93 誤りの多い「砧」の解説

――(続)朝鮮の砧――

 

 朝鮮の砧については、先の第90題 朝鮮の砧の結論部分で「正確な知識の普及が求められている」と論じた。こう書いたのは間違いの解説が余りにも多いからである。間違いをそのまま放置するとそれが定説化することになりかねないので、ここに批判を呈する次第である。

(砧の種類や構成部分名については、第90題を参照のこと)

 

 

『韓国伝統文化事典』の間違い

 韓国文化を紹介する国立国語院編『韓国伝統文化事典』(三橋広夫・趙完済訳 教育出版 2006年1月)が出版されている。立派な装丁で綺麗に仕上がった本であるが、162〜163頁にある砧の解説は間違いが多く、残念な思いである。

 

「この文化(砧打ち)は韓国と日本にしかない。」162頁 2行目)

 

中国では4〜5世紀の六朝時代に砧を題材にした漢詩が現れる。8世紀の唐代になると、出征兵士の妻や恋人が夫のために砧を打つ場面で女性の悲哀を表現した漢詩が多い。どのような砧であったかは不明であるが、砧がかつて中国にもあったことは確実である。

 最近の例では、国立民族学博物館にアフリカのセネガルで使われていた砧の槌が展示されていた。http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutasenegaru 「しわのばし棒」と名付けられているもので、敲打部と柄部の境目に段を有する横槌である。解説のビデオによると、乾かした布に蝋を塗って、平らなかまぼこ状の台の上にひろげて、二人の男がこの槌を右手にそれぞれ持って二〇分ほど打つ、とある。

 以上により砧打ちの文化は、世界的に広がっていた可能性が高いと考えられる。「韓国と日本にしかない」とする記述は間違いである。

 

 

「その上にからからに乾いた布地やふとんなどを幾重にものせてたたいたり」162頁 4〜5行目)

 

 砧打ちは洗濯物が生乾きの時に行なう作業である。もし乾ききっていれば霧吹きして湿らさねばならない。「からからに乾いた」ものを砧打ちすることはない。

またふとんは中の綿を外に出して、敷布を洗って砧打ちするのである。ふとんを砧打ちすることはあり得ない。

 

 

「綾巻はかたい木でつくるが、普通足の長さ半分ほどで、一対になっていて両手にもってかわるがわる服地をたたく。一人が両手に棒を一本ずつ持ってたたいたり、または両手に棒をもった二人が向い合って座ってたたいたりした。」162頁 7〜10行目)

 

 ここでは綾巻(ホンドゥケ)と槌(タドゥミ パンマンイ)を全く混同している。綾巻というのは長さ1m、径6〜10cm程の丸太であり、槌は長さ0.4m、径3cm程であるから、「足の長さ半分」であるのは後者の槌である。砧打ちは綾巻に布を巻いて台に置き、一対の槌で叩くのである。

【綾巻を使った砧の写真】http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu2

 

 

「服を洗濯して糊づけした後に砧打ちをすると、繊維が広がってむらなく糊がついて風を防ぐのに役に立つ。」162頁 16〜17行目)

 

 砧は皺を伸ばして艶を出すものであって、糊を「むらなくつける」ものではない。糊づけは、砧を打つ前にすでに「むらなく糊がついて」おかねばならないものである。

糊づけが風を防ぐということはあり得ない。もし布目に風が通らないようにするには、糊をたっぷりとつけてカチンカチンに硬くする必要がある。しかしそれでは厚紙で作った服と同じで隙間が多くなるので、かえって風通しがよくなるだろう。

 

 

「砧と綾巻」162頁 写真のキャプション)

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutabunkajiten

 

 写真は台と二本の槌だけで、綾巻がない。しかしキャプションにはこのように「綾巻」と記されている。つまり綾巻のないU型の砧の写真に、綾巻を使うT型の説明をしている。二種類の砧が混同されているのである。

 

 

「ほとんどの家では砧に彫刻を施して模様を描き、色まで塗って華麗に飾った。」163頁6〜7行目)

 

