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2017.11.03. 掲載
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目次
はじめに
対象と方法
0歳代 1936〜1945年
10歳代 1946〜1955年
20歳代 1956〜1965年
30歳代 1966〜1975年
40歳代 1976〜1985年
50歳代 1986〜1995年
60歳代 1996〜2005年
70歳代 2006〜2015年
80歳代 2016〜2017年
まとめ
私は50歳の頃から、自分の死亡想定時期を70歳(古希)と考え、それ以上命があればオマケの人生と思って生きてきた。77歳(喜寿)の頃から、視力と聴力の低下が加速度的に進行するようになり、80歳(傘寿)のころからは思考パターンが変わったことをはっきり認識するようになった。そして、人生のまとめの時期に入ったことを自覚した。
そのまとめの仕事として、人生まとめのときに書いたことを実行しながら、自分史の総括としては、年譜(年表の簡易版)に自分が重要と思う事項を網羅して記録に残すことから始めた。
年譜の多くの項目については、サイトの記事にリンクを張り、「野村 望 年譜」というタイトルの Web文書の年譜 を作り上げた。
これは通常の 書籍による年譜 より、はるかに有用であると思うが、あまりにも辞書的で面白くなく、読み続ける気持にはならない。
なぜ年譜が面白くないのかと考えて、面白くないのはストーリーがないからだろう。人間はストーリー(物語)なしでは生きていけない動物ではないか、それが他の動物との違いではないかと思った。
年譜をまとめるに当って、サイトに掲載した400あまりの記事に目を通し、自分の人生が幸運であったことと、運不運は「時」と強く結びついていることに気が付いた。
その時、「時」と「運」という見方から、自分の人生をまとめることを思いつき、ストーリー性のある運は時なり物語を掲載した。
これは面白くて読み続けたい気持にはなるが、分量が膨大で、そのため中断したくなる欠点がある。その時「百聞は一見に如かず」のことばが頭に浮かび、私自身が写った写真で私の人生をまとめることを思いついた。
このような写真による自分史は珍しいのではないかと思うが、それが可能な時代に生きてきた幸運を思う。まさに「運は時なり」である。
各写真の下に付けた青色太字の「西暦年」をクリックすると、その写真の簡単なデータが表示されるようにリンクを張った。元の本文に戻るには、前に戻るボタン[←]を押す。
また、各年代の写真の最後に付けた、青色太字の「目次へ戻る」をクリックすると、目次を表示することができる。顔写真の数が100個と多いので、これを活用していただくと便利ではないかと思う。
私の顔写真の規格として、パスポートの顔写真のサイズに合わせるのが妥当であると判断し、私の顔の写った全写真(0歳からの81歳)から、顔写真を切り出していった。
ただし、0歳代と30歳代、40歳代は写真が少なく、欠落している年齢がある。50歳代からは一挙に写真の数は増え、1年に2枚、10年間で20枚の顔写真を選ぶことができた。
80歳代は現在2年間であるが、来年から後も命があり、自分で作業が続けられる限り、写真を追加して行こうと思っている。
1.写真をデジタル化して静止画像ファイルとする
写真をスキャナーでスキャンして、デジタルファイルとして保存した静止画像ファイルのほかに
デジタルカメラで撮影して、デジタルファイルとして保存した静止画像ファイルがある
2.ファイル名をyy-mm-dd-1 〜 yy-mm-dd-99.JPG 形式に変更する
3.静止画像ファイルを時系列順(年月日時順)に並べた静止画像ファイルのデータベースを作る
4.静止画像ファイルのデータベースの中から、私の顔の写った静止画像ファイルを選び、
私の顔データベースフォルダにコピーして保存し、時系列順に並べる
5.私の顔データベースに保存した静止画像ファイルを画像処理ソフト「Vix」で、顔の部分を
パスポートサイズの横縦比(7x9)でトリミングし、ファイル名の拡張子の前に v を挿入て
初期保存とする
6.初期保存したファイルをパスポートサイズ(248x318)にリサイズし、
ファイル名の拡張子の前に vv を挿入し、最終保存ファイルとする
7.0歳代から80歳代までの9グループで、年齢を代表する最終保存ファイルを、1または2ファイルを選ぶ
