Angel Face ★★☆

1953 US
監督:オットー・プレミンジャー
出演:ジーン・シモンズ、ロバート・ミッチャム、モナ・フリーマン、ハーバート・マーシャル
左:ロバート・ミッチャム、右:ジーン・シモンズ

昨年暮、「Fourteen Hours」(1951)という日本劇場未公開のフィルム・ノワール作品を紹介しましたが、もう1つ日本劇場未公開の興味深いノワール作品を取り上げてみましょう。「Fourteen Hours」の場合にはキャストがかなり地味であることもあり日本劇場未公開であることも頷ける面がありますが、「Angel Face」はロバート・ミッチャムという当時ノワール作品をも得意としていたビッグスターと、必ずしもノワール向けではないとはいえジーン・シモンズという当時のライジングスターが出演しているにも関わらず日本では劇場公開されていないようです。しかも、ビッグスターが出演しているのみではありません。「Angel Face」のDVDプロダクトの音声解説を担当しているエディ・ミューラー氏によれば、かのジャン−リュック・ゴダールが、あるエッセイの中でトーキー以後のアメリカ映画ベスト10の中にこの作品を含めているそうです。ミューラー氏がこのエッセイを読んだのは1970年代前半のようなので、勿論それ以後製作された作品は対象にはなっていないことになりますが、いずれにせよハリウッドの黄金期を含む半世紀近い歴史の中でベスト10の一作としてリストアアップされているのは、この作品が並のノワール作品ではないことを示しているように考えられます。ノワールが1つのジャンルとして最初に評価されたのは、ノワール作品を生み出した当のアメリカにおいてではなくフランスにおいてであったのであり、さすがにベスト10は意外であるとしてもフランスの映画監督であり批評家でもあったゴダールがこの作品に目を付けたことは或る意味で必然であったのかもしれません。この作品にも、ノワールの強力なアセットの1つであるファム・ファタルが登場しますが、少し意外に思われるのはそのファム・ファタルを演じているのが、イギリス出身でスチュワート・グレンジャーと結婚し彼と共にアメリカに渡ってきたばかりのジーン・シモンズであることです。ミューラー氏の解説によれば、どうやら彼女と彼女と契約を結んだかの大富豪&変人のハワード・ヒューズとの間に様々な成行きがあったらしく彼女自身はあまり乗り気ではなかったようでもあり、ミューラー氏は冗談半分に彼女が今ここで自分と共に音声解説をしていないのは彼女自身この作品には良い思い出がない為であろうなどと述べています。それは別としても、一般的なイメージからしてもシモンズとノワールはややミスマッチであるような印象があります。殊にほぼ同時期に彼女は「聖衣」(1953)、「悲恋の女王エリザベス」(1953)などのスケールの大きな史劇大作に出演するようになるので、或る意味でせせこましい印象を残さざるを得ないノワール作品には馴染まないようにも見えます。しかしこの作品を見ていると、それがむしろプラスに作用していると見なし得る面もあります。それまでにノワールに出演していた女優さん達と云えば、たとえばバーバラ・スタンウィック、ジョーン・クロフォード、ジーン・ティアニー、リザベス・スコット、グロリア・グレアム、ジェーン・グリア、マリー・ウィンザー等を思い浮かべることができますが、イギリス出身であるか否かは別としても彼女達とは異なるフレッシュさシャープさがシモンズにはあります。彼女が演ずる主人公のダイアンは、この作品では天使のような顔(というわけで「Angel Face」というタイトルが付けられているわけですね)を装いながら車に細工をし義理の母親(と予定外にお気に入りの父親まで)を殺し、ラストでは自ら車を運転してそうとは知らないロバート・ミッチャムもろとも崖下に死のダイブを敢行しますが、このようなヒール役は個人的に知る限りではそれ以後演じておらず、思わず彼女にはこのような魅力もあったのかと再認識させられます。ミューラー氏はノワール映画に登場するファム・ファタルは決して働いていることがないと指摘しており、まあそもそも額に汗して働くお姉さん労働者のファム・ファタルなどというシロモノは自己撞着的ですらありそのことは指摘の必要がないほど自明ですが、確かにシャープさの中にもファム・ファタル特有の退廃的な香りがこの作品におけるシモンズにもそこはかとなく漂っており、それは殊にお嬢さんタイプのモナ・フリーマンとの鋭いコントラストにより際立たされています。しかしながらその一方で、やはり通常のノワール映画のファム・ファタルとは異なる側面が見られることも確かです。というのも、結局最後にミッチャムを道連れにしてシモンズが地獄の旅路へ赴くのは、誤って父親を殺してしまったという罪の意識を彼女が抱くからであり、この点においては「深夜の告白」(1944)のバーバラ・スタンウィックに代表されるようないつものノワール美学とはやや異なる要素をこの作品は孕んでいます。その彼女の姦計に巻き込まれて最後に地獄の道連れをさせられてしまうのが、ロバート・ミッチャム演ずるフランクです。