私?
私は旅人。
しののめの草むらにうずくまり
きりきりとした朝露をほおに受けながら
人の世の涯を信じて
今日も旅立とう
忘れようとしても忘れられない永遠の追憶、墓参の旅は自分との対峙なのです。
いつもの散歩の途上、お茶の水・聖橋に佇んで下を流れる神田川の水面を眺めていると、吉野の山に満開の桜が咲き誇るころ、ようやく決心をして神戸からフェリーに乗り、小豆島経由で訪れた岡山の詩人永瀬清子の墓参の旅が思いだされます。
岡山県赤磐市松木に詩人の生家(今は「永瀬清子生家保存会」によって修復中)と一族の墓がありました。生家裏山の木立のなか、「かしこに暖かい日なたがある。/かしこに、松山のなかほどに/しづかな忘られた地域がある。/かしこに憩う人々の/みえない視線を私はおもう、/野に出て働く私のそびらに———/そしていつも私はおもう/私もいつかその人々にまじることを———/中略/いま海の底のようなあおい秋の夜に/山裾のわが村はひっそりと寝しずまり/その墓たちのみが最も白く/最も目覚めたもののように/月光にかがやいているのを私はおもう。/物云わぬ人々にまじって私が/長い夜どおし悔いないために/私は書こう美しくそしてやさしい詩を。」と書いた永瀬家数基の墓々。額づいた私の耳に快く聞こえてくる鶯の鳴き声は、山ツツジの微かな匂いにつつまれて、シャボン玉のように薄曇りの空にふうわりと浮かんでいきました。人気のない塋域の細やかなひかり、枯れ落葉のまにまに青草は芽吹き、石ころや風の音にひそむなつかしい意味、ここに並んだいまは無き人のいくつもの旅や充ちたりぬ思い、悲しみの巡り。名のみを遺し、絶え、新しい人は朝もやの彼方からぽっつりと現れ、夕暮れの人ごみに紛れて露地の奥に消えていくのです。位置にある静けさばかりの夜をやりすごし、やがては次の季節へと、見知らぬ旅人となって。
その冬の、誕生の日に旅立った永瀬清子に「お茶の水」という詩があります。
お茶の水のひじり橋のたもとで待っていると
その人はやがて街路樹のかげを走って来られた。
まるでコリーみたいに。
「あわててお茶の水橋の方へ出てしまった
のです。おそくなってしまって———」
とその人は云い汗をふかれた。
「それに財布も忘れて来たのです。
お金を借りにいきますからちょっと付合っていっしょに白水社の方へいき
お金を借りて来られるまで私は街角で又待った。
兵隊靴のような大きな靴で
若者のような大股で金借りに行かれた———
街角の私はそう思って湧き水のように笑いがこぼれ出た。
戦争はやっとすみ
東京はまだ荒野だった年
東西にさまたげられていた私たちはこうして
はじめて出逢ったのだ。
お金ができ、落ついて私たちは名代のおそばを食べた。
なつかしい人、いまはなく
ひじり橋の夕日の中に立っているのは私一人。
影が橋のらんかんに落ちている。
川水ゆき年月は流れ
いまもジャックのような若者たちは足早に行く。
私はここに一人いるのに
老いたる者に誰も気づかず、川水と同じくただ流れゆき日は暮れる。
なべてのものまばたきの間に過ぎゆくか
ただ目にみえぬ明日のみを求め求めて
出会い、別れ、死、形のない時間、途切れた記憶や見えない夢、欠落した人生のかけらを拾うごとに旅はおわりに近づいて、皎々と照らされた花びらは土庭に散りかかります。せわしなく水平線を区分けし、空と海にかかる橋を駆け上っていたあの時の尊さよ。すべての始まりはすべての終わり、永らえるものは風紋のように美しいのです。
|