109ネットに見る「砧」の間違い

 

 砧は、日本では明治時代にその慣習が廃れたのですが、「砧」の言葉は残りました。そのために「砧」は本来の意味から離れてしまい、正確な「砧」の姿が分からないという混乱した状況になっています。このまま放置すればますます混乱し、とんでもない間違いも出てくることでしょう。そこでインターネット上で見かけた「砧」を紹介して、その間違いを指摘したいと思います。

1.朝鮮と砧
(砧のメロディ―宮城道雄)
http://72.14.235.104/search?q=cache:1BpaCDm9mw0J:amana.hp.infoseek.co.jp/forum/ikeda.html+%E7%A0%A7%E3%80%80%E6%9C%9D%E9%AE%AE&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=20&ie=UTF-8&inlang=ja

朝鮮の洗濯というのは、ご存知でしょうが、砧(きぬた)で叩く洗濯ですね。これは、洗濯だけではなくて、ずっと昔から朝鮮からの渡来人から学び、更には日本の植民地になってからの朝鮮で、多くの人が砧のメロディ、リズムを身につけてくる訳ね。日本でも古代の渡来人から学んだ砧のメロディが、「砧」という、ひとつのメロディの定型としてずっと残っている。たとえば、「春の海」という、あの下らない曲を作った宮城道雄という検校(けんぎょう)。目が見えなかった人は、7歳でおばあさんと弟、妹を連れて、朝鮮に渡りました。そこで彼は、尺八と三味線、お琴を教えて一家を支えたんです。7歳の時から。失明して間もなく。で、彼はほとんど失明してましたので、ほとんど音でしか、朝鮮を体験してないのね。彼は沢山の砧、「唐砧(からぎぬた)」とか「遠砧(とうぎぬた)」とかいう曲をたくさん作ってるんですね。古代から流れてくる伝統音楽だけではなくて、近代化された新日本音楽と言われた、昭和と共に始まる新しい音楽運動があるんですが、新日本音楽という、新しい日本音楽の近代化の革命の運動の中でも、朝鮮の砧のメロディは宮城道雄によって、取り上げられてるのね

(下線は引用者、以下同じ)

 

 下線部を一つずつ検討していきます。

 

砧(きぬた)で叩く洗濯ですね
 ここでは「砧」を叩き洗いの木槌としていますが、間違いです。砧打ちは、汚れを落とす洗濯の後で、皺を伸ばし艶を出すための工程です。今で言えばアイロンかけに相当します。アイロンで洗濯しないのと同じで、砧で洗濯はしません。

日本でも古代の渡来人から学んだ砧のメロディ
 古代の渡来人に砧の慣習があったという史料は皆無です。そもそも朝鮮半島における砧の資料は、19世紀末の日清戦争時より古いものがありません。それよりさらに千数百年も前の古代の朝鮮半島に砧があったかどうかは不明なのです。

宮城道雄という検校(けんぎょう)。目が見えなかった人は、7歳でおばあさんと弟、妹を連れて、朝鮮に渡りました
 宮城が朝鮮に渡ったのは、明治40年9月で、数え14歳の時です。連れて行ったのは父親の国治郎です。ここは勉強不足としか言いようがありません。

朝鮮の砧のメロディは宮城道雄によって、取り上げられてるのね
 朝鮮人たちは砧を女性の悲哀や苦衷としてとらえたという研究があります(下記註)。しかし朝鮮では砧打ちをメロディとしたことは、あり得ません。そのような民謡等は皆無です。宮城はそれまでメロディになっていなかった朝鮮の砧の音を音楽化した最初の人です。

「春の海」という、あの下らない曲を作った宮城道雄という検校(けんぎょう)
 この講演をした池田浩士さん、人権上かなり問題のある人のようです。

 

(註) 李哲権「衣うつ音―“砧”の比較文化研究―」(東大比較文学会編『比較文学研究64199312月所収)

 

 

