七夕の起源・原始七夕伝承
七夕の起源・メイン 1.原始七夕伝承 2.異郷訪問説話 3.中国での起源
日本での起源
【1.弥生時代】
日本での起源
【2.神話の時代】
日本での起源
【3.七夕の歌】
日本での起源
【4.飛鳥・天平時代】
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世界樹・宇宙樹信仰

●北極星
 時は今から1万3200千年遡ります。この頃は氷河期又は氷河期があけた頃で、 歳差運動によりまして北極星は現在の子熊座のポーラスターではありませんで、 後に織姫星となること座のベガ星でありました。

[北極星図]

 仏教やキリスト教が普及する遥か遥か昔では、 世界的な広がりを持つ「世界樹信仰」があったようであります。

 この世界樹又は宇宙樹と呼ばれる信仰は、「天地創造のときに、まず1本の巨木が生じて、 この巨木から世界は体系的に作られたとする神話」です。この天と地を結ぶ一本の巨木から、 全てが生まれ、又全ての秩序が作られていったとする信仰でした。

 後に述べますがこの宇宙樹は「地上と天の中心である北極星を結ぶ」言わば「宇宙の中心」 としての役割がありました。

 現在伝わっている宇宙樹信仰では北欧神話の「宇宙樹ユグドラシル(注2)」・ 中国では後に「扶桑(注1)」と呼ばれるものになって行きます。 また日本では鹿児島県の「若木迎え(注1)」や諏訪大社の「御柱祭」などがありますね。

(参A1.A2.A3.A8.C12)

鳥トーテム

●鳥トーテム
 宇宙樹信仰は、その象徴として「頭の部分に日月・中央部に有蹄類・下部にベビ」 などから構成される柱が、神体として扱われていたようでありまして、 この柱の神体をトーテムと言います。 トーテムと呼びましてもピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、 トーテムの1種類であるトーテム・ポールと言う言葉であればご存じかと思います。

 稲作起源は紀元前八五〇〇年頃の中国であるとされておりますが、 この頃の遺跡から稲作に必要な「太陽」「水」「鳥」が描かれた土器が出土されます。 この中の「鳥」は朝に鳥がさえずり始めることにより太陽を呼び出すとする考えであるそうです。 時計の無い時代でしたので、鳥の声はとても重要でありました。江戸時代でも 鶏の声を基準にしてりましたし、埴輪にも鳥や鶏が多くありますね。

 中国の四川省・成都の北部で「三星推」と呼ばれる遺跡が1987年に発見されました。 その遺跡には「青銅製の仮面」など多数の像が発掘されました。 そのなかに宇宙樹信仰を表す「神樹」や「崑崙山模型」がありました。

 「崑崙山」は言わば「霊山」で、そこには「西王母」が住んでいると言われておりまして、 現在残っている道教において西王母は「最高位の仙女」でありとされております。

[鳥図]  先に述べましたトーテムの色々な種類のなかで「鳥トーテム」が、 現在でも中国少数民族で西王母信仰の残っているイ族にみられます。  この鳥トーテムは一般にシャーマニズムとセットで信仰されることが多いようです。 鳥トーテムの神体は「鳥竿(ソッテ)」と呼ばれまして、 竿(テ)には柱・竹・竿・棒などが使われました。

 ト−テムと言う言葉は、アメリカインディアンの言葉で「親族」の意味しまして、 母権制氏族社会の発生期に生まれます。 女性が子供を生むのはト−テムが女性の腹に潜り込むからと考えのですね。 またアミニズムとは万物に霊魂があるとする信仰をさします。 この霊魂との接触をもつ巫女の総称がシャーマニズムであるわけであります。

 このような意味でト−テムから派生するものの多くは「母権制氏族社会」、 つまり女性が巫女になったり、最高位の神になったりするわけでありまして、 七夕のお話しの場合には後にしつこく出て来ます(^^; 「西王母」が中心的な役割を負っているようなのであります。 (参A2.A3.A1.A9)

