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05飛鳥記
前編
電気関係
Power Port と言うそうだ。車のシガレットソケットが飛行機の座席の下に付いている。予め瀬木がその設備の座席を、長旅のコンピューター作業のために取っておいてくれたものである。直前にいただいた甲斐さんの差し入れ、ジャズヒストリー10巻組・寅さん24枚・洋画アラカルト10枚、のそれぞれ1枚ずつ計三枚を見た。あとはチャイコフスキーの5番を譜読み聴きして居眠りをはさむと、13時間くらいはラクに経ってダラスに到着。帰りも是非電源供給を受けたいとスチュワーデスに訊いたところが“Power Portの付いた列を予約するといいよ”と教えてくれた。

ダラス〜JFKはゴールド会員マイレージ特典でファーストクラスに突然してくれた。スパイシートマトという飲料がおいしかった。

JFKターミナル内の連絡線で4番ターミナルへ移動。エアリンガスの待合に行くとさすがにアイルランドの航空会社。ギネスを生で出している。ちゃんとガラスのカップで。南佳孝さんがいたら喜んだろう。ハッダッ!と言ったが解ってくれない。隣を指差してホットドッグにありついた。

機内灯が消えたので電燈スイッチを探したが分らず。スチュワーデスを呼んで教わると肘掛レバーにスイッチはあれど点灯せず。壊れているなら是非もなしと思いきや、スッチー隣の座席のライトを点けて“なんとか見えるだろう”。寝ている隣人がむにゃむにゃ言うので消してもらったが、大雑把に親切なんであるな。気付いてみれば肘掛には灰皿も付いており、すなわち古い機種、すなわち電気くらい壊れている、の法則。
(5・23)
ヨーコ・シャンドルフ
厚い雲をくぐり降りると、濃い緑には高い丘も樹もなくただ平原に整然と家々が並んでいる。ダブリンはどこか山の散居村を思わせた。

米国のように2種類のイエスノーシートがあるわけでもなく、パスポートのチェックのみでスイスイ人が通り過ぎるのは有難い。当地だって名にし負うあいるらんどである。靴まで脱がせて厳重チェックするのではない方向に肝心なことはある。と僕も思う。

コペンハーゲンも同じくスムースに入国させてくれたが、入国審査に並ぶ所に喫煙所があるのは嬉しい驚きだった。お出迎えに来てくれた Yoko Schandorph(ヨーコ・シャンドルフ)さんによれば、当国の女性は殆どが働いていて喫煙率も高く、嫌煙運動は盛んでないとのこと。“それ以前に嫌煙というのは行動による差別でしょう。喫煙習慣を理由に優秀な人材を取り入れ損ねることになるでしょう、それが保育園の教育者だとしても。”というご意見には勇気付けられた。成熟した社会というのはこういうことなのだ、アメリカよ。

前回のサンチアゴと違い街のど真ん中、コペンハーゲン中央駅のすぐそばのホテルであり、正午前にチェックインできた。こういう客本位なところも日本のホテルにも見習ってほしいものだ。2時半に着いても3時までロビーで待たされることはしばしばある。
散歩
チボリ公園というのはスイスだと勝手に思っていたがどうなんだろう。ゆったりと日向ぼっこの老人カップル、乳母車、毎日通っていると思われる写生の女性など眺めながら居眠り。テープ音楽によるミニバレー“そら豆王女”を野外音楽堂で観たあと外へ。手首のスタンプで何度でも出入り自由なんである。

目抜き通りを散歩。いい感じのポスター屋をふたつ発見。ひとつはアート的。ウォホールやジャズのものがいっぱい。映画100年という、チャップリンからシュワルツネッガーまで集合しているイラストポスターが面白いと思った。飛行機で“ターミナル”を観た影響もあるんだろうけど。

もう一つはデンマークおよび北欧の古地図を多く置いてある店。中学の修学旅行で京都に行った時、三条京極で古地図に見入っていた時に“お子さんに手の出るもんやおまへん”と追い出されたことを懐かしく思い出す。今でも八重洲の本屋に並ぶ江戸古地図を眺めるのは好きだが、どうしても買う気が怯むのはトラウマか。木工のゲームの店が素晴らしい。チェスの駒、木組みのソリティアなどと並んでオセロが面白い。小さな円筒の両端を色分けした駒を8×8=64の穴に挿すようになっている。買っとけばよかった。
 