(砧―宮城道雄)

http://homepage3.nifty.com/emihana/zakki/zaki53.htm
三月四日(木)
今日は三味線の稽古。稽古が終わった後、先生とお話する時間がこのところ増えてる。今やっている「遠砧」が出来た状況のお話から、先生がこの道にはまったきっかけまで。「遠砧」。砧というと競伊勢物語を思い出すが、この曲の砧の音はなんと朝鮮での音なのだとか。宮城道雄先生が朝鮮に行かれたときに遠くで砧を打ちながら洗濯をする音が聞こえてきてそれを曲にされたんだそうだ。当時、朝鮮では砧で打って洗濯をしていたのだそうだ。詩はとても日本的だけど、三味線の拍子がたしかにトトン、トトンと砧を打って洗濯をしてるかのようにも聞こえる。
そして先生がこの道に入り込んだきっかけは、宮城先生を好きになったきっかけは、ラジオの生演奏を聞いて、その古曲(曲名がわからないが風を歌った曲だそう)を聴くだけで風が吹いたような気持ちになりものすごく感動して宮城先生の元で・・と思われたのだそうだ。私のように三味線を弾く姿がカッコいいからと始めたのとはやはり違う。今はしっかりと先生をやってらっしゃる先生が、そんな風にラジオの音から、音に感動して・・という話を聞くのもとても新鮮で楽しかった。

 (下線は引用者 以下同じ)

 

 これも下線部を検討します。


「遠砧」。砧というと競伊勢物語を思い出すが、この曲の砧の音はなんと朝鮮での音なのだとか
 宮城が朝鮮在住中に作曲したのは「唐砧」です。「遠砧」は日本に帰ってから東京に住んでいたときに作曲したものです。

遠くで砧を打ちながら洗濯をする音が聞こえてきて
当時、朝鮮では砧で打って洗濯をしていたのだそうだ。詩はとても日本的だけど、三味線の拍子がたしかにトトン、トトンと砧を打って洗濯をしてるかのようにも聞こえる。
 砧は洗濯後の仕上げで、アイロンかけに相当します。アイロンで洗濯しないのと同じく、砧で洗濯することはありません。
 また朝鮮の叩き洗い洗濯で打つ横槌と砧打ちで打つ横槌とは、形態が違いますし、打ち方も違います。

 

 

(帰化人と砧)

http://www7.ocn.ne.jp/~ponpoko/ponpoko_010.htm
C帰化人によって開発されていった古墳時代
 ‥‥「砧」という地名は、朝鮮半島からの帰化民が朝廷に納める布を、川原でたたいて柔らかくし、同時につやを出すために用いた道具から生まれたといわれています。

 帰化人と砧とは全く関係がありません。従ってこれは間違いです。「といわれています」とありますが、誰が言っているのでしょうか。

関東ではこんな根拠のない俗説が広まっているのでしょうか。

 

 

(渡来人と砧)

http://www12.ocn.ne.jp/~inaniwa/page036.html
20050323 ‥‥
また神奈川県の秦野や東京の調布、狛江、砧は名前からも同様に渡来人が開いた土地であることも理解していたはずであった。

 「きぬた」というのは、全くの日本語です。「砧(きぬた)」の地名から「渡来人が開いた土地」であることは分かるわけがないし、あり得る話でもないです。そもそも現在の「砧」という地名は明治時代に名付けられたのであって、それより以前に遡ることができません。
 また朝鮮半島では、19世紀末より以前に遡る砧の史料は皆無ですので、それより千数百年も前の時代に、渡来人が砧を持ってきたということは証明できないものです。ましてや、渡来人の開発地を「砧」と名付けたというのは、妄想と言っていいでしょう。
 このような珍説・奇説が広く信じられているのは、困ったことです。

 

 

홍두깨 ホンドゥケ)

http://blog.goo.ne.jp/kaznet227/e/98f3dbb6fc4f4023b7e41ceb8c92bf83

홍두깨(ホンドゥケ)というのは砧(きぬた)を打つ棒のことです。「砧」は槌(きづち)で打って布を柔らかくしたりつやを出したりするのに用いる木や石の台のことで,「きぬいた(衣板)」の音が変化したものだといわれています。昔はよく川べりで女の人が,パンパンと洗濯物を叩きながら洗濯をしている光景が見られたでしょう。その時に使われる棒のことを홍두깨(ホンドゥケ)というのです。

 「홍두깨(ホンドゥケ」は「綾巻(あやまき)」のことです。綾巻は、『広辞苑』では「砧で布を打つとき、その布を巻きつける棒」と正しく説明されており、「打つ棒」ではありません。

