牧 羊子 まき・ようこ(1923—2000)


 

本名=開高初子(かいこう・はつこ)
大正14年4月29日—平成12年1月19日 
享年76歳  
鎌倉市山ノ内453 円覚寺松嶺院(臨済宗)




詩人。大阪府生。奈良女子師範学校(現・奈良女子大学)卒。戦前は女学校の教師、戦後はサントリーの前身・寿屋に勤務。『山河』同人となり、『現代詩』『えんぴつ』などにも参加。昭和27年開高健と結婚。29年に詩集『コルシカの薔薇』を刊行。翌年、大阪から東京に移る。46年に『人生受難詩集』刊行。ほかに詩集『天使のオムレツ』『聖文字・蟲』などがある。






  

灼ける夏の匂い
翠黛のいきおいに渴く
漲り 哮る
歓喜  

もしかして 欲望の
スコ—ル 遠いなつかしい記憶が
翳り あるいは幻と揺らぐ
太陽暦のまさしく閏年

閏の四年を土の中に
忍び 耐えて
この夏の
燦々を

いっきに
燃えつきる
生命の
行方

(中略)

独り 湯舟につかれば
歳月駸々 湯水は零れて
仄明かりの隅に
躍る影 一つ

小さな 声立てぬ虫よ 集かぬ
おまえの名はカマドウマ


                                
(『聖文字虫』すだく虫の)

     


 

 七歳年下であった連れ合いの開高健との結婚生活は順風満帆とはほど遠いものであったという見方もされているようだが、何かにつけて支配欲の強かった牧羊子と躁鬱性格で、関川夏央のいうところの「ただ家にいたくなかった作家」の開高健が一つ屋根の下で同居すること事態がお互いにとって無理があったのではないだろうか。世評に言われる悪妻と一方的に決めつけることはできないのだが、開高健は平成元年12月9日に食道がんがもとで慌ただしく逝ってしまった。その5年後の平成6年6月22日、娘でエッセイストの開高道子が鉄道自殺して、41年の短い生涯を自ら閉じた。茅ヶ崎の自宅に一人寂しく残された牧羊子は持病であった胃潰瘍の出血のために自宅脱衣場で倒れ、死後数日の平成12年1月19日に発見された。



 

 山と山に挟まれた狭い谷筋を走る横須賀線鎌倉駅の一つ手前の小さな駅、「古都鎌倉にふさわしく、静かで素朴な駅」として関東の駅百選に選ばれたこともある北鎌倉駅に降り立つのはこれで何十回目になるのだろうか。そのたびに自然と足が向いてしまうのは東慶寺と浄智寺、それに円覚寺である。その塔頭・松嶺院裏の高台にあるこの墓地はいつの時も無常の風が音もなくそよいでいるのだった。最初に開高健が逝き、後を追うように4年後、娘道子が逝き、最後に牧洋子が逝った開高家の墓は狭い墓地のとっかかりにある。牧羊子の死によって開高家は消滅してしまったが、生前に自分たちの代表作名《開高健「輝ける闇」、牧洋子「詩集コルシカの薔薇」、開高道子「絵のある博物館」》を刻んで、朱入りをしていた碑に暖かな初春の陽が注いでいる。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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