チボリに再入園してみると、時間もころあいと見えてよほど人が集まっている。サイクロン型のジェットコースターが人気。フリーフォールというのも随分高いところまで上げるのであるな。10通りほど見学してから一旦宿へ。1時間ほど寝てから7時のショーを観に戻る。今度は生オーケストラ付きのコミックバレー。暖か味のある小編成の二流オケに親近感を抱きつつ、昼間から狙っていたステーキハウスでビールとお肉。大きな青トウガラシのピリピリにビールが進み、21時には眠れて翌日は7時起床。時差の調整もバッチリと飛鳥のお迎えを待っている。
(5・25 08:30)
乗船

お出迎えの運転手は昨日と同じ人。$5のチップに気をよくしたのかも知れぬ。今日は$3。

How are you と呼びかけたところから話が弾んだ。声がけは大事である。モントリオールに住んでいたことがあるそうで、僕がもうすぐNYに行くというと羨んで、モントリオールはいいところだが、3日以上居るともう飽きると言った。僕の好きな二人のピアニストがカナダ人だと言っても嬉しくなさそう。コペンハーゲンが好きなんだろう。

船ではボブさんが満面の笑顔で迎えてくれた。昨年ステージマネージャーだった立川さんがスカート姿。アシスタントディレクターになったんだそうだ。昇進なのかどうかはあいまいだと言う。今年の部屋はワンフロア上がって8階のベランダ付き。来年はスイートだね、とボブさんのジョーク。いきなり実にファミリアス。

荷を広げたところで観光シャトルの出発時間。せっかくだからと乗り込むと、降ろされたのはチボリ公園の横。昨日散歩しただけだが、勝手知ったる気分になって例の木工玩具屋へ。オセロは僕の勘違いで45クローネではなく165クローネだった。手元には103しかなかったので諦めた。スオッチが99だったのでこれからの2週間のために買う。

トイレに行きたくなって公園の表示に辿り着くと有料 kr2。ご婦人が二人続けて入ったその後にと思っていたら、二人目が出てきたその開いたところに若い娘さんがすっと入っていった。しばらく待ったが出て来ない。仕組みから行くと次の人が外からコインを入れないと開かないのではなかろうか。僕が開いたところへ待ちに待った婦人が出てくるのも憚られる。我慢して市庁舎広場までいくと無料があった。ポケットに4クローネでは如何ともし難い待ち合わせまでの2時間。

ミュージアム
一旦チボリに戻って今度は逆方向に歩くとカールスバーグ博物館。水曜日は無料解放との表示とは有難い、と入ってびっくり。

ビール会社の社歴でも謳っているのだと思ったらとんでもない。アテネのBCものからドガ、ゴッホに至るまでの立派な美術博物館だったのである。

ATN.79などと言う表示が西暦79年のアテネの作品だと言う意味だとすると、紀元をまたぐ頃には彫刻というものは完成されていたのだろうか。今世紀の多少アブストラクトなものの方がシンプライズされているように思えて何故か親近感を覚えた。

部屋によってはツタンカーメンとして見覚えがあるような石像がいくつも居並び立って怖かった。お棺もあった。
 
船や農業、何かの製造工程など奴隷労働の人形や人形の家がいくつかあったのも興味深かったが、紀元前のギリシャのミニ彫刻、5cm〜10cmの作品の美しさと精度には感動した。

中国は紀元前にシステムも思想や人物も完成を見ていてこの2000年は眠りっぱなし、 という説があるが、それと考え合わせて見ると、ローマでありギリシャであり、また中国然りで人類としては紀元後は落ちゆく計りなのかも知れぬ。産業革命は起こしたものの、ローマの土木のように市民の幸福につなげる基本思想が欠けているのでは無意味である、というのは極論か。

Dreierの10×40cmくらいの風景画に足が止まってしまった。
素晴らしい。
こういう呼び止められるようなことがあるから絵は愉しい。1818年生まれ。38歳で死んでいる。