●卵生神話
 中国の古代王朝の夏王朝の資料は余り残っていないようですが、 殷王朝の資料は沢山あるようです。

 殷の始祖伝説(注3)では、ある日水浴にでかけた簡狄(かんてき・女性の名)は、 ツバメが落とした卵を飲んで懐妊して殷の始祖である契(せつ)を生みました。

 中国ではこのような伝説は感生(かんせい)伝説と呼ばれておりまして、 天の神の孫が地上に降り立ち王朝の始祖となる 天孫民族的な信仰(日本ではニニギニミコト)が多いのです。

 このような神話は鳥トーテム信仰のあった東北アジアの部族の間に色々伝わっています。 例えば高句麗の祖先の朱蒙(しゅもう)は大きな卵から生まれていて、 清の祖先である満州族のプクリヨンソンは神鵲(かささぎ)が落として行った 赤い実を飲んだ天女フクリンから生まれたと伝えられております。

 このように鳥は卵を産むことから「鳥トーテム信仰」と「卵生神話」は重なるらしいのですね。 鳥トーテムは中国に隣接するロシアやカムチャッカにも分布しているようですので、 そちらにも七夕の痕跡があるのでしょうか。

中国のあけぼの・世界の歴史3・河出書房新社・参考引用 (参A8.A9.A10)

●宇宙樹の分裂
 宇宙樹は「地上と天上を支える軸」とされておりまして、 星々の中心に見える「北極星」と「地上」とを結びます。 鳥トーテムの柱(ポール)は当時の北極星であるベガ星に向かって伸びていたことになります。 時代は上記のお話の通り夏や殷の頃までと思われます。

 宇宙樹は絶対神で、天地を疎通させる宇宙軸上で、 地上と北とを結ぶ南北軸であり、天地を結ぶ上下軸であったそうです。

 さて北極星はベガ星でありましたが、歳差運動により天の北極は次第にベガ星より離れて行きました。 歳差運動は地球の自転の向きと反対に地球がコマ振り運動をすることで、約24000年をかけて 一回転し、北極星はもとの星に戻ってきます。

 この絶対神である宇宙樹が南北軸に対して左右に、つまり東西に分裂をおこしたしたようあります。 (参A1.A3)

●東母と西母
 殷の王朝は、王が自ら祭礼等を行う神聖王朝でありました。 天地自然の現象は帝の支配に属する事柄で、 農耕に関する雨風も帝が祈ることにより秩序が与えられました。
その風は鳳の形で表されて神の使いで、その使者の往来は風のそよぎとして感知したそうであります。

 殷の始祖である舜は太陽神であったようです。しかし後に太陽神は分離して 「朝の日を迎える朝日(ちょうせき)の礼」「夕の日を送る夕日(せきひ)の礼」 の2つの行事を行いました。

 「朝と夕」を象徴する神は東母と西母の二人の女神でした。 この東母と西母が後に東王父と西王母という対偶神となりるようなのです。 (楚辞にヒントがあるようなので現在・・・ず〜と(^^;調査中です)

 さて王朝の権威の象徴である暦の策定では、殷王朝においては 太陽が10個あったとする十日神話から10日を区切りとした旬日を基本にして、 月相が1巡(約29.5日)する三十日を併用しました。

 時代が進み周の時代になりますと新月から満月までの 約十五日を単位とする朔望(さくぼう:朔とは新月、望とは満月です)の観念が中心となります。 つまり太陽神から月神への変化があっても不思議ではないのですね。 すると上記でお話しました「東母」が「東王父」に変化するのは「周の時代」とも考えられますね。

参考引用 世界の歴史3 中国のあけぼの 貝塚茂樹・大島利一著・河出書房新社 791A

 あと秦の始皇帝が西王母と逢う話があるのですが、 殷も秦も始祖伝説を遡ると鳥トーテムに行き着くのですね。 その他は例えば夏の竜トーテム。 したがって神話は洪水伝説なのですね。高句麗も鳥トーテム。 だから壁画に西王母と織姫の混在したものがあるのですね。・・・は話しが飛んだか(^^;