 砧の彫刻は、その機能からして綾巻や槌、台の上下面に施すことはあり得ない。すると彫刻は台の側面ということになる。しかしその例はかなり珍しい。管見では『目で見る李朝時代』(国書刊行会)の166頁の写真に格狭間模様が彫刻されているもの(http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu7)があるのと、後述の大阪人権博物館(リバティ大阪)所蔵のもの(http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutajinken)に太極模様が稚拙に刻まれているぐらいである。他はすべてシンプルなものであった。ましてや色を塗った砧は、確認できるものがなかった。

果たして「叩く」という使い方をする日常道具に華麗な装飾を施すことがあったのか、極めて疑問である。

 

 

「昔は秋になれば、秋・冬の服とふとんカバーを用意しようとして打つ砧の音が家の中から流れてきた。」163頁12〜14行目)

 

 秋に砧打ちするのは、かつての日本であった。秋の風物詩として平安時代から和歌に詠まれ、源氏物語や世阿弥の能楽にも登場する。そして「砧」は俳句で秋の季語となっており、芭蕉の作品の題材ともなっている。

 一方の朝鮮では、砧は季節に関係なく打つものであった。朝鮮の砧に季節感はない。

 

 

「昔の韓国人は、この砧の音に勤勉な生活の姿がこめられるとして、赤ん坊の泣く声と本を読む声に加えて、耳に心地よい三つの音に選んだ。」163頁 14〜16行目)

 

 残念ながらこの根拠となった資料の呈示がない。今のところ管見で言えることは、朝鮮で砧の音がどのように感じられたかの資料は近代以降の文学作品か民謡ぐらいしかない。

これについては李哲権が詳しく論じている(註1)。それによれば、朝鮮において砧の音は女性に強いられた運命や母の願い、悲哀をイメージするものであった。従って砧の音を「勤勉な生活の姿」「耳に心地よい」とする感性が朝鮮民族にあったとする記述は疑問である。

 

(註)

1)李哲権「衣うつ音―「砧」の比較文化研究」(東大比較文学会『比較文学研究64』所収)

 

 

『朝鮮語大辞典』の間違い

 角川書店『朝鮮語大辞典』(1985)の546頁に、朝鮮の砧が挿図付きで説明されている。この図は布を巻いた綾巻があるので、T型の砧である。

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutadaijiten 

ところがこの綾巻には細長い突起物が取り付けられている。これでは綾巻を回転させられない。さらに綾巻は「ホンドゥケ」であるのに、台のほうである「タドゥミ トル(━原文はハングル)」と間違った語句で説明している。

そして台は板状の小さなものが布に隠れているように描かれている。だがこのような台では綾巻を固定できないだろう。

また打つ槌は真っ直ぐであるべきのに図では反りを持っているし、太さがかなり細く描かれている。まるで長鼓を叩く撥のようである。

どのような資料に基づいたのか分からないが、問題の多い図である。

 

 

在日韓人歴史資料館の間違い

 最近、東京で在日韓人歴史資料館が開設された。これまで在日朝鮮人の生活資料を収集展示する施設がなかったので、このような資料館はまことにありがたいものである。この館では次のような資料が展示され、「砧棒(きぬたぼう)」というキャプションが付されている。

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kannjinhakubutsukan(註2)

果たしてこれは砧の道具なのかどうかである。ここで朝鮮の叩き洗い式洗濯を写した写真とそれを描いた絵画資料を呈示する。女性が川辺で叩き洗いの洗濯をしているところであるが、手に持つ槌に注目してもらいたい。

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutasentaku(註3)

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/sentakukitachousen(註4)

資料館で展示される槌はこれと同じ箆状の形態である。つまりこれは砧の道具ではなく、洗濯の叩き洗いの時に打つ槌なのである。砧と洗濯では、槌の形態が違うことを確認することができる。さらに洗濯の槌は朝鮮語で「パルレ パンマンイ」といい、砧の槌は「タドゥミ パンマンイ」と呼称も異なるのである。

従って在日韓人歴史資料館の槌を「砧棒」とする日本語の説明は間違いであることが明白である。

 

(註)

2)http://www.mindan.org/upload/439384edd80ca.htmlより抜粋。

3)国書刊行会『目で見る李朝時代』(1986)66頁。

4)キム・ゴンボン「遊撃根拠地の小川で」(朝鮮画報社『朝鮮美術博物館』1980)

