ローマ帝国の滅亡 ★★★
(The Fall of the Roman Empire)

1964 US
監督:アンソニー・マン
出演:スティーブン・ボイド、ソフィア・ローレン、クリストファー・プラマー、アレック・ギネス


<一口プロット解説>
ローマ帝国五賢帝の最後の一人マルクス・アウレリウスが毒殺された後、その子であるコモドスが帝位を引き継ぐがすぐに暴君ぶりを発揮し始める。
<入間洋のコメント>
 「ローマ帝国の滅亡」は1964年製作のスペクタクル史劇ですが、それより10年程後1970年代中盤に大々的にリバイバル上映され、その時に劇場で見た記憶があります。しかしその時はコンテンポラリな映画であることを露も疑わず、後になってリバイバルであることを知りました。道理で、ソフィア・ローレンを始めとした俳優さん達が若いはずです(と言ってもソフィア・ローレンの場合は厚化粧の下に年齢を巧みに隠しているので、タイムマシンで当時に戻ったとしても彼女の顔かたちのみから判断してこの映画がおよそ10年前に製作された作品だと見破ることは不可能かもしれません)。それは別としても、当時高校生であった私めは3時間以上かかるこの作品をじっと座って見ているのは苦痛でした。考えてみれば、21世紀になってから再び復活の兆しが現れてきたとはいえ、1965年辺りを境として1970年代に至ると殊にこの手の大型歴史劇が影を潜める傾向が顕著になり、オーディエンスの趣味自体がそれ以前の時代とは大きく変わりつつある時分でした。スペクタクルであるとはいえ既に過去のものになりつつあった大型歴史劇は、1970年代に入ると当時流行っていたたとえば「タワーリング・インフェルノ」(1974)などの扇情的なパニック映画に比べると、ビジュアル面は不問に付したとしても内容面ではあまりにも地味過ぎるように見えたのですね。そのような推移の中において「ローマ帝国の滅亡」は、21世紀になって復興を見るまで大作歴史劇の最後を飾る作品の中の1つであったと言えるでしょう。しかしながら当時はかくして過去の遺物であるように見えたとしても、「ローマ帝国の滅亡」というタイトルにはなかなか興味がそそられる響きがあります。というのも、ローマというと爛熟、退廃、没落というようなネガティブなイメージが蠱惑的に燦然と輝く類い稀なる時代の1つであり、それに少しでも匹敵できそうな時代はハプスブルク朝崩壊直前の19世紀末のウイーンくらいのものかもしれません。比喩的な言い方をすると、ローマと共に古代文化を代表する古代ギリシア文明が明け方から午前中そして正午までの人類発展という未来的なイメージに結び付いているとすれば、古代ローマ文化は正午から午後を経て日没までというような全盛から下り坂そして没落というような斜陽化イメージを強く喚起します。そのようなわけで、この作品のタイトルは殊に歴史好きの人には極めて魅力的に見えるかもしれません。ただ残念なことに、このいかにも魅力的に見えるタイトルには少なからず誤解を招く可能性があります。というのも、この作品の舞台となるのは、五賢帝の最後の一人であった哲人皇帝マルクス・アウレリウスの晩年から彼の子である暴君コモドスの時代にかけて、すなわち西暦2世紀の終盤頃であり、ローマ帝国はその後も数世紀間存続するからです。すなわち、ローマ帝国の滅亡は、受験生がよくご存知の東ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされた1453年であるとは考えず、一般に西ローマ帝国が滅んだとされる476年であると見なした場合でも、この作品はそれよりも2世紀近くも以前の時代が舞台になっているからです。そのようなわけで、この作品のラストシーンでも「これがローマ帝国の滅亡の始まりであった(This was the beginning of the fall of the Roman Empire)」というアナウンスが入り、最初にこの作品を劇場で見た時は、詐欺にあったような気がしたものでした。何せ、当時高校生のしかも低学年であった私めは、ローマ帝国の滅亡という豪壮なタイトルが付いているくらいだから「ソドムとゴモラ」(1962)のようにラストのクライマックスシーンで神殿やコロッセウム等の壮大な建築物が壮大に崩れ落ちるシーンが見られるはずだなどという今から考えてみれば恐ろしく幼稚な期待を抱いていたのですね。いくら何でもそれは情けないとしても、しかしながら看板に偽りありと指摘されても否定ができないタイトルが付けられていたことには間違いがありません。内容的には、むしろ「ローマ帝国の衰退」が相応しいでしょうね。