Lundbyeの何枚かもよかった。中に Two Birch Tree という絵が、佐竹徳の描くオリーブの絵を思い起こさせた。

ゴーギャンの“Tahitian Woman With Flower”が対外的には当館のウリらしいのだけど、なんと言っても彫像だろう。ドガにも彫刻作品があったのは初めて知った。やっぱり踊り子なのね。一人は布っぽいスカートまでついている。ゴッホの“St.Remyの風景”は1889年とあったから死ぬ直前だろうか。オルセーで見た同じような構図のもののほうが、よほど小さいながらも俄然胸にせまったような気がする。
(5・25 18:00)
あこがれの人
ドナルド・キーン氏の公演を聞く。

源氏物語の素晴らしさについて概論と各章論を見事に論じらてたが、各論のところは舟を漕いでしまった。話が小休止するところでふと目が覚めるものであるな。いびきが出てなかったらよかったのだが。

1940年にタイムズスクエアで手に入れた49セントの源氏物語で人生が変わった。その頃ドイツがデンマークとノルウエイ、ポーランドまでを占領し、毎日のようにイギリスを爆撃していた。若き反戦家ドナルド少年は暴力を使わずにそれを泊める方法はないものかと胸を痛めていた。そんな時に高度な教育を受けてきたと自負しているにも拘わらず、それまで知らなかった素晴らしい世界に出会った驚きと喜びに逃げ込むように没頭した。紫式部には本当に感謝している、と仰ったのが可笑し味があって実によかった。

正宗白鳥は日本人でも現代人(明治)にとっては英語で読むほうが分り易いと述べたそうだが、これから読むにはどんなバージョンがいいかと質問すると(別の機会にである。業務乗船員としてはお客様の時間を奪う事はひかえるものである)いくつかの例を挙げるうちの谷崎潤一郎の名前を出す時に好意がこもっていた気がしたので探そうと思う。

結局は悪い男じゃないか、との批判は江戸期からあったらしい。儒教が教養として定着して行く頃だから仕方ないが、本居宣長による(そういう批判への)反論がとてもよかった。

儒仏に拠れば悪業限りなしと雖も人の世のあわれは儒仏の外にあればこそ(文学作品としての)良否はそれらの預かるところに非ず。

これは過去の作品から現代の差別語を削除する風潮にも当てはまるだろう。もうひとつ。

光源氏という象徴的な一人の男性に須(すべから)く理想を体現させた所に夢があるということと、全作を通してお金というものがまるで出て来ない点もある種のユートピア小説と言える。以上多少の主観混在。
(5・26 11:10)


アワビ、フカヒレ、蟹のツメ、と美味しくいただいて甲板に出る。多少の感ずるところはあれど句にならず。昼の俳句教室が悪かったかも知れぬ。季語、、、、、、、。
北緯58’39”で充分日は高い20時40分。船の立てる波しぶきの真白きこと。右舷左舷にスカンジナビアが横たわっている。
72.6kg 36% (5・26 15:00)


上陸日(ベルゲン・ノルウエイ)なので船内は催事もなくがら空き。ピアノラウンジでGBのち愛の夢を弾いていると調律師が乗ってきた。明日は初の本番なので有難い。好みを伝えて部屋に戻る。
北緯60’24” 東経5’14” 60’30”からを北極圏という。今航海は77’まで行くそうな。
(5・27 10:00)
ケーブルカー
ベルゲンの町はさして広くない。ということは随分歩いたということだ。バスが出ないから。

現在地がわからずに待ちの女性に尋ねると、差し出した地図を僕の手の平ごとごと掴みながら教えてくれた。ケーブルカーの乗り場に関してはそのタテモノのまん前で聞くという、ありがちな展開。60クローネで乗車。但しノルウエイクローネの相場は知らず。

眺望も良く、子供を遊ばせている家族など居て和んだが、ああいうものは一人で行ってもつまらないものであるな。チャイコフスキーを少々野外勉強してから船に戻って大浴場。ラウンジでお茶とケーキ。ホテルごと移動する便利さよ。

