90題 朝鮮の砧

はじめに

 日本では明治時代に砧を打つ風習が廃れ、それからもう100年ほどになる。しかし朝鮮においては近年まで砧打ちの風習が盛んであった。韓国では1970年代まで見られたものという(註1)。また在日朝鮮人社会でも1960年代までは女性が砧を打つ姿が見られた(註2)

筆者は神戸に住む在日韓国人のおばあさんから、日本に嫁にきて以来使ってこられた砧を一式頂いた。これをきっかけに砧に関する資料を集めて研究を重ねた。第66題 砧(きぬた)は、その成果の一部である。引き続いての本稿は朝鮮の砧にテーマを絞り、写真資料等を付して論じるものである。

 

  【ちょっと聞き慣れない言葉使いが入って馴染み難いかも知れませんが、分かりやすく書くことに心がけますので、民俗学・民具学の勉強にお付き合いください。】

 

(註)

1)伊藤亜人編『もっと知りたい韓国1』(弘文堂 199712月)50頁に、「七〇年代まではソウルのような大都会でもお婆さんが砧を打つ光景を稀に見かけることがあった」とある。

2)李恢成『砧をうつ女』は1971年の芥川賞受賞作品である。この時の在日朝鮮人社会では、砧打ちの光景はもはや記憶の中にしかなかった。砧は1960年代までのことである。

 

二種類の砧

朝鮮の砧は近年まで使われていたので遺存例が多く、また植民地時代およびそれ以降の写真資料も多い。これらの資料から朝鮮の砧はどのようなものであったかというと、布を巻き付けた綾巻(註3)を台の上に置いて横槌(註4)で打つT型と、台の上に折りたたんだ布を置いて横槌で打つU型の二種類のタイプが確認できる。

 朝鮮語では砧を「タドゥミ」というが、各タイプについてはT型を「ホンドゥケ タドゥミ」、U型を「ノッ タドゥミ」と呼び分けている。なおT・U型という名称は筆者が名付けたものである。

 

(註)

3)「綾巻」は聞き慣れない名前であるが、『広辞苑』で「砧で布を打つ時、その布を巻きつける棒」と説明されている。

4)考古学や民具学では、砧や藁打ちで使うような槌についてはハンマー形の木槌と区別して「横槌」と称される。註15参照。

 

T型の砧(ホンドゥケ タドゥミ)

 T型の砧の資料例は、日本の博物館に所蔵されるものと植民地時代の写真資料がある。

 図1http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu1は国立民族学博物館所蔵のT型の実物写真である(註5)。直方体の台(タドゥミ トル)の上に綾巻(ホンドゥケ)が載り、脇に横槌(タドゥミ パンマンイ)が置かれている。綾巻は長さ95.5cm、中央の径が7.7cm、端に行くほど細くなって径5.5cmとなる。直方体の台は断面がやや台形で、大きさは長さ60cm、幅20cm、高さ13cm。台の上面は綾巻が転がらないように長軸方向に凹む。そしてこの台を固定するために、4本の四角い棒で組み合わされた木枠が付属される。この枠の大きさは縦横78×27cmで、このなかに台をはめ込んで固定するのである。また二本の横槌はどちらも野球バットに似た形状で、Gタイプhttp://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutatsuchiといわれるものである(後述)。長さ40.0cm、敲打部の径3.6cm、柄部の径2.4cmを測る。

 図2http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu2は植民地時代の写真(註6)。上部が凹む台の上に布を巻いた綾巻を置いて、母娘と思われる女性二人が相対して打っている状況である。綾巻はこぶし大ほどの直径で、長さは両手をやや大きく広げたほどで、台よりかなりはみ出すものである。綾巻を打つ横槌はすりこぎ状の木製品で、これを両手にそれぞれ持って打つ。

