第107題「砧」講演 (続)
―日本の砧・朝鮮の砧―
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudaiの続きです。
3、朝鮮の砧
日本では砧が明治時代になって廃れたとお話しましたが、お隣の韓国・朝鮮では古来砧打ちが盛んで、近年までその風習が残っていました。韓国では1970年代初め、在日朝鮮人の社会では1960年代まで砧が打たれていました。その後に廃れてゴミとして捨てられていくのですが、砧の実物自体は博物館などに残っておりますし、写真資料も多くあります。私自身も在日韓国人のおばあさんから長年使い続けてきた砧――砧は朝鮮語で「다듬이(タドゥミ)」といいますので、タドゥミの道具一式を頂きました。
それでは朝鮮ではどのような砧なのかということになりますが、日本と同じく綾巻を使うT型と使わないU型の二種類のタイプがあります。
T型の砧
T型は綾巻に布を巻いて打つ砧です。綾巻を朝鮮語で「홍두깨(ホンドゥケ)」といい、この型の砧のことを「홍두깨 다듬이(ホンドゥケ タドゥミ)」といい、また横槌は「다듬이 방망이(タドゥミ パンマンイ)」といいます。
T型の最古の資料は
(15)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu3
で、イギリス人女性旅行家イサベラ・バードの『朝鮮とその近隣諸国』という旅行記にある挿図です。これは彼女が1895年の日清戦争前後の時に旅行して、3年ほど経った1898年に出された本です。その旅行時に彼女自身が撮影した写真をトレースして本の挿図にしたものです。ここで描かれているのは、綾巻に布を巻いて二人の女性が相対して2本の横槌を両手にそれぞれ持って打つ姿です。本文には
「(洗濯して)乾かされた後、衣類は円筒形の台の上で、木の棒きれで冴えない襦子に似た色艶になるまで叩かれる。」(東洋文庫572の83頁)
と説明されており、この「円筒形の台」というのは綾巻の意味であるのが明らかです。しかしこの図には大きな疑問があります。綾巻に布がきちんと巻かれておらず乱れていること、台がなく綾巻が女性の座る敷物の上に直接置かれていることです。これでは打っても皺が残るし、台がないので綾巻を回転させにくいし、せっかくの布が汚れてしまうでしょう。また綾巻の太さが横槌と変わらないぐらい細いことも疑問です。
(16)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu2
は植民地時代の写真資料です。上部が凹む台の上に布を巻いた綾巻を置いて、母娘と思われる女性二人が相対して座って打っているところです。綾巻に布が巻かれている様子がよく分かります。綾巻の太さはこぶし大ほど、長さは両手をやや大きく広げたほどで、台よりかなりはみ出すものです。日本の(2)の砧に非常によく似ており、T-a型です。両手に持っている横槌は野球のバット状のものですが、これで砧を打つわけです。
(17)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu1
は千里万博公園の国立民族学博物館の韓国コーナーに展示されていた実物です。韓国の慶尚北道で収集されたとあります。この博物館は展示物に直接触れますので、実測することができました。綾巻は長さ95.5cm、太さは中央で径7.7cm、端に行くほど細くなって径5.5cmとなり、台に置くと大きくはみ出します。表面はつるつるしており、長年使われてきたようです。非常に硬そうな木で、叩けばいい音が出るだろうと思います。直方体の台は長さ60cm、幅20cmほど、高さ14cm程度の大きさで、断面が台形を呈しています。長軸方向に1.5cmほど凹んでおり、ここに綾巻を置いて転がらないようにしています。綾巻に比べると柔らかそうな材質の木でした。台は74cm×24cmほどの四角い枠にのなかに入れて、台と枠の間には隙間が出てきますが、ここには板を詰めて固定するようになっています。この砧は先程のものと同じタイプで、日本のT-a型と同じです。また横槌は先程と同じような野球のバット状のものが二本あります。
(18)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu4
