108 「砧」に触れた論文批評

1、「砧」を扱った論文

 近年に発表された植村和代・村川香代子・澤田絹子「倭文の再現研究」(『研究紀要第12集』(財)由良大和古代文化研究会 平成194月)のなかに、砧が触れられているのを見つけた。

 この論文は、奈良県の下池山古墳(3世紀末)から出土した織物を、古事記・日本書紀等に出てくる「倭文(しつおり)」という織物ではないかと推定し、その製作の再現を試みた論文である。それは糸作りから始まる九つの工程(註1)が列挙されるが、その最後の仕上げに「砧打ち」がある。

 なお砧はこれまでの拙論(註2)では洗濯の仕上げとしていたが、実際にはそれだけでなく機織りの仕上げでも行なうことがある。民俗事例では沖縄の宮古上布製造の仕上げ工程に砧打ちがある。

 

 それでは当論文で「砧」はどのように記述されているか。その全文を紹介すると、

 

「仕上げは水に漬け、張木で乾かした織物を砧打ちすることを行った。7〜8回それを繰り返すと、少しずつ布は変化をみせた。その結果、筬すじは相当なくなり、コシがあるものの絹の柔らかさは保ち見違えるような織物に変化した。しかし、織り手によってはまだ変化せず、筬のすじ目が目立っているものもあった。これは砧打ちの回数や強さによるものであろう。砧を打つことにより糸が分線して吸水できる空間ができ、糸が動くと考えられる。このことも、平たい糸を使用してのことであると思える。近代製糸技術の丸い形状の糸ではここまで変化しない、つまり、砧打ちによる織物の変化を期待しないのが近代製糸技術なのであると志村氏は指摘する。(9192頁)

 

「]V砧打ち

 織物は、水に5分間つけた後、張木で乾燥させて砧打ちを施した。木製砧で1000回打ち、再び水につけた後、乾燥させ、さらに砧打ちを1000回行った。かなり柔らかくなったようであるが、今回は二回の工程で止めておいた。ない、砧打ち後の寸法はほとんど変わらなかった。」(104頁)

 

 以上であるが、大変残念なことに、このときの砧打ちに使った道具(木製槌や台など)やその作業風景の写真がない。従ってどのように「砧打ち」をしたのかが不明である。砧の道具には二種類があることは拙論で論じた(註3)のであるが、どちらのタイプを使ったのかが分からないのである。

 

(註1)

九工程は次の通りである。

.糸作り 2.染色 3.糸巻き 4.整経 5.仮筬通し・巻き取り 6.綜絖通し 7.筬通し 8.織る 9.砧打ち

(註2)

「砧(きぬた)―在日韓国人女性の民俗資料の紹介と日韓の比較―」(『歴史と神戸』199200203号 199612月・972月・8月)

「砧(きぬた)再論―日本と朝鮮の比較―」(『大阪文化財論集・U』200211月)

(註3)

砧には綾巻に布を巻いて打つタイプ(T型)と台の上に布を折り畳んで置いて打つタイプ(U型)の二種類がある。

 

2、「砧」の最古資料

 日本における砧の最古資料は、中尊寺蔵『大般若波羅蜜多経』見返し絵(12世紀末)と『伊勢新名所歌合絵巻』(13世紀末)であり、ともに砧打ちの様子を描いた絵画資料である。前者は布を台の上に折りたたんで置いて打つタイプであり、後者は綾巻に布を巻いて台に置いて打つタイプであり、二種類の砧があったことの論拠となるものである。

 当論文もおそらくはこれを参照したと思うのであるが、どちらのタイプだったのかが記されていないのが残念である。

なお考古学的資料では、砧の道具と判断できるものの出土はない(註4)。

 

(註4)

考古学ではかつて木製の横槌を「砧」と称することが多かった。しかし渡辺誠「ヨコヅチの考古・民具学的研究」(『考古学雑誌第703号』昭和603月)においてその間違いが指摘され、それからは「砧」ではなく「横槌」とされている。

 

3.なぜ効果がなかったのか

 次に砧打ちの目的について、この論文では「筬すじがなくなる」「柔らかくなる」としている。ところが実際にやってみると、「しかし、織り手によってはまだ変化せず、筬のすじ目が目立っているものもあった」「かなり柔らかくなったようであるが」という表現がでてくるので、大きな効果は出なかったようである。

 なぜ効果がなかったのか。

一つ推測できることは、砧打ちの目的を「筬すじをなくす」「柔らかくする」に設定したからではないか、と考えられる。砧の本来の目的は皺を伸ばし、艶を出すことにあるのだが、当論文ではこれを全く念頭におかなかったようである。本来の目的から外れてやってみても、効果は出ないものである。

 もう一つ推測するには、織物を乾燥させてから砧打ちをしたからではないかと考えられる。砧打ちは生乾きの段階で、あるいは乾いてしまったら霧吹きして湿らせてから行なうものであるが、カラカラに乾いたものでは効果は出ないであろう。

 以上は、当論文を読んだ限りにおいて推測したことである。

 

4.おわりに

 本稿は、近年発表された「倭文の再現研究」という論文で砧に触れた部分を取り上げて評したものである。

 どのような砧打ちであったのか、その具体像が示されておらず、隔靴掻痒の感を抱いた。そのために少々厳しい表現での論評となったことをお詫びするとともに、今後の研究に期待するものである。

 

(追記)

「砧」を取り上げた論文はいろいろ探してはいるものの、なかなか見当たらない。そういった状況のなかで、本稿で評した論文は「砧」を取り上げた稀な例であり、その意味で貴重である。

皆様で他にご存知の方がおられれば、ご一報願いたいところである。

 

 

【関連論考】

「砧」講演           http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai

「砧」講演(続)        http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

「砧(きぬた)」         http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

「朝鮮の砧」          http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai

「誤りの多い“砧”の解説」   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuusandai

「角川『平安時代史事典』の盗用事例 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485

「“砧”と渡来人は無関係」          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192

 

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