そして洗濯の叩き洗いに使う槌は「빨래 방망이(パルレ パンマンイ)」というのであって、「ホンドゥケ」ではありません。

 砧は川で洗濯した後に、家のなかで行なう仕上げです。洗濯の叩き洗いとは違います。

叩き洗いと砧打ちは仕草が似ていますが、場所も時間も用語も目的も道具も叩き方も、すべて違っています。
 

 

(きぬた)

http://www2u.biglobe.ne.jp/~hirakatu/02%20tachihara%206.htm
<きぬた>S47.1−12
 砧が能の演目であることを「きぬた」で初めて知った。同時に砧が水辺で布を女性が打つ台であることを知った。能では3年ぶりに帰るという夫を妻が砧を打って待つが、帰らないので死して怨霊になるというものだった。インターネットで見ると宮城道雄の音楽や上村松篁の絵にもなっていた。砧青磁というときの砧は淡い青だそうだ。後輩の李恢成が昭和46年に芥川賞を受賞したのは「砧をうつ女」だった。韓国の民画に川辺で足を出して砧を打ってる若い女性達を覗き見する両班の絵があった。日本でも韓国でも砧は題材になるのだ。

(下線は引用者)


 砧は家の中で打つものであって、屋外の水辺では打ちません。
 また「韓国の民画」というのは、李朝時代の金弘道という画家の絵画と思われます。それは川で行なう叩き洗いの洗濯を描いたもので、砧打ちを描いたものではありません。

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/chousensentaku

 朝鮮の李朝時代において、砧を題材にした絵画は管見では見当たりません。

 

 

2、砧とは何か?

(衣叩き)

http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/know/property/12.htm
衣叩き(きぬたたき)
古代の技術で織られた布は、糸が太くごわごわと硬かったため、多摩川の清流に布をさらしながら、「砧(きぬた)」という木槌でたたく「衣叩き」という作業をして、つやを出し、柔らかくしたといいます。
記録によると江戸時代頃までは多摩川で布をさらし、衣叩きをしていたようで、多摩川にほど近い世田谷区砧の地名もここから来たものだと思われます。
(絵:諸国六玉川)

(下線は引用者)

 

これも下線部を検討します。


「砧(きぬた)」という木槌でたたく
 これはこれまで何回も繰り返していますように、砧は木槌ではありません。


記録によると江戸時代頃までは多摩川で布をさらし、衣叩きをしていたようで、多摩川にほど近い世田谷区砧の地名もここから来たものだと思われます。(絵:諸国六玉川)

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/tamagawatoui

 ここに掲載されている「諸国六玉川」の浮世絵では、布を臼に入れて竪杵で打っています。これは砧打ちではなく、晒しの作業です。
 「晒し」というのは、布を晒して白くすること、またはその白布をいいます。晒しは「奈良さらし」が有名で、県の無形文化財に指定されたこともあって、その工程・技術が明らかなものです。
 この晒しの工程の一つに、布を臼に入れて打つところがあります。これは当時の洗剤である灰汁を布全体に染み込ませるためのもので、今で言えば洗濯機に洗剤を入れて掻き回す作業に相当するものです。
 晒しと砧は違うものです。これを混同して「砧」という地名に結びつけるのは、全くの間違いです。

 

 

(横槌)

http://www.museum.spec.ed.jp/monoshiri/stock/maibun/ma0034.html
資料名   横槌(砧)
解説    木簡(もっかん)、曲物(まげもの)の底板、土師器坏(はじきつき)などとともに土壙(どこう)から出土しました。脱穀の際などに使用された農具で、使用痕も残っています。用いた樹種は、ヒノキ類です。

 

 埼玉県の遺跡の出土遺物の紹介のページですが、間違いがあります。
 資料名を「横槌(砧)」としていますが、渡辺誠名古屋大学名誉教授は「ヨコヅチの考古・民具学的研究」(『考古学雑誌703号』所収)で、横槌の用途には7種類あり、砧はその一つにしか過ぎないので、これを「砧」と称することは誤りであると論じています。それ以来『木器集成』等の考古学の標準となる文献では「横槌」に統一されており、「砧」とは呼称されていません。
 解説に「脱穀の際などに使用された農具で、使用痕も残っています。」と記しています。写真を見ると、使用痕は敲打部の先端部ではなく側面部にあります。これでは脱穀には使えません。脱穀は竪杵のような使い方をするもので、使用痕は先端部になければならないからです。