各年齢で2ファイルを選ぶことのできるグループは2ファイルを、1ファイルを選ぶことのできる
グループは1ファイルを選ぶ。それができないグループでは、静止画ファイルが欠如しても構わない
0歳 1936年 | 1歳 1937年 | 3歳 1938年 | 5歳 1939年 | ・ |
1937年から始まった日中戦争、1941年から始まった太平洋戦争は1945年の敗戦で終了した。そのような0歳代であったが、父方の叔父の撮影した写真が4年分残っていた。
10歳 1946年 | 11歳 1947年 | 12歳 1948年 | 13歳 1949年 | 14歳 1950年 |
15歳 1951年 | 16歳 1952年 | 17歳 1953年 | 18歳 1954年 | 19歳 1955年 |
敗戦からわずか8ヶ月後に始まった小学4年庄野学級は幸運の出発点だった。周囲は焼け跡だらけ、食べるもの、着るものに乏しく、今の人には想像もできない貧しい生活だった。しかし、戦争のない平和な世界をはじめて知って、子どもたちの心は晴れやかに弾んでいた。
この10歳代の各年齢を代表する顔写真は残っていたが、当時の生活状況を示唆している。特に、前半でその傾向は著しい。
10歳代の後半は悩みの多い思春期であったが、父や教師に反発しながら、この時期を卒業したと思う。
20歳 1956年 | 21歳 1957年 | 22歳 1958年 | 23歳 1959年 | 24歳 1960年 |
25歳 1961年 | 26歳 1962年 | 27歳 1963年 | 28歳 1964年 | 29歳 1965年 |
20歳代前半は医学生として医学を学びながら、生きる意味を見つけた時代。20歳代後半は、外科医としての修練に熱中し、臨床経験を重ねた時代。
30歳 1966年 | 31歳 1967年 | 33歳 1969年 | 35歳 1971年 | 36歳 1972年 |
30歳代前半は、阪大第一外科で心臓外科医への道を進み、臨床・研究・教育に超多忙であった。68年から始まった大学紛争を経験している内に、心臓外科専門医として生きることに疑問を感じ、71年に大学を辞し、開業医として生きる決断をした。
30歳代後半は開業のための準備、開業、診療業務に追われ、これまた超多忙であった。
そのためもあってか、この30歳代は写真のない年が半分ある。
41歳 1977年 | 43歳 1979年 | 44歳 1980年 | 46歳 1982年 | 49歳 1985年 |
40歳というのは、古来いろいろと呼ばれ、一つの節目の年となっているようだ。リンカーン大統領は「40歳になれば自分の顔に責任を持て」と言い、孔子は40にして惑わずと言ったので、不惑の年と言われるようになった。 私が、節目節目を大切に思うようになったのも、この年からだと思う。
40歳代は、開業医生活が軌道に乗り、医師としての仕事に全力投球しながら、生きることを存分に楽しみ始めた時代だった。この時代も多忙のためと思うが、写真のない年が半数ある。
50歳 1986年 | 50歳 1986年 | 51歳 1987年 | 51歳 1987年 | 52歳 1988年 |
52歳 1988年 | 53歳 1989年 | 53歳 1989年 | 54歳 1990年 | 54歳 1990年 |
55歳 1991年 | 55歳 1991年 | 56歳 1992年 | 56歳 1992年 | 57歳 1993年 |
57歳 1993年 | 58歳 1994年 | 58歳 1994年 | 59歳 1995年 | 59歳 1995年 |
50歳代からは爆発的に写真が増える。それは写真が手軽に撮られるようになった時代の影響もあるが、私がしなければならないこと(医師としての仕事)と、私がしたいこと(生きることを楽しむ)に励んだ年代だからではないかと思う。
その原動力となったのが、前年の49歳から始めたパソコンであると確信している。私の人生で、これほど役に立った道具をほかに知らない。したいこと、しなければならないことをするのに、何十人もの部下を従えるよりも有用であった。
60歳 1996年 | 60歳 1996年 | 61歳 1997年 | 61歳 1997年 | 62歳 1998年 |
62歳 1998年 | 63歳 1999年 | 63歳 1999年 | 64歳 2000年 | 64歳 2000年 |
65歳 2001年 | 65歳 2001年 | 66歳 2002年 | 66歳 2002年 | 67歳 2003年 |
