熊野古道 | 中辺路 |
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那智勝浦2 | ||||||||||||
<熊野那智大社> 多富気王子を過ぎると人影の少ない参道は、巨大な杉に囲まれてほの暗く、いかにも霊地らしい趣がある。 『大門坂は苔むして、何万何十万人もの人が、神とふれあい、自分自身を見つめ直すためにここを歩いたのことがより現実的に実感できる。花山法皇や西行法師も歩いている』と以前には書いたのだが、2008年2月に歩くと、苔がほとんどなくなっていた。 梅雨時になればまた殖えてくるのかも知れないが、やはり世界遺産登録されてからこの坂を登る人が多くなったためだろう。1000年以上も前から、庶民も偉い人も歩いた道を、こうして今歩けるということが歴史なのであろう。いつまでもこの形で、心の原点として、本当の世界遺産として、熊野は熊野であり続けてほしいと思う。 熊野を世界遺産として守るための、私たち自身も守り続ける気概を持たなければと思う。人任せではこのすばらしい遺産は守れない。 そんなことを考えながら(ここを登るといつもそんな気分にさせられるのである)坂道が続く古道をいくと、途中に十一文関所や大門跡がある。 大門坂と呼ばれるのは、かつてここに仁王像が立つ大門があったからである。 大門跡からわずかで、那智大社の参道へとでる。 那智大社へは、大門坂を登り切り駐車場の下を案内板に沿って右に登る。 少し行くと土産物店が立ち並び、参道の石段がすぐである。 熊野那智大社は熊野三山の一つで、主神は熊野夫須美神。縁結びの神である。 ここは滝を神とする原始信仰からおこった社で、社地はもと滝のそばにあった。 社殿は熊野三山のうちもっとも簡素で、熊野造、権現造の古式を完全に残している。 那 智(なち)の名は、難地に由来するといわれ、南海の補陀落の山ーー観音の浄土として古くから信仰されてきた。 滝宮と十二所権現を祀る。 八咫烏が姿を変えたという烏石、平重盛手植えの楠が境内にある。 青岸渡寺 那智の滝を見下ろす高い場所にある青岸渡寺は、日本でもっとも古い西国33カ所観音霊場1番札所で、伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、インドから渡来した裸形上人による開基とされ、上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。 後に推古天皇の時代(6世紀末 - 7世紀初)に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人の如意輪観音を納めたという。 那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。 近世までは隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、「如意輪堂」と称されたという。 神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つの大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。 御詠歌は、 「補陀落や岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく滝つ瀬」 雲取り越えの上り道はこの寺の横にある。 大雲取りからは、舟見茶屋跡から登立茶屋跡から那智高原を抜けここに至る。 新宮からは、大門坂を越え、この青岸渡寺のたどり着く。 熊野古道は通常はここから大雲取り、小雲取り、そして本宮で完結する。 那智の滝 天から湧きでて降ってくるようなスケールの、那智の滝(那智勝浦町)は、高さ133メートル、幅13メートル、滝壷の深さ10メートルもある。もちろん日本一。 熊野三山の一つ、熊野那智大社の別宮となっている飛滝神社の御神体なのである。 滝のしぶきに少しでも触れることができれば、長寿をさずかると伝えられている。 神社の参道の石段の数も、のぼり13段で、くだり133段と、滝のサイズに合っているのがおもしろい。 那智の滝は47滝あるとされ、2の滝、3の滝は、スケールも大きく熊野の森の霊気を漂わせながら落ちている。 那智の火祭り 火祭りといえば夜が多いが、那智の火祭りは昼間行われる。 社を出た12体の扇御輿の行列と、那智の滝の前から若者に担がれた大松明が、昼なお暗い滝参道でぶつかり、豪快な炎の祭典が繰り広げられる。 大松明は40キロもあり、それが火焔を吹き上げ、火の粉を散らして石段を旋回しながら上るのである。 炎の祭典が終わると、烏帽をかぶった神官が進み出て、手にした扇で空に呪文を書く。 烏は熊野神の使者である。 八尺の黒衣でクチバシを作り、烏の頭を形どった神官は、このとき一羽の熊野烏になる。 古代そのままの再現である。 「那智の火祭り」が行われるのは7月14日である。
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