 

 

大阪人権博物館の間違い 

 リバティおおさか(大阪人権博物館)には、かつて砧の実物が展示されていて「洗濯の道具」というキャプションを付していた。当時の「観覧のしおり」にその写真とキャプションが掲載されている。

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutajinken

 だがこれはU型の砧の道具であって、洗濯の道具ではない。槌が一本しかないが、これは二本でなければならない。またその形状は洗濯で打つ槌ではなく、砧で打つ横槌である。つまりここでも砧と洗濯が混同されているのである。

間違いはあるが、朝鮮のU型の砧を日本で見ることができたのはここだけであった。砧は朝鮮女性の日常を知る資料の一つとして重要であり、在日朝鮮人では初の芥川賞受賞作品である李恢成「砧をうつ女」を理解するのにも必要なものであろう。しかし今はリニューアルされて展示から外されており、残念である。

 

 

『世界の歴史と文化 韓国』の間違い

金両基監修『読んで旅する 世界の歴史と文化 韓国』(新潮社 1993年5月)の190頁では、砧が次のように説明されている。

 

「韓国の民族衣装を語るとき、必ず砧打ちが登場する。ドライクリーニングがなかった時代は、洗濯のつど、糸をほどいて洗濯し、砧で打ち、汚れを落とすと同時に繊維を柔らかくする。そして糊付けをして、さらに砧で打ち、火熨斗をかけて布地を美しくのばす。チマ・チョゴリを美しく着るためには、そのような複雑な作業をしなければならなかった。」

 

 ここでは砧打ちを2回もするように書かれているが、最初のものは洗濯(パルレ)の叩き洗いであって、砧(タドゥミ)ではない。砧と洗濯が混同されているのである。

 

 

『韓国学のすべて』の間違い

 古田博司・小倉紀蔵編『韓国学のすべて』(新書館 2002年5月)のなかの永島広紀「植民地時代の史実で韓国では“語られていない”ものは何か」に、

 

「清渓川には砧を打つ音」135頁中段、左から7行目)

 

という一文がある。果たして清渓川で砧を打つ音が聞こえたのかどうか。

 この川の様子については、国書刊行会編『目で見る昔日の朝鮮上』(1986年)の49頁に往時の写真が「清渓川の水標橋と洗濯場」というキャプション付きで掲載されている。内容はキャプションのとおりで、洗濯の様子を写したものである。

http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/senntskuseikeikawa

 拙論第66題で論じたように、朝鮮女性たちは川で洗濯して、その後に家に持ち帰って砧を打つのである。洗濯は昼間の屋外作業であるが、砧は夕方からの屋内作業である。川で砧を打つことはない。従って清渓川で砧を打つ音は聞こえないのである。

ここでも砧と洗濯が混同されている。

 

 

(追記)

鄭大均さんの間違い

鄭大均氏の近著『在日の耐えられない軽さ』(中公新書)は、彼の自叙伝風のもので、興味深いものです。特に彼の父母の生き様については、ちょっと考えさせるものがありました。

 好著なので皆様にもお勧めするのですが、一点だけ間違いを見つけました。

 

わが家のがらくたの山を探っていたら、白と青のチマ・チョゴリを着た女性が、川辺で砧を打つ姿が描かれた板切れを見つけたことがある。絵の横には“ぱろれー”とひらがなで記されていて、“洗濯”を意味するらしい。‥‥
 ある霧の深い朝、北上川の堤防を歩いていたら、その女性が砧を手に、川辺で洗濯をしているではないか。」(7〜8頁)

 

 朝鮮の洗濯は昼間に川辺で汚れを落とすために叩き洗いするもので、その後に洗濯物を家に持ち帰って夕方頃から皺を伸ばすために打つのが砧です。洗濯は朝鮮語で「パルレ」、砧は「タドゥミ」です。

 鄭氏は叩き洗いに使う木槌を「砧」としていますが、洗濯で打つ槌と砧で打つ槌は、形状が違うし、叩き方も違います。

 洗濯と砧を混同しているだけでなく、木槌を「砧」とすることも間違いです。

2006年9月5日記)

 

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