の写真は職人さんが砧道具を製作している様子です。時期は李朝末期か植民地時代でしょう。「砧は女の日常必需品 棒つくりの姿はあちこちに見られた」というキャプションが付されていました。職人さんの手前には綾巻か槌を作るための材料となる棒がまとまって置かれ、向こう側には製作する際に出てくる削りカスが山のようになっています。看板の壁には綾巻が数本立てかけており、そのすぐ横の壁際には横槌が十数本束ねられていますが、これは完成品でしょう。
朝鮮のT型の砧は資料が少ないのですが、日本のT-a型に相当する段階のものと考えられるわけです。そこから考えられることは、日本も朝鮮も元々はT-a型で共通したタイプであったものが、日本では近世に発達して形を大きく変え、朝鮮ではそのままの形が残ったということです。そうしますと、綾巻は台よりはみ出すくらい長いものが原形だと考えられるわけです。
最初の日本の砧の説明のところで、日本の(1)の『伊勢新名所歌合絵巻』の絵において綾巻が台からはみ出しておらず台の範囲内に描かれているところが疑問だと申しました。それは綾巻が台からはみ出すT-a型の砧が日本と朝鮮に共通する原形であったはずだという推測から言えることなのです。
U型の砧
U型は綾巻を使わず、台の上に畳んだ布を置いて打つ砧です。このタイプの砧を朝鮮語で「넓 다듬이(ノッ タドゥミ)」といい、台のことを「다듬이 돌(タドゥミ トル)」といいます。台の「タドゥミ トル」は直訳すると「砧石」という意味です。日本に昔から住んでおられる在日一世のおばあさんでは「叩き石」という場合があります。また横槌はT型もU型も変わらない形で、同じように 「다듬이 방망이(タドゥミ パンマンイ)」といいます。
U型の砧の資料は多くあります。植民地時代における砧打ちの写真の多くはこのタイプです。また現代の韓国紹介本で掲載される砧の写真もほとんどがこのタイプです。この現物は在日朝鮮人家庭に今なお少なからず残っており、私も一組入手しております。また大阪人権博物館(リバティおおさか)にも、かつて展示されていたことがあります。ここでは植民地時代の写真と私の入手した実物を紹介します。
(19)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu6
は縁側で台の上に折り畳んだ布を置いて、女の子二人が砧を打っている写真です。二人は相対して座り、両手に二本の槌をそれぞれの手に持って打っています。台は石製で、その上面は蒲鉾状にふくらみ、下面は座りをよくするために凹んでいます。台には座布団が敷かれていますので、砧打ちをしても動くことはないと思われます。
(20)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu7
も縁側での砧打ちの写真です。台は石製ですが、脚を有し、側面には格狭間模様が彫刻されており、先程のシンプルな(19)よりも高級品のようです。ただしこの写真には疑問がありまして、台に座布団がなくて縁側の板に直接置いているので台が動きやすいし、打つ女性が槌を軽く持っております。こういった点で、本当に砧を打っているのか疑問です。ですから実際の砧打ち作業を写したのではなく、撮影のために砧道具を用意して演技したものと思われます。
(21)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu5
は韓国人のおばあさんが日本の神戸に嫁に来て以来、何十年も使い続けた砧道具で、私がお願いして頂いた実物です。台は型枠にコンクリートを流し込んで製作されたものです。日本に来てから義父に作ってもらったということでした。長さ47.3cm、幅20.8cm、高さ13.0cmの大きさです。上面は蒲鉾状にふくらみ、長年使われてきたとあって磨耗し、つるつるした面となっています。両側面には持ち運びしやすいように四角い引手の凹みがあります。横槌は長さ42cmほどのもので、長年打ってきただけあって、いかにも使い古したという感じです。
(22)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutabunkajiten
は『韓国伝統文化事典』という最近出された本に紹介されている砧です。白黒ではちょっと分かり難いですが、台がこれまでと違って木製です。砧の台は朝鮮語で「다듬이 돌(タドゥミ トル)」、直訳しますと「砧石」なのですが、このように木でできたものもあります。なおこの写真のキャプションは「砧と綾巻」となっていますが、これは間違いです。この砧は綾巻のないU型です。この『事典』は韓国の権威ある機関が出したものですが、砧に関しては誤りの記述が目立ちます。