67歳 2003年 | 68歳 2004年 | 68歳 2004年 | 69歳 2005年 | 69歳 2005年 |
60歳となった1996年にWebサイトを開設し、以来インターネット通して、世界に情報を発信してきた。私の生涯で最も有用な道具はパソコンであるが、最も有用な情報発信手段はWebサイトである。60歳代で259件の記事を掲載し、外部発信を続けてきた。
69歳で医業をリタイヤして息子に引き継いだ。引継ぎのための作業が膨大で、多忙を極めたが、何とか支障なく終えることができた。
70歳 2006年 | 70歳 2006年 | 71歳 2007年 | 71歳 2007年 | 72歳 2008年 |
72歳 2008年 | 73歳 2009年 | 73歳 2009年 | 74歳 2010年 | 74歳 2010年 |
75歳 2001年 | 75歳 2001年 | 76歳 2002年 | 76歳 2002年 | 77歳 2003年 |
77歳 2003年 | 78歳 2004年 | 78歳 2004年 | 79歳 2005年 | 79歳 2005年 |
69歳で医業をリタイヤし、70歳代は、自分のしたいワークに専念し、その作品の多くをサイトに記事として掲載した。その数は更新歴から計算すると、10年間で358件、60歳代と比べ約40%増えている。
現役時代と大きく異るのは、ブログを開設したこと、海外旅行が大型化し、100日間の世界一周クルーズにも参加したこと、コーラスを始めたこと、ミュージカルに出演したこと、クラシック400曲のデータベースを作ったことなどがある。
Web記事の文書スタイルをリニューアルし、ハイビジョン動画作品を作り、DVDやBDの媒体保存だけでなく、MP4ファイル規格でマスターファイルとして保存し、再生するシステムを構築した。
2008年に初孫を授かり、孫との遊びを楽しみ、孫の3年間の成長記録をまとめることに注力した。
生まれて初めて病気で入院し、前立腺の手術と白内障の手術を受けた。
80歳 2016年 | 80歳 2016年 | 81歳 2017年 | 81歳 2017年 | 81歳 2017年 |
78歳のころから、聴力の急速な低下があり、補聴器を着けても会話が不自由となり、80歳ころから思考のパターンが変わったことを自覚するようになり、「人生 まとめのとき」に入ったと判断した。
人生全体のまとめとして「野村 望 年譜」、「運は時なり物語」をまとめたが、この「顔貌の年齢変化」も人生全体のまとめの一つである。違った切口でまとめるのも面白いと思う。
1.自分の人生全体のまとめとして「年譜」形式、「物語」形式で記事にしたが、分かりやすい形式として
「顔写真」を思いついた
2.他人の顔を使うことはできないが、自分の顔なら公開しても問題はない
3.顔写真の規格はパスポートに準じて横縦比を7x9とし、顔の縦の長さは、写真の縦の70〜80%とした
4.年齢順に表示された顔写真から、その人の年令による顔貌の変化を知ることができる
5.この写真のほとんどは、他人によって撮影されたもので、撮影を意識している可能性がある
6.それでも、その時の心の状態を示唆する表情を見せている可能性はある
7.リンカーンは「40歳になれば自分の顔に責任を持て」と言ったが、人生が顔に出ているかもしれない
8.一個人の顔貌の年齢変化を、81年間に亘って表示した記事は、これまで無かったのではなかろうか?
9.顔写真による人生全体のまとめは、まったく不完全な代物ではあるが、意味はあるのではなかろうか?
10.この同一規格の写真を使う方法は、いろいろな分野で応用できるので、試みたく思っている
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説明一覧
★ 1936年9月撮影 叔父撮影
★ 1937年7月撮影 叔父撮影
★ 1938年10月撮影 叔父撮影
★ 1939年4月撮影 叔父撮影
★ 1946年7月撮影 小学4年庄野学級 関連するサイト掲載記事
★ 1947年5月撮影 3歳年下の妹が麻疹で急死 妹の死
★ 1948年10月撮影 小学6年学芸会でハーモニカ演奏
★ 1949年8月撮影 中学1年
★ 1950年10月撮影 中学2年
★ 1951年5月撮影 中学3年 修学旅行
★ 1952年4月撮影 高校1年 集合写真
★ 1953年6月撮影 高校2年 遠足
★ 1954年4月撮影 高校3年
★ 1955年11月撮影 阪大医学部教養課程1年
★ 1956年4月撮影 阪大医学部教養課程2年
