Serial No.178)

15世紀にチューダー王朝が所有し、ヘンリー8世の死後、スドリー卿に与えられ、その后になったのがヘンリー8世の6番 目の后キャサリン・バーだったというのが売りの古城。チューダーのノットガーデンが有名だが、グリーンウッド夫妻にはむしろ城の敷地の片隅にあった Tithe Barnの廃屋の中に作られたバラ園に魅力を感じた。

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スドリーカースルの廃屋の中に作られたバラ園

廃墟の寺院

スドリーカースルからの帰路、ウエンディーに薦められた廃墟の寺院に立ち寄る。ここもナショナルトラストが管理してい る。中世にはローマンカトリックに所属し、聖秘物を拝観しにくる巡礼者から入る拝観料で維持されていた。后を6人ももったヘンリー8世がローマンカトリッ クがこれを認めないとローマンカトリックより独立宣言してからは、拝観料収入の道を絶たれた。僧が去り、まず木を使ったヴォールトが落ち、壁などの使える 石は付近の住人に持ち去られて廃墟となった。加工しすぎで建材として役に立たない窓枠やガラクタ石を積んだ壁は残った。ウエストミンスター寺院や現存する 他の寺院は英国国教の教会となったので生き長らえることが出来たのである。(ヘンリー8世がヨーロッパでのマルチン・ルターの宗教改革の思想にどれほど影 響されたかは興味あるところだが、知らない)

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廃墟の寺院

帰りがけ、ブロードウエイでお茶にする。

スノーズヒルマナー(第7日)

ミルディーンに滞在2日目はヒドコット・マナー・ガーデンの隣で前日は閉園していたキフツゲート・コート・ガーデンズ(Botanic Garden Serial No.179)を訪問すべく出かけた。しかし午前中は休園とのことであった。再度チッピング・カムデンに戻り、ここ から昨日走行した谷に並行してスノーズヒルマナーを訪問すべく、コッツウォルドの丘の稜線伝いに細い田舎道を南西に走行した。

スノーズヒルマナー(Botanic Garden Serial No.180)とその周辺のスノーズヒル村は大人気の映画ハリーポッターの冒頭の雪の降る寒村の撮影が行なわれたところだとウエンディーが教えて くれた。スノーズヒル村といっても雪はそうめったに降らないので人口雪製造機を持ち込んで雪を降らせたため村の子供達は大喜びであったという。スノーズヒ ル村の上のコッツウォルドの標高700メートルの丘にある牧場からの見晴らしは絶品であった。スノーズヒル村はコッツウォルドの丘の北西斜面にきざまれた 北に開く谷底にあり、日陰で、いかにも寒そうな寒村である。しかし住人は家々の周りに花を植え、高級乗用車を庭に止めてあり裕福な階級がここに移り住んで いることをうかがわせた。

スノーズヒルマナーのかってのオーナーは建築家でコレクターのチャールズ・ウェイド氏であった。氏の没後、ナショナルト ラストが管理している。氏の財力は親から相続した東南アジアのサトウキビ畑であったという。日本の武具のコレクションもなかなかのもの。

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スノーズヒル

ビクトリア朝の画家は白いハトが茅葺の屋根にとまっているのを好んで描いたが、ここ、スノウズヒルマナーにはその絵のよ うな光景が演出されている。(ハト小屋がある)庭にはグリーンウッド氏も好んで、自宅に使っているターコイズ・フラッシュ・フレンチブルーを破風、窓枠、 門戸、時計、ベンチ、ポット、ベルにあしらってある。古い琥珀色の石とコントラストがこのましい。鳥の鳴き声が聞こえる。

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スノウズヒルマナーの白いハト

園内でナショナルトラストが経営しているレストランで昼食。

スタンウェイ

ミルディーンで会ったオーストラリアの母娘が静謐ですばらしかったと絶賛した小村スタンウエイがスノーヒルズの近くなの でついでに立ちよる。スノーヒルズの南西の丘の麓にある。スタンウェイハウスの周りにできた寒村である。スタンウェイハウスは立派なカントリーハウスだが 予約客だけに開放しているようだ。

