「そうだ、"番屋の湯"に行ってごらんよ」
そう言われたのが「石狩行き」のきっかけだった。
例によって馴染みの居酒屋(「旅その2」で登場した居酒屋と同じお店。夜の仕上げはいつもこの店)。
単身赴任で札幌での数年を過ごしたこの店の常連M氏が、3年に渡る赴任を終え、いよいよ帰京することとなったらしい。私の数倍も札幌や周辺の町を知り尽くしている人だ。訪れた幾多の場所、出会った幾多の人のことなど、思い出話は尽きないようだ。
ここのマスタとも一緒に、休みごと(ちょっと大げさ?)にあちこちへ出かけていたらしい。酒を飲みながらマスタとそんな思い出話に花を咲かせている。
そんな会話の中で登場したのが、番屋の湯だった。
M氏 「番屋の湯から見た夕陽が忘れられないなぁ」
マスタ 「うん、あそこの夕陽はきれいなんだよねぇ」
M氏 「風呂に浸かりながら夕陽を見るなんて、そう経験できることじゃないね」
黙って二人の話を聞いていた私も、ついに黙っていられずに話に割り込んだ。
私 「番屋の湯って、どこにあるんですか?」
M氏 「石狩ですよ。石狩灯台のすぐ近く。えっと、バスだと石狩行き・・・」
マスタ 「そう、その終点の一つ手前ぐらいだね」
M氏 「まあ終点まで行っても、歩いて戻ってもすぐですから」
私 「石狩行きのバスですか。石狩灯台の近く、と・・・」
忘れない内に頭にインプットしなくては・・・
マスタ 「そうだ、やまださん、"番屋の湯"に行ってみたら?どうせ暇なんでしょう、今週末も」
そう、確かに暇。全然予定がない。今週末は「WINSに馬券を買いに行こう」と思っているぐらい(^^;)で、他には何の予定も立てていないのだ。
出張の合間の休日をゴロゴロして過ごすのはもったいない。そのためいつも予定を無理にでも入れてしまうのだが、今週末はまだ何も考えていなかった。
で、この会話の瞬間に今週末の予定が決まったわけだ(これが『行きあたりばったり旅』の行きあたりばったりたる所以かな?)。
しばらく待って、「石狩」行きのバスが発車した。乗客は私を含めて4人。終点までは約1時間のバス旅だ。
途中しばらくは、札幌を東西に区切っている創成川沿いを北に向かってバスは走る。
やがて「段々と人家が疎らになってきたかな?この辺りは散歩するだけでも楽しそうだな」などと思っている内に、また市街地に入った。そこが最近、石狩町から市制化された
「石狩市」の中心部だ。だが目的地はここからまだ先。今向かっている場所は石狩川のちょうど河口付近なのだ。
途中3人のおばさんが乗り込んできたが、最初に乗った客は私を除いて3人とも途中で降りたので、差し引き4人というわけで、相変わらず乗客は少ない。
「次は"番屋の湯"です」
バスのアナウンスが聞こえると、下車ブザーが鳴った。ここで先ほど乗り込んできた3人のおばさんたちが降りる。
窓越しに外を見ると、左手に番屋の湯。思いの外、立派な建物で、駐車場にも多くの車が駐車している。実はもっとひなびた、露天風呂を板で囲ったような施設を想像してたのだが、予想に反していわゆる郊外型のヘルスセンターのような立派な建物だ。
バスに乗るときから「終点まで行こう」と決めていたので、そのままバスに残る。次のバス停が終点だ。
途中で土手に上がると緩やかな流れの石狩川が見えた。流れは昨夜の雨のせいか、残念ながら濁っている。この河口付近は天然の港になっているらしく、幾艘もの船が行き来している。ただしそれほど大型の漁船ではない。
船着き場の近くに廃棄されていた、朽ち果てた漁船が印象的な風景を作り出していた。その寂しげな風景が旅情をかき立てるとでも言うのかな?まあ、観光客なんて勝手なものなのだ。
土手をのんびり歩き続ける。
暑くもなく寒くもなく、これで晴れてさえいれば最高の散歩道だろう。
