松田瓊子 まつだ・けいこ(1916—1940)


 

本名=松田瓊子(まつだ・けいこ)
大正5年3月19日—昭和15年1月13日 
享年23歳 
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園13区1種1側3番 




小説家。東京都生。日本女子大学中退。野村胡堂の次女。女学校時代から少女小説を書きはじめ、17歳で『人形の歌』を書いた。昭和12年父野村胡堂と村岡花子の尽力で『七つの蕾』を刊行。同年松田智雄と結婚するも健康を害し夭折した。遺稿として『紫苑の園』『小さき碧』『サフランの歌』『香澄』があり、ほかに『松田瓊子全集』全六巻がある。






   

 薔薇色に匂う春のタぐれを、空色の洋服を着た愛らしい少女が一人、スーツケースをさげて静かに野辺の小路を歩いていた。武蔵野のほとりである。
 小路はなだらかな丘の麓で消えていた。丘にはもう緑の草が萌えて、夕空に高くそびえる棒の裸木の上に、クリーム色の壁、チョコレート色の屋根の、見るからに心地よい家が建っていた。
 振り返るとあざやかな緑の麦畑と、菜の花の咲く野を流れる細い銀色の小川が、曲りくねって向うの丘に消えていた。パラ色のタ映の中に、富士、秩父、丹沢の連峰が、くっきりと藍色に暮れてゆく。
 少女は思い立ったように足を早めて丘の上の家に辿りついた。家の前には小さな白い立札に、青い字も鮮やかに、「紫苑の園」としるされてあった。

(紫苑の園)

     


 

 作家野村胡堂の次女として生まれた松田瓊子だが、松田智雄と婚約した日本女子大学二年の頃より咳がひどくなり学校を休むようになった。気管支カタルの診断を受けたが体調は回復せず大学を中退。療養生活を送りながら少女小説を書き続けていった。昭和12年1月、父が原稿を託した知人村岡花子序文の『七つの蕾』が処女出版を果たした。10月には婚約者松田智雄と挙式を行ったが、再び体調を崩して昭和13年4月に喀血、10月頃からは食欲もなく、創作意欲もなくなってしまった。翌15年1月13日、腹膜炎を併発、東京・渋谷区大山の自宅で、父胡堂、母ハナ、夫智雄らに見守られながら息を引き取った。〈安らかな此の上もないやすらかな死〉であった。



 

 児童文学研究家の上笙一郎によって〈キリスト教信仰に基づいた教養小説とでもいうべく、感傷過多の美文的小説と波乱万丈の通俗小説の多かった少女文学の分野に新風をふきいれた〉と評され、蕾のままに花を咲かせることなく世を去ってしまった松田瓊子。白玉石の敷かれた多磨霊園の広々とした塋域の両親が眠る「野村家墓」に並んだ「松田家墓」。背後の桜木の枝が大きく張りだして、枯れ散った桜葉が湿った踏石や台石に乱れている。裏面に没年と享年が刻まれた松田瓊子に並んでいる夫智雄と瓊子の死後に智雄と結婚した妹の稔子、智雄・稔子の長男信雄らの名には白い色が入れられてあったが、瓊子のそれには色が入っておらず、儚げに有るか無きかのいかにも読みにくいものであった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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