約 束

   おまけ


 孫呉との戦は、こちらが優勢だった。せっかく捕らえた甘寧を取り逃がしたのは惜しかったが、我らの責めにあって死んでくれたというのも幸いした。本国からの援軍も間に合い、今や我が軍は孫呉の軍に数倍している。策などは用いずとも、このまま力押しに押せば、必ずや我が軍が勝利を物にするだろう。
 敵軍の退却の鐘の音が聞こえる。孫呉は用兵の速さに定評のある軍だ。ここでまで取り逃がしては堪らぬ。急いで進軍の銅鑼を鳴らし、呉軍を左右から追い込みにかかった。
 左には切り立った山。右には長江。奥には隘路という絶好の位置に陣取っている。万に一つも孫呉に逃げる道はなかった。
 その時、低い銅鑼の音と共に、山が揺れた。
「何事か!」
「山中から、敵が…!」
「ばかな!」
 切り立った、崖のような山である。あんな山肌を、駈け降りて来られる筈がない。
「ま…まさか! あれを、あれをご覧下さい……!」
 指さされた先に目をやると、そこには馬群の先頭に、先日死んだ筈の男が巨大な刀を片手に崖を駈け降りてくる姿があった。
「ばかな…ばかな、そんな事がある筈がない…! 退け! 早く退くのだ…!!」



 遠くに敵軍の混乱と自軍の鬨の声を聞き、孫堅は本陣で満足そうな笑みを漏らした。
「よろしかったのですか、殿?」
 脇で程普が気遣わしげに眉をひそめている。
「何がだ」
「あんな事のあった直後だというのに、甘寧にあんな下知を下すとは……正気の沙汰とも思えませんぞ」
「なあに、あいつも暴れたがっていたのだ。あのくらいの事は喜んでこなすだろうさ」
「そう簡単に言いますな。……いや、年ですかな。俺などはどうも心配で……」
 孫堅は小さく笑った。
「そんな心配は無用だ。あいつは俺と約したのだからな」
 程普は、何度か目をしばたかせて孫堅を見た。
「は? 何の事です?」
「いや、こちらの事だ」
 孫堅はもう一度、遠い戦場に目をやった。戦は今日にも終わるだろう。
 夏の熱い風の中、孫堅はもう一度、口元だけで笑った。


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