第11章 聖賢ガマリエルの介入
ガマリエルは、正しく高潔な人物で、ギリシャ人の中で教育を受けたので、感受性とか情熱によって偏ることをひどく嫌い、厳正な理性によって常に真理を得ようとする努力家だった。
ガマリエルはユダヤで評判になっているイエスの徒輩(やから)を新しい政治組織とはみなさず、盗んできたものを共有する窃盗団ぐらいに思っていた。しかしヤコブの熱烈な演説を聞いてから、彼の顔色は急変した。
彼の説いている教会なるものが、とても平和的で素晴らしい目的を持っていることが解ったからである。更に感動したことは、この一団が国家に反逆するどころか、逆に国家のためになることを知ったばかりではなく、この一団がとても質素な暮らしをしていることがわかったことである。
これは、ひょっとすると、秩序と筋道を大切にするギリシャ哲学の思想を、無知な人間どもの生活の場に取り入れようとしているかもしないと考えた。それでガマリエルは、大祭司の耳元でささやいた。
「彼らは実に高度な哲人たちですよ。これは裁くどころか、歓迎しなければなりませんぞ」
ペテロの驚異的な奇跡に度肝をぬかされていた大祭司ハナンは、民衆から非常に尊敬されている聖賢ガマリエルに、この一団を責め立ててもらおうと強く期待していただけに、彼のささやきを聞いたとたん子供のように脅えてしまった。
「あなたは彼らの邪悪な教えや、最高に権威あるサンヒドリンをめちゃくちゃにけなしていることをご存知ないからです」
とハナンは言った。そしてやおら立ち上がり大声を張りあげた。
「イエスと名乗る一人の男が、人々を扇動してモーセの律法に逆らわせようとしたのだ。しかも自分のことを、神の子、救世主であると言ったのだ。奴はただの人であり、ローマ総督は平和な社会をとりもどすために奴を捕え、死刑にしたのだ。奴のやっていることが余りにも邪悪なために、おお! このことを全く知らない諸君よ!
どうしてこんな奴のことを許して権威あるサンヒドリンを殺人呼ばわりさせておくのか。我々は二度とこんな気違いのことを口にしないように命じておいたでないか。
それなのに奴らは彼の教えを広め、奴のことを真の神の子であるとエルサレムじゅうにふれまわり、あげくのはてはサンヒドリンを悪者にしている。私は、奴が神と称した冒pを許すわけにはいかん。神は唯一にてましまし、我らの先祖イスラエルの主であらせられる。しかも救世主はまだおいでになっておらんのだ」
ペテロは立ち上がり、長老たちに向かって言った。
「私達は断固とした証拠を持っています。この大祭司とその仲間たちは、我らの生命の君、救世主を殺害したことです。そしてその君は、神の右に座しておられ、しかも聖霊を派遣して世界のすべての人々に真理と福音を伝えようとしておられるのです。
彼はエッサイ(ダビデ王の父)の名の子孫としてベツレヘムに生まれ、昔から言われていたような予言者としてこの世に現れたのです。彼は、以前には誰も語らなかった罪の許しと、互い愛し合うことを教えたのです。
しかもイエスは、奇跡と徴をもって自ら神であることを示したので。彼は死人を蘇らせ、悪霊を追い出し、多くの病人を癒しました。彼は地上に唾をはき、それを手にとって泥をつくり、盲人のまぶたに塗りながら言いました。
『さあ、シロアムの池に行って目を洗いなさい。そうすれば直ちに見えるようになるだろう』と。
生来の盲人が言われた通りにやってみると、本当に見えるようになり、それからはイエスのことを救世主と仰ぐようになりました。(ルカ伝十三章四節、ヨハネ伝九章十五節参照)それなのに、あなたがたの目はいまだに開かれず、なおも彼らの救世主をあざ笑っています。
かつてイエスが自らあなたがたの所におもむいて、モーセの律法に関する教えを述べ、霊による知恵をもって丁寧に解説し、究極的には、人間はみんな兄弟姉妹であり、上も下もなく、ただ唯一の神の御意のみを求めなければならないと教えられたではありませんか。
それでもあなたがたは、我らの救い主をあざけっておられる。私達は彼の悲惨な死を目撃した証人なのです。
あなたがたはイエスを殺したように私達をも捕えて殺そうとしています。あなた方がどんなに私達を迫害しても、生命のある限り私たちはイエスの名によって、真理を証明していくつもりです。そのためにこそ我らが師は、神の御霊(聖霊)を遣わされたのです。これが師が救い主であることを示すもう一つの徴です。
私には一つも学問はありません。けれども師が遣わした聖霊の御力により私も病人を癒し、牢獄の戸を開けることができたのです。
イスラエルの人々よ! そして長老のみなさん! お願いです。ふさがれているみなさんの目がひらかれますように、そして、あなた方が十字架にかけたイエス・キリストを信じるようになって下さい!」
長老たちはもう我満ができなくなり、ペテロに演説を止めさせようとし、怒り狂った動物のようにペテロを殴りつけた。ガマリエルだけは冷静であった。彼は長老たちの振る舞いを軽蔑しながら長老たちの中に割って入り、彼らをなじった。
「あなたがたは、まるで野蛮人のようだ! 野獣のようにてこずらせている。酔っ払いのようにわめくことを止めなさい! 客を奪われた売春婦のように大声をあげるんじゃない。長老たちよ! 野獣のようなぶざまなまねを止めて、人間らしく振る舞いなさい」
祭司や商人たちは、ガマリエルの声を聴いて恥じ入った。彼らはあざけることを止め、自分たちの席に戻り互いにささやき合っていた。
学識のあるガマリエルは外に待機してた護衛を呼び、長老が適切な判断を下すまで使徒の身辺を守るように命じた。
第12章 ガマリエルの説得
集会所がきれいに掃除されてから、長老たちは静かに着席した。ガマリエルは一人一人にペテロとヤコブの話について感想を聞いた。一人ずつ立ち上がっては弁解を始めた。彼らは異口同音に十二使徒を責め、彼らの教えは邪悪で、毒麦のようであると主張した。ガマリエルは一人一人の意見に耳を傾けていた。
しかし誰一人としてガマリエルの心中を読みとれる者はいなかった。彼の額は滑らかでシワがなく、彼の瞳は澄んでいた。
大祭司は心ひそかに聖賢ガマリエルがきっと長老たちの意見に賛成してくれるものと勝手に想像し、最後に立ち上がって堂々と自分も長老に同意する発言をした。
「諸君たちもご存知のとおり、彼らの犯罪行為は尋常なものではない。ひそかに国家の転覆をはかり、我々の座をくつがえそうと狙っているのである。何と言っても許せんことは、イエスの肉体が生き返ったなどとぬかした上、キリスト(救世主)であると吹き込んでいることである」
大祭司の話が終わってから、ガマリエルは立ち上がった。
「ここにおられる兄弟、長老の方々よ、彼らがキリストと称している男は死にました。私には、そんな人間とは関係ありません。それよりも私たちが判断を下さねばならぬことは、その人の教えがどんな結果を生むかにあるのです。
まず始めにヤコブの話に触れてみましょう。彼は、この救世主が人間性についてとても賢い理解を持っていたことを示してくれました。即ち、人間とは半ば動物的であり、半ば霊的存在であると。
人間が動物的に生きて自分の食物だけを追い求め、親族や他人のことには一切おかまいなく生き続けていくならば、現体制下では必ず貧乏人が飢え、大飢きんが発生します。キリストと称する男は、このことを見通していたようです。
