自分とは何か

意識というのは限られたものごとに対する感覚の集中であり、意識には、意識している限られたものごと以外を無視するという作用があります。意識は意識したものごとを肯定しているだけではなく、意識外のものごとを否定しているわけです。何かを意識することは、意識したものごとと自分との関係を考えながら、それと同時に、意識せずに否定したものごとと自分との関係は考えずに行動することにつながります。

つまり、自分について意識することは、意識外の自分を否定することでもあるわけです。それは、意識的な自分と意識外の自分との関係を無視することです。自分の中に互いに無関係な部分があるはずはないので、自分について意識すると必然的に自分を誤解することになります。また、自分について意識して行動すると、行動が滑らかにいかなくなるので自己嫌悪に陥りがちです。要するに、意識的に「自分とは何か」と考えても仕方がないということです。では、非意識的になればよいのでしょうか。非意識的になるというのは、無意識の自律性に任せて行動することで、そうなると自分というものを意識的に捉えて理解することは難しくなります。自分を実感するには、意識性をある程度抑えて行動しながら、意識的に自分を観察するという微妙な作業が必要です。

そもそも、非意識的になれないから我々は意識的なのであり、自分というものを理解したくなったりもするわけです。ある程度意識的でなくなるには、どうすればよいでしょうか。意識は感覚の集中なので、ひとつのことに感覚が集中しないように、一度に色々な行動を並行して行えば、意識的でいられなくなるはずです。ただし、それらの行動が強制されたものであったり、それらを並行して行うだけの能力を持っていなかったりすれば、行動がうまくいかないために我々はかえって意識的になってしまいます。

したがって、無意識的になるためには自発性と技能が必要です。ところが、技能は意識的な努力の持続によって得られるものです。無意識的になるためには意識的な努力を必要とするのです。そのようにして得られた技能を発揮するときに自分を実感できるのだと思います。我々は意識的に「自分とは何か」などと考えてしまいますが、意識的な努力によってある程度無意識的な状態を作り出せれば、自分を実感することができるでしょう。それには、意識性と無意識性のバランスをとらなくてはなりません。

 → 自己の範囲