ストウオンザウォルド

スタンウェイからコッツウォルドの丘を横断するB4077でストウオンザウォルドに向かう。途中、コッツウォルド特有の 石灰石を切り出している鉱場が見えた。ストウオンザウォルドはチッピングカムデンと同サイズの街だ。コッツウォルドの丘の東斜面にある。標高240メート ルでコッツウォルドのなかで一番標高が高い街とのこと。かっては羊毛マーケットとして栄えたという。東に向かって下がるメーンストリートにはアンティーク ショップが軒を連ねている。

バートンオンザウォーター

トニーがすばらしかったと褒め称えたバートンオンザウォーターはしかしウエンディーさんによれば、観光客が多すぎるので ゆくべきではないという。いずれにしても今夜の宿舎クラプトンマナーのあるクラプトンオンザヒルの直下の低地にあるのでついでに立ち寄った。言われたとお り観光客で一杯。ただウィンドラッシュ川に沿った木立での野鳥のさえずりはここちよい。ここではじめて日本人の老夫妻に会う。予約もなしに飛び込みで B&Bを渡りあるいているという。安いB&Bはいたるところにあり、駅で一夜を明かす覚悟があれば当日のベッドにありつくのはさほど難し くないという。若者ならこれもまた楽しからずやであろうが、グリーンウッド夫妻のような質の高いB&Bをエンジョイするためには2−3ヶ月前の予 約は必須である。

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バートンオンザウォーター

トーマス・ハーディーではないが「狂おえる人の群れを遠く離れて」パブリック・フット・パス に分け入り、ウィンドラッシュ川沿いの静かな散策を楽しんだ。お土産屋でReonardo作のヨットのレリーフの入った壁飾りを購入。

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グリーンウッド夫妻はパブリックフットパスも書き込んである詳細な地図を持っていたので、クラプトンオンザヒルへのアプ ローチを丘の東斜面からにしようとした。A424出てしまったり、散々道に迷ってようやくそのアプローチ道路の入り口までたどりついたのだが、入り口に 「車には向かない道」との標識がでているではないか。やむを得ず引き返し、バートンオンザウォーターからの北のアプローチを登った。クラプトンオンザヒル に入ってもクラプトンマナーの案内版すらない。人の姿の見えない過疎の村の十字路でウロウロしていると、くだんの東からのアプローチを登ってきた大きなバ ンの運転席のご夫人が声をかけてくれた。「それは私の行くところだからついらっしゃい」という。なんのことはないクラプトンマナーの女主人のカリン・ボル トン(Karin Bolton)さんであった。クラプトンマナーはこの村の中心なので表札は不要ということらしい。(Hotel Serial No.220)彼女が登ってきた道は先ほどあきらめた「車には向かない道」だったわけだ。ちゃんと舗装はされているのだから「車には向かない道」 とは対向車とすれ違えないくらい狭い道というくらいの意味だろうか。

カリンはB&Bには疲れたといってウエンディーのように熱心に(といっても専属の庭師が2人使っている)庭の手 入れもあまりしていないが、マナーそのものは観光客でにぎわうバートンオンザウォーターを見下ろす丘の上にあり、かつ、ひっそりとしていて贅沢な空間であ る。16世紀のマナーハウスだ。英国観光庁のガイドブックにも紹介されているため、日本人客が多いという。夫君はガーデンヒストリアンとか。その関係の書 籍が多い。今夜の相客はやはり日本からのカップルだという。2匹の大型犬が人懐かしげに我々を迎える。そのうちに長尾夫妻が到着した。翌朝はじめてお会い した時、うかがったのだがやはり表示がないので村の中を何回も廻ったそうである。グリーンウッド夫妻はカリンさんのすすめるこの辺では一番うまいというザ フォックスインに夕食にでかける。(Restaurant Serial No.182)近いといってもなんとストウオンザウォルドまで戻り、ここで東に向かって丘を下り、ローワーオディングトンまでゆかねばならないと いう。まあ車だし、渋滞もないので道さえわかればなんというこもない。予約してもらったので浮気せず、なんとかたどりつく。ここでもビターつき夕食をいた だいてしまった。

長尾夫妻には翌朝の朝食時お会いしたのだが、世の中は狭い。グリーンウッド氏の同業であった。まだ引退には早い世代だ。 アイルランドの学会に出席する機会に駆け足でスコットランド、湖水地方を廻ってチェスターからコッツウォルドに長距離ドライブして来られたとのこと。丸1 日コッツウォルドをまわり、またチェスターにもどり、後アイルランドにフェリーで渡るのだという。スノードン山にも登山したいとのこと。コーンウォールや ウェールズは過去に訪れて、これで東部以外行かないところはなくさったそうである。