もし霊の力によって動物的生き方を止めて、霊的に生きるようになれば、秩序を回復して、すべての所有を分配し、余剰分は倉に蓄えて、飢饉のときに備えると言っているのです。皆さん、これはユダヤにとって大いなる救済でありますぞ! 彼らはこのような組合をつくろうとしているのです」
長老の一人が言った。
「あなたは、あのナザレ人の弟子のようだ!」
他の長老たちが彼をあざけて言った。
「あなたは、あいつらの仲間になったのですか」
ガマリエルは答えて言った。
「そうではない! 私がどうして仲間なのですか。私は結果をもって判断しなさいと言っているだけです。この人たちは、師イエスが模範を示したように動物的側面をくつがえすことができないかもしれません。
師が与えた知恵に従おうと努力し少しでも真理に近づこうとしても途中で挫折してしまうかもしれません。あの連中はたしかにイエスの教えを繰り返し語り告げるでありましょう。しかし自分たちの預言者を殺してしまった責任を大祭司になすりつけ、自分たちの教師を木に吊るした人々への復讐をはかるかもしれません。
更に多くの人々を扇動して、かの師が教えたこと、『敵を愛しなさい』とか、『あなた方を憎む者を祝福しなさい』という言葉に反するようなことを始めるかもしれません」
ガマリエルは学識のあるギリシャ人について学んだので、非常に理性的な人物であった。それで反対者も賛成者も彼の説得によってみんな黙ってしまった。ガマリエルが言いたかったことは、キリストの教えは霊的なものではあるが、その弟子たちは師のように振る舞えないであろうということであった。
ガマリエルはみんなに向かって言った。
「私は決してキリストの弟子ではありません。今ここで、私は弟子たちのことにふれ、彼らをどうしたらよいかを考えているところです。まさか彼ら十二人をローマ総督にお願いして、木に吊るしてもらうことはできないでしょう。彼らはすでに多くの奇跡を起こしています。殊にローマ人の娘の病気を治したことは、総督の耳に入っています。
ペテロと称する者が、その娘の病気を治し、ベッドから立ち上がらせたことを。だからこそ、この十二人は、普通の人と全く同じように考えてはなりません。霊力を内に秘そめている人たちなのです。もしかしたら彼らも人間の動物的側面に打ち勝って、ついに神の子として真理を語ることができるようになっているかもしれません。
イスラエルの諸君! この連中に対する言動にはよくよく注意を払ってもらいたいのです」
大祭司ハナンが言った。
「あいつらが我々を潰そうとしているのだ。どうしてあなたは、こんな連中を神などと言うのですか、判断を誤ってはなりませんぞ!」
ガマリエルは答えて言った。
「私はただ、あの十二人をしばらく間、見守っていたいと申しているのです。時がたてば、彼らが神からのものか、人からのものかが分かります。昔、チュウダという男が現れた時、人々は彼を予言者だと申しました。
そして多くの者が彼に従っていきました。しかし間もなく彼は見放されてしまいました。彼は向こう見ずで自分の名誉だけを求めていることが分かったからです。更に、ユダスという男が現れました。
重税で苦しんでいた民衆に訴え、ローマに刃向かうように扇動しました。ユダスも神の名によって彼らに語り、何の恐れもいだく必要がないと言いました。しかし、彼に従った者は散され、彼は殺されてしまいました」
ガマリエルが演説している最中に、外で群衆の大きな叫び声が上がった。彼らは声を揃えて、使徒たちを釈放し、我々の手に返せと叫んでいた。彼らは十二人の使徒に自由を与え、民衆のためにもっと奇跡を起こしてもらいたいと強く要求した。
彼らの叫び声は長老たちの心を脅かした。長老たちは互いに顔を見あわせながら群衆の怒りを恐れた。
群衆の叫びが止んでから、ガマリエルが再び語った。
「十二人の弟子たちを直ちに解いてあげなさい! そうして彼らを自由に泳がせておくのです。彼らが単に人からの者であれば必ず散されるでしょう。しかし神から遣わされた者であるときは、あなた方の方が吹き飛ばされてしまうでしょう。なぜなら神に対して逆らうことになるからです。しばらく見守ることです。
だから平和のうちにここから出してあげるのです。それが神の御心に沿うものであるかどうかを見届けることです」
大祭司ハナンと長老たちは、何の罰も与えずに釈放したくなかった。なぜなら、民衆は弟子の勝利をたたえ、イエスが本当にメシヤであると言わせたくなかったからである。そこで十二使徒は、鞭打ちの刑だけで釈放された。弟子たちは、刑罰に処せられるほど神に認められたことを喜び合い、自由の身となった。
第13章 霊視家ヨハネと聖賢ガマリエル
ローマ帝国がユダヤを支配していた頃は、一般的にギリシャのアテネに留学し、ギリシャの知恵を習得する者が少なくなかった。なぜならば、ギリシャは彼らにとって異教文化ではあっても、理性に関する鋭い学問が進んでいたからであった。ガマリエルの切れ味はことに鋭く、モーセの律法に関して話すときなどは、彼の右に出るものはいないと言われるほど、ギリシャ仕込みの実力を発揮した。
ペテロが彼の師イエスの教えについて語った時、ガマリエルは霊についての考え方がまるでギリシャで学んだ学者が語っているように思った。だからこそこの分野に無知であった長老たちを混乱させてしまったのである。
ペテロは人間について、闇とか光とか、霊と肉というたとえで説明した。彼の話がまだ終わらないうちに、どうやらこの十二使徒は、モーセの律法に背いていないことが分かってきた。だから彼らを迫害することが、全く焼け石に水のように思えてならなかった。
ガマリエルは、サドカイ派とパリサイ派の間に解釈上の争点になっているモーセの律法について多角的な説明をした。彼はキリストの教えにかなり魅力を感じ始めていた。
しかしヨハネと話した時、自分はとてもついて行けないと言った。みんながイエス・キリストのようになれればクリスチャンになってもよいが、それは夢物語であると言った。彼はヨハネに言った。
「イエスの教えは完璧であるが、誰もそれを完全に守れるものはいない。人間はとかく転び安く、キリストが歩んだ道から遠く離れ、迷い出るものです。私はイエスの教えを学びましたが、あれは天使のための教えであって、人間のためのものではありません。見えざる王国の教えであり、人間の目に映る王国のものではありません」
霊視家のヨハネは答えて言った。
「イスラエルの大指導者であられるガマリエル様、太陽は光を放ちますが、私達の目にその光線が見えないのと同じです。あなたは、彼の教えが目に見えない王国のためとおっしゃいました。まさにその通りであります。
師が教えて下さった天の王国とは、肉眼には映らないものであります。でも私達はそれを何とか地上に実現させようと努力しているのです。それはたしかに目には見えませんが、それは眠りから目をさました時に、思い出せない夢のようなものです。でもその夢は大切なものであり、実現させねばならないのです。
私達は神の子にはなれないかもしれません。しかし神の似姿を形作る努力はできると思います」
ガマリエルは首をふって悲しそうに言った。
「あなたはまだ若く、希望にあふれておられる。しかし間もなく私のように年をとるでしょう。しおれた草のように体もいうことをきかなくなります。その時に自分がいだいた夢は空しいものであり、厳しい現実だけが残ることを知るようになるでしょう」
ヨハネは笑いながら言った。