 さてこの作品の監督はアンソニー・マンですが、彼はこの作品の3年程前にも現在に至るまで極めてポピュラーなスペクタクル史劇「エル・シド」(1961)を撮った実績を有しています。その意味では、スペクタクル史劇2作目のこの作品はさらに磨きがかかっていると言うことが可能であり、現在では「エル・シド」ほどポピュラーではないにしても規模、内容、豪華さいずれの側面においても前作に勝るとも劣らぬ作品であると評価することができます。この作品が前作よりもポピュラーでない1つの理由は、主演が当時この手のスペクタクル史劇のスペシャリストであったチャールトン・ヘストンではなく、彼よりもネームバリューが乏しく地味に見えるスティーブン・ボイドであるという点に存するかもしれませんが、少なくともそれ以外の俳優さんに関しては「ローマ帝国の滅亡」の方が遥かに豪華版です。アンソニー・マンの前作に主演したチャールトン・ヘストンがこちらにも主演していても全く不思議ではないはずですが、撮影のスケジュールの関係なのでしょうね?いずれにせよ、両方に出演しているソフィア・ローレンは除き、アレック・ギネス、ジェームズ・メイソン、メル・フェラー、アンソニー・クエイル、ジョン・アイアランド、オマー・シェリフ、クリストファー・プラマー(但し彼はまだ出世作の「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)に出演する前であったのでこの作品出演当時は有名ではなかったかもしれませんが)という錚々たる顔ぶれが並びます。ただ男優陣と比べると目ぼしい女優さんがソフィア・ローレンのみとは、絢爛豪華な衣装劇でもあるスペクタクル史劇としては少し寂しいところですが、まあアンソニー・マンという監督さんはどちらかと言えば野郎指向的な人でもあったように思われ我慢することにしましょう。「ローマ帝国の滅亡」は前半が北方の辺境地帯を舞台とし、後半がローマ史劇ではお馴染みのローマの古代都市を舞台としています。この映画で特徴的なのは、北方の辺境地帯を舞台とする前半部分であり、そこでは雄大の自然が見事に捉えられています。アンソニー・マンは、このような山岳地帯の大自然を描くのが結構巧みであり、たとえば「怒りの河」(1952)などの西部劇や「テレマークの要塞」(1965)のような戦争映画でも見事に雄大な山岳地帯の大自然が捉えられています。前半のハイライトとも言うべき戦車(チャリオット)チェイスシーンではななななんと!山道で戦車同士の追いかけっこ(画像右参照)を披露するのですね。しかもクリストファー・プラマー演ずる暴君コモドスに挑みかかるのが、「ベン・ハー」(1959)の命がけの戦車競争シーンでチャールトン・ヘストン演ずる主人公ベン・ハーの好敵手メッサラを演じていたスティーブン・ボイドであり、明らかに「ベン・ハー」の有名な戦車競争シーンが意識されているように思われます。というよりも、多少大袈裟な言い方をすると「ローマ帝国の滅亡」のこのスリリングなシーンはおよそ5年後に製作された「ブリット」(1968)を嚆矢とするカーチェイスシーンの先駆けとなるようなシーンであるとも見なすこともでき、この山道の戦車チェイスシーンに見られるスピード感とスリルは過去の焼き直しであるというよりはむしろ時代を先んじていたとすら言えるかもしれません。

 ところでこの作品が、50年代から60年代前半くらいにかけてしきりに製作されていたスペクタクル史劇の柳の下の1000匹目のドジョウ的な焼き直し作品ではないことは、何も戦車チェイスシーンに関してのみ言えるというだけではありません。たとえば、前半部における明度を落とした暗い色調による自然の描写なども個人的な印象としては1950年代の作品よりもむしろ21世紀の作品に近いものがあります。まあ、そもそも第一に焼き直しと呼ぶにはあまりにもおゼゼがかかりすぎていることは否定できないところでしょう。しかしながらそれは半ば冗談としても、「ローマ帝国の滅亡」と1950年代から1960年代初頭にかけてのスペクタクル史劇との間には、1つ無視し難い大きな違いが存在します。それは、シネマスコープの導入によりダイナミックな描写が可能になった「聖衣」(1953)以来ますます隆盛を極めるようになったスペクタクル史劇映画は他方では宗教映画でもあり、宗教が主題であるか或いはそうでなくとも少なくともバックグラウンドに宗教的色彩が色濃く存在するのが普通であったのに対し、「ローマ帝国の滅亡」は宗教色がほとんど全く存在しないことです。