(参A9.A10.A1)

西王母と東王父
●月と太陽の属性
 さて、地球の歳差運動により、北極星の位置が「こと座のベガ星」から 「子熊座のポーラスター」へと変わってしまったことから 宇宙樹は東西に分裂を起こしたようであります。 恐らくは朔望の観念が出てきた周の時代のことであると思います。

 鳥トーテムの本体であります「軸(ポール)」は、東に太陽の象徴である東王父・ 中央には左右分裂を示す水の象徴である天の川・ そして西にはシャーマニズムの要素もある宇宙樹本体はベガ星の位置を保ったまま 西王母へと変化します。

 「鳥」は東王父には太陽黒点を表す三羽の烏(又は三足烏)に、 西王母には両者を橋渡しする希有鳥へと分裂します。

 希有鳥は古代中国の宇宙観である天蓋説(地の上に天が傘のように被っていて、 傘の柄のような軸があり、その軸が回転する事により星が回って見える)の軸の下にいて、 両わきに東王父と西王母を抱えています。  西王母は1月1日と7月7日の年に2度、この希有鳥に乗って東王父に逢いに行きます。 現在では正月と七夕は別の行事でありますが、 このお話しのように、この頃までは正月と七夕はセットの行事であったようです。

 東王父は、シャーマン的な要素が強く残った影響から次第にその信仰が薄れ行きます。 西王母は不老長寿の象徴(道教に見られる桃源郷のように桃で表されるもの)でもあります。 そこで月は欠けても必ず元に戻る事から、 場所をベガ星から月へと移動し「不死」の神格化傾向を強めたのではないかと思います。

 東王父も太陽から二十八宿(注4)の1つ「牛宿」へ移り、さらに二十八宿の「河鼓」へと変化し、 最後に現在のアルタイル星へと変化したのではないかと推測します。 (注4:大学の先生が何人も分らないと云っている項目なので、 Apollonごときには分ろうはずもありません(^^;)

 西王母は月にも居りますし、ベガにもおりますし、天地軸である崑崙山にもおります。 どこにでもいるのですが探すのが容易ではないのです。 何故なら不死性は簡単に手に入るものではないからであると推測します。

(参A1.C4.C5.A11.B6.B5.A8)

●陰と陽
 分裂して日の沈む西に分かれたのが「西王母」、 太陽の昇る東に分かれたのが「東王父(又は東王公とも云われます)」であるそうです。 「西王母」は月と女性の属性を持ち、兎や蟾蜍を伴い陰の精を表します。 駐推前漢墓に描かれております。「東王父」は太陽と男性の属性を持ち三足烏を伴います。 空心磚墓にも描かれ「太陽の中に三足烏がいる、それが陽の精である」と云う説明があります。

(参A1.A12)

●西王母
次は西王母と七夕伝承から引用です

 西王母は頭に「玉勝」を戴いています。西王母は、元来、ただ一人、 大地の中心である宇宙山(世界樹)の頂点にあって、 絶対的な権力で持って宇宙全体を秩序づけていた。 その秩序づけが、彼女の機を織るという行動に象徴されていた。 西王母は、いわば世界の秩序を織り出していたのである。

 さればこそ織機の部分品である゛勝゛がその頭上に載っているのであった。 織機の部品の中でも、特に゛勝゛が選ばれたのは、一人で再生を繰り返す神のありかた (すなわち、円環的な時間の中にある存在)と織機の軸の回転とを重ね合わせて、 その軸の回転を制御する゛勝゛を象徴的に使用したものと推測される。

[西王母:月兎と西王母図]  この写真は月兎と西王母の銅鏡の一部分です。反対側には下図の東王父の図があります。 残念ながら西王母の「玉勝」はハッキリと見えません。写真は持っているのですが、 著作者が分からない(^^;