「もしあなたが、ほんのしばらくの間、私達と一緒にお暮しになれば、私達の師が示された未来像をお見せできるのですが。すべての異邦人がキリストを拝み、もろもろの国の人々が彼を崇め、彼の教えを学ぼうとすることがお分かりになることでしょう。私が霊視したことは必ず実現するのです」
「あなたに示された幻を疑うわけではありませんが、私には、とてもついていけないのです、若い予言者さん。もし、そうなったとしても、いずれ多くの人々が、天使は別として彼の教えについていけなくなるでしょう。さて、私はこうしていられないのです。サウロという若者が私を待っていますので。
私は彼に話してやらねばならないんですよ。真の知恵とは、我らの父祖の律法の中に見いだすことができることをね。彼はどうやら、それに気付いたらしいのです」
ヨハネは内心悲しい思いをしながら聖賢の前から立ち去った。ヨハネはガマリエル程の偉大な聖賢が味方になって、キリストの教会が大きく飛躍することを願っていたからである。
さて、身心共に強壮な若者、サウロ(後のパウロ)が、ローマからやってきて聖賢ガマリエルの門下に入り、モーセの律法や神殿の密儀について学ぶこととなった。ガマリエルの心の中は、ヨハネのことやキリストの言葉で溢れていた。
それで彼は若者サウロにこのことを語って聞かせた。ついに、若きユダヤ人に啓示が与えられた、という意味のことを語ったという。ガマリエルは、キリストのことを弁護し、サウロに対して、キリストの教えの美しいこと、そしてそれらは教会という建築物を建てる石材となるであろうと語った。
若者サウロは、当時、自分自身の考えから、キリストの弟子たちは神殿やモーセの律法に刃向かうふとどきな連中であると思っていた。ガマリエルはもの静かにヨハネの語った言葉を用いながらキリストのことを語り弁護したので、かえってサウロの心を硬化させ、聖賢ガマリエルへの反感をつのらせる結果となった。
そんな訳で、サウロのクリスチャンに対する憎しみは強まるばかりで、誰からやっつけたらよいかを真剣に考えるようになった。そしてついに、ユダヤ全土をひっくりかえすような迫害を加えて、キリストの教会を亡きものにしてしまおうと決意するに至った。
ガマリエルは、弁証法に長けていたので、とても議論を好んだ。それで彼は、若者サウロが余りにも議論が下手なことを自覚させようとした。ガマリエルは、一方では心情的にキリストを信じ、他方、理性では彼の教えを否定していた。
彼は若者サウロが怒り狂っているのを知ってからは、二度とキリストのことを口にしなかった。つとめて、モーセの律法に関する話を続け、彼の理性を養おうとした。
さて、私にはヨハネやガマリエルについての幻が多く与えられている。後になって若者サウロは、キリストについて語ったガマリエルの言葉によって、自分が大人げなく感情的になったことを思い出し、反省したことをつけ加えておこう。つまり、以上のような次第で、彼がクリスチャンを迫害したのである。
第14章 サウロ、ステパノに敗れる
サウロはユダヤ人として割礼(神とアブラハムとの間の契約の印として出生直後の男子に行われる包皮切開手術)を受け、モーセの律法によって教育された。少年時代はローマに住んでいたが、青年になってからイスラエルの律法や信仰を学ぶため親族を頼ってユダヤにやって来た。
サウロはとても烈しい気性で、反対されると烈火のごとく怒り、彼の記憶に焼き付けられてしまうのである。
彼は確固たる自信を持ち、御師ガマリエルから聴いたヨハネの言葉を何度もこね回しているうちに、ついに迫害を加える意志を固めた。彼の怒りは絶頂に達し、まだ名も無い若者でありながら長老たちの前で、イスラエルの主なる神やモーセの律法を思う熱意を示し、地位と権力を獲得したのである。
土の下に植えられている種は見えなくても、時期が来ると地上に成長し、実を実らせるものである。ヨハネの言葉も例外ではなかった。ガマリエルと話し合ったことは、悲しむべき結末であったように見えたが、実はそうではなく、ひとつの実をみのらせることになったのである。それは結果として外国にイエス・キリストの教えを広めることになったからである。サウロによって計画された迫害は、多くのユダヤ人クリスチャンを国外に追い出してしまった。
彼らはあちこちで土地を耕し、種をまき、十二使徒のようになって活躍し、暗黒のうちに苦しんでいる人々にキリストの教えを聞かせ、光明を与えることになったのである。このように使徒たちの背後には、見えない神の御手が働いていて、彼らのつき進む道を導いて行ったのである。
最初のうちは、イエスの教えを外国に住むユダヤ人に伝えていたが、次第に地の果てまでイエスの言葉を伝えるためには、先祖から伝えられた習慣をかなぐり捨てなければならなかった。
さて、サウロは数人の金持ちや長老たちとクリスチャンの動きについて話し合った。彼は毒がイスラエル全土に広がらないうちに雑草のようなクリスチャンを除いてしまうことを提案した。
サウロは又どんどん増えている信者のなかに、ステパノという若者が言いふらしていることを耳にした。なんでも、キリストを十字架で殺してしまった報復として、近いうちにエルサレムを滅ぼしてしまうように信者に命じているとのことである。どんな努力をしても、人間の語る言葉というものは、悪い尾ひれがつくものである。
サウロの耳に入った時には、かなりねじまげられていた。それでサウロは、余りにも激しい性格だったので、無意識のうちにクリスチャンを絶滅させようと逆上してしまったのである。サウロは金持ちや長老たちに向かって言った。
「この人達は、灼熱の太陽のようにエルサレムを焼き払おうとしているのです。その火は砂漠の熱気のように家を焼き払い、神殿をも滅ぼしてしまうでしょう」
彼は声を低くしてささやくように語り出した。彼らの背後には、ローマ帝国がひそかに手をかしていて弟子たちに金を渡していること、そしてエルサレムを滅ぼしたら、もっと大金を支払うとの約束ができていること、更に、反動分子をとっつかまえて奴隷に売りとばし、その金をローマに運んでいるなどと語った。
サウロはローマから最近やってきて、ユダヤの高官たちと親しくしているということで、多くの者はサウロの言うことを信じた。密室でささやかれることは千里も走るのたとえのように、この話はエルサレム中の噂となって広がっていった。しかも、この話は誰が最初に吹き込んだのかを知っている者は殆どいなかった。
しかしこれはローマ人の耳には入らなかった。それはユダヤ人の中でしか語られず、互いに不信感を持っているローマとユダヤとの間に心の障壁があったからである。
更に、誇りという悪霊がサウロを虜にしてしまった。彼がガマリエル門下たちと別れを告げた後、ある会堂(ユダヤ教の礼拝所)に入ってみると、一人の若者がキリストの教えを説いていた。この若者はステパノと言って、キリストの光に浴し、日々熱心にキリストの教えを説いていた。
サウロがガマリエルの言葉に刺激されていなければ、おそらくステパノなどには目もくれなかったであろう。しかし悪霊に手引きされ、更に、ガマリエルの言葉が耳にこびりついていたことも手伝って、サウロはこの髭なしの若者を見据えていた。
そこでサウロは聴衆のど真ん中に割って入り、ステパノをにらみつけながら、彼の説いている教えはモーセの律法と矛盾する邪説であると言いだした。ステパノは、むかし神殿でモーセの律法を本格的に学び、キリストの教えに接するまでは、神殿に仕える祭司になろうと準備していたので、誰よりそれを知っていた。
