トップ 概要 自然 歴史 船坂の旧街道 史跡 名勝旧跡

 7世紀中頃から山口は有馬温泉の入湯路として開けてきた。特に船坂は、主要な入湯路である有馬街道沿いの主要な中継地として集落が形成されてきた。有馬温泉への大坂方面からのルートは神崎に始まり、武庫平野を北に向い、宝塚の小浜から武庫川沿いに進み、生瀬を経て太多田川の河原を通り、七曲で道に出て、船坂を通って有馬温泉に至る道である。
 船坂の歴史を語る上で欠かすことができない船阪城址、山王神社、船坂小学校についてコメントしておこう。
 船坂という名が歴史の舞台に登場するのは、南北朝時代の船坂城の築城ではないだろうか。当時、有馬郡一帯を支配していた赤松一族の赤松裕春が、現在の船坂交差点南西に位置する小高い山(城山)の山頂に築いた。  安土桃山時代、信長の中国攻めを担った豊臣秀吉は、播州の三木城攻略の兵を進めた。三木城主・別所長春の祈願所であった船坂山王神社は、その時の兵火で消失した。
 現在の神社は江戸時代に再建されたものである。
 当初「船本小学校」と呼ばれていた船坂小学校は西宮市で最も歴史のある小学校である。
 明治6年2月1日に善照寺本堂を仮校舎として開校した。
 ちなみに山口小学校はその直後の2月12日の開校である。
以下の記述は「山口村誌」の資料と「船坂紹介のページ」を参考に作成した
時代 西暦 年号 出来事
飛鳥 7世紀前半 青石古墳の造成
647 大化3年 孝徳天皇有馬温泉行幸
奈良 740頃 天平11年頃 「聖武天皇天平の頃、湯山温泉湯船、本村に於いて製造せし所以に因り、村の頭に船の字を用いて船坂村と云う」(船坂村地誌記述)
鎌倉 1191 建久2年 大和国吉野の僧・仁西が有馬温泉を再興。この時、湯船の板をこの地で求めたことから船坂の地名が始まったと言われている。
南北朝 1383 永徳3年 有馬郡一帯を支配していた赤松弾正氏範の子の裕春が船坂城を築く
室町 1450 宝徳2年 船坂という地名が見える(草根集)
1461 寛正2年 善照寺が開かれたといわれる(同寺の縁起書)
戦国 1483 文明15年 蓮如上人、船坂を過ぎ有馬温泉入湯
安土桃山 1594 文禄3年 名来、下山口、上山口、中野、船坂の検地が行われる(西宮市史)
1578 天正6年 播州三木城主・別所長春の祈願所であった船坂山王神社が、秀吉による三木城攻略の際に兵火で焼失した
1583−94 天正〜文禄 秀吉がたびたび有馬温泉を訪ねた。船坂は秀吉の直轄地だった。
江戸 1601 慶長6年 有馬則頼が有馬郡の領主となる
1602 慶長7年 有馬則頼が没し有馬郡が丹波国福知山藩領となる
1620 元和6年 領主の有馬玄蕃豊氏が久留米に移封され船坂は幕府直轄地となる
1653 承応2年 山王神社再建(船坂村地誌)
船坂村と蔵人・鹿塩村との山論が起り船坂村の勝訴となる(西宮市史)
1839 天保10年 船坂村が清水谷の道幅拡幅を巡り生瀬駅と争う(西宮市史)
1865 慶応1年 山王神社に大神宮を創建(船坂村地誌)
明治 1868 明治元年 1月、兵庫鎮台が置かれ、後に兵庫県となる
6月、有馬郡、兵庫県に編入
1871 明治4年 廃藩置県により船坂は兵庫県有馬郡19区に組み込まれた
1873 明治6年 善照寺に船坂小学校を開校(当初は船本小学校と称した)
1883 明治16年 船坂村が山口村に併合される
1884 明治17年 特産の寒天作りが始まる
昭和 1950 昭和25年 山口村が西宮市と合併し、西宮市山口町船坂となる
宝塚−船坂−有馬間に阪急バスが開通
平成 1992 平成4年 西宮市南部と直結する盤滝トンネルが開通
1998 平成10年 船坂の寒天作りが廃業となる