前田夕暮 まえだ・ゆうぐれ(1883—1951)


 

本名=前田洋造(まえだ・ようぞう)
明治16年7月27日—昭和26年4月20日 
享年67歳(青天院静観夕暮居士)
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園12区1種10側21番 



歌人。神奈川県生。二松學舎(現・二松學舎大学)。明治43年処女歌集『収穫』を刊行、自然主義の歌人として知られた。44年『詩歌』創刊。『陰影』『生くる日』『深林』などの歌集を出した。家業を継ぐため『詩歌』を休刊し、一時歌壇から遠ざかったが昭和3年復刊。歌集『水源地帯』などがある。






  

魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな

若竹は皐月の家をうらわかき悲しみをもてかこみぬるかな
                                         
沈思よりふと身をおこせば海の如く動揺すなり、入日の赤さ

ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ
                         
我がこころの故郷つひにいづかたぞ彼の落日よ裂けよとおもふ
                                      
蜜蜂のうなりうづまく日のもとをひっそりとしてわがよぎりたり

ひたむきに空のふかみになきのぼる雲雀をきけば生くることかなし



 

 自然主義の歌人として若山牧水や北原白秋らとの交友を続けるなか、白日社を立ち上げ、歌誌『詩歌』を毎月発行して口語自由律短歌にも取り組み、萩原朔太郎、山村暮鳥などおおくの詩人・歌人を育てた前田夕暮。「夕暮・牧水時代」を築き文学史上に名を刻んだ。
 昭和24年、持病の糖尿病が悪化する。26年、前年よりの仰臥生活が続くなか、1月には主治医が急逝し「自然療法」に入った。死期を感じた夕暮は遺詠〈雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は〉他を遺した。
 4月20日午前11時30分、〈青樫草舎〉と名付けた東京・荻窪の自宅で結核性脳膜炎のため死を迎えた。自らの死にも清々しく臨み客観的に歌った彼の自我意識は最期まで醒めていたのだった。



 

 牧水とともに一時代を築いた自然主義の時代、ゴーギャン、ゴッホなど印象派からの強烈な刺激をうけ、太陽光の表現から、また色彩感覚に多くの影響がみうけられた時代、口語自由律短歌、戦争短歌などの時代、彼の歌は、数回に及ぶ作風転換にもかかわらず一貫してみずみずしく清新なものであった。
 おびただしい墓石群の風景がひろがっている武蔵野の墓原。いましも朝靄を吹き払って琥珀色の陽しぶきを降りそそごうと昇ってきた日輪は、樹木の背後から徐々に顔を見せようとしている。明るさを増しはじめたこの塋域に立つと、赤や黄や白い供花の間から鈍い碑面を光らせている主の清らかさが偲ばれてくる。
 ——〈空遥かにいつか夜あけた木の花しろしろ咲きみちてゐた朝が来た〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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