それで彼はサウロに対して堂々と反論を加え、むしろキリストの教えこそ、神から与えられた古い信仰(モーセの律法)の上にかぶせられた王冠のようなものであると説明した。
サウロはエルサレム在住のユダヤ言葉や、荒々しい気質のことを余り知らなかった。おまけに彼らは、ローマ人が競技場でのスポーツに血をわかせるのと同じように論戦を楽しむ習慣を持っていた。
それで聴衆はサウロが早口でステパノを罵倒し感情的になっているサウロには好感を持たなかった。彼らはサウロのことをあざ笑った。それでサウロは逆上し、手をふり上げてステパノの頭をたたいた。聴衆は大声をあげてサウロは論争のおきてを破ったとわめき、サウロをつかまえて、彼の着ている紫色の衣服を引き裂き、地上に投げ捨てた。
サウロはあわてて逃げ出し、通りかかった友人に助けられて難を逃れることができた。
この時からステパノに対する憎悪は大きくなり、いつかエルサレムの人々の目の前で、彼をやっつける計画を虎視たんたんと狙うようになったのである。
第15章 教会の発展
ステパノとサウロの論争は、十二使徒の投獄事件の直後に起こったつかの間の出来事であった。使徒たちはステパノの健在を喜び、神を賛美した。
かなりの歳月が流れる間に、サウロのささやかな話は民衆の間に伝わっていき、十二使徒から離れていく者が続出した。彼らは十二使徒をローマの密使と思い込むようになった。悪い噂が口から口へと伝わっていく半面、キリストの教会は、どんどん栄えていき、信者の数は増えていった。多くの信者は、公然とメシヤを称えることを恐れていた。
それで大祭司を始め、体制の指導者を最も混乱させたものは、ヤコブとペテロが信者たちに説いている教えであった。即ち、キリストの信仰は新興宗教ではなく、むしろ在来のもの(モーセの律法)が開花した宗教であるという教えであった。
多くの人々が、毎日、十二使徒のもとにやってきて、入信しては自分の全財産を使途にさし出すのであった。ついに十二使徒は財産管理に手が回らなくなり、本来の仕事(布教)ができなくなっていた。
当時のエルサレムでは、外国からやってきたユダヤ人は、レベルが低いとみなされていた。例えば、クレテ島、リビア、ギリシャなどからやってきたユダヤ人は、本国在住の同胞から軽蔑されると思いこんでいた。
これは実に馬鹿げたことであった。にわかに教会が盛んになったのに乗じて、数人の女達が使徒のところにやってきて、外国からやってきたユダヤ人にも権威ある役職を与えてくれと要求した。
権威をやたらに行使することの過ちを深く心配したヤコブは、かねてから、どうすればみんなが幸せになれるかと考えていたので、同胞に対しては、そのうち立派に奉仕のできる人を選ぶ考えがあることをほのめかした。そしてキリストの教会における真の権威というのは、主人になることではなく、しもべとして人々に仕えることにあることを教えた。
知恵に溢れているヤコブの説得に彼女たちは恥ずかしくなり、使徒たちに謝った。それからというものは、キリストの教会のルールは、人々に奉仕するものであると知るようになった。
さて、外国からやってきた同胞の不平を処理するために、十二使徒は会議を招集した。一同が集まって様々な意見を交換してから、ヤコブが立ち上がって言った。
「同胞の皆さん! 主イエスが御互いに分け合ったように、私達も互いに総てのものを分け合おうではありませんか。私達には数人の会計担当者が必要です。それも家事に精通した誠実な人でなければなりません。更に会計担当のもとに、婦人の一団をもうけ、主として病人に仕え、必要欠くべからざる奉仕の業に従事し、絶えず聖霊と知恵の御言葉によって多くの人々に光明をもたらす組織を必要としているのです」
ヤコブの言ったことにみんなが賛成し、それこそ教会の本当に礎(いしずえ)であるという点で一致した。
ペテロは、この二つの組織(会計担当者と婦人の団体)に選ばれた男女は、すべて独身を維持し、その任に当たっている間は、純潔を守る誓約をたてねばならないと主張した。ペテロは言った。
「もし夫や妻がある者は、キリストの教会に対して熱心に仕えることは難しい。教会よりも、夫や妻を愛するからである」
ヤコブはペテロの主張に真っ向から反対した。
「それは、とんでもないことである。その任にあたるものにとって結婚こそふさわしいものである。結婚しているからと言って奉仕の働きが鈍るとでも言うのでしょうか。心の中に喜びがあふれている者こそ熱心に働くことができるのではないでしょうか」
ある者はペテロに賛成し、ある者はヤコブに賛同した。そこでヨセフが十二使徒に呼ばれ、知恵に溢れている彼の判断を求められた。
ヨセフはおもむろに口を開いて言った。ユダヤ人だけならば成功するだろうが、外国からきたユダヤ人や異邦人がいては、到底むりな話である。後日、改めて話し合うことが必要であると言った。彼が異邦人のことにふれると、反対意見が出された。異邦人は本当にキリストの福音を受け入れているか甚だ怪しいものである。
だから彼らを受け入れる時は、一旦改宗者(ユダヤ教徒)として受け入れ、モーセの律法をたたきこむべきであると主張した。ユダヤ人の多い社会では、どうしてもモーセの律法を学んで割礼を受けることが要求されたのである。
そんな訳で、この日には、収入役(会計担当者)だけがとりあげられ、くじを引いた。その結果、ピリポ、ステパノ、ニコラスなど、全部で七人の者が選ばれた。七人の若者は鍵が渡され、彼らの名前が全教会に知らされた。彼らの主な仕事は、会計と書記役であった。書記の仕事は、ペテロ、ヨハネ、ヤコブのもとで記録をとることであった。
第16章 教会の政策
七人が選ばれてから、エルサレムの教会では規定に関する難しい問題がおこった。一部の者は、商売で得た儲けは自分で確保すべきであると言いだした。そんなことを許せば、ずるがしこい漁師や大工は、他の同志たちと共有しないで利益を独占し、教会の損失になってしまう。そこで、七人と相談し、彼らに対して返答した。
「大工は仕事のために道具が要るであろう。又、漁師は網や舟などのために金が要るであろう。商売道具は当然欠かせないものである。
それで、これらの必要なものを買い入れる金は、すべて選ばれた七人をとおして支払われることにしよう。同志たちよ、もし商売をするものが、めいめい自分勝手な金を持つことになれば、財産の共有形態が崩れてしまうことになる。
教会には、商売人ばかりではなく、乞食も酒飲みもおり、更に健康な者や病人もいて、互いに協力し合って生かされていることを知ってほしい。同志の結束を強めるためには、それぞれ違った能力を持っている者たちが、お互いに協力して大きな力になるように仕向けなければならないのである。
ときには、ギリシャ人がゲームに景品を添えているように賞品も必要であろう。それぞれが仕事に熱を入れるためである。しかし同志諸君! 決して怠けてはならない。今回選任された七人は、決して諸君を苦しめるようなことはしない。彼らは諸君の面前において十二使徒の吟味を受け、彼らも正当な理由を述べ、総てのことが正しく処理されていくのである。そのためにこそ使徒たちが七人の頭に手を置いて祈ったのである」
手を頭に置いて祈ること(按手)は、大切な任務を他人に委託することを意味する習慣であった。多くの記録には、聖霊がこの七人に降ったとあるが、そんなことがあるはずはない。
