何という人でしょう。IMDbによれば、これを書いている現在(2009/05/10)ですら、「post-production」或いは「filming」と記されている出演作品があります。つまり、既に60年以上現役として活躍しているということであり、このペースでいけば、きっとギネスにも載ったヘレン・ヘイズやリリアン・ギッシュの記録を破るかもしれませんね。とにかく、元気な人です。何とデビューから半世紀が過ぎてから初めてアカデミー賞(助演女優賞)にノミネートされた「マンハッタン・ラプソディ」(1996)では、エゴの大きさにかけては人後に落ちないあのバーブラ・ストライサンドですら、海千山千のバコールの傍にいると、小さく見えました。とはいえ、バコールの俳優としての資産は、ボギーことハンフリー・ボガート主演の40年代の4つの作品で確立され、それ以後は、その資産の配当で食っているという印象がなくもありません。それらのボギー作品における彼女は、とにかくスタイリッシュであり、噂によると特訓によってそうなったといわれる低いハスキー声がオーディエンスを魅了しました。ただ、エバ・ガードナーなどもそうですが、スタイリッシュさをウリにする女優さんは案外オバサン風になってしまうのも早く、50年代も後半になるとバコールもかなりオバサン風情が目立ち始めるようになった感があることは否めません。しかしながら、前述の通り、彼女の場合にはそれからが長く、80歳を越えた現在でも耄碌したという印象はまったくありません。ご存知の通り、かつてはボギーの嫁さんであり、また彼の死後、彼と似ていなくもないジェーソン・ロバーズと再婚します。スーパースターであったハンフリー・ボガートの最期を文字通り看取り、またかのスーパースター、ジョン・ウエインの最期を「ラスト・シューティスト」(1976)で象徴的に看取った彼女は、20世紀の二人のスーパースターの最期を見届けたことになります。いずれにせよ、同年代どころか1935年以前に生まれた女優さんのほとんどが完全引退してしまった現在にあって、まさに彼女は生きる伝説として映画に出演し続けていると言えるのではないでしょうか。「生涯女優」という言葉は、まさに彼女のためにあるのでしょう。 |
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1944 |
脱出 |
1964 |
求婚専科 |
1946 |
三つ数えろ |
1966 |
動く標的 |
1947 |
潜航者 |
1974 |
オリエント急行殺人事件 |
1948 |
キーラーゴ |
1976 |
ラスト・シューティスト |
1950 |
情熱の狂想曲 |
1981 |
殺しのファンレター |
1953 |
百万長者と結婚する方法 |
1988 |
死海殺人事件 |
1955 |
蜘蛛の巣 |
1990 |
ミザリー |
1955 |
中共脱出 |
1994 |
プレタポルテ |
1956 |
風と共に散る |
1996 |
マンハッタン・ラプソディ |
1957 |
バラの肌着 |
2003 |
ドッグヴィル |
1959 |
北西戦線 |
2004 |
記憶の棘 |
1964 |
残虐療法 |
2005 |
マンダレイ |
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