 図3http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu3は、英国人女性旅行家イサベラ・バードの『朝鮮とその近隣諸国』(1898)という旅行記にある挿図で、本文中に「木製ローラー」「木の棒に巻いて」とあるからT型であることが明白である(註7)。時期は日清戦争前後。綾巻に布を巻いて置き、二人の女性が相対して二本の横槌を両手にそれぞれ持って打つ姿が描かれている。ただしこの図は、綾巻が台を伴わずに女性の座る同じ敷物の上に直接置かれていることや、綾巻の太さが横槌ほどしかないこと、綾巻に巻かれる布が乱れていることなどの点で非常に不自然である。おそらく実際の砧打ちを観察して描いた図ではないだろうと思われる。朝鮮の砧資料では最古のものであるが、このように難点がある。

図4http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu4は植民地時代の写真で、職人が砧道具を製作している様子である(註8)。「砧(洗濯棒)は女の日常必需品 棒つくりの姿はあちこちに見られた」というキャプションが付されている。左向こうの看板の壁に綾巻が数本立てかけており、そのすぐ横の壁際には横槌が十数本束ねられている。どちらも製作の終わった完成品であろう。

他にT型の資料としては、渡辺学・梅田正『写真集 望郷朝鮮』(国書刊行会 昭和55年9月)87頁にこのタイプの砧が掲載されている。

韓国で1970年代に民俗調査を実施して発刊された資料集(註9)ではこのT型に触れないで、後述のU型のみを報告している。その理由は不明だが、T型は近年では注目されてこなかったタイプと言えるだろう。

 

(註)

5)写真は筆者。なお当該資料は公式ガイドブック『国立民族学博物館 展示案内』(19867月)の141頁にも掲載されている。キャプションは「Bきぬた用具(慶尚北道・韓国)」とある。

6)『目で見る李朝時代』(国書刊行会 198666頁。

7)この著作は翻訳されていて容易に入手できる。挿図は平凡社東洋文庫『朝鮮奥地紀行2』199頁、講談社学術文庫『朝鮮紀行』436頁。

8)毎日新聞社『別冊1億人の昭和史 日本植民地史@朝鮮』(1978年7月)107頁。

9)韓国文化広報部文化財管理局『韓国の民俗大系C慶尚北道』(国書刊行会 竹田旦・任東権訳 1990501502頁。当シリーズでは、砧についてはこの本が詳しく報告している。 

 

U型の砧(ノッ タドゥミ)

 U型の砧の資料例は多い。植民地時代における砧打ちの写真や現代の韓国紹介本で掲載される砧の写真もこの型である(註10)。これの実物は、韓国でも在日朝鮮人家庭でも今なお少なからず遺存している。ここでは筆者が入手したものと植民地時代の写真資料を呈示する。

 図5http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu5 は、前述したように神戸に50年以上も住んでこられた在日朝鮮人のおばあさんから筆者が頂いた砧である。台は型枠にコンクリートを流し込んで製作されたもので、断面逆台形を呈し、大きさは長さ47cm、幅21cm、高さ13cmである。上面はかまぼこ状に膨らむが、長年使われてきたとあって磨耗し滑らかな面となっている。両側面には持ち運びしやすいように、四角い引手の凹みを有する。二本の横槌はGタイプで、一本は敲打部と柄部の境目に二条の小溝を刻みまわし、柄部端に突起を有する。もう一本は小溝や突起を有さないシンプルな形態である。大きさは前者が長さ41.0cm、敲打部径4.2cm、柄部径2.6cm、重さ375g、後者が長さ42.0cm、敲打部径3.7cm、柄部径2.4cm、重さ220gを測る。重さの違いが目立つが、利き手と関係するのであろうか。

 図6http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu6の写真(註11)は、女の子二人が縁側で砧を打つ光景を写したものである。二人は相対して座り、両手に二本の横槌をそれぞれの手に持って砧の台の上に置いた布を打ち、弟とおぼしき男の子がその作業を見ている状況である。座布団に台を据えている様子がよく分かる。台は石製のようである。またその形状はその上面がかまぼこ状に膨らみ、底面は座りをよくするために凹んでいる。

 図7http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu7の写真(註12)では、砧の台は石製で四本の脚を有し、側面に格狭間模様が彫られるものである。ここでは台に座布団が敷かれておらず、また打つ女性は軽く横槌を持っているので、実際の砧打ち作業とは思えない。写真撮影の際にあわてて演技されたのであろうか。