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クラプトンマナーの居間からバートンオンザウォーター方面を望む

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カリンさん

ローワーアンドアッパースローター(第8日)

朝一番で訪れる。バートンオンザウォーターより一層小さな川沿いの村だ。バートンオンザウォーターに近いのに観光客が全 くいない。犬をつれた母と娘が通る。カメラを向けると待ってくれる。

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ローワーアンドアッパースローター

村のライブラリーに巡回図書館がやってきている。古い家並にモダンな車体のコントラストが新鮮だ。やはりここは観光とい うより生活の場のようだ。それにしても人々は家の周りを花でかざり心地よい。

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巡回ライブラリー

川沿いに上流にたどると本物の水車が出現する。実用はされておらず博物館になっているようだ。日本人の老夫妻を見かけ る。この水車小屋博物館は11世紀にこのに建てられ、1958年に製粉業も廃業になった。以後放置されていたが、1995年にロンドンのジャズクラブ歌手 だったジラルド・ハリスとサビルローのテーラーであったニコラス・グレンガが修理して博物館を始めたものだそうだ。オーナーは近くでベーカリーを営んでい る。

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水車小屋

昨日パブリックフットパスの良さがわかったので、少し遠いがアッパースローターに向けパブリックフットパスに入る。羊が 逃げないように木製の仕切り戸がある。これはキッシング・ゲートというスタイルだ。広大な牧場の中をまっすぐ道が伸びている。ふしぎに思っていたら。昔は 垣根にそった道だったのだが、農業の近代化に伴い牧場を拡大して垣根を取り外したので、共有の道だけ中央に残ったのだという。誰も来ない。途中会ったのは 幼い子供をつれた若い夫婦1組だけだった。

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パブリックフットパス

ロードオブザマナーホテル

アッパースローターに着く頃、パブリックフットパスはマナーハウスの庭らしきところを横切る。アッパースローターは小さ な村だ。マナーハウスの玄関までたずねてみる。ロードオブザマナーホテルと看板がでている。先ほど見えたマナーハウスとは別の建物のようである。品格のあ るホテルだ。先を急ぐので朝のティーもとらず、パブリックフットパスをもどる。

バイブリー

コッツウォルドの中心部を縦に貫くかってローマ人が建設した道(現A429)を南下してバイブリーの村を訪れる。丘の上 を走る道路が谷に向かって下っている。川が見えるとそこがバイブリー村である。このコッツウォルドの特徴だが、丘の上は牧場となっているが、丘を切り裂い ている谷は森で覆われている。多分急斜面のエロージョンを防止するため、長年培ってきた知恵であろう。ウィリアム・モリスが「イングランドで一番美しい 町」とたたえたとかで日本まで有名なところだ。スワンホテルなど日本人で一杯。ナショナルトラストが管理するコルン川周辺の低湿地帯を散策した。アーリン トンロウの集落が風情がある。次の予定があるので失礼する。

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バイブリーのスワンホテルト15世紀のアーチ橋

バーンズリハウスガーデン

バイブリーからバーンズリーまではこれもローマ人の作った旧道をバーンズリ村までゆくとバーンズリハウスガーデンはあ る。(Botanic Garden Serial No.181)ガーデンライターのローズマリー・ベレーが作ったという庭園である。1951年にベレー夫妻がここを 買い取り、今は息子のチャールズも庭園管理に参加しているという。TVや雑誌によく紹介されるので有名なところである。バーンズリハウスは築後300年と のこと。

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バーンズリーハウス

サイレンセスター

ここまで来たからにはとローマ人が建設したサイレンセスター市(Corinivm)まで足を伸ばす。バンズリーを出て B4425が低地を抜け出し、丘の上に出ると見晴らしのよい牧場の端にパーキングスポットがあった。ここで駐車し、ピクニック昼食とする。26頭の牛がお こぼれを期待して集まったのには辟易。

サイレンセスターはローマ時代はロンドンに次ぐ第2の都市だったとのこと。この町から放射状にいわゆるローマ道路がでて いる。この町がコッツウォルドの中心の町である。町の中央にはセントジョンズ・バプティスト教会がある。3階建ての部分は15世紀に建てられた。塔は地元 の伯爵が戦功によりヘンリー4世から拝領した金品で建てたものという。ここの銀行で予備の円をポンドに替える。