正確を期すならば、たった1シーンのみすなわちジェームズ・メイソン演ずるローマの大使がジョン・アイアランド演ずる蛮族のリーダーに捕まって拷問され、蛮族の偶像に触れた直後自分には信仰心が足りないと嘆くシーンのみには宗教的な色合いが見られますが、それも一瞬に過ぎずそれ以外ではキリスト教はおろか宗教にすら触れられることがありません。このジェームズ・メイソンのシーンなどは、むしろ何故にそこだけ個人の信仰をうんぬんするようなセリフが口にされるのか疑問に思われるほどです。娯楽としての映画に宗教的な色合いが見られないという事実は確かに現在の目それも殊にアメリカなどよりも遥かに宗教とは縁遠くなってしまった昨今の日本人の目から見ればさ程不思議なことではないように思われるかもしれませんが、1950年代や1960年代初頭のスペクタクル史劇を見慣れた後でこの作品を見ると、おや何かが違うぞという印象を受けること必定であり、つらつら考えてみるとスペクタクル史劇にはつきものであった宗教的信仰というテーマがほとんど皆無であることに気付きます。1950年代にしきりに製作されていた旧約、新約聖書に題材を取った作品或いはキリスト教徒迫害を扱った作品を「クオ・ヴァディス」(1951)、「聖衣」(1953)、「ディミトリアスと闘士」(1954)、「十戒」(1956)、「ソロモンとシバの女王」(1959)、「キング・オブ・キングス」(1961)、「ソドムとゴモラ」(1962)と列挙してみるまでもなく、あの娯楽大作の「ベン・ハー」ですら基本的には新約聖書に題材を取った宗教劇でもあったのです。またアンソニー・マンの前作「エル・シド」も、直接宗教的な信仰が描かれることはないとしても、十字軍遠征が行われていた中世を舞台とし、イスラムからのキリスト教世界の防衛がそのテーマである作品でした。

 60年代初頭までのポピュラーなスペクタクル史劇の中で、唯一例外的に宗教性が全く欠如しているように見える作品が、スタンリー・キューブリックの「スパルタカス」(1960)です。しかしながら次の点には注意が必要でしょう。すなわち、「スパルタカス」はキリスト生誕以前のローマを舞台とした奴隷の叛乱が扱われている為に直接宗教が関わっていないことは事実ですが、そうであるにも関わらず、いやむしろそうであるが故に、カーク・ダグラス演ずる主人公スパルタカス及び彼と行動を共にした奴隷仲間達が最後に磔にされるシーンは、余計に宗教的コノテーションが喚起されざるを得ないという点です。確かにスパルタカスがアッピア街道で十字架上に磔にされたのは歴史的事実であり、従ってキューブリックは事実を事実として描いたのみであると捉えることは十分過ぎるほど可能であり、ましてやキリストの受難より遥かに以前の時代における十字架上での磔に対してキリスト教的な意味合いが込められていたはずもありませんが、たとえ事実関係としてはそうであったとしても1950年代の宗教的コノテーションに溢れたスペクタクル史劇を見慣れたオーディエンスの目からすれば、彼らの姿には迫害されたキリスト及び彼の信者達というイメージが歴史を遡って投影されているように見えたとしてもそれはそれで大きな不思議はないはずです。すなわち、キリストが魂の解放者として十字架上で殉教したとするならば、スパルタカスは奴隷という肉体的な牢獄からの解放者として十字架上で殉教したというパラレリズム或いはもっと専門的な神学用語を用いればタイポロジーを容易に見出すことができるということです。時代に先んじた監督さんであったスタンリー・キューブリックが、そのような宗教的コノテーションを実際に意識していたか否かは別として、1960年代初頭に十字架上の磔シーンが提示されればそのシーンは宗教的なフィルターを通して解釈され得るであろうことは当然予期されることであったはずです。このように述べると、それは手前の勝手な思い込み或いは我田引水の強引な議論であると思われるかもしれないので、そうではないという証拠としてここで1つ興味深い例を挙げてみましょう。それは「VARIETY MOVIE GUIDE」に記述されている「スパルタカス」のレビューに関してです。このレビューの中に以下のような文章があります。

◎「スパルタカス」は、異教のローマ帝国に対する奴隷の反乱を取り扱った、人類の精神と尊厳に関する高揚たる証言である。
(Spartacus is a rousing testament to the spirit and dignity of man, dealing with a revolt by slaves against the pagan Roman Empire.)


