パニック・イン・スタジアム ★☆☆
(Two-Minute Warning)

1976 US
監督:ラリー・ピアース
出演:チャールトン・ヘストン、ジョン・カサベテス、デビッド・ジャンセン、ジーナ・ローランズ

左から:ジョン・カサベテス、チャールトン・ヘストン、マーティン・バルサム

1950年代1960年代を通じてビッグスターの名を欲しいままにしていたチャールトン・ヘストンは、1960年代を過ぎて1970年代に入ると、お得意のスペクタクル史劇が製作されなくなったこともあってか、その頃流行っていたパニック映画にちょくちょく顔を出すようになります。まあいずれにしても、あまりド派手なアクションを開陳するには、そろそろ足腰に不安が残る年齢には差し掛かっていたので、それまで通りという訳にはいかなくなったということもあるのでしょう(上掲画像でおなかが少しベルトからはみ出しているように見えるのは気のせいかな?)。そのような端境期に出演したパニック映画の中では「大地震」(1974)、「エアポート’75」(1975)などが知られていますが、それに続く作品としてこの「パニック・イン・スタジアム」が挙げられます。「大地震」や「エアポート’75」は公開当時は相当話題になった作品であり、殊に前者などはセンサラウンド方式と呼ばれる超低音域の振動効果を利用した立体音響効果がウリの作品ということで大々的に宣伝されていました。個人的には劇場で実際にこのセンサラウンド方式なる怪しげなシロモノを体験したことはありませんが、いずれにしても「大地震」の他には「ミッドウェイ」(1976)、「ジェット・ローラー・コースター」(1977)など限られた作品に適用されたに過ぎず、50年代初頭の3D同様尻すぼみの結果になってしまいました。まあ映画館に特殊な音響装置を設置する必要があったということもあるのでしょうが、この手のギミックは映画ではあまり通用しないということかもしれませんね。そのような一種の子供騙しは別としても、「大地震」や「エアポート’75」が公開当時は話題にはなったとしても、それから30年以上経った現在見直した時、確かにこの手の作品は劇場で見ないと特徴的な部分がかなり失われる傾向があることは否定できないとしても、「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)や「タワーリング・インフェルノ」(1974)などの代表的なパニック映画作品に比べると、どうしても「うーーーん!イマヒャク!」と思わざるを得ないのに対して、正攻法で勝負した「パニック・イン・スタジアム」は現在でもそれなりに楽しめる作品であるように思います。因みにミック・マーティンとマーシャ・ポーターのビデオ/DVDガイドには、この作品に関して「An all-star disaster film about a sniper loose in a crowded football stadium that is more exciting on video than it was on the big screen. The main reason is the lingering close-ups of the crowd and individual reactions are more impressive on a smaller screen.(劇場の大スクリーン上でよりもビデオで見た方がエキサイティングな、満員のフットボール場にスナイパーが放たれたという設定のオールスターパニックムービー。その大きな理由(ビデオで見た方がエキサイティングな理由)は、群衆の執拗なクローズアップや個々人の反応は、小さなスクリーン上での方が印象的だからである)」と述べられています。すなわち、彼らはこの作品はビデオ/DVD時代の家庭での視聴に向いた作品であると述べていることになります。さすがに広大なフットボール場を舞台とするこの作品が大スクリーンよりもビデオで見た方がエキサイティングであるという主張は相当に眉唾ものですが、しかし少なくとも現在ではどうにも色褪せてしまいむしろ苦笑すら誘うような「大地震」や「エアポート’75」に比べると、設定自体がリアリスティックでド派手な効果に頼っていないだけに「パニック・イン・スタジアム」は現在でも最後まで緊張感を維持して見ることができる作品であると評価することができます。何しろ、パニック映画というウリに相応しくラストでは真の群衆パニックシーンを拝むことができ、他のパニック映画のほとんどが実際には限られた人々がパニクっているのみであるのに比べるとまさに看板に偽り無しとも言えるでしょう(但し、あちらではこの手の映画はdisaster movieと呼ばれるのでこの論法は通じないかもしれませんが)。まあそれは半分冗談として、しかしこの作品には他のパニック映画に比べると異なる点が1つあります。それは、「ポセイドン・アドベンチャー」、「大地震」、「タワーリング・インフェルノ」などの他の代表的なパニック映画では、自然災害か或いはそうではなかったとしても少なくともアクシデントにより発生した災害によりパニック状況が発生するのに対し、この作品ではチャンピオンシップが開催されている満員のフットボール会場で乱射無差別殺人を実行するスナイパーによってパニックが引き起こされ、すなわち悪意を持った一人の極悪人がパニックの元凶であるという点です。