神の話

「神さま」についてのやさしい説明
 神さま(大霊)とは、雲の上から私たちを裁いているような「おじいさん」ではありません。古代霊は、もっと身近で、もっと大きなものをイメージするように教えています。

 「宇宙のルール」そのもの: 神さまとは、春になれば花が咲き、朝になれば太陽が昇る、この宇宙の「完璧な決まりごと(法則)」そのもののことです。この決まりごとは、一分の狂いも、間違いも、えこひいきもありません。

 「命のバッテリー」の充電元: 鳥も・魚も・草木も・そして私たち人間も、みんな神さまという「大きなエネルギー源」から、ほんの少しずつ命を分けてもらっています。私たちが生きている、動いているということ自体が、神さまが自分の中にいてくれる証拠です。

 「鏡」のような存在: 神さまは誰かを罰したりしません。ただ、この世界には「蒔いた種は自分で刈り取る」というルールがあります。良いことをすれば良いことが返り、悪いことをすればその結果を自分で引き受ける。それは、自分の行いがそのまま自分に返ってくる「鏡」のような仕組みです。

 つまり、やさしく言えば: 「神さまは、誰か特定の人のことではなくて、宇宙全体を動かしている『大きな愛の力と完璧なルール』のこと。私たちはみんなその力の一部で、お互いに助け合うとき、自分の中の神さまが一番キラキラと輝くんだよ」

完璧な天秤(衡平の原理)          
神と天秤
これは原本にある「完璧な天秤(衡平の原理)」を表したものです。

古代霊は「物事には必ず埋め合わせがあり、その計量は完璧な天秤によって行われる」と説いています。

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 大人向けの説明: 結論から申し上げれば、神を人間のような姿をした存在(人格神)ではなく、「全宇宙を支配する不変の摂理(法則)」そのものであると定義しています。

以下に、「神の定義」の要点をまとめます。

1. 神の正体:大霊(神)は「法則」である
 古代霊は、神を「大霊(グレート・スピリット)」と呼び、以下の性質を持つものとして説明しています。

 絶対的な法則: 神とは宇宙の自然法則そのものであり、その背後に働く無限の知性です。この法則は完璧であり、一分の狂いも、例外も、失敗もありません。

 非人格的な存在: 白い玉座に座る老人のような「人間神」の概念は、太古の無知から生まれた誤った想像にすぎないと断言されています。

 無限の愛と叡智: 神は全生命の背後に存在する創造的エネルギーであり、完全なる愛と叡智の粋(エッセンス)です。

2. 「神」は理解可能なのか?
 「霊よりもさらに上位の概念」である神を人間が理解できるかという点について、古代霊は「有限の存在が無限の存在を完全に理解することは不可能である」と明言しています。

 言語の限界: 人間の言語は有限であり、三次元的な概念を伝えるための道具にすぎません。そのため、無限にして不可変の実在である神を完璧に描写することは不可能です。

 理解の度合い: 人間が不完全である以上、神の「完全さ」を完全に理解することはできません。しかし、霊的に進化し、受容力が増すにつれて、神への理解も一歩ずつ深まっていく永遠の過程となります。

3. 神をどこに見出すべきか
 完全に理解することはできなくても、私たちは以下のものを通じて神の存在を感じ、その一端を知ることができます。

 大自然の営み: 四季の巡り・潮の満ち引き・恒星の運行といった、数学的正確さをもって機能する「自然の摂理」の中に、神の意志と叡智を見出すことができます。

 内なる神性(神の火花): 私たち人間の一人ひとりは「神の分霊(ミニチュア)」であり、内部に神性の火花を宿しています。自分自身の霊的本性に目覚めることは、すなわち神を見出すことに直結します。

 愛と奉仕の行為: 自己犠牲的な愛や慈悲、他人のために役立とうとする行為において、神の力が最高の形で顕現します。

4. 神と霊、そして人間の関係
 古代霊は「あなたは大霊であり、大霊はあなたである」と述べています。  神(大霊)は、全存在の内部にも外部にも存在しており、神から切り離されて存在できるものは何一つありません。

 霊(スピリット)は生命そのものであり、神の一部です。

 人間は、その霊(神の分霊)が肉体という道具に宿り、個性的存在として表現されている状態を指します。したがって、神について学ぶことは、「自分自身のルーツである宇宙の根本原理(ルール)を学ぶこと」と言い換えることができます。

 これは理屈で完全に把握するものではなく、日常生活の中で「不変の摂理」と調和して生きることを通じて、魂で感じ取っていくべきものとされています。