西国三十三所巡り
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一番 那智山   補陀洛や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝つせ
那智山は何遍登っただろう。
バイクの練習や子供達をつれたピクニック。
そして熊野古道歩き。
西国33カ所としてあらためて見ると、パンフレットでは、青岸渡寺の創建は、仏教伝那智山来以前に仁徳天皇の時代にインドから熊野に漂着した裸形上人が、那智大滝で滝修行中、滝壷から八寸(約24cm)の観音像を感得し、草堂をむすんでこれを安置したのが始まりと伝えられている。7世紀頃に大和国から生仏という僧が来、およそ3mの如意輪観音の木像を彫り、裸形上人が得た観音像を胸に納めて本尊として、正式に本堂が建立されたという。本尊を如意輪観音とすることから如意輪堂という名も付けらたとされる

ここに載せた白黒写真は、1975年で30年前のものである。いかにも観音霊場にふさわしい雰囲気である。
「ディスカバージャパン」が言われだしたのがこのころである。朱印は1988年で17年前である。今は世界遺産で騒いでいる。2007年にここを訪れたのだが、今と昔、デジカメ写真と並べるための写真が撮れなかった。
また今度チャレンジすることにした。

青岸渡寺のご本尊は、如意輪観音で、すべての人々に財宝を与える仏様である。
人々のあらゆる願いを叶えてくれるという。そんなありがたい観音様なので参拝客が多いのかな。
那智山 那智山 那智山 那智山
那智山 那智山 那智山

那智山西国三十三所霊場の第一番札所となるのは少し後の花山上皇の時代である。
ここ那智で一千日の修行を終えた花山上皇が、西国三十三ケ所観音霊場巡礼の旅に出て、各地で歌を詠み、それが御詠歌のはじまりであるらしい。
一番最初に修行したので那智山青岸渡寺が三十三ケ所巡礼の第一番札所となったとも伝えられている。
しかし、ご詠歌をじっくり読むと、上手でない歌もあり、とても上皇が作ったとは思えないのだが、余り詮索するのはやめよう。心を込めて詠えばよい。
我がふるさと串本では、故人のお通夜に近所の念仏講のお年寄りが、33番まで詠ってくれる。
詠い終わると、お茶を飲みながら故人の思い出などを語り合う。
幼い頃はご詠歌の意味が全くわからず退屈でしようがなかったが、今の年になり、その意味を理解するまでは行かなくても詠われている言葉がわかるようになったので、よく胸に響く。
都会のバスガイドのような司会のもとに執り行われるお通夜よりは、ご詠歌を聞きながら、故人の生前を思い出す方が遙かに人間的で葬送の夜にふさわしい。

そのご詠歌の、第一番がここ那智山の青岸渡寺である。那智山
1000日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が永延2年(988年)に御幸され西国33ヶ所観音巡り1番札所として定めたとされる。いつも参詣者が多い。
ここ青岸渡寺も織田信長の焼き討ちにあい、それを豊臣秀吉が1590年に再建した桃山様式の建築で、南紀最古の建築物として重要文化財に指定されている。鎌倉時代の重文・宝篋印塔(4.3m)や梵鐘がある。

境内へは、急な階段を上っていく。
運動不足だと少し堪える距離と勾配である。
麓の土産物売り場には杖がたくさん置かれており、自由に使えるが、貸し出す店は帰りの土産を買ってもらうのを待っている。
階段の中途で、那智大社と青岸渡寺と別れる。また上で一緒になるのだが、参詣道は、一応別々である。
ここは時間が許すなら、少し下の大門坂を登ってお参りするといい。
熊野古道の中辺路ルートの最終コースでもある。
800年ほどたった夫婦杉がすばらしい。