 

(註)

10)       1や『アジア読本 韓国』(河出書房新社 1996183頁、『韓国伝統文化事典』(教育出版 2006162頁。

11)       辛基秀編著『映像が語る「日韓併合」史』(労働経済社 1987144頁。

12)       註6の166頁。

 

二種類の砧の使い分け

 朝鮮の砧にはT型・U型の二種類があるが、これをどのように使っていたのか。筆者が在日朝鮮人のおばあさんから聞き取り調査したところ、次のようなお話を聞かせていただいた。

 「絹でできたチョゴリなどの上等なものは糸をほどいて洗って糊付けした後、生乾きのうちに二人で引っ張って、反物にして、リボンなどもなかに入れて、棒に巻いて打つ。

 木綿の敷布なんかも糊付けした後、二人で引っ張って、石の大きさに合わせて折りたたんで、足で踏みつけて、石の台の上でたたく。

 巻いて打つのは折り目がつかず、石の上で打つのは折り目がつく。二つは生地によって使い分ける。」(註13)

 また伊藤亜人は「砧を打つと皺が伸び艶も出る。明紬の場合には砧石の上で少し叩いてから、滑らかな檀の棒に布を巻きつけて横たえ砧で叩くと艶がさらに出る。」(註14)と論じ、やはり生地によって使い分けるものとしている。

 二種類の砧は、形態や使い方、名称だけの違いだけでなく、布の生地によって使い分けるものなのである。

 

(註)

13)       辻本「砧(きぬた)(三)」(神戸史学会『歴史と神戸203号』19978月 所収)12頁。

14)       註1の50頁。

 

砧の槌

朝鮮の砧では、T型・U型ともに打つ槌の形状・大きさは変わらない。それは野球バットあるいはすりこぎ状の横槌で、渡辺誠の論じるGタイプhttp://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutatsuchiである(註15)。管見における朝鮮の砧の槌はすべてこのタイプであった。ちなみに日本の砧の槌は敲打部と柄部の境目に段差を有するAもしくはBタイプで、朝鮮とは違いを見せている。

朝鮮のGタイプの槌には敲打部と柄部の境目に小溝を彫るものとないものとがある。また柄部端に紐で引っ掛けるための突起があるものとないものとがある。そういった違いがあるが、実際の砧打ちの際にはその違いを気にせず同時に使うこともあるし、機能に差があるわけではない。

朝鮮の砧うちではこの槌二本を両手にそれぞれ持って打つ。日本では一本を片手で持って打つので、ここにも大きな違いがある。

 

(註)

15)       渡辺誠「ヨコヅチの考古・民具学的研究」(『考古学雑誌第703号』昭和603月 所収)53349)頁。

 

洗濯と砧

 家で行なう洗濯のことを朝鮮語では「パルレ」といい、女性たちは川辺で平らな石の上に洗濯物を置き、長い箆状の槌を片手で持って叩いて洗濯するhttp://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutasentaku。この槌を朝鮮語で「パルレ パンマンイ」という。砧で打つ槌は「タドゥミ パンマンイ」なので、形態や使い方だけでなく呼称も違う。

 朝鮮関係の文献では、朝鮮のこの叩き洗いの洗濯方法を「砧」と呼ぶ例が少なくない(註16)。しかし洗濯は汚れを落とすことであって、砧は洗濯を終えた布・衣類の皺を伸ばし艶を出すことである。つまり砧は洗濯の後の仕上げ工程であって、現代風に言えばアイロンかけに相当する。また一般的に洗濯は昼間に川辺などで行なう屋外作業であり、砧はその洗濯物を持ち帰って夕方頃から行なう屋内作業である。従って部外者である日本人は朝鮮女性の「洗濯」の光景を見ることが多かったが、「砧」を見ることは稀であった。

 洗濯と砧は布を叩くことが共通するので混同されやすいが、同じなのはそれぐらいで、道具も叩き方も用語も工程も目的も、そして作業場所や時間も違うものなのである。従って叩き洗いという朝鮮の洗濯方法を「砧」と呼ぶことは誤りと言わざるを得ない。

