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@蓬莱峡 E山王神社
A座頭谷 F城山(船坂城址)
B屏風岩 G白水峡
C船坂小学校 H老ガ石
D善照寺 I川上の滝
 船坂は、西宮市北部の山口町の南端に位置し、世帯数220戸、人口767人(平成18年10月1日現在の西宮市データ)の小さな集落である。
 集落の中心部を東西に太多田川が、西部を南北に船坂川が流れている。南には六甲山地が迫り、北は低山地の畑山山塊に囲まれた標高300〜400mの山間地である。
 太多田川が侵食してできた河岸段丘面を棚田が広範囲に広がっている。
 船坂は、有馬温泉の入湯路である有馬街道の中継地として集落が形成されてきた。有馬街道は、生瀬から太多田川に沿って船坂を抜け有馬温泉に至る街道である。
 船坂の地名の由来は、洪水で埋没していた有馬温泉を1191年にに復興した仁西上人が、温泉の湯船をこの地で求めて以来「船坂」と呼ぶようになった(「有馬温泉寺縁起」)。
 古来より有馬街道の中継地として発展してきた船坂の生活圏は、宝塚との結びつきが強かった。その後の自家用車の普及に伴って、神戸市北部や三田方面への流れも強くなった。更に1992年に西宮市南部と直結する盤滝トンネルが開通したことで西宮市中心部への流れも促進された。 
 船坂では、太多田川が造った礫質の河岸段丘をでの畑作農業が盛んである。とりわけ標高が高く昼夜の温度差の大きい気候を利用した船坂のパセリの産地として有名である。
 このほか船坂では寒冷な気候を生かして、船坂川の両岸を中心に寒天作りが盛んであった。明治18年頃から始まった船坂の寒天作りは昭和初期にピークを迎えたものの、残念ながら平成10年頃を最期に全工場が廃業した。