信仰があり、心清ければ、誰にでも聖霊が充満しているものである。『神の国は、あなた方の内に在る』とキリストは教えている。それはほかでもない、聖霊を心の中に招き入れる仕組みのことを意味しているのである。人間が勝手に聖霊を他人に招き入れるようなことは許されていない。
人間は、ただ、訓練し、魂に必要なものを準備してやり、聖霊が招き入れられるように整えてやれるだけである。選ばれた七人は、確かに善良で、心が清く熱心であった。与えられた職務にも熱心であった。しかし聖霊に満たされていた者は、ステパノ、ピリコ、ニコラスの三人であった。
聖霊が心に訪れると、まるで別人のようになり、心の輝きが一段と増すのである。とりわけ、最もひんぱんに聖霊が訪れたのは、ステパノであった。ピリコとニコラスの場合には、一陣の風のように時々訪れるのであった。
第17章 ステパノの奇跡
七人の中の第一人者であったステパノは、ヨハネに愛されていた。ヨハネは自分に与えられた啓示についてステパノに話して聞かせることができた。当時は、外国の言葉で話すことや、病気を癒すなどの不思議な力は、十二使徒だけに与えられていた。ステパノは聖霊のお助けによって、強力な説得力を身につけたいと望んでいたので、ヨハネの話に熱心に聞き入っていた。ピリコやニコラスも同様であった。
ある蒸し暑い夜、彼らは一心に祈り続け、悪霊と戦いながら、聖霊を受け入れる心の準備をしていた。夜が明ける頃、イエスが命じた聖餐(ミサ)を行っていた。パンを割き、ぶどう酒を分かち合っていた。彼らは手をつなぎ、テーブルを囲んでいた。深い静けさがあたりを覆った。
一瞬の風が部屋の中を通り過ぎるやいなや、小さな炎のようなものが空中に現れた。ステパノ、ピリポ、ニコラスは異音(※)を語り出した。ヨハネは終始この三人に霊の光が与えられるように祈り続けていたが、突然、死人のように体を横たえ、彼の霊体の誘導によって聖霊が三人の者に訪れた。
ピリコとニコラスは、異言を語る力は与えられたが、ステパノには、さらに大きな霊の光が与えられていた。彼は、直ちにそこから出掛けていくように命じられ、暗黒の中で救いを求めている者を見いだすように言われた。
まだ夜が明けたばかりなので、町の中は殆ど人影が見られず、ステパノ自身も何をしてよいのか分からなかった。町の城壁づたいに、曲がりくねった道をたどって、陽が天空の真上にあがるまで休みなく歩き続けた。すると、ある一軒の金持ちの商人の所へやってきた。
この商人のことは聖書にも載っていないので、説明しておこう。彼は、十二使徒をやっつけようとして、長老たちを抱き込んで扇動していた者である。彼は教会の信者が増えることを、とても恐れていた。もしかしたら自分の財産を全部取られてしまうのではないかと思ったからである。
この商人の名前はギデオンと言って、それはとてもあくどい事をしていた。陰で散々悪いことをしているくせに、周囲の者や長老たちの前では、善良な聖人を装っていた。彼の妻がキリストに帰依したことを知って、ひどく怒り、信仰を続けていくならば、家から出て行くようにと脅した。
彼らのたった一人の子供が、高い熱をだし寝込んでしまったので、妻は夜も昼も子供のそばに付いて見守っていた。
ちょうどステパノが聖霊を受けるために祈っていた夜のこと、ギデオンはぐでんぐでんに酔っ払って家に帰り、スラム街からいかがわしい男や女を引き連れてきた。彼らは病気で寝ている子共の部屋の階下で、一晩中どんちゃん騒ぎをしていた。夜明けごろ、病気の子供は、大声をあげ、身を震わせながら死んでしまった。
母は途方に暮れ、階下に降りていき、大声で淫らな話をしている連中に向かって、止めるように言った。この上の部屋で、今、子供が死んだことを告げた。
そこにステパノが家の中に入ってきた。内面の声の命ずるままに、どんちゃん騒ぎをしている部屋を通り抜けようとした。妻は、この人は夫が連れてきた人ではないことを感知したが、苦悩に満ちた妻の目には、彼が何者であるかが分からなかった。ステパノは、厳しい声をあげ、直ちに騒ぎを止めるように命じた。
そこに居合わせた者は、笑う者もなく、馬鹿話をする者もいなかった。ステパノの声が、余りにも霊力に満ちていたのでシーンとなってしまった。
彼は子供が死んだことを語り、父親と仲間に、すぐ上の部屋に来るように命じた。みんなが集まってからステパノは、妻の両手を取り、彼女に言った。
「主は本当に求める者のために自分を遣わされたこと、もし彼女が心から主を信じるならば、死んだ子供を再び生き返えらせるであろう」と。
父親は泣きわめき、胸をたたきながら叫び出した。
「おまえなんかに、そんなことはできっこない、オレの息子はオレから離れて行ったのだ。罰があたったのだ」
ステパノは静かにするように命じたので、再び部屋の中はシーンと静まった。ステパノの体から、聖霊の光が放ち始め、子供の前身をつっぽり包みこんでしまった。この若者は、ゆっくりと子供の体を抱き上げ、耳元で何やらささやいた。その言葉は恐怖におののきながら見守っている者たちには聞こえなかった。
突然、子供が体を動かした。すかさずステパノが叫んだ。
「主イエス・キリストの名によりて、お前の霊が再びこの体に宿りなさい! そして元気になりなさい!」
子供はスックと立ち上がり、ほほ笑んだ。ステパノは子供をベッドの上にねかせてから、みんなの方を向いて言った。おまえ達は、もう二度と悪いことをしないで、主イエス・キリストによる救いにあずかりなさいと。ステパノは妻をいたわった。彼女の夫は、どうして奇跡が起こったのか知らなかったけれども、ステパノの足元にひれ伏して、彼を預言者と呼んだ。
ステパノは部屋をきれいにしてから、罪深い夫を呼び入れて言った。子供が生き返ったのは、我らの主イエス・キリストの御力によるものであると語って聞かせた。そして教会のことや、キリストの教えが多くの人々を救っていることを聞かせた。
これは、ステパノによって為された最初の奇跡である。これを目撃した者は、総て信仰を受けいれ、教会の仲間に加わり、キリストの信仰を広める熱心な働き人となった。
(※)訳者注─初期キリスト教において聖霊を受けた法悦状態で発する意味不明の言葉による祈り。一種の霊言現象。使徒行伝二章三~四節参照。
第18章 ステパノの殉教
ギデオンは妻と息子を連れて神殿に行き、心から悔い改める話をした。以前の彼は、のんだくれであり、淫乱婦の所に入りびたりであったことや、彼の息子が死んで、再び生き返らせてもらったことから、すっかり心を入れかえて、主なるイエス・キリストの御恵みにあずかっていること、更にイエス・キリストが、神の人ステパノを遣わして、罪の許しと不思議な奇跡を現し、主の無限な哀れみを施してくれたことなどを話した。
聴衆の多くは祭司であった。祭司たちは彼の悪事を知らず、むしろ高く評価していたのであった。
祭司たちはステパノにイエス・キリストの福音を聞かせて欲しいと懇願するようになった。それで多くの人々の要請により、ステパノは会計担当の職務を辞めて、会堂で主の教えを伝える仕事に専念するようになった。
主の教えは、多くの人々の間に広まっていった。そして彼によって、多くの奇跡が起こされたのであった。ステパノが会堂に入ると、席は満席になり、外に溢れるほどであった。
ときどき彼は、会堂から外に出て話すこともあった。