73.6kg 31% なんと太っているではないか。朝昼はビュッフェで野菜と果物のみ。ディナーだけはしっかり頂くがアルコールは抜き。70kgを割った日には飲むぞと思って今のところエレベーターも一切使わないで居るのに、、、。
(5・27 16:00)


昨日のこととて、、、。ムシのようなものが羽ばたいているので不思議に思っていると、遠くのカモメを近くの小虫と勘違いしていたことだった。洋上での遠近感喪失感じが愉しい。
ピアニッシモの醍醐味を教わった気がした。

小さしと思えば遠きカモメかな

としてみたが、季語も情景もまるで入らず句にならぬ。などと思えるようになったのは上達であるとしよう。オポチュミスティック。
(5・28 07:00)
フィヨルド
緑の小ぶりな丘に挟まれた海を縫って行く。左右の丘の背後には雪を戴いた岩盤の山がそびえる。ガイランゲルフィヨルドは聞きしに勝る景観だった。突き当たりでUターンする頃から明日一緒にコンサートをするオーボエのサリマちゃんと音合わせ。さほど難解な譜面はなかったので助かったが、何日か前に一緒だったという船のハコバンの書き込みの間違いが多くて混乱する。
(5・28 12:30)
平和について
北緯66’30”
いつのまにか北極圏に入っていた。少し前に“ここより”のモニュメント有。地球儀型とはいうが見た所鉄枠の球が一本の棒で突っ立ってる感じ。どうせだったら派手にすりゃいいのに。とこれは在日関西人的発想だとしても、どうせならきっちり66’30”の位置にすればいいのに。
 
スカンジナビア半島を右に見て北上し続けている。西側に並ぶ島嶼(自分じゃ書けませんね)との間を主に走行。時に外洋側に出ることもあり、その説は揺れる。昨夜の場合午前0時から1時にかけてだった。驚いたことにその間、空はずっと夕焼けなのである。沈んだかに見えた太陽は地平線のすぐ下に居続けてるのだろう。今日あたりは沈まぬ太陽と対面しそうである。
 
“Red Island Lion”ライオンに見える小島が正面に現れた。乗客全員先ほどから何度もバタバタと左舷へ右舷へ正面へ、と忙しいことである。天候に恵まれて結構である。平和である。平和と言えば、以下小学生の感想文のようであるが、、、

デンマーク・ノルウエイ、それに去年のチリ・アルゼンチン等いずれも入出航時には各国のパイロットが乗り込んで、当地の最新海図と諸々情報で無事航海が続く。国同士に多少のことがあっても海の男の連帯感、みたいなこともあるだろうけれど、やはり基本的には国際間が友好的であればこそのことだろうから世界の平和はとても大事。大金持ちの遊覧の為に世界平和を、というのでは余りに説得力に欠けるけれども、日本という小さな国の船が世界中を安全に巡ることが出来ることが、ある程度の国家間の安全優先友好関係が保たれている、つまり素朴で大雑把には世界は平和だということの象徴にはなるかも知れない。
(5・29 10:00)


キーンさんの講演、ヴェルディについてを聞く。“吟遊詩人”見るべし。
 
救命ボートは必ず船尾を向いている。ジョギングコースは左舷を先頭に向かう。
パノラマラウンジは先頭10F 。それ以外の施設は後方にかたまっている。
73.6kg 32.5% (5・29 11:00)
美人奏者
あれはなんというのだろう。ビシソワズを固形にして菱形の小さい陶器に入ったアペリティフ。白ワインでいただいてとてもおいしい。サリマとボブ、三人でのディナー。乗り合わせた二人、僕とサリマ・コジーア(Oboe)のアーティストのコラボレーションショウのあとである。ボブはエンタティンメントディレクター。

ある種理想的な会話である、というのは、、、、概ね英会話が進む中、ややこしい話になると僕にはボブが日英をつないでくれる。そして僕がある程度以上の英語が分らぬことを受けて、ボブとサリマは気兼ねなく込み入った話ができている。次の仕事の売込みとか。