従って、下手をするとストーリーの焦点がパニックから犯人側に移ってしまう可能性が高いことになります。しかしながらこの作品が最も興味深い点は、スナイパーの素性やパーソナリティが全く等閑に付されており、そのような展開には全くならず、むしろあたかも自然災害が発生したのと同じであるかのような印象を受けることです。その点に関しては殊に徹底されていて、前半においては犯人の姿が画面上に映し出されることは一度もなく、たとえば犯人が車を運転するシーンなどでは犯人の視点から見られた主観ビューが採用されています。後半に入ってからも、犯人の目だけは映し出されますが、チャールトン・ヘストン演ずる警察長官に射殺されるラストの血まみれの姿及びフットボール中継用のテレビカメラにより捉えられた映像上以外には、犯人の姿が画面上に現れることはありません。そのような展開により、この作品を見終わった時に、何やら語られなければならないことが語られなかったような巨大な空洞が存在するかのようにも感ぜられます。たとえば、自然災害がパニック状況発生の原因であれば、オーディエンスは何故そのような災害が発生したかなどと頭を悩ませる必要はどこにもありませんが、「パニック・イン・スタジアム」のように悪意を持った人間がパニックの元凶であると前提されるならば、オーディエンスは作品を見ている最中はそうでなかったとしても、見終わってから何故犯人はそのような行動に走ったかが気になるのが普通であり、それにも関わらずこの作品はそれに対して回答はおろかヒントすら示しません。それどころか、主観ビューの採用などにより犯人ができる限りオーディエンスの視界から消去されるように提示されており、見終わった後むしろ犯人が不在であったような印象すら受けます。つまり、この作品においてはスナイパーの存在が常にストーリーの中心にありながら、そのスナイパーが全く不可視であり、美術で言えば遠近法の消失点のような存在として配置されています。恐らく1960年代以前であれば、凶悪犯人をこのような仕方で表象することはまずあり得なかったので、尚更興味深いものがあります。テキサスタワーからの乱射事件を題材とした作品に「殺人者はライフルを持っていた」(1968)というピーター・ボグダノビッチの実質上の監督デビュー作がありますが、焦点は常に犯人像にあるのであり、犯人に狙われる人々をサディスティックに描写することがその目的ではありません。そのように考えてみると「パニック・イン・スタジアム」は、行動する主体ではなく何かに受動的に反応する客体に焦点があるという70年代パニックムービーの本質が最も純化された形式で提示されているといえるかもしれません。勿論、この映画で云えばチャールトン・ヘストンやジョン・カサベテス演ずる主人公達のようにイベントに反応しながらも主体的に行動するヒーローも登場しますが、その彼らのみが焦点であるならばそれでは単なるヒーロー映画であるということになってしまい、またそうである為にはそのヒーローが対決する犯人像も明瞭な輪郭を持って提示されなければなりません。そうではなく、パニック映画はやはりパニックに受動的に反応する人々がメインに据えられているのであり、それ故に犯人像が不在であっても成立するのです。この作品の前半の導入部では、後でスナイパーの犠牲者となる人物或いは人物達のとりとめのない日常ドラマ(ギャングに脅されるジャック・クルグマン演ずる人物の場合にはとりとめないとは言えないかもしれませんが)が描写されており、これはパニック映画導入部の常套ではあると云えども、一般的なパニック映画の場合には誰が生き残って誰が死ぬかはストーリーが進行しないと分らないのに対して、この作品では冒頭から被害者が特定されていることになり、その点からもこの作品では行動の主体ではなく客体にフォーカスが当てられており、或る意味で被害者が主人公であるとも考えられることになります。もう1つの特色として、この作品はフットボールの試合をバックに取り入れてサスペンスが巧妙に盛り上げられている点を挙げることができます。上映時間約2時間のこの作品では、開始後30数分の時点でフットボールのチャンピオンシップの試合が開始され、それがラストのパニックシーン迄継続されますが、ということは凡そ90分間フットボールの試合がバックで継続されている前提となり、かなりリアルタイムに近い設定が為されていることを意味します。とは言っても、四六時中フットボールシーンが映し出されているわけでは勿論なく、フットボール場で継続されているドラマの合間にフットボールシーンが挿入され、フットボールの試合を通じて時間の経過が巧みに表現されています。またフットボールのスピーディでスリリングな展開そのものが、ドラマの緊張感をパワーアップしていることも指摘可能でしょう。「ロンゲスト・ヤード」(1974)のレビューでアメフトの試合を映画の中で巧みに利用するのはそれ程簡単ではなかろうということを述べましたが、「パニック・イン・スタジアム」は最も見事にそれが取り入れられた例の1つではないかと考えられます。ということで、70年代パニック映画の中では、かなり出来が良い方の作品であるように個人的には見なしています(まあ、「ポセイドン・アドベンチャー」、「タワーリング・インフェルノ」というビッグ2を除くと出来の悪い作品が多いことも確かですが)。


2007/09/29 by Hiroshi Iruma
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