サウロはこのような光景を見て、苦々しく思った。彼のステパノに対する憎しみは、ステパノの名声が高まるにつれて増大していった。ついにサウロは、あたりかまわずステパノの悪口を言いふらした。奴は教会の連中と一緒にエルサレムの転覆を狙っているのであると。長老たちや商人たちは、サウロの話を信じたが、熱狂的な群衆を恐れた。
「おれたちが手を出そうものなら、たちまち石の嵐が吹き荒れて、おれたちは殺されてしまうだろうよ。馬鹿なやつらがすっかりステパノの奇跡を信じているんだからね」
そこでサウロは、はるばるエルサレムの神殿に巡礼にやってくる外国在住のユダヤ人をつかまえ、教会の悪口を聞かせ、このまま放置すればモーセの伝統的信仰が滅ぼされてしまうと訴えた。
キリキヤ、リビア地方(小アジア)からやってきたユダヤ人は少し違っていた。彼らはエルサレムに住んでいなかったので、彼らの財産は外国に在り、したがってエルサレムの住人のような恐怖感はなかった。彼らはステパノの説教に感動し、帰依する下地を持っていたのである。
さて、サウロの計画を実行する時がやってきた。ステパノは、大いなる神の力と勝利の勢いにのって多くの病人を癒していた。サウロは虎視たんたんと彼のやっていることを監視していた。
ひねくれた連中は、彼の説くモーセの律法を勝手に解釈し、平気で乱用していた。彼らはステパノにつめより、ナザレのイエスは神であるかないか返事しろと言った。ステパノは勿論そうだと答えた。すると彼らはステパノを非難し、モーセの律法によれば神は唯一であって、たくさんの神がいるはずはないと口汚く罵った。
ステパノは更に、聖霊という神がいることを話して聞かせ、自分はその聖霊の御力によって死んだ子供を生き返らせたのであると言った。
ステパノは彼らに反論を加え、主イエスは、予言者によってその到来を予告されたお方であることを強調した。彼らは従来の儀式や慣習などを根拠に反論したが、ステパノは、人間が罪から救われるためには、主イエス・キリストを信じる必要があると主張した。
このような議論がおこなわれている間に、サウロによって選ばれた者たちが群集の中にもぐりこんできた。この連中はクリスチャンを恨み、公然とキリスト教を口にするものを逮捕しようと待ち構えていた。
この連中は、サウロから金や衣服などで買収された者で、合図が出れば即座にステパノを掴まえて、大祭司の所へ連れていくことになっていた。一人の外国からやってきたユダヤ人がステパノとの論争に負けたのをきっかけに、待ち構えていた連中が立ち上がり、口汚くステパノを罵った。
悪霊の使者であるとか、神に不敬を働いたとか言って、彼の顔を殴り始めた。ステパノは全く抵抗をしなかったので、彼らはますますひどく彼に暴行を加え、顔につばをはきつけた。ステパノは、主イエスのために受けた懲らしめを喜んでいたのである。彼らはステパノを計画どおりに大祭司の所に引っ張って行った。
ステパノは、公式の場で裁判を受けなかった。なぜならば、彼らは一般大衆の反乱を恐れていたからである。
大祭司の前でステパノを罵る役割は、キリキヤ人であった。ひと通り簡単な裁きが終わってから、ステパノは答弁を開始した。彼は、その中で、キリストの教えは根本的にはモーセの教えと全然違わないこと、それどころか、キリストこそ代々の預言者たちによって語られた、神に選ばれた者であると主張した。
従ってその教えを守るクリスチャンは、従来の伝統的信仰を破壊するものではなく、むしろそれを強め、昔の予言者たちの言葉を成就させるものであると弁明した。
このようなステパノの弁舌は力強く、最もサウロの恐れていたものであった。サウロは彼を罠にかける良い方法はないものかとしきりに考えていた。正当な議論で彼に勝つことができなければ、残った方法はただ一つ、奇跡でやっつけるしかないと判断した。これは実に危険な賭けである。
もしかすると、かえって、彼を称えさせることになるかもしれないからである。しかしサウロの憎しみは絶倒に達し、もうこれ以上引き下がることはできなかった。
彼はステパノにたいして丁寧な口調で話しだした。彼は、聖霊なるものがどのように働きかけ、癒しの奇跡ができるかを尋ねた。ステパノは答えて言った。それは、ただ、聖なるお方の御恵みによるものであり、今後も多くの病人や、死にかけている人を癒し続けるであろうと。そこでサウロはステパノにしばらく席をはずすように促した。
そこでサウロは、一人の男をみんなの前に連れてきた。その男は肉体は腐れかかっており、手足は殆ど半分ぐらい無くなっていた。見るからに汚れていて見苦しかったので、長老たちは顔をそむけた。
ステパノが再び護衛に連れられて入ってきた。完全にわなが仕掛けられていた。サウロは彼に向かって命令した。
おまえが詐欺師とか神を冒pした者と言われたくないならば、この男の腐った手足を聖霊とやらで、治してやるのだ。大勢の人々の前で、それをやるのだと。群衆はサウロの言葉を聞いて一瞬緊張し、へとへとに疲れきっているステパノの方を見た。
彼は体ぢゅうをふりしぼって長時間キリストへの教えを話した直後であったので、体力も気力も衰えていた。
果せるかな、聖霊の力は彼の体に宿らず、何の徴も現れなかった。これができなかったならば、必ず教会に対して危害が加えられることになると直感した。多くの信者は信仰を失い、彼も殺されてしまうと思った。しかし、この時ばかりは、どんなに努力してもうまくいかなかった。
ステパノは一心に祈りを求めたのであるが、何の応答もなく、疑いの気持ちが濃くなるにつれてますます聖霊の働きは彼から遠のいていった。手を病人の体の上に置き、父と子と聖霊の御名によって清くなれと言っても、らい病人の体には何の変化も現れなかった。群衆はこの様子をじっと身動きもせず見入っていた。
奇跡がおこる瞬間を待っていたからである。サウロはこのようなステパノの様子を見据えながら口火をきった。
「この男は、いまだに、らい病人ではないか、一体どうしたというのか。あちこちの会堂や市場の広場で大きな口をたたいていたお前の神はどこに行ってしまったのか」
ステパノは再びらい病人を癒そうと努力するのであるが、一向に効果が顕れなかった。男の手足は、依然として腐ったままであった。ステパノは大祭司に言った。
「私はどうやら失敗したようです。力が湧いてこないのです。でも私は詐欺師などではありません。あなたがたは徒(いたずら)に不思議と奇跡をみたがる邪悪な時代に生きています。あなた方のうちに悪霊が住んでいるからです。我らの先祖が昔外国の捕虜となった時、イスラエルの神は何ひとつ奇跡を起こされませんでした。それを嫌われたからです。
あなたがたは、彼らと全く同じように心がかたくなになっており、先祖が予言者たちを迫害したのと同じことをしようとしているのです。だから、あなたがたはキリストを殺してしまい、それでもまだ飽き足らずにいるのです」
ステパノの言葉に怒り狂った大祭司、サウロ、及び彼らのとりまき連中は、ステパノを掴まえ、群集の前から外へ引きずり出した。ステパノは外に出された途端、よろよろと歩きながら倒れてしまった。彼のそばにいた一人の男が、手で彼をたたきながら言った。
「奴の体は燃えている。まるで火のように燃えている!」
彼の顔からは、炎のような光が輝いており、周りの者を照らしていた。その輝きはこの世のものとは思えなかった。
ステパノから恐怖と疑いの心が消えて無くなり、再び霊の力が彼の体に宿ったからである。ステパノは、主イエスが彼を見捨てなかったことを知って大いに喜び、今や、自分は主イエスのために命を捧げる時がきたことを悟った。