まず注意して欲しいのは日本語にはとりあえず「証言」と訳しましたが、「testament」という用語が使用されていることです。testamentを辞書で引くと以下のように書かれています。
1.《法》遺言書、遺言
2.聖約、神と人間の契約||(the Testament)新約聖書
勿論評者は表面上は1に近い意味でこの用語を使用しているものと考えられ従って文脈に相応しそうな「証言」と訳しましたが、しかし単にそれだけならば単純に「story」とするなどいくらでも他に語彙はあったはずです。それにも関わらず「testament」という珍しいとは言えないまでもやや特殊な語が使用されているのは、2の意味をも含ませたかったからではないかと考えられます。更に言えば定冠詞もついておらず先頭が大文字にもなっていませんが、「新約聖書」というような意味合いをも暗に含ませたかったのではないかという気にすらなります。しかしながらそれよりも更に決定的なのは、ローマ帝国(Roman Empire)という語句の前に「異教の(pagan)」という形容詞がわざわざ付加されていることです。「pagan」という語は、正統であると見なされている宗教以外の宗教或いはそれを信ずる人々のことを指しますが、では正統であると見なされている宗教とは何であるかと言えば、評者がイスラム教徒やユダヤ教徒でなければ間違いなくキリスト教のことでしょう。そうすると、これは実に奇妙なのですね。何故かというと、西暦381年にテオドシウス帝がキリスト教をローマの国教として公認するまでは、キリスト教は数ある宗教の内のone of themに過ぎなかったのであり、ましてやキリスト教が成立していないどころかキリストすら生まれていない頃のローマを指してどの宗教が正統でありどの宗教がpaganであったかなどとはとても言えないはずだからです。すなわち、スパルタカスが活躍した時代のローマにおいては、個人の頭の中を越えた普遍的な意味での「異教」など存在してはいなかったということです。敢えて言えば皇帝崇拝以外は全て「pagan」であるという分類方法は可能かもしれませんが、ジョン・ギャビン演ずるジュリアス・シーザーがピンピンしていることからも分るようにスパルタカスが活躍していた当時はまだローマ皇帝という位は存在していなかったのであり、それよりも何よりもこの意味で「pagan」という語を適用するならば「the pagan Roman Empire」という言い方は撞着語法(oxymoron)以外の何ものでもなくなります。それにも関わらず評者が「the pagan Roman Empire」と敢えて書いたのは、当時のローマが信ずるべきであったありもしない何らかの普遍的な宗教をローマは信じていなかったから「pagan」だという意味ではなく(それでは全くの論理的な矛盾です)、当時は存在すらしていなかった評者が信ずるキリスト教(勿論評者がキリスト教徒であればということですが)という具体的な宗教をローマは信じていなかったから「pagan」であるという、当時のローマ人がそれを聞いたならば「そんな無茶な」と言わざるを得ない意味に解釈するしかないのであり、キリスト教徒ではない我々日本人などがこのような表現を耳にするといかにも無茶苦茶な論理であると思わざるを得ません。このような論理の奇妙さは、具体的に次のように考えればより明白になります。すなわち、キリスト教が影も形も存在しない紀元前の古代ローマに住むミトラス教信者がキュベレ崇拝者をミトラス教信者ではないという理由によって「pagan」と呼ぶことは、それが公明正大な判断であるか否かは別として少なくとも理にはかなっています。また、21世紀のアメリカで暮らすキリスト教徒が、キリスト教が公認された古代ローマに住むキュベレ崇拝者をキリスト教徒ではないという理由で「pagan」と呼ぶことも、それが公明正大な判断であるか否かは別として少なくとも理にはかなっています(これが近年の話題作「ダ・ヴィンチ・コード」(2006)の構図に近いわけですね)。しかしながら、21世紀のアメリカで暮らすキリスト教徒が、キリスト教が影も形も存在しない古代ローマに住むキュベレ崇拝者をキリスト教徒ではないという理由によって「pagan」と呼ぶことは、たとえ心情的には理解できたとしても全く理にかなっていないと言わざるを得ません。