(23)http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinuta(23)
は韓国のソウルにある中央博物館にある砧です。
石製の台の側面には脚部にまで彫刻を施し、さらに色までつけています。非常に豪華なもので、庶民一般が使うものではないでしょう。おそらく宮中か政府高官の家などで使われたものではないかと思います。なお台の上面が平坦で蒲鉾状に膨らんでいないので、まるでまな板のような印象を持ちます。また横槌は一般的に使われるものと同じですので、豪華な装飾のある台と一緒にあると少々アンバランスな感じを受けます。
李恢成「砧をうつ女」
1971年下半期の芥川賞受賞作品に、李恢成さんの「砧をうつ女」があります。在日朝鮮人では初めての芥川賞受賞ですので、有名な小説です。この作品では、砧は次のように描写されています。
「母は乾いた着物を重ねてトントンと砧でたたいたものである。」(209頁)
「重ねた衣服類に布地をかぶせて、砧で気長にうつのである。毎日のように見る光景であった。見飽きているはずなのに母がトントン、トントンとやっているのを眺めるのはたのしみであった。」(224頁)
ここでは「乾いた着物を重ねて」「重ねた衣服」とありますから、U型の砧です。T型なら「巻く」となるはずですが、「重ねて」という表現になっているところからU型と判明します。
二種類の砧の使い分け
以上のように砧にはT型・U型の二種類があるわけですが、これをどのように使い分けていたのでしょうか。私が在日朝鮮人のおばあさん―砧道具を貰った方とは別の方です―この方から聞き取り調査をさせてもらったところ、次のようなお話をいただきました。
「絹でできたチョゴリなどの上等のものは糸をほどいて洗って糊付けした後、生乾きのうちに二人で引っ張って、反物にして、リボンなどを中に入れて、棒に巻いて打つ。
木綿の敷布なんかも糊付けした後、二人で引っ張って、石の大きさに合わせて折りたたんで、足で踏みつけて、石の台の上でたたく。
巻いて打つのは折り目がつかず、石の上でたたくのは折り目がつく。二つは生地によって使い分ける。」
こういうお話でしたが、もうお分かりのように棒で巻くのはT型、石の上でたたくのはU型です。二種類の砧は折り目がつく・つかないという仕上がりの違いがあり、絹はT型、木綿はU型と生地で使い分けるということでした。
この話が本当かどうか検証してみますと、文化人類学の伊藤亜人さんの『もっと知りたい韓国』という本のなかに、
「縫い目を合わせて皺を伸ばして畳む。‥‥これを風呂敷に包んで砧石の上に載せて砧で打つ。‥‥砧を打つと皺が伸び艶も出る。明紬(めいちゅう−絹織物)の場合には砧石の上で少し叩いてから、滑らかな檀(まゆみ)の棒に布を巻きつけて横たえ砧で叩くと艶がさらに出る。」(50頁)
と書かれてありました。ここでは絹織物はT型、それ以外はU型と使い分けるとしており、先ほどのおばあさんの話を裏付けるものです。
なお朝鮮語で砧は「タドゥミ」ですが、T型を「홍두깨 다듬이(ホンドゥケ タドゥミ)」、U型を「넓 다듬이(ノプ タドゥミ)」といいます。二種類の砧は呼び方にも違いがあります。
砧の槌
朝鮮の砧は、T・U型ともに打つ横槌の形状は先ほどの(14)図でGタイプと呼ばれるものでhttp://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutatsuchi、野球のバットあるいはすりこぎ状を呈しています。朝鮮語では「다듬이 방망이(タドゥミ パンマンイ)」といいます。直訳すると「砧槌」となります。日本の場合は段差があるのですが、朝鮮では段差がありません。長さは大体41cmぐらい、径は敲打部で3.5cm前後、柄部で1.8cm前後です。
この横槌には敲打部と柄部との境目に小溝を彫るものとそれ無いものとがあります。また柄部端に紐で引っ掛けるための突起があるものと無いものとがあります。そういった違いがありますが、実際の使用にはその違いを意識せず、私が貰ったもののように両方を混ぜて同時に使うこともあります。
朝鮮ではこの横槌2本を両手にそれぞれ持って交互に打ちます。日本のように片手で打ちません。