一切の苦悩は消え去り、聖霊の訪れを感じた。この様子を見ていた群衆の烈しい怒りは、彼への同情と変わっていった。
ステパノは、天空を仰ぎ見、彼の右手は彼を罵る者を祝福するために向けられた。彼は主イエスを身近に感じた。
主イエスが神と共におられる御姿を見た。彼は恐怖を感じて静かになった群衆をなおも祝福し、かれが今天に何を見ているかを語った。群衆はどよめき、互いにささやき合った。
「彼は、やはり神の人だ。おだやかにここから出してやろうじゃないか。見ろよ! 霊の光が彼の体をつつみこんでいるじゃないか!」
群衆の気持ちが大きく変化したことを察知したサウロは、買収しておいたものたちを呼び集め、示し合わせていたことをやれと命じた。彼らは一斉にステパノをめがけて石の雨をふらせた。選ばれた七人の中で、最も若かったステパノは、なぶり殺す者たちを祝福しながら息を引き取った。彼の魂は、あたかも一羽の鳥が空中に舞い上がるように人々の視野から消えて行った。
投石のために買収された連中は、殺された者の顔をのぞき込み、主イエスによってえらばれた者の一人を殺してしまったことを知って苦しんだ。群衆の怒りが消えて冷静になってから、彼らはステパノの遺骸を道の上に置き、サウロの姿を探しながら叫んだ。
「お前がやったことは、良くないぞ! おれたちは、この件については関係ない!」
群衆は自分たちの上着を脱いでステパノの遺骸にかけてから立ち去った。金で買収された者たちは、心中おだやかではなく、とても恥ずかしい思いをした。ステパノが壮絶な殉教の死を遂げた時、彼らも神を見たからである。
第19章 不吉な影が忍び寄る
ピリポはステパノをとても愛していた。ステパノが集会所から連れ出される頃、ピリポは遠く離れた所で彼のために祈っていた。衣の裾を誰かが引っ張ったので、ふり向くとニコラスが立っていた。「すべてが終わったよ。彼は眠っている」と言った。
ピリポが目にしたものは、群集が立ち去った後に路上に残された流血とサウロの姿であった。サウロはまるで魂が抜けた抜け殻のように突っ立っていた。その側にどろまみれになっているステパノの遺骸が横たわっていた。
迫害者は、始めのうち喜びの表情をあらわしていたが、彼の買収した連中が自分の上着をステパノの足元にかけ、恥辱に満ちた顔つきでうなだれながら立ち去っていく様子を見てから、険しい顔付に変わった。
怒号が止み、人々はひそひそと話し合っていた。空はどんよりと暗くなり、恐怖の念が覆っていた。ピリポは死体のそばに駆け寄り、そこにひざまずいて大声を挙げて祈った。愛する兄弟の霊を御手に受けて下さいとイエス・キリストに呼ばわっていた。
サウロがやってきて、残酷な口調で祈ることを止めろと言った。しかしピリポとニコラスはサウロのひどい言葉には耳もかさず、最後まで丁寧に祈り続けた。ピリポはその時聖霊に満たされ語り出した。
「さあ、我が愛する兄弟を墓に葬ろうではないか。いつの日か、お前は、何て悪い事をしたのかと気がつくであろう。兄弟の死は、かえって私たちの信仰を一層強めてくれたのだ」
サウロはピリポの口を平手で殴りつけた。
「消え失せろ! この男の死体は、杭(あな)にでも埋めてしまえ! 葬式など言語道断だ! こいつは犯罪人なんだ、どうしても墓に葬るというならば、お前も同じ犯人として牢獄にぶち込んでやるからな!」
ピリポは答えて言った。
「兄弟よ、あなたは自分の犯した罪を悔い改めなさい。あなたは決して主キリストのお恵みから遠く離れているのではありません」
居合わせた連中は、サウロの言葉を無視して、ピリポとニコラスに手をかし、ステパノの遺体を運び出した。サウロが止めることができないと分かると、彼はピリポをにらみつけながら言った。
「おまえらの勝手にするがよい! 早く消えちまえ! そのうちおまえらのような雑草をユダヤの地から根こそぎ抜き取って絶滅させてやるからな、覚えておけ!」
ステパノは丁寧に葬られた。その夜は弟子たちみんなが集まり協議した。実はヨハネに夢で一つの幻が与えられていた。たくさんの羊が丘の上で散らされて行き、一匹の狼がどん欲に追い掛けまわしている。
そして一匹の子羊がかみ殺されてしまった。彼はこの幻によって、ステパノの死は、いよいよ教会が迫害されることを予告しているものであることを述べた。そこで使徒たちは、エルサレムに止まるべきか、それとも立ち去るべきかの選択に迫られた。
彼らはみんな決死を覚悟した。アテネからやってきたお金持ちのユダヤ人が、一刻も早くここから立ち退いて、身の安全をはかるように薦めてくれたのであるが、賛成しなかった。
臆病な兄弟たちのことを考慮して、立ち去ることを主張する者もいた。十二使徒が投獄されて殺されてしまったら、残された者はどうするかと議論した。しかしここに止まることは、主キリストの御意志であると結論を下した。
前に選任された六人(ステパノが殉教したので七人ではなくなった)が使徒の前に呼び出された。ピリコとニコラスは、再びステパノの殉教の模様について語った。使徒は、この二人に今の職務を止めさせ、サマリヤ地方(エルサレムの北方、パレスチナの中央部)で布教するように命じた。
サマリヤ地方は遥かに安全であると思ったからである。使徒は、この二人が当局からにらまれているので、早晩逮捕されるのではないかと考えたからである。
サマリヤへ行くのには、もう一つの理由があった。それは、シモンという男がキリストと称して誤った教えを広めていたからであった。一刻も早く本当の教えを説いて、教会を発展さる必要があった。そんなわけで、蓄えられた金は、安全な場所に移すため、エルサレムからはずれた田舎に山をみつけ、洞穴に保管された。そして当番の者が日々必要な分だけを取り出すことにした。
使徒は、迫害が迫っていることを察知して、恐れている者たちに、早急にエルサレムを離れるよう警告した。二十人程の人々が一同に集まり、旅立つ前に十二使徒から祝福を受けた。彼らは目指す土地にいるユダヤ人にたいして、イエスの福音を述べることを約束した。
迫害が迫っていることは、霊によって事前にヨハネに知らされていた。その他の者は誰も知らなかったのである。
サウロはひそかに計画を練り、時が熟すまで、クリスチャンを重罪人として抹殺することを秘密にしていた。サウロの怒りは、ステパノの死ぐらいでは納まらなかった。かえってクリスチャン撲滅の意欲を大きくかきたてる結果となった。
サウロは大祭司やサンヒドリンの議員たちと話し合った。結論として、エルサレムの住人はペテロやキリストを信奉する者たちが次から次へと病人を治し、奇跡を起こしているのを見ているので、彼らを迫害することを許さないであろうというのが共通の意見であった。しかしついにステパノが奇跡に失敗したことが話題になった。
誰でも知っているらい病人を治してくれることを期待していたのに、彼は失敗したということを、ローマの総督に報告しようではないかとサウロが言い出した。
「あいつらは、みんな陰謀をたくらんでいるのだ! 持ち物をみんなで共有しているところを見ると、奴らはやっぱり盗んだ獲物を分配している盗っ人にちがいないのだ。
そのうち奴らはエルサレムに火をつけ、火事場泥棒でもやるつもりなんだろう。奴らはなんでもキリストが三日のうちにエルサレムを破壊してしまうという物騒なことを話しているそうじゃないか。さあ、みんなでローマ総督の所へ行って、奴らの陰謀をせん滅する許可をもらってこようではないか」