 この銅鏡は東京国立博物館にあります。現在は確か撮影禁止だと思いました。 大きなカラー画像は、国立博物館のページに行って画像検索すると見る事ができます。

 西王母と月兎の図は他の銅鏡にもありますので探してみては(^^)/


●東王父
[東王父:銅鏡図より]  西王母が陰の要素を濃くしてから、その対照として陽としての東王父ができたようです。 東王父のかぶりものは「三維冠」(他のものをかぶっている画像鏡もあります)で゛維゛と 呼ばれているのは天地を結ぶ大綱を指すと考えられています。 それが「三」であるのは、3と云う数字が太陽神と係わりが深いためであると云われています。 三足烏や3羽の鳥に引かれた太陽を運ぶ雲車なども「3」の数字です。

○淮南子のゲイのお話から〜
昔中国で一度に10個の太陽が出現しました。時の皇帝は「ゲイ」という弓の名人を呼んで、 このうちの9個の太陽を射落としました。その射落とした太陽を調べてみると、 9羽の真っ黒なカラスであったそうです。

○広益俗説弁から〜
上記の話と同じですが、時は垂仁天皇の御代で、太陽は9つ出現します。 武蔵野国入間郡で打ち落としたそうです。

○八た烏から〜
淮南子に「日中に(シュン鳥(ウ))あり」という記述があり、 このシュンウが3本足の烏であると解釈されています。 天照大御神と高木神によって神武天皇のもとに派遣されたヤタガラスは、 天照大御神を祀る神社のノボリに三本足の烏として書かれています。

(参A1.A10.A4.A5)

●夫婦げんか
 月に住むと言われるガマガエルの正体は 「太陽を射落としたゲイ」に西王母が不死の桃をあげようとしたところ、 サット盗んでいった東方朔が月まで逃げていってガマガエルになった話しもあります。(異説あり)

 ゲイが「三足烏を打ち落としたご褒美」とは、つまり「陰であり月である西王母」と 「陽であり太陽である東王父」とが夫婦げんかをしている話なのですね。

 七夕伝承の1つに、夫婦喧嘩をして牽牛と織女が物を投げ合う話があります。 牛郎は牛の鼻輪を投げたのが織女三星(注5)。織女は機織りの道具の梭(ヒ)を投げます。 それが河鼓・鷲座三星(注6)なのです。

[天の川図]

注5)織女三星はこと座のLyr3α星(ベガ) Lyr4ε星 Lyr4ζ星

注6)河鼓三星はわし座のAql53α星(アルタイル) Aql50γ星(タラゼド) Aql60β星(アルシャイン)の鷲座3星(参A1.A8)


注記
●注1(扶桑・若木A8.9.10)
 古代中国:殷の時代の宇宙観では、太陽は全部で10個ありまして、毎日交代で空を廻ります。 それぞれの太陽に甲乙丙丁など十干の名があまして、それを司る10人の神巫がおりました。 太陽は東方の扶桑(ふそう)の木の枝からから昇って、西方の若木を経て、 地下の虞淵(ぐえん)にほとぼりをさまします。

●注2(ユグドラシルC12)
 北欧神話に出てまいります宇宙樹ユグドラシルは、全世界を貫いて生えております。 ユグドラシルには三本の根がありまして、それぞれ「神々の国」「霜の巨人の国」「霧の死の国」 の3つの世界へと伸びております。

 「神々の国」の根の下にはウルドの泉があり、そこには3人の運命の女神がおりまして、 ユグドラシルが枯れないように世話をしています。 「霜の巨人の国」の根の下にはミーミルと云う智恵の泉があり、 最高神となるオーディンはこの水を飲むため片目を失います。 「霧の死の国」の根の下にはフヴェルゲルミルの泉があり、 ニドヘグと云う毒竜がユグドラシルが枯らそうと根を噛っています。

 主神オーディンと悪神ロキとの戦いの時にユグドラシルは燃え、 大地は海中に沈んでしまいます。これがたまに耳にする事があると思います ラグナレク(神々の黄昏)でなのであります。