 

 

(横槌と砧)

http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=464&forum=6
左が「横槌」右が「砧槌」です。
 これに対し砧(きぬた)は、言葉は良く聞きますが現物を見たことがありませんでした。
 「砧」の付く季語だけでもいろいろありますね。
 布を叩いて柔らかくする物です。 横槌と全く同じ目的に使いますが、さすが打つ対象物が変わると高級仕上げになっています。

 「横槌」「砧槌」と違う説明をしていますが、両方とも「横槌」です。
 用途は右側を「砧」としていますが、これは藁打ち用で、砧用ではないでしょう。むしろ左側の方が、砧用に似ています。
 砧を「布を叩いて柔らかくする物です」としていますが、これは間違い。砧は皺をのばし、艶を出すためのものです。
 地方によっては、糊付けして硬くなった着物を着やすくするために打つ道具を「キヌタ」という例が報告されています。これを念頭に置かれた説明でしょうが、これは誤用です。

 

       

(洗濯石)

http://www.chinatrg.com/tomonari-lvyou-006-kanaizawahi.html
 金井沢碑について        
今から1,250年以上前の神亀三(726)年に作られました。時は流れ江戸中期に土中に埋もれていた
ものを見つけ、農家の庭先で砧(きぬた:洗濯石)として使用されたが、不幸が続いたことから
現在の位置に置かれ祀られたという。

 日本の洗濯は、中世までが足踏み洗い、近世になると手揉み洗い、明治後半からは洗濯板を使っての揉み洗い、第二次大戦後は洗濯機による洗いと変化しました。
 洗濯石とは、中世の足踏み洗いの際に地面に据えた石のことで、この上に洗濯物を置き、柄杓で水をかけながら足踏みするものです。中世の絵巻物によく描かれています。東国では近世でもこの洗濯方法が続いていたようです。
 この洗濯石は汚れを落とす洗濯の用具であって、砧ではありません。

 

 

(砧巻)

http://www.gekkan-kyoto.net/unchiku2006.htm

*砧巻(きぬたまき)〜砧の上に槌で打ってやわらげ、艶を出す、美しい白い布のように、かぶらでサーモンの素材を巻いたもの。人を待ちながら打つ砧の音とか、遠く聞くその音はさみしいもの、そういう風情をこの料理はあらわす。

(下線は引用者)


 「砧巻」は、綾巻に布を巻いて打つ砧から名付けられたものです。
 同じような料理として「砧大根」があります。かつらむきにした大根で、千切りした生姜を巻いて味噌漬けしたものです。近年では生姜ではなく豚肉を巻いてだし汁で煮るようです。
 いずれにしても、「砧巻」「砧大根」は、綾巻に布を巻く砧から名付けられています。
 「砧の上に槌で打ってやわらげ、艶を出す、美しい白い布のように」という説明は間違いです。

 

 

(唐砧)

http://contents.innolife.net/culture/cu_event.php?cs_id=5&cu_id=2418
1. 唐砧-からきぬた(8)
  三絃/芦垣 箏/牧原・長谷川
  宮城道雄作曲 1914
 きぬた()とは衣類を作るのに使う布地板の上に置き、木槌で叩いて柔らかくしたり光沢を出したりする道具で作業を称える言葉だ。日本ではきぬたをたたく音は秋の季節感を現わすものとして昔から音楽と詩に歌われてきた。
 この曲は作者が韓国に居住した21歳の時作曲され、深夜遠くから、または身近で鳴らすきぬたの音を素材にして作った。

(下線は引用者)


 砧で叩くのは洗濯後の布地であって、「衣類を作る布地」ではありません。
 布地は綾巻に巻くか台の上に折り畳んで置くかするのであって「板の上に置く」ものではありません。
 また皺を伸ばすのであって、「柔らかく」するものではありません。

 

 

【関連論考】

「砧」講演           http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai

「砧」講演(続)        http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

「砧(きぬた)」         http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

「朝鮮の砧」          http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai

「誤りの多い“砧”の解説」   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuusandai

「砧」に触れた論文批評     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuhachidai

角川『平安時代史事典』にある盗用事例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485

「砧」と渡来人とは無関係        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192

北朝鮮の砧               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/22/2523671

砧という道具              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/05/2545952

 

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