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サイレンセスター中心部のセントジョンズ・バプティスト教会

サイレンセスターの周りにはラウンダバウトがたくさんあり、完全に方向感覚がなくなってから中心部に迷い込んだので地図 をみても自分がどこにいるかもわからない。いよいよ帰る段階になって困ったが、とにかくしばらく道なりにまっすぐ走ると見覚えのあるところに着きそのまま まっすぐ来た道を引き返す。どうせついでとバーフォードに立ち寄ろうと丘の上の見晴らしのよい道をひたすらはしっているとポピーの咲く牧草地が広がってい る。思わず路傍に駐車して鑑賞する。

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ポピーの咲く牧草地

バーフォード

バーフォードの町は訪問前に写真で見てなかったので、感激した。バートンオンザウォーターから流れてくるウィンドラッ シュ川に向かって北向きに下がる坂道がメーンストリートである。その両側にある16世紀のチューダー様式や18世紀のジョージアン様式の家が立ち並び、 ウィンドラッシュ川の対岸の丘が家々の上に見通せて絵になる光景だ。やはり羊毛交易で栄えた街だそうである。ここから東に向かえばオックスフォードだ。川 を渡って対岸の丘に登ればバーフォードからバートンオンザウォーターにもどる丘の稜線沿いのA424となる。この稜線上の道路の見晴らしは良く、当日の宿 舎クラプトンオンザヒルの小さな集落もウィンドラッシュ川の対岸の丘の上に見えた。

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バーフォード

土地の料理にも飽きたので昨日みつけておいたストウオンザウォルドの中華料理店に直行する。ところがテイクアウトの店で あった。やむを得ず、2品ばかりテイクアウトし、隣の店でフィッシュアンドチップスも買って帰り、マナーの自室で夕食とした。久しぶりのフィッシュアンド チップスのおいしかったこと。

フィナンシャルタイムズSep. 24, 2005で9/11事件以来米国観光客が来なくなってバーフォード も苦境に陥っていたが、アンティーク・ショップはネット販売などの活路を見出しているという記事が掲載されていた。

ローマンビラ(第9日)

コッツウォルドにはローマの遺跡がいたるところにある。カースルクームに向かう途中、その一つのローマンビラに立ち寄 る。中学生の一団が説明を聞いている。実際にローマ兵が住んだのではなく、ローマの文化の影響下にあった地元の有力者が作ったものだろうとの説明が耳に 入った。床下暖房の設備の設備とかローマ風呂の遺跡が出土している。

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ローマンビラの床下暖房の設備

カースルクーム

「全英一、最も古い街並みが保存されている村コンテスト」で何回も表彰を受けた村というのが売り。クームとが谷あいとい う意味だそうで、たしかにほぼ平坦な土地の駐車場に車を置いて、徒歩で森の中の谷間に下るとこの村がひっそりとたたずんでいる。ここのパブで昼食をとって いると花嫁花婿をのせていた馬車が一仕事終えて、御者が一杯やるためにこのパブに入ってきた。昼食後は近くの教会の墓地を散策してこの小さな村に別れをつ げる。

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カースルクーム

アガサ・クリスティーの「アクロイド殺し」のビデオはこの村をロケーション場所としている。

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一休みする馬車

ディラムパーク

カースルクームからバースに向かってA46を南下しているとき、森からでて緩やかな坂を上り、左手の視野がひらけたとき右手にナショナルトラストの看板がたっていた。緩やかなカーブにそって右折し、誘われるように気持ちのよさそうな鉄とレンガの門を通過し駐車場にはいった。

そこはカズオ・イシグロの小説、「日の名残り」(The Remain of The Day)が1993年に映画化された時の舞台となったディラムパーク(Dyrham Park)であった。事前にナショナルトラストの会員になっていたのでパンフレットですでに知っていたのか記憶は定かではないが、駐車に車を停めて、放し飼いにされている牛の群れの中を1km位歩いて下ったてゆくにつれて数年前にみた映画のシーンがよみがえった記憶は鮮明である。

アンソニー・ホプキンス演ずる執事とエマ・トンプソン演ずる 女中頭が頭にこびりついている。この17世紀オランダ様式のカントリーハウスは時の外務大臣だったウィリアム・ブランスワイトによって建造された。あいに くの雨だったが、映画に使われた下り坂の下にある建物とその向こうの丘陵のコンビネーションが絶妙の雰囲気を漂わせている。あまりに広大な敷地なので入り 口の駐車場からカントリーハウスまではバスで送迎している。映画のシーンで使われたカメラポイントを探しながら散策した。