すなわち、上記コメントの評者は知ってか知らずか誤謬判断を行って読者をmisinformしていることになります。しかしポイントはまさにここに存在し、この評者は明らかにこの作品をキリスト教の文脈から理解しているのであり、読者にも同様な見方を取るように誘導しているのです。また、そのような視点をひとたび取ればスパルタカスの受難はキリストの受難をアレゴリカルに表わすと見なすことが極めて容易であることは、この評者の文章からも十分に理解できるでしょう。「スパルタカス」のストーリーを知らない人が上記コメントを読んだならば、奴隷の反乱の部分を象徴的に解釈するだけで「キリスト教を信ぜずキリスト教徒を迫害するローマ帝国に対する、これまでローマ帝国によって奴隷として取り扱われてきたキリスト教徒の抵抗を取り扱った、人類の精神と尊厳に関する高揚たる証言である」と読むことが可能であり、従って「スパルタカス」とはイエス・キリストを扱った映画ではないのかと想定したとしても何の不思議もないのではないでしょうか。

 さてこのような60年代初頭までに製作されたスペクタクル史劇に対して、60年代も中盤に差し掛かる頃に製作された「ローマ帝国の滅亡」はキリスト教はおろか宗教的色彩はほぼ皆無なのです。しかも「スパルタカス」とは違って、明らかにキリスト教的要素が取り入れられていても何の不思議もない時代が舞台であるにも関わらずそうなのです。それどころか、この作品は、「スパルタカス」のようにアレゴリカルな解釈を与える余地すら残されていません。同様な作品として前年の「クレオパトラ」(1963)が挙げられるかもしれませんが(実は「クレオパトラ」はあまりに長大過ぎてここ最近見ておらず本当に宗教色が全くなかったかは見直してみないとは分りません)、こちらは「スパルタカス」同様ジュリアス・シーザーやマーク・アントニーが活躍した紀元前が舞台なのでキリスト教にはやや早く、従って宗教色が薄くとも納得できる面があります。とは言っても、そもそもそのような時代を舞台とし政治、軍事面に終始するスペクタクル史劇の製作が決定されること自体、時代が変わりつつある証拠であると言えるのかもしれません。たとえば、「ローマ帝国の滅亡」では、ジョン・アイランド演ずるリーダーが率いる蛮族達がローマと和平を結びローマ化されることを受け入れますが、これはローマ市民としてすなわち政治面におけるローマ化ということであり、キリスト教徒への改宗という意味ではありません(そもそも当時はまだキリスト教は国教化されていたわけでもなければミラノの勅令により公認されていたわけでもなく、小康状態の時期はあったとしても未だに迫害を受けていた時期でした)。では何故、1960年代も中頃に入るとそれまでとは異なりスペクタクル史劇から宗教色が薄れてくるかと言うと、恐らくそれはキューバミサイル危機前後の東西冷戦の緊張化或いはカウンターカルチャー運動など時代的文化的にも1950年代とは大きく変わってきたということが関係するのかもしれません。勿論だからと言ってアメリカの宗教性が希薄化してきたということではなく、ソ連崩壊後そして9.11後次第に明らかになってきたようにアメリカが宗教的でなかったことは一度もないのであり、相対的な重みとして他の要素が突出してきたというに過ぎません。それでもその後も「偉大な生涯の物語」(1965)や「天地創造」(1966)というような新約、旧約をそれぞれ題材としたスペクタクル史劇が製作され続けますが、ベトナム戦争で北爆が開始され戦局が本格化するに従って、宗教もののスペクタクル史劇はおろか宗教を題材とした作品すらほとんど見出すことができなくなります。まあ、世相が思い切り暗くなったこの頃は神様の所在も怪しくなってきたということかもしれませんね。

