「神と人間」は直接やり取りが出来ると言うのが現在一般的に考えられている関係です。
信仰とは神に自分の願い事を訴え、神の導きと恩寵を求めるものと考えています。
人々は自分の祈りの言葉が神に直接届き、聞き入れられると考えています。運よく自分の願望が実現すると、神が祈りを聞き届けてくれたと思い、神に感謝してきました。
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| 神 | ⇔ | 神の摂理 | ⇔ | 人間 | 間接的な関係 |
| 神 | × | ⇔ | × | 人間 | 直接的な関係は無い |
画像クリックで拡大表示神は、宇宙とそこに存在する万物を創造したとき、それらを支配し維持するための法則(仕組み・摂理)も同時に作られました。
神は、摂理を通じて全存在物を間接的に支配し維持するシステムを定めたのです。
人間を直接支配しているのは、神ではなく神が造った「摂理」です。従って、人間は神と直接のやり取りは出来ません。神と人間との間に「摂理の神」が存在しているので間接的にしか関係を持つことが出来ないのです。
ですので、正しい信仰とは神が設けた「摂理」に人間の方から合わせていく努力をすることです。
「摂理」にそうための努力の具体的な内容は、「霊主肉従の努力」「利他愛の実践」「霊的視野に立った苦難の甘受」の3つが摂理にそうための努力です。
この3つはどれも難しいものではないのですが、実際にやろうとするととても難しいことに気が付きます。
何故?何処が? 難しいのでしょうか。
それは肉体に閉じ込められている為に本能の要求が強烈だからです。「自己顕示欲と利己主義」が全面に出てくるので、これを制御するのが厄介なのです。
つまりは、肉体本能に打ち勝つ訓練をするのが、人間として生まれてきた目的と言うことです。
「神と人間との関係(霊が説く考え)」について、その本質の詳細を整理し解説します。
1. 神の正体: 神とは「不変の摂理(法則)」である
古代霊は、神を「大霊(グレート・スピリット)」と呼び、それは白い玉座に座って裁きを下すような「おじいさん」のような存在ではないと断言しています。
法則としての神: 神とは宇宙の全生命の背後に存在する無限の知性であり、その意志は完璧な「大自然の法則(摂理)」として表現されています。
絶対的な公平性: 神が特定の個人をひいきしたり、祈りによって法則を曲げたりすることはありません。太陽が善人にも悪人にも等しく光を注ぐように、神の法則は一分の狂いもなく機械的に、かつ完璧な公正さをもって働いています。
2. 「間接的な支配」の仕組み: 摂理こそが王である
摂理の自動性: 神は宇宙を創造した際、それを維持し統治するための完璧なシステム(摂理)を定めました。人間を直接支配し、その言動に報酬や罰(結果)を与えるのは、神という「人格」ではなく、神が定めた「因果律(種まきと刈り取りの法則)」です。
神の不干渉: 神が自ら定めた摂理を自ら破ることはありません。もし神が個人の願いを聞き入れて法則を一時停止させることがあれば、宇宙は混乱に陥ってしまうからです。
3. 正しい「信仰」と「祈り」の定義
霊的な視点に立つと、これまでの「神に願い事をする」という信仰のあり方は、大きな誤解に基づいていることになります。
摂理への順応: 正しい信仰とは、神という「存在」に媚を売ることではなく、神が設けた「摂理」に自らの生活を合わせていく努力を指します。
祈りの真意: 祈りは「何かを要求する手段」ではなく、「自分を摂理(高いエネルギー)に調和させるための手段」です。心を静め、自らの利己的な欲望を脇に置いて宇宙の法則と波長を合わせるとき、人間は結果的に必要な力や導き(インスピレーション)を授かることになります。
4. 唯一の直接的なつながり:「内なる神性」
神と人間が「間接的」である一方で、古代霊は「あなたは大霊の一部であり、大霊はあなたの一部である」とも説いています。
ミニチュアの神: 人間の一人ひとりの内部には、神性の火花(分霊)が宿っています。この点において、人間は神と切り離されることはありません。
神をどこに見出すか: 神と直接やり取りしたいと願うなら、空を見上げるのではなく、自らの魂の内奥(至聖所)に目を向けるべきだと教えられています。自分の中にある「愛・慈悲・奉仕」の心を発揮することこそが、自分を通じてもっとも純粋な形で神を顕現させることになるからです。
結論としての整理: 霊が説く考え方をまとめると、以下のようになります。
1. 【支配の形】: 神は直接人間を指図せず、「完璧な法則(摂理)」を通じて統治している。
2. 【人間の責務】: 法則を変えようとするのではなく、法則を学び、それに調和して生きること(奉仕と自己犠牲)が求められる。
3. 【救済の原理】: 誰かが代わりに救ってくれるのではなく、「蒔いた種を自分で刈り取る」という法則によってのみ、自らを救うことができる。
この「神=法則(摂理)」という視点を持つことで、理性が納得し、迷いのない確固たる人生の指針が得られるようになると古代霊は説いています。

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古代霊の霊訓から、
「宇宙の大霊も、自ら定めた摂理の枠から外れて働くことは出来ないのです。」
「私たちの使命は神とは何かを明らかにすることですが、それは、神すなわち大霊の摂理を明らかにする以外に方法はありません。」
「宇宙の大霊は、いかなることにも特別の干渉はいたしません。法則、大自然の摂理として働き、これからも永遠に存在し続けます。摂理の働きを中止したり干渉したりする必要性が生じるような事態は一度たりとも生じておりませんし、これからも絶対に起きません。世の中の出来事は自然の摂理によって支配されており、大霊による特別の干渉は必要ありません。」
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ベールの彼方の生活から、
どうやらあなたは、此方での私達の働きぶりや暮らしの環境についてもっと知りたがっておいでのようですね。こちらに来てからの進歩にとって是非理解しておく必要のある基本的な真理の一つは、神と言うものは地上と同じくこちらでも直接そのお姿を排することはできないと言う事です。
これは必ずしもこちらへやってくる人間の全てが得心してくれるとは限らないのです。皆こちらへ来たらすぐに神々しいお姿を排せる者と期待します。そこで、その信仰が間違っており、神とはそういうものではないと言い聞かされて非常にがっかりします。
神の生命力と崇高さは別にこちらへ来なくても地上に置いて、大自然の内奥を洞察する力を持つ者には明瞭に感得できるものです。こちらでも同じ事です。
ただ異なるのは、生命力により実感があり、その本性を知った者にはその活用が容易に出来ること―あなたに脈動しており、より鋭敏な感覚を身につけた私達には、それを地上にいた時よりも強く感得できると言う事です。