このGタイプの横槌は、朝鮮では7世紀の新羅時代の雁鴨池(アムノッチ)遺跡から出土し、日本でも古墳時代後期から平安時代にかけての遺跡からの出土例にありますが、これが砧という布を打つことに使われたかどうかは不明です。
洗濯と砧
朝鮮では洗濯を「빨래(パルレ)」といいます。(24)は植民地時代の写真で、女性が川辺で平らな石の上に汚れ物を置いて、横槌で叩いて洗濯する光景です。(25)はキム・ゴンボンの「遊撃根拠地の小川で」と題する北朝鮮の絵画です。パルチザンの女性が川辺で洗濯する様子を描いています。
(24) http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutasentaku
(25) http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/sentakukitachousen
ここで注目してほしいのは、女性が持つ横槌の形状です。槌は平べったい箆状の形をしており、丸い棒の形である砧の槌とは違います。この横槌を朝鮮語で「빨배 방망이(パルレ パンマンイ)」、直訳すると「洗濯槌」といいます。そしてこの洗濯槌を片手で持って洗濯物を叩いています。朝鮮の洗濯方法は古くからこのような叩き洗いでした。これは韓国では洗濯機が普及して無くなりましたが、北朝鮮では今でもやっているようです。
洗濯と砧は違うものです。朝鮮語で洗濯は「빨래(パルレ)」、砧は「다듬이(タドゥミ)」です。着物を洗って汚れを落とすのが洗濯(パルレ)であり、砧(タドゥミ)は洗った着物の皺を伸ばし艶を出すという洗濯後の仕上げです。今で言えばアイロンかけに相当するものです。そして洗濯は昼間に川辺で行ない、砧はそれを家に持ち帰って夕方になってから打つものです。洗濯で打つ横槌は先ほど言いましたように長い箆状で、これを片手で持って打ちますが、砧はすりこぎ状の横槌で、これを二本両手にそれぞれ持って交互に打ちます。
つまり洗濯と砧は、用語も目的も工程も道具も叩き方も、そして作業する場所や時間も違うものなのです。
ところが朝鮮関係の文献では、洗濯と砧を混同することが少なくありません。例えば、先ほどの李恢成さんの「砧をうつ女」には、次のような母と自分の思い出があります。
「日差しを溶かしている川はぴちぴちと躍って流れていて、どこからか砧をうつ音が聞えてくる日のことだ。」(207頁)
「川はゆっくり流れていたが、たえず光の粒を湧きかえらせていた。砧をうつ女達の白い着物を見たように思う。」(209頁)
川で打つ音あるいは打つ姿を見聞きしたというのですから、これは砧打ちではなく叩き洗いの洗濯です。作者は叩き洗いの洗濯も「砧」だと勘違いしています。
また最近では鄭大均さんの自叙伝風の『在日の耐えられない軽さ』という中公新書が刊行されていますが、そのなかで次のような記述があります。
「わが家のがらくたの山を探っていたら、白と青のチマ・チョゴリを着た女性が、川辺で砧を打つ姿が描かれた板切れを見つけたことがある。」(8頁)
ここでも川辺での叩き洗いを「砧を打つ」と表現されています。洗濯と砧が混同されているのです。
あるいは金両基(キム・ヤンギ)さんの『読んで旅する世界の歴史と文化 韓国』という韓国紹介本では、次のような記述があります。
「韓国の民族衣装を語るとき、必ず砧打ちが登場する。‥‥洗濯のつど、糸をほどいて洗濯し、砧で打ち、汚れを落とすと同時に繊維を柔らかくする。そして糊付けをして、さらに砧で打ち、火熨斗をかけて布地を美しくのばす。」(190頁)
砧打ちを2回もするように書かれていますが、最初の方は叩き洗いの洗濯であって砧ではありません。ここでも洗濯と砧が混同されています。
繰り返しますが、叩き洗いの洗濯と砧打ちとは混同されやすいですが、違うものです。先程言いましたように、砧はアイロンかけに相当します。「アイロンで洗濯する」と言わないのと同じように「砧で洗濯する」と言いません。砧と洗濯は違うものです。従って叩き洗いの洗濯を「砧」と呼ぶことは間違いなのです。
在日一世の「砧」「洗濯」の呼び方
在日一世のおばあさんから砧や洗濯について話を聞かせてもらったことがあります。彼女らは、砧が朝鮮語で「다듬이(タドゥミ)」、洗濯は「빨래(パルレ)」と言葉が違うことも、そして内容も違うことも当然知っておられました。このような実際の体験者である一世のお年寄りから話を聞いていたら、先ほどのような洗濯と砧の混同・間違いは避けられたのではないか、と思います。