 さて冒頭でこの作品は、「ローマ帝国の滅亡」ではなく「ローマ帝国の滅亡の始まり」を描いた看板にやや偽りありの作品であると述べましたが、実際のローマ帝国の滅亡はどのような様相であったかを、この方面の権威の一人であり昨年亡くなられた東大名誉教授の弓削達氏の著書でありその名もズバリ「ローマはなぜ滅んだか」(講談社現代新書)を参照して付け加えておきましょう。因みに必ずしも最初からローマ的であるとは言えなかった東ローマ帝国についてはここでは等閑に付すこととします。勿論、この作品の最後のナレーションにもあるようにローマは外から征服されたのではなく、内から自壊したのだというのはその通りですが、いずれにせよこれ程の大帝国が滅びるのは、外側と内側の問題の複雑なパワー相関に依拠すること大であるという方がむしろ正しいでしょう。まさにローマ帝国は、内と外の両面或いはその相関関係のもつれから滅亡していくのですね。そのキーとなるのは、この作品にも登場する蛮族の扱いに関してです。ご存知のように西ローマ帝国滅亡の決定的なきっかけとなったのは西暦410年に西ゴート王国の王アラリックがローマ市を占領したことにあります。しかし弓削氏によれば、西ゴート王国がそうであるゲルマン系民族はそもそもそれ以前の時代からローマ帝国内に農民として定着しており、そればかりかローマの軍隊は軍事力に優れたゲルマン人に依存するようになっていたそうです。まあ第二次世界大戦時のイタリア軍とドイツ軍の規律、統制力の相違を思い浮かべてみればむべなるかなという気がしますね。従って、「410年に「永遠の都」が「蛮人」に占領されたと騒ぐ以前に、ローマの支配層の中枢部に、そして宮廷の奥深くに、ゲルマン人はすでに確固たる地歩を築いていたのであった。(同書P207)」ということになります。そもそもゲルマン民族自身ローマを滅ぼそうという積極的な意思があったわけではなく、平和共存を望んでいたという方が正しいようです。「ローマ帝国の滅亡」でもジョン・アイアランド演ずるリーダーに率いられた蛮族は最初の内こそローマ軍に抵抗しますが、一度説得されるや平和共存を図るようになります。この頃になると、シーザーのガリア遠征の好敵手であった
ウェルキンゲトリクスのような徹底抗戦の構えをゲルマン民族が見せることはなかったということです。ところが硬直化したローマの方が結局事態に対応仕切れなくなってしまうのですね。すなわち保守的な見方に凝り固まったローマ人からすれば、かつて野蛮人であると見なしていたゲルマン民族の末裔達にローマ社会の重要な位置それも軍事面まで抑えられてしまうとなると気分のいいものではなかったということです。従って、「ローマ帝国の滅亡」でコモドス帝がしたと同じようにゲルマン民族に対して弾圧を始めるわけです。しかしコモドス帝の頃であれば、まだローマがゲルマン民族に依存しているということはなかったのでそれによってローマ帝国自体が危殆に瀕することはなかったとしても、既にローマ帝国の奥深くまでゲルマン民族が浸透した段階に至って彼らの弾圧を始めれば結果は目に見えていると言えるでしょう。結局、弾圧を逃れたゲルマン民族達がアラリックの下に集まることによってローマ帝国の相手がどんどん肥大化するだけではなく、そもそもこの頃のローマの優秀な兵士はゲルマン出身であったということを考えてみればそれは同時にローマ軍自身の極端な弱体化をも意味したことが直ちに理解できるはずです。従って西ゴート王国の王であったアラリックはほとんど何の苦労もせずにローマ市を占領することができるのであり、このような意味においてまさに無策無能な硬直化したローマ帝国自身が内側からそして外側からの圧力に屈して崩壊の道をひた走ることになります。まあかつての大帝国も、ひとたび均衡が破れてしまえばあっけない幕切れを迎えざるを得なかったということです。最後に歴史的な描写に関して付け加えておくと、アレック・ギネス演ずるローマ皇帝マルクス・アウレリウスが、ローマではなく当時はいわばド僻地であった北方地域に駐在しておりあまつさえそこで死ぬのはほんまかいなと、歴史にそれ程詳しくはない私めは長らく個人的に大きな疑問を抱いていましたが、上田浩二氏の「ウィーン」(ちくま新書)によれば「ローマ皇帝マルクス・アウレリウスは、帝国北辺を守るためウィーンに来て、ここで亡くなっている。」ということだそうなので、どうやら歴史的な事実のようです。時の最高責任者であるローマ皇帝が最前線に張っていることが賢いか否かは別として、蛮族の取り扱いが今後は殊に重要になるであろうことを見越していたマルクス・アウレリウスは、さすが五賢帝の一人であったと言えるでしょうね。

2007/09/12 by Hiroshi Iruma
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