以下の記述は「山口村誌」の資料と「船坂紹介のページ」を参考に作成した |
時代 |
西暦 |
年号 |
出来事 |
飛鳥 |
7世紀前半 |
青石古墳の造成 |
647 |
大化3年 |
孝徳天皇有馬温泉行幸 |
奈良 |
740頃 |
天平11年頃 |
「聖武天皇天平の頃、湯山温泉湯船、本村に於いて製造せし所以に因り、村の頭に船の字を用いて船坂村と云う」(船坂村地誌記述) |
鎌倉 |
1191 |
建久2年 |
大和国吉野の僧・仁西が有馬温泉を再興。この時、湯船の板をこの地で求めたことから船坂の地名が始まったと言われている。 |
南北朝 |
1383 |
永徳3年 |
有馬郡一帯を支配していた赤松弾正氏範の子の裕春が船坂城を築く |
室町 |
1450 |
宝徳2年 |
船坂という地名が見える(草根集) |
1461 |
寛正2年 |
善照寺が開かれたといわれる(同寺の縁起書) |
戦国 |
1483 |
文明15年 |
蓮如上人、船坂を過ぎ有馬温泉入湯 |
安土桃山 |
1594 |
文禄3年 |
名来、下山口、上山口、中野、船坂の検地が行われる(西宮市史) |
1578 |
天正6年 |
播州三木城主・別所長春の祈願所であった船坂山王神社が、秀吉による三木城攻略の際に兵火で焼失した |
1583−94 |
天正〜文禄 |
秀吉がたびたび有馬温泉を訪ねた。船坂は秀吉の直轄地だった。 |
江戸 |
1601 |
慶長6年 |
有馬則頼が有馬郡の領主となる |
1602 |
慶長7年 |
有馬則頼が没し有馬郡が丹波国福知山藩領となる |
1620 |
元和6年 |
領主の有馬玄蕃豊氏が久留米に移封され船坂は幕府直轄地となる |
1653 |
承応2年 |
山王神社再建(船坂村地誌)
船坂村と蔵人・鹿塩村との山論が起り船坂村の勝訴となる(西宮市史) |
1839 |
天保10年 |
船坂村が清水谷の道幅拡幅を巡り生瀬駅と争う(西宮市史) |
1865 |
慶応1年 |
山王神社に大神宮を創建(船坂村地誌) |
明治 |
1868 |
明治元年 |
1月、兵庫鎮台が置かれ、後に兵庫県となる
6月、有馬郡、兵庫県に編入 |
1871 |
明治4年 |
廃藩置県により船坂は兵庫県有馬郡19区に組み込まれた |
1873 |
明治6年 |
善照寺に船坂小学校を開校(当初は船本小学校と称した) |
1883 |
明治16年 |
船坂村が山口村に併合される |
1884 |
明治17年 |
特産の寒天作りが始まる |
昭和 |
1950 |
昭和25年 |
山口村が西宮市と合併し、西宮市山口町船坂となる
宝塚−船坂−有馬間に阪急バスが開通 |
平成 |
1992 |
平成4年 |
西宮市南部と直結する盤滝トンネルが開通 |
1998 |
平成10年 |
船坂の寒天作りが廃業となる |