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ディラムパーク


ローマンバス

1992年発行の全英道路地図だけで、詳しい地図ももたずバス市に入った。一番繁華街らしいところの駐車場に車を入れて とりあえず近くの書店で市街図を購入する。バス寺院が街の中心でることを示している。この建築はフライイングバットレスが見える構造になっている。その隣 にはローマンバス博物館がある。バスにはローマ人が来る前から温泉がわいておりいまでも湯は自噴している。これを利用してローマ人がローマ式の浴場を作っ た。ビクトリア女王時代に発掘され、地下の遺跡として補修再現されて、博物館となっている。これを見学。温泉はなぜか緑色をしている。硫化水素の臭いもす る。

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ローマンバス

明日29年ぶりで再会するかっての隣人、ドーリン、ジェイミー夫妻との再会場所を決め、レストランの予約をしなければな らない。ロイヤル・クレッセントホテルはわかりやすいのでようだろうと検討をつけ、車で見つけにでかける。歩いて行ける距離だとあとでわかるが2番目の駐 車場を探してまた一方通行のバースの街中をウロウロする。幸い予約もできた。

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バースの宿はバースの南にあるクームダウンのグレーロッジだ。丘の上か中腹にあるのだろうと想像していたが、バースで 買った市街図の外にあることに気が着く。いまさらどうにもならないので兎に角、感をたよりにその方角に向かう。しかし住宅地の奥で道が尽きること幾度か。 ようやくガソリンスタンドをみつけて駆け込む。そこはイングリッシュ・クームというところだそうだ。クームダウンの西側の町だ。教わった丘の上の道をクー ムダウンに向かう。クームダウンらしきところで雑貨店に道を聞く。どこそこをみぎに左にといわれてもそのどこそこが土地の固有名詞なのでわからない。はじ めて左折だか右折しなければいけないところは多分ここらへんであろうと思われるところに公衆電話がある。そこに飛び込み、グレーロッジに電話してはじめて 明確にわかった。ほとんどミスすることなく正しい道を走ってきたことになる。出発前にインターネットで調べてきたらこのような苦労はしなかったはずである が、また楽しい発見もなかっただろう。

グレーロッジは南面する丘の中腹にあり、そこからの眺めは絶景であった。(Hotel Serial No.221)建物はビク トリア朝様式。斜面に美しい庭を持つ。ここからデボンに引退した友人に明日の会う場所を電話で伝える。夕食は宿の主人アントニー・スティックランド氏推薦 のホープアンドアンカー(Restaurant Serial No.183)でとる。撤去された鉄道のレンガ造りの高架橋の斜め下にあり、この界隈では親しまれている、レベルの高いパブ兼レストランのよう だ。ここでまたまたビターをいただく。

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グレーロッジ

ジェーンオースティンセンター(第10日)

スティックランド氏の薦めで、今日は日曜日のためバース大学構内の学生用の駐車場を有効利用しているパークアンドライド でバース市中心部に向かう。バスは10分置きに出る。とても便利でほっとする。

ポンテ・ベッキオ橋をコピーしたといわれるプルテ ニー橋などを見物したあとジェーンオースティンセンターで説明を30分ほど聞いて時間調整し、ローヤルクレッセントホテルに向かう。

ローヤルクレッセントホテル

友人夫妻は約束の場所と時間にやってきた。美しく老けている。デボンからモーターウェイを2時間かけて駆けつけてくれた のである。クレッセントホテルを指定したため、ネクタイとスーツできめている。レストランは奥まったところにあり、快適な環境で29年間の空白を埋めるこ とができた。パークアンドライドだからワインも一段とおいしかった。

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ローヤルクレッセントホテル

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デボンに引退したドーリンとジェイミーと

翌朝、ロンドンから来たグレーロッジの同宿者には本HPのアドレスを教え、奥様のジェーンさんとも別れをつげてウェール ズに向けて出発する。

掲載した写真はほとんどグルーンウッド夫人が撮影したもの である。グルーンウッド氏撮影ビデオから採用したものもある。

ロンドン , コッツウォルド、ウェールズへ

July 5, 2002

Rev. January 14, 2018


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