★ 1957年4月撮影 阪大医学部専門課程1年
★ 1958年5月撮影 阪大医学部専門課程2年
★ 1959年10月撮影 阪大医学部専門課程3年
★ 1960年8月撮影 阪大医学部専門課程4年
★ 1961年4月撮影 インターン
★ 1962年4月撮影 阪大医学部第1外科入局 同期入局
★ 1963年8月撮影 徳島阿波踊り
★ 1964年12月撮影 神戸川崎病院外科出張勤務 診療症例
★ 1965年4月撮影 赤倉スキー場
★ 1966年7月撮影 後に義兄となる友人宅
★ 1967年11月撮影 私の結婚式 私の結婚式と披露宴
★ 1969年8月撮影 友人宅
★ 1971年7月撮影 出雲大社
★ 1972年3月撮影 名取病院
★ 1977年9月撮影 息子のピアノ発表会
★ 1979年7月撮影 枚方市民講演会「蘇生法の実際」
★ 1980年2月撮影 六甲山
★ 1982年8月撮影 淡路島
★ 1985年8月撮影 料亭「芝苑」
★ 1986年1月撮影 神戸高校クラス会
★ 1986年8月撮影 妻の従兄弟の結婚披露宴
★ 1987年11月撮影 府医医学総会でパネル展示
★ 1987年11月撮影 府医医学総会でパネル展示
★ 1988年5月撮影 淡路島
★ 1988年10月撮影 神戸高校クラス会
★ 1989年11月撮影 自宅居間で友人接待
★ 1989年11月撮影 自宅居間で友人接待
★ 1990年3月撮影 淡路島
★ 1990年5月撮影 阪大第一外科30年会
★ 1991年6月撮影 医院職員慰安会
★ 1991年6月撮影 医院職員慰安会
★ 1992年4月撮影 伊勢神宮内宮
★ 1992年7月撮影 自宅玄関ポーチ
★ 1993年5月撮影 六甲山
★ 1993年7月撮影 医院職員慰安会
★ 1994年7月撮影 自宅居間で日曜に歌う会
★ 1994年7月撮影 交野市医師会設立式典
★ 1995年7月撮影 交野市市民講演会
★ 1995年11月撮影 京都先斗町
★ 1996年8月撮影 大阪大学医学部昭和36年卒業同窓会
★ 1996年10月撮影 神戸高校クラス会
★ 1997年3月撮影 自宅居間
★ 1997年10月撮影 義兄宅
★ 1998年10月撮影 自宅居間で日曜に歌う会
★ 1998年10月撮影 休暇村南淡路
★ 1999年6月撮影 医院職員慰安会
★ 1999年11月撮影 池田邸
★ 2000年4月撮影 自宅玄関ポーチ
★ 2000年10月撮影 神戸高校クラス会
★ 2001年4月撮影 内藤教授退官記念同期会
★ 2001年4月撮影 交野市医師会事務室
★ 2002年7月撮影 松浦夫妻と会食
★ 2002年12月撮影 自宅食堂
★ 2003年2月撮影 川島教授叙勲記念式典
★ 2003年5月撮影 ミラノのコモ湖
★ 2004年10月撮影 義兄宅マンション居間
★ 2004年12月撮影 医院職員慰安会
★ 2005年1月撮影 交野機物神社
★ 2005年11月撮影 自宅マンション居間
★ 2006年5月撮影 香里亭で飲み会
★ 2006年6月撮影 自宅マンション居間
★ 2007年4月撮影 飛鳥II世界一周クルーズ
★ 2007年4月撮影 飛鳥II世界一周クルーズ
★ 2008年1月撮影 東京後楽園
★ 2008年1月撮影 東京後楽園
★ 2009年7月撮影 デンマークのコペンハーゲン
★ 2009年1月撮影 比叡山
★ 2010年4月撮影 ミュージカル「ラクダのダンス」に出演
★ 2010年12月撮影 小学4年庄野学級担任庄野先生の卒寿祝い
★ 2011年3月撮影 小学4年庄野学級クラス会
★ 2011年4月撮影 南イタリアのガゼルタ
★ 2012年2月撮影 小学4年庄野学級クラス会
★ 2012年6月撮影 クロアチアのドブロブニク
★ 2013年4月撮影 甥御の結婚披露宴
★ 2013年7月撮影 レマン湖畔にあるフランスのイヴォワール
★ 2014年8月撮影 コーラスの演奏旅行で石巻へ
★ 2014年8月撮影 コーラスの演奏旅行で石巻へ
★ 2015年5月撮影 ベルギーのブリュッセル
★ 2015年5月撮影 ベルギーのブリュッセル
★ 2016年5月撮影 ハートリー合唱団演奏会
★ 2016年7月撮影 ポーランドのワルシャワ
★ 2017年6月撮影 オーストリアのウイーン
★ 2017年10月撮影 小学4年庄野学級クラス会
★ 2017年11月撮影 ヒルトンホテル大阪
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