長老たちはサウロの提案を喜んだ。そして総督の臨席を要求することになった。その結果早速サウロにクリスチャンを撲滅する権限を与えることになった。まさに、サウロの思うつぼであった。
サウロはまだ若造でユダヤに来てまだ日が浅かったにも拘らず、彼はサンヒドリンで幅をきかすようになった。
彼はキリストの教会をたたき潰すだけでは飽き足らなかった。彼はそれ以上の権限を要求した。会堂では、いつもステパノとの論争に敗れ、ステパノの勝利によって傷つけられていた。しかし何よりもサウロをぶちのめしたのは、ステパノの最期の瞬間であった。霊の光につつまれた最期の顔は、まさに勝利に輝く征服者のそれであったからである。
サウロはローマ総督に対して事の次第を雄弁に語った。臆病な総督は、ローマ人の入れ知恵もあって、ついに迫害の許可をサウロに与えた。ローマ人をそそのかして悪い噂をばらまいたのは、実にサウロであった。陰険な網がひそかに張り巡らされ、キリストの教会を撲滅するための諸準備が整えられていった。
第20章 サウロ三人の若者を殺害する
サウロの狙いは、教会の根を絶やすことであった。しかし彼は使徒たちに直接手を下すことはできなかった。
死刑を宣告する権限はユダヤ人にはなく、ローマ総督だけに与えられていた。サウロは七人の収入役を取り調べるために役人を派遣した。収入役は、教会の金を管理していたので、彼らを痛めつければ信者たちは力を失い、教会は麻痺状態に陥ってしまうだろうと考えたからである。
ピリポとニコラスは、やみ夜に乗じてエルサレムを脱出した。彼らは乞食に変装していたので、間道に設けられた関所を難なく通り過ぎることができた。後に残された選ばれた若者はプロコロ、テモン、パルメナであった。
この三人も生気溢れる若者であった。彼らは主の仕事に熱心に励んでいた。彼らの主な仕事は、もっぱら信者の名簿を作ることであった。教会は迫害が始まってから、当局の目をくらますために、選ばれた若者の代理をする他の七人を選び、金銭の管理にあたらせた。彼らは主の仕事に熱心に励んでいた。
彼らの主な仕事は、専ら信者の名簿を作ることであった。教会は、迫害が始まってから、当局の目をくらますために、選ばれた七人の若者の代理をする他の七人を選び、金銭の管理にあたらせた。ピリポとニコラスがサマリヤへ向けて旅立った夜、代理の七人は三人の若者と会合し、仕事の引継ぎを行った。
引継ぎを終わったころは、すでに夜も更けており、三人は別々の道を通ってエルサレムを出発した。
ちょうどその夜、サウロはクリスチャン撲滅の全権を得て、夜が明けてからエルサレムの域壁の外側に警備兵を配備した。パルメチ、テモン、プロコロの三人は何の変装もしないで出発した。夜中に出かけるのであるから無事に行けるだろうと思ったからである。三人には数人の仲間がついて行った。
サウロは片っ端からクリスチャンを掴まえていた。もちろんこの三人も捕らえられた。捕えられたクリスチャンに対して、サウロは犯罪人キリストの教えを捨てて、モーセの律法を守ると約束するならば、今すぐ自由の身にしてやると説得した。臆病な者を除いてみんなサウロの説得に応じなかったので、彼らは公衆の面前でムチ打たれ投獄された。
サウロは、プロコロ、テモン、パルメナを呼んで難題を吹っ掛けた。サウロは謝罪と金を要求した。三人は彼の卑しい行為を軽蔑して言った。
「あなたは、若さで蛮勇をふるっておられるが、明日は逆転して、私達から金を貰うようになるでしょう」
このような三人の振る舞いは、サウロを少なからず驚かせた。彼らは非難めいたことを一切口に出さず、暗黒の中にいるサウロの魂が救われて、主なるキリストに仕えることができるようにと、ひたすら大声で祈るのであった。
彼は、止めさせようとしても、彼らには全然聞こえなかった。サウロは怒って、彼らを別々に投獄してしまった。
三人は散々ムチで打たれ、裸のまま縛られ、砂利の上に座らされた。太陽が照り付ける頃になると、鞭で打たれた傷痕がうずいた。三人は喉が渇いても一滴の水も与えられなかった。このようにあしらわれたのは、この三人が始めてであった。陽が沈むと再び牢にぶち込まれた。
このような苦しみは、彼らを愛する者たちの想像を絶するものであり、生き残る見込みは全くなかった。朝がくると、縛られている綱が弛められ、サウロの前に引き出された。サウロはこの世の楽しい事など話して聞かせてから、彼らの師キリストを犯罪人と宣言し、更に教会内部の情報を教えてくれれば、解放してやると言った。
しかしこの三人の若者は、ひたすらサウロの魂の救済を祈り続けるのであった。彼らの目は、信仰の光で美しく輝いていた。しかし彼らの苦痛は、日ごと増大し、昼は焼け付く太陽のもとにさらされ、夜は、足もとの蛇などに悩まされた。
プロコロはついに倒れ、彼の霊は肉体を離れた。サウロは牢にやってきて、胸が高鳴るのを覚えた。残された二人も降参するかもしれないと思って、縛っている縄をといてやった。しかし二人は、か細い声で口を動かしてるので、サウロは耳を口に当ててみた。彼らからはなおも、サウロの魂の救済のために祈っていたのである。
彼は怒り狂って、暗い牢の中を大股で歩いた。町では、専らサウロが一人のクリスチャンを殺してしまった、それは大変良くない事であると噂されていた。
残った二人、シモンとパルメナも大声をあげ、体を大きく震わせ帰らぬ人となった。牢番たちは、この様子を見て制服を脱ぎ捨て、自分の職務を放棄して、一晩中、使徒の一人を探し回り、使徒のタダイを見つけるや否や、自分たちにも洗礼を受けさせてほしいと言った。
「とにかくですよ、わしらは知らぬ間に天使に仕えていたのですよ! あの方たちは不滅だよ。あんたがたがキリストとやら言っている大先生をわしらは信じるよ!」
この言葉を聞いた使徒タダイは、自分たちの職務や制服を投げ捨ててきたのを知って、直ちに仲間の使徒の所へ連れて行った。彼らは洗礼を受け、その後、熱心に主イエスを述べ伝える者となったことは言うまでもないことである。
さて、三人の若者が死んでから、牢番たちはみんなちりじりになり、サウロの怒りを恐れてエルサレムから離れた所に逃げてしまった。
大祭司とガマリエルは、サウロのところへやってきた。ガマリエルは三人のクリスチャンが殺されたと言う噂を耳にしたと言った。サウロは自分のせいではないと頑強に否認した。
「奴らは牢番と結託したんですよ。クリスチャンに買収された牢番は、奴らを逃がし、自分たちはエルサレムから消えちまったんです。わしの知っちゃことじゃありません」
ガマリエルは、迫害する事の愚かさを話した。しかしサウロは益々心を硬化させ、クリスチャンに敵意を燃やすようになった。サウロは殺した四人の若者にたえずつきまとわれ、悩まされていた。
四人の若者は、彼の夢の中にも姿を現した。ステパノ、プロコロ、テモン、パルメナの四人の若者は、常に彼の魂がキリストによって救われるように祈っているのであった。サウロの心は一瞬も休まることなく、四人の若者の訪れにおびえていたが、クリスチャンへの迫害の手はゆるめなかった。
彼は自分の行為は絶対に正しいと確信していたからである。しかし、内心、クリスチャンたちは罪と死を克服しているに違いないと気付いていたのである。それは、まるで、クリスチャンというトゲが体にささっているかのようであった。口ではみんなに、キリストは悪魔に見入れられた魔法使いであると罵っていた。