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タヒチを訪ねたことのある人にはお解りと思うが、住民の生活も自然も「最後の楽園
」をかろうじて保っていた。
少なくとも私が6年前に訪れた時は、日本の企業が乗り込んで、日本方式で観光業を
牛耳ろうと熱い火蓋が切られたところだったが、
まだタヒチの文化はそれほど文明に毒されていなかった。
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それにもまして、
フランスの核実験にたいする、日本人の反応の仕方や感性には幻滅を感じてしまった。
核実験の是非をめぐって討論を戦わし、この地球を守るためには良識をもって対処せ
ねばならぬのは当然であるが、
日本でもマスコミを通じて専門家や一般の人達の意見が多く取り上げられた。
しかし、日本人にとってはやはりよそごとなのである。
遠くはなれた国のことであり、批判はしても自分達のしていることには反省の色も見
せないし、
日本人も、ふかく取り替えしのつかない、自然破壊に荷担しつづけていることさえ、自覚していないのである。
それでいて十把一からげにして
「フランスは悪い」「フランス人はとんでもないこと
をする」との批判である。
自己批判の精神をうしなった民族が、他国に対する批判のときには声を大にする。
私にはそんなふうに思えなくもなかったのである。
共生する人類共通の課題として、物事の本筋を見つめる知性と感性を養いたいもので
ある。
あれ以来生徒が激減したと大阪にあるフランス語の学校の先生が言っていた。
フランス人叩きをしても、フランス製品の不買運動をしても、絶えず本筋を見ていた
いと思う。
同じ地球人としてわれわれの地球を守るために、幸せに暮らせるために、
皆で協力し
て何ができ、
個人では何ができるかを考え、実践するときなのである。
阪神での震災のとき、同じ被災者でありながら、もっと悲惨な人がいっぱいいるから
とわずかに残った食料や衣料をもって救援に走り回っていた外国人を多く見た。
そこには国籍もなく同じ地球人としての感性が存在していたのである。
行政は日本人を救援することに優先権を見せたが。
各々のidentityは大切にしながら、心の国境を取り払って地球規模感覚ではばたける
日本人になりたいと願っている私である。
自ら心の扉を開いて異文化との接触を通して民族の垣根を取り払うために、
何語でも
いいから伝達手段としての外国語を勉強することを周りの人々に勧めているのである。
視野が開けて、発想を転換してみると素敵な世界が拡がっていくから。
つづく