それはともかく、美人とはこうか。たたずまいはそのまま絵であり、彫刻である。その声は音楽。会話して分る英語より置き去りにされて分らぬ言葉を横から聞いている時に、より妙なる歌を聴く思いがする。
ベシー・スミスやビリー・ホリデイに切ないほどの夢を見てしまうのも、この、解らぬだけに純音楽的なサウンドを感じるからではないか。変と言えば変、間違っていると言えばまちがっているんだけれど。たしか色川武大さんが“言葉が良くわからないからジャズボーカルはいいんだ”みたいなことを言ってたように思う。
(5・29 23:30白夜につき夏の16:30ほどの外観)
サリマとのショー
1.As Time Goes By  Piano Solo
2.Sayamambo  Piano Solo
3.Hymn To Freedom  Piano Solo
4.Liberitium Boogie  Piano Solo
5.Ave Maria バッハ〜グノー  Ob+Pf
6.Cabatina ディアハンター  Ob+Pf
7.Swan Lake Overture チャイコフスキー  English Horn+Pf
8.中央アジアの草原にて(モルダウ)〜悲しみのシンフォニー(モーツァルト)
ENC, Times To Say Goodbye


サリマ・ワジール
アフガニスタン人の父と、英瑞混血の母を持つイギリス国籍のオーボエ奏者。外見は完璧に英国白人であるが、その白さゆえにアフガンや現在両親の住むパキスタンでは差別を受けるというから世の中はややこしいものである。しかしそうした体験は人物を作るとみえて、英国人に常々感じる鼻持ちのならなさを微塵も思わなかった。

共演が決まってから本番までの二日間、ディナー会場で顔を合わせつつも同席には腰がひけていたのだが、それでよかったように思う。ステージで音を出すのが一番の会話であり、それが済んでからだと何の支障も遠慮もなく会話が弾む。アフガン〜パキスタン、という現在最もややこしいところに関係していることについての大変さ、の話にはついていけなかったけれど。

そんなに上手だとどの船でも引っ張りダコの大受けでしょう、と言われた。横からボブが、彼は有名なコンサートピアニストで、飛鳥には特別の好意で来てくれているのだと解説してくれて嬉しかった。ちょっとした嘘が入ってる気がするんだけど。
73.2kg 31%  (5・30 08:40)
人工氷河期と俳句
時計が一時間戻って起床が一時間遅い九時。ということは二時間余計に寝たということか。

朝のビュッフェの後、功刀(クヌギ)先生の講演、海の話が面白かった。陸の植物は窒素、リン、珪素が栄養素。一方海の植物は窒素、リン、鉄。鉄は陸に、珪素は海にそれぞれ豊富に揃っている。
北海は栄養分が高く、植物プランクトンが豊富で、>動物プランクトン>小魚>大魚、
という連鎖で生物が多い。南極周りは不活発。ところが鉄分を人為的に撒くとたちどころに植物プランクトンが増えるという。タンカー一隻分の鉄を投入するだけで、海洋植物の増加によるCO2の摂取により地球を氷河期にすることも可能だというからすごい。

功刀先生はいい人。乗船した途端に、やあお久しぶり、と声をかけて下さったし、色んな人に紹介の労を取ってくれる。押し付けがましくもないし厭味もまったくない。生来の人間好きがオーラとなって出てるのを感じる。乗り合わせた中にこういう人が一人居てくれるだけで随分船旅が楽しくなる。

講義の帰りに入浴。この時間は誰も居ないので貸切、気分良し。部屋でちょいと横になったらまた寝てしまい、13時20分。昼のビュッフェの締め切りに滑り込んでカレーを食べて、山崎先生の句会の時間が迫る。たばこ、トイレ、歯磨き、髭剃りを同時進行。忙しいことである。
30人を超す盛況。自分の句が人の手で清書されたり、誰かの選に入って読み上げられたりするのは嬉しいものであるな。

入選二句
助っ人が還るボートの水尾寂し>>添削後>>パイロット帰るボートの水尾白く
ヒトデをば飲むか海猫気の強し>>>海星をば飲むか海猫気の強し

日ざしまで写真にとりたい白夜です
というのを僕が選んだら、落語の柳家権太桜師匠の作だった。
(5・31 16:00)
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