ミッチャムはそれまでにもいくつかのノワール作品に出演しており、それらのノワール作品においては意外にもこの作品同様被害者的役割で登場することもあったようですが、むしろ「狩人の夜」(1955)や「恐怖の岬」(1962)での偏執狂的とも云える加害者としてのイメージの方が強く、それだけに天使のような顔をしたシモンズの姦計に簡単に落ちてしまう彼の姿は、クリーシェ的なパターンから逸脱した一種のサディスティック(或いはマゾヒスティック?)な快楽をオーディエンスに与えることに成功しているようにも思われます。そのような点を鑑みても、この作品は、確かにノワール作品ではあるけれども、それとは異なる新しい要素も見出すことができるように個人的には考えています。ミューラー氏は、義理の母親(と誤って父親)を事故に見せかけて殺したダイアンが、大きな屋敷の中で半ば狂気地味た妄想の中で一人孤独に暮らしている様子が、ヒチコックの「サイコ」(1960)のノーマン・ベイツを思い出させると述べていますが、ジーン・シモンズと「サイコ」でノーマン・ベイツを演ずるアンソニー・パーキンスは顔立ちがやや似ているというのは冗談としても、確かに「Angel Face」にはノワール作品の枠を越えそうな手前まで来ている側面があるようにも思われます。因みに「Angel Face」DVDプロダクトの音声解説を担当しているエディ・ミューラー氏は、フィルム・ノワールに関する著書「Dirk City」(St. Martin's Griffin、邦訳不明)の中で、ヒチコックの「サイコ」はそれまでのノワール作品にはない一撃を加えてフィルム・ノワールという1つのジャンルに最後通牒をつきつけた作品であるように述べていますが、これについては「サイコ」のレビュー(の最後の方)に記しましたのでそちらを御参照下さい。ところで、「Angel Face」の監督は、かの巨匠オットー・プレミンジャーであり、下手をするとBクラスであると取られかねないノワール作品にはメインラインに属する彼は無縁であるように見えるところがあります。しかし、Andrew Spicer氏の「Film Noir」(Longman、邦訳不明)によると、「フィルム・ノワール」という名称が最初に使用されたのは、フランスの批評家ニーノ・フランク氏が「マルタの鷹」(1941)、「ブロンドの殺人者」(1944)、「深夜の告白」(1944)、「ローラ殺人事件」(1944)の4本をそのようなジャンルに属する作品としてカテゴライズした時だそうであり、この内最後の「ローラ殺人事件」はプレミンジャーの監督作です。ということは逆に、プレミンジャー自身は「ローラ殺人事件」をフィルムノワールであると意識して製作したわけではないことをも勿論意味しますが、1950年代になっても「Where the Sidewalk Ends」(1950)などノワール作品を嬉々として?監督しています。因みに「Where the Sidewalk Ends」も日本劇場未公開作品ですが、昨年暮れ(2007/12)に目出度く国内でも「歩道の終わる所」としてDVDプロダクトが発売されました。「Angel Face」と同年には、seduceとかvirginとかsexなどの単語が飛び出すというだけの今から考えれば何でもないことに物議を醸したコメディ「月蒼くして」(1953)を監督していますが、それとは対極的なノワール的な嗜好もどうやらプレミンジャーは持っていたということでしょう。「Angel Face」のラストシーンで、何も知らないミッチャムがシモンズの運転する車に乗ってシャンペンを開けた時、シモンズの氷のような目がキラリと光って車を猛スピードでバックに走らせ崖から転落していくシーン(上掲画像参照、このシーンの後二人は崖下に真っ逆さまに転落します)は、殊にミッチャムの脳天気さは滑稽にすら見えますが、ノワールファンならずとも記憶に残るのではないでしょうか。ミューラー氏の解説によれば、猛スピードでバックする車に乗った主人公二人が崖から転落するシーンはもともとの脚本にはなかったけれども、監督のプレミンジャーが脚本を変更して加えたのだそうです。作品のポイントとして車のトリックを前面に押し出したのは、さすがは映像メディアとしての映画をよく知悉ているプレミンジャーだなという気がしますね。というのも、ダイアンが義理の母親を殺害する時に使った車のトリックがラストシーンでもう一度繰り返され(しかも今回は、彼女自身が加害者且つ被害者になるわけです)、いわば音楽で云えばリフレインのような効果が得られ、オーディエンスの脳裏に強烈なイメージを焼き付けることに成功しているからです。紀伊国屋書店さん、「歩道の終わる所」を発売したのならこちらもどうですか。個人的には(或いは前述の通りゴダールのような人のコメントからしても)、「Angel Face」の方が「歩道の終わる所」より数段面白いと思いますが。


2008/01/08 by Hiroshi Iruma
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