先ほどまで遠くに見えていた石狩灯台が間近に見えて来た。かなりこじんまりとした灯台だ。岬の先端にあるわけでもない。でもこの灯台は「喜びも悲しみも幾年月」というドラマの舞台にもなった「由緒正しき灯台」であるらしい。
灯台を過ぎて、ここから河口までがはまなすの丘公園。
私は花に関心がある方でも、詳しい方でもないのだが、それでも花が咲き乱れている風景を多少は期待していた。だが少々訪れた時期が早すぎたようだ。ところどころにつぼみを持っていたり、小さな花が咲いていることは咲いているのだが、圧倒的に風景に「緑」が目立つ。
この公園の中には遊歩道が付けられていた。
一周すると歩くコースによっても変わるが約3〜4kmほど。まだまだ歩き始めたばかりで元気がある私は、遊歩道を歩き出した。
他にも観光に来ている人たちはいるのだが、さすがに花の咲いていない花園を歩く物好きはそれほどいないらしい。ほとんどの人は遊歩道の入り口から数十メートルを歩いただけで引き返している。そのため、この緑の中を歩いているのは私一人。これは気分がいいと同時にちょっぴり寂しい。もっとも私はこの目で河口が見たいので、こんなことで挫折してはいられない(それほどオーバーなものじゃないけどね)。
砂浜に降りた。
砂浜というには、あまりに流木やゴミが多い。きっと冬の日本海の荒波に打ち寄せられたのだろうと思う。
「もしかすると"ロシア語"や"ハングル文字"の空き缶なんかが落ちているんじゃないか」とふと思い、辺りを探してみたが、残念ながら見慣れた空き缶の類しか落ちていなかった。
(それにしてもこの浜辺でゴミと化した大型冷蔵庫を2台も目にしたのだが、これも流れついたものなのかなぁ?)
そのまま歩きにくい浜辺を歩いて、河口に出る。
河口まで来ると釣りをしている親子連れがいた。そしてもう一人、年輩の男性が流木をノコギリで切断したり、ノミで削ったりしている。少し離れた位置からしばらく見ていて気になったので、声をかけてみようと思ったのだが、私と視線が合った途端、目を伏せられてしまったので、なんとなく声をかけそびれてしまった。
河口は普段見慣れている東京湾に注ぐ河川のように整備されているわけではない。元々石狩川は蛇行を繰り返してゆったりと流れている河という印象がある。町中では護岸整備がもちろんされているのだが、この河口付近は自然そのままの雰囲気が残っていて、気持ちが良い風景だ。
そうしている内に他の観光客も気付いて騒ぎ出したので、さすがに「うるせぇ奴らだ」という調子で、遠くまで駆けて行ってしまった。
それにしてもキタキツネがごく自然に当たり前のように現れるなんて、北海道らしいんじゃない?
それにしてもいいなぁ、こういうお散歩って。広い景色の中をブラブラ歩くと、何だか体中の色んなところの力が抜けて行くような気がするんだよなぁ・・・そんな解放された気分を味わいたい時、この石狩は最高の場所だと思うよ・・・。
こんなことを、今日何回思ったことだろう。
バスが来た。何だかさっき食事の時に飲んだビールのせいか、無性に眠くなって来た。この分だと帰りはバスの中で熟睡・・・そう思っているうちに、わずか2名の乗客を乗せてバスは発車した。
・・・実は中には入らず仕舞い。来る時にバスの窓越しに見た瞬間に少し期待が覚め、食事を摂りにそばまでやって来て、「ここは一人で入っても楽しめる施設じゃないような気が」と思った次第。夕焼けも今日の天気じゃ期待できないし・・・と思ったわけだ。
今度は晴れた日の夕方に、時間を共有したいと思える人と一緒に来て(まあ要するに一人じゃなくて、ということですね)、夕陽をバックに一風呂浴びて、冷たいビールなどをゴキュッと・・・というわけで、楽しみは先に残しておく性格なんです、私は(笑)。