人生の目的?

人生の目的というようなものを考えるのは意識的な思考です。意識的な思考は客観性を求めるので客観的に考えていくと、たいていは「人生に目的なんかない」という結論に至ります。しかし、その結論は客観的思考によって得られたのだから、「人生にはどんな目的もありえない」のではなく「人生に客観的な目的はない」ということが解っただけです。つまり、人生に目的があるとすれば、それは主観的なものです。

人生の目的は主観的なものですから、自分で自由に決めることができます。逆に言えば自分で決めるしかないので、自分で決められなければその人にとって人生の目的は存在しないことになります。自分で好きなように決められるのだから、自分のやりたいことを自分の人生の目的にすればよいということになります。自分のやりたいことに熱中していれば、「人生の目的とは何か」などと考えません。人生の目的というのは自分のやりたいことがわからない時に考えてしまうものなわけです。

では、自分のやりたいことというのを発見してそれを人生の目的とすればよいのでしょうか。自分やりたいことというのは明確にはわからないものであり、明確にわかってしまえばそれはやりたいことではありません。したがって、人生の目的を明確に表すことは不可能です。つまり、人生の目的とは何かと考えても結論は出ません。人生の目的は自由に決められるといっても、自由というのは試行錯誤することであって、はじめから明確に決まっていては自由ではありません。

自分のやりたいことがわからない場合に人生の目的とは何かと考えてしまうのは、自分のやることに明確な意味を求めるからだと思います。行動に明確な意味を求めると「では、それは何のためか?」という疑問がどこまでも続きます。それを止めるには、最後に究極の目的が必要です。しかし、その目的を選んだのは自分ですから、結局「理由ははっきりしないが、自分がやりたいからだ」と考えるしかありません。「何の意味も無いかも知れないけど、やりたいからやる」ということを積み重ねるうちに、結果として自分のやりたいことがわかってくるのではないでしょうか。

しかし、大人が急に無意味なことをはじめようとしても自分の意識が邪魔をするし、他人の迷惑にもなります。そういうことは子供のうちにやっておく必要があります。子供のうちは何も考えなくても自分のやりたいことをやってしまうし、体力や権力が小さいので他人の迷惑が少ないからです。大人がやるとすると、冷静な意識を保ちつつ自分の中の無秩序を広げていくという面倒でややこしいことをしなくてはなりません。