●注3(卵生・感生伝説)
○殷の契の怪誕説話
 帝の高辛氏の妃の簡狄が春分の日に春を迎える行事が終わった後に、 妹と川辺を歩いていたところ1羽の燕が空に飛んでいました。 その燕は口にくわえていてた五色の卵を二人の間に落としました。 姉妹はその綺麗な卵を取り合いましたが、 簡狄が「これは私のよ」と言うと口の中に押し込み飲んでしまいました。
 やがて彼女は身篭り、月日が立ち胸が剖けて男の子が生まれました。
 これが契で後にギョウに仕えました。(史記,拾遺記)(竹書紀年)

○周の武王の怪誕説話
 帝の高辛氏の妃に,姜源(きょうげん)という女性がおりました。 帝と一緒に神を祭っておりますと大地に巨大な足跡がついておりました。 彼女はその足跡を踏んで見たらやがて身篭ってしまいました。(史記)

●注4(二十八宿)
二十八宿は中国の星座区分で、インドの二十七宿から来ているようです。 月が1つの宿に一泊ずつ止まり28日で一巡します。 その中の星座で七夕に関係するものを抜き出してみました。

 「須女」が「織女三星」に、「牽牛」が「河鼓」へ変化したのであろうと言う説は 見ることはあるのですが、天の川に相対する2星であるからとする理由なのですね。 そうであると仮定すれば、二十八宿と西王母信仰とどちらが先なのでしょうね。

○牽牛
 この6星は、天の関所・橋のことで、祭りのときに供える犠牲を司ります。
 上の星は道路を管轄。次の星は関所・橋・梁を管轄。その次の星は南越地方を管轄 するそうです。
その他「牛は日の神に捧げるもの」「羊は月の神に捧げるもの」であるそうです。
○須女(しゆじょ)
 この四星は天の衣食を司ります。「須」とは布を織ったり、 裁縫をしたり、嫁入りの世話をする意味があるそうです。
○天津
 この九星は「天の川」の中にあり別名「天漢」「天江」とも云います。
長江・黄河・淮水・済水の四大河の渡場・橋を司るそうです。 この天津はカササギと関係があるのでしょうか。 また同じ「橋」を司る牽牛がどのようにかかわるのでしょうか。 また天の川は東方に始まって、尾と箕の間をとおり、2つの道に分かれ南の道は傳説(ふえつ) ・魚・天やく・天弁・河鼓をとおり、北の道は亀・箕の下・南斗の頭と左旗とをつなぎ、 天津の下で南の道と合流するとあります。
○農丈人・中国の科学 世界の名著 中央公論社より引用
 農丈人とよばれる一つの星は、南斗の西南に位置している。老農であって、 穀物の収穫を管轄する。狗と呼ばれる二つの星は、南斗の東部のまえに位置している。
 吠えついて家を守のが仕事である。天田とよばれる九つの星は、 牛の南に位置している。羅堰(らえん)とよばれる九つの星は、 牽牛の東に位置している。大きな馬である。それで雨水をせきとめて蓄えておき、 溝(変換不能文字A)にそそぐのである。九カンとよばれる九つの星は、 牽牛の南に位置している。カンとは溝Aのことである。 源泉から水を導いて満々たる水を流し、溢れる水を注ぎ、田畑の溝に通すゆえんである。 九カンのあいだにある十の星を天池という。別に三池ともいい、また天海ともいう。 田畑の灌漑にかんすることがらを管轄する。
○農業
 ショクの五つの星は七星の南に位置して、農業を司ります。 百穀の長たる「きび」の官職の名をとったそうです。

 二十八宿星図はおよそ283官、1464星あるそうです。 史記などは星座に役所名がついていました。これでは神話の記録があまりないわけです。 神話の生まれる時代と諸子百家の時代とが同居している、 又は中国の方は実利的で神話は真面目に扱われなかったのでしょうしょうね。 兎に角神話・伝説・伝承の記述が少ないですね。故に中国での研究も少なく、 日本での研究はと云いますと更に少ないようです。

参考 中国の科学 世界の名著 中央公論社

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