ゆったり腑抜け日記
〜それは河の流れのよオに〜
Diary of the cat wants to go so easy and dullard.
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To the world of 'Dragon Hunter'開発中


★ねこでございます。
9月っちゅうことで、ああ、1年の 3/4 ですなあ。異動してから半年ですヨ。月日の経つのは早いものといいますが、今回はそこそこ早く感じたかも。1年の長さというのは、年齢とともに短く感じるようになっていくとかいう話もあります。3歳児の1年は人生の 1/3 ですが、50歳なら1年は人生の 1/50 しかないわけで、それはまあ短く感じるのかもしれんなあ、それなりに年を重ねたのかとしみじみもしております。
仕事的には確かに以前いた部署よりは労働の時間も量も少なくはなっているのですが、やっぱりその他になにかしようと思うとそれがそううまくはいかないわけです。あれもしたいこれもしたい、ですが、どれか取捨選択しないと時間的におさまりがつかずうまくいかない。まあ、仕事=趣味なら取捨選択も迷う必要もないのですが、それだとなんか行き詰ったときに逃げ場がないというわけで、結局は仕事のほかに趣味を持っていたほうがいい、しかしそうすると趣味にとれる時間は少ない・・・と、それだけですな。それだけなのですが、そこが重要なのでもあり。

個人的には、右脳を使う趣味を充実させたいなと思っているのですが、これがなかなかはかどらない。最近はそういう右脳な趣味もコンピュータ化することができて、パソコンから周辺機器をコントロールして云々というのができるのですが、そういうツールを使いこなすのがまず大変でございます。性能が上がってきた分、人間が追いつかない部分とかも出てきちゃうのですなー。
いまどきの高校生とかならそういう高度なツールを使いこなす根性もあるのかなあ、オレ様が高校生のころはそんな高度なツールなんかなかったさべらぼうめ、なんて思ったりもして。ただ、高度なツールがなかった分、小技を使うってのがオレ様らの世代では多かったように思います。ここをこうするとコンピュータはこう処理するからこっちのほうが効率がいいとかね。今は少々効率を無視しても、ツールがいい感じに処理してしまうので、多分そういう内部のことまで考えてツールを使っているひとってあんまりいないし考える必要もないのだろうな。
いやいいんだけれどね。
ま、ぶっちゃけた話、趣味に使う時間があるやつはいろいろやってみるといいんじゃんか? とか思う。就職したら時間なんかないんだから、あるうちにやっとけと。ただまあ、やっぱりどんな世代にもその時々の「本分」ってやつがあるから、それをなおざりにしたらいかんとは思うがな。
ところで「おざなり」と「なおざり」ってなかなかまぎらわしいよな。
「おざなり=御座成り=その場逃れでいい加減な言動をすること」
「なおざり=等閑=真剣でないこと」
だそうなので、やっぱり正確に使い分けないといけないようだ。微妙。

さて、右脳的な作業というと、絵画とか音楽とか、そゆ、計算的なものではおさまりがつかないような分野の話になってくるのですが、果たしてそういうものに効率的な上達の方法があるのかというのも興味深いところであります。
例えば絵画なら描けば描くだけ上達するのだろうか、音楽なら歌えば歌うだけ上達するのだろうか、というところです。もちろん、漫然とやってもうまくはいかないのでしょうが、なんかこう、ここを押さえるといいというツボのようなものがあって、上達の速度に関係してくるとか。
まあ、上達といったって、一般人が練習を積み重ねて一流画家になるとか一流声楽家になるとか、そんな無茶はいいませんや。「少なくとも以前・・・1年前とか・・・より上達した」といえれば、それは成功の部類に入ると思うわけで。
で、オレ様もご多分にもれず「CG入門」とか入門書を買ってみたりしたことがあるわけなのだが、これがことごとくはずれでなー。「これは」と思える書籍に出会ったことがない。例えば、2Dイラスト・・・漫画チックなやつなら、いきなり原画のスキャン、ごみとり、細線化って作業がトップに来てたりする。「その原画はどうやってうまく描くか」は、もうその本の範疇ではないといいたげな。まあ「ツールの『使い方』解説」ということならそれもそうなのだろうけれどもね。
作曲なんかでもそうで、「この次にはこの和音がくる」なんてー小難しい理論は書いてあれども、「かっちょいいフレーズの作り方」なんてものは本には載っていない。まあ、そこが一番の肝であって、それが誰にでもできるのなら作曲家なんて必要ないってことだね。
ひょっとしたら世の中にはそういう本もあるのかもしれないけれども、探し方が悪いのか、いまだにそういう肝心要な本にはお目にかかったことがない。ひょっとして、上達の余地があるのはその部分なのかもしれないがなー。理論とかツールの使い方(機能)はみんな同じなわけだから、その組み合わせ方とか本には表現しきれない部分で上達するのかもしれない。とすれば、逆にいえばツールの使い方に習熟する必要はないのではないか?
本当に基本的な機能さえ搭載していて、絵なら線が引けて色がぬれる、音楽なら楽譜を書いてそのとおりに音がなるという最低限の機能さえクリアしていれば、別にみんながみんな PhotoShop や SingerSongWriter を持っている必要はないということにはならなかろうか? いや、ぶっちゃけパソコンである必要すらないのだが。
まあ、手元にある道具を使うという意味ではパソコンで正解なのだろうけれども、ひょっとしたら本来はどうでもいいものなのかもしれんね。逆に、マウスやペンタブレットが使いづらくて絵が描きにくいとか楽譜が作りづらいというにんげんもおるだろうしね。そういうひとはあえてパソコンでやる必要はないよなと。
「弘法は筆を選ばず」とはいうけれども、やっぱり使いやすいものでやったほうが上達は早いのではなかろうか、と思ったり思わなかったり。いっぺん上達してしまえばツールは関係なくなるのかもしれないけれども、上達するまではツールは自分にあったものを選ぶべきではなかろうか。
後はあれだ、もし上達できる方法があって、それが本になってないというのであれば、その方法を知っているにんげんに聞くのがいいかなと。ただ、話を聞いたからってそれがすぐに自分の腕前に反映されるかというとそんなことは全然ないのだろうけれど、でも、多分独学よりはいろんなことを知るにはいいと思う。ま、知り合いには画家も作曲家もいないのでこれは現実的ではないけれども。もしお金に余裕があればカルチャースクールとかで学ぶのも手かもしれんな。

・・・というところで思い出したのだけれども、中学だか高校だかのころ、雑誌の懸賞にあたりたいがゆえに、応募はがきに無理して絵を描いて応募したことがあったわけなんだな。そうしたら、懸賞には外れたけれども、なんかイラストの専門学校みたいなとこから、「見所あるからいっぺんウチの通信講座受けてみないかね」と、手紙が届いたことがあったよ。今なら個人情報保護法にひっかかって大騒ぎになるような話で、当時もやっぱりなんか怒って「誰にでも同じこといってるくせに! つーか、そんな通信講座なんて入る金も余裕もない!」と、案内の封筒をぶっちょぎった次第なのだけれども、あのときお金と余裕があって講座を受けていたら、絵描きの腕前がもしかしたら上達していたのかなあ、などと思ったりして。

そんなあきのゆうぐれ。

(2005/09/07)





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