 

(註)

16)       例えば金両基監修『読んで旅する世界の歴史と文化 韓国』(新潮社 1993)の190頁に次のような記述がある。

「韓国の民族衣装を語るとき、必ず砧打ちが登場する。‥‥洗濯のつど、糸をほどいて洗濯し、砧で打ち、汚れを落とすと同時に繊維を柔らかくする。そして糊付けをして、さらに砧で打ち、火熨斗をかけて布地を美しくのばす。」

 砧打ちを二回するように記されているが、最初の「砧で打ち」は洗濯(パルレ)の叩き洗いであって砧(タドゥミ)ではない。

 

在日一世は日本語で区別しない

在日一世のおばあさんから砧や洗濯について話を聞かせてもらった。彼女らは、綾巻・砧の槌・洗濯の槌について朝鮮語で「ホンドゥケ」「タドゥミ パンマンイ」「パルレ パンマンイ」という区別があることを知っていたが、日本語では区別せずに「棒」と言っていた。

日本ではすでに砧打ちが廃れて、日本人の多くが砧の正確な知識を知らない。周囲がこういう状況であったので、彼女らは対応する日本語が分からず、「棒」としか表現できなかったのだろう。

在日一世の女性は砧打ちの実際を知っているので意識では区別していたが、日本語では区別することはなかったのである。

 

砧にまつわる朝鮮の諺

 砧は朝鮮人の日常生活道具の一つであり、それにまつわる諺が多い。砧を理解するにはこういった諺を知ることもその一助になるので、いくつかを紹介したい。

 

「暗闇に綾巻(註17

 「藪から棒」と同じ。綾巻は長さ1m、径8cmほどの棒であるから、これを真夜中の暗闇で突きつけられたら、まさに「藪から棒」であろう。

                       

「砧の槌を食らって綾巻で返す」

 T型の砧を知れば、槌と綾巻では大きさが違うので、この諺の意味がよく分かる。仕返しをするときは倍にして返すこと。

 

「綾巻に花が咲く」

 綾巻に花が咲くわけがない。つまりいくら願っても実現しないこと。

 

「綾巻で牛を追う」

 無理を強いること。

 

「砧の石を枕にして寝ると口が曲がる」

 行儀が悪いと夫に嫌われて実家に帰されるの意。ここでの砧はU型である。

 

(註)

17)       朝鮮の諺の翻訳・解説では、綾巻を「砧の棒」と訳することが多い。しかしこれでは砧の槌と間違える可能性が高い。従って訳としては不適切であろう。

 

まとめ

 朝鮮の砧について、拙論をまとめてみたい。

 砧打ちは洗濯後の仕上げ工程の一つである。布の皺を伸ばし、艶を出すことを目的に打つもので、家庭における女性の仕事とされた。

 昼間に川辺で叩き洗いした後、晩方に家で砧打ちをして仕上げる。

 叩き洗いの洗濯を「砧」と言うことが多いが、誤りである。洗濯と砧は、道具、叩き方、用語、工程、目的、作業場所・時間が違うものである。

砧を打つときは座って打ち、立って打つことはない。また二人が相対して打つことが多い。

 砧にはT型とU型の二種類がある。T型は綾巻に布を巻いて打つので折り目がつかず、U型は台の上に布を折りたたんで打つので折り目がつく。T型は絹、U型は麻や木綿と生地によって使い分けるものとされる。

 砧で打つ槌はGタイプと呼ばれる横槌である。これを二本両手にそれぞれに持って打つ。

 砧打ちは韓国でも在日朝鮮人社会でも廃れて、今では見ることがほとんど全くなくなっている。在日の若者たちは母や祖母が打ってきた砧を忘れ去っており、その道具はゴミとして廃棄されている。それは仕方のないことかも知れないが、悲しいことではないだろうか。

砧に関する資料収集と研究、そして正確な知識の普及が求められていると考える。

 

(追記)

在日の方で、祖母・母らが使ってきた砧や洗濯の道具を持っている方はおられませんか。「叩き石」「叩き棒」「砧棒」と呼ばれることもある道具です。

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