また綾巻を「홍두깨(ホンドゥケ)」、砧槌を「다듬이 방망이(タドゥミ パンマンイ)」、洗濯槌を「빨래 방망이(パルレ パンマンイ)」といいますが、一世らはこれらでも区別があることを知っておられました。しかし日本語では区別せずにすべて「棒」と言っておられました。
日本ではすでに砧打ちが廃れたために、日本人の多くが砧の正確な知識を忘れて、「砧」という言葉を間違って使うなど混乱していました。周囲がこういう状況でしたので、彼女らは対応する日本語が分からず、叩き洗いで洗濯する姿を日本語で「砧」と呼ばれても間違いとは思わなかったでしょうし、綾巻も砧・洗濯の横槌も日本語で「棒」という単語でしか表現できなかったものと思われます。
在日一世の女性は砧打ちの実際を知っているので意識つまり朝鮮語では区別していたのですが、日本社会では「砧」という言葉の使い方に混乱があったので、日本語では区別することがなかった、ということになります。
北朝鮮の砧
先ほど言いましたように韓国では砧は1970年代まで残っていましたが、その後に廃れました。そうすると今なお電化生活から程遠い北朝鮮では、おそらく砧は残っているだろうと予想されます。なかなか資料が見つからないのですが、最近の『現代コリア』という雑誌に五味洋治という方が「中朝国境で見た北朝鮮の現実」という報告をされているなかに、次のような記述がありました。
「2005年の秋。‥‥長白県の夜、電気がなく真っ暗になった川縁からは「コーン、コーン」という乾いた音が響いていた。北朝鮮の女性が洗濯物を棒で叩く音だった。もの悲しいその音は、夜遅くまで絶えなかった。」(『現代コリア468』2007年1・2月号 37頁)
これはどういうものかを検討しますと、夜に打ちさらに乾いた音がしていますので、洗濯ではなく砧です。洗濯は昼間にするもので、夜になってある程度乾いた段階で打つのが砧だからです。従って彼が中朝の国境で聞いたのは、北朝鮮の女性が打つ砧の音です。
乾いた音が「コーン、コーン」と響いたとあり ますので、これは綾巻を使うT型の砧と思われます。U型の砧では、トントンという音で、なかなか響き渡るものではありません。
ちなみに叩き洗いの洗濯では、水漬けした衣類ですので、べチャあるいはバシャという音になります。
川縁から聞えてくるとありますが、これはちょっと疑問です。洗濯は川で叩き洗いしますが、砧はこれを持ち帰って家の中で打つものです。川縁に建つ家であれば間違いはないのですが。
北朝鮮に砧が残っていることは確実なようです。しかも日本はもちろん韓国でも廃れてしまって見ることが困難なT型の砧ですので、非常に興味深いものです。
なおこの雑誌の編集後記には「それにしても暗闇の北朝鮮から女性たちの砧を打つ音が聞えてくる描写には胸がつまった。」とあります。もし北朝鮮が崩壊することがあれば、砧の実物を見に行きたいとものと思っております。
宮城道雄の「唐砧」
邦楽の宮城道雄は「春の海」や「水の変態」などの作曲で有名なお琴の筝曲家です。彼は神戸で生まれたのですが、大正時代に朝鮮で暮らし、朝鮮一の大検校となります。この時に作曲したのが筝と三味線による四重奏曲「唐砧(からきぬた)」で、洋楽家から好評を得ました。この曲には砧打ちの音が表現されています。
それ以前の江戸時代には「四段砧」「五段砧」といった筝曲が作曲され、弾かれました。「砧物」といわれる曲です。江戸時代は砧がよく打たれていたのでしょう。けれども先ほど言いましたように明治になると砧打ちの風習は廃れ、打つことがなくなっていたのですが、筝曲として演奏されていました。宮城もこの「砧物」で練習したはずです。
ところが当時の朝鮮では砧打ちは盛んでした。ということは、目の見えない宮城は朝鮮で生活するなかで、朝鮮の女性が打つ砧の音を聞いてこの「唐砧」を作曲したことは容易に推測できます。つまり彼は、もはや日本では聞くことがなかった砧の音を朝鮮で聞いて作曲したのです。
宮城道雄の曲は余りにも日本的過ぎて、そこに朝鮮風のものは全く無いように感じられますが、この「唐砧」は朝鮮女性の打つ砧の音色であることを知ると、曲を聴くときの感じ方が違ってきて、さらに興味深いものです。
砧にまつわる諺
朝鮮では「砧」にまつわる諺が少なくありません。それをいくつか紹介したいと思います。
「暗闇に綾巻」
「藪から棒」と同じ意味です。綾巻は長さ1m、径8cmほどの棒ですから、これを真夜中の暗闇で突きつけられたら、まさに「藪から棒」でしょう。長さ40cmほどの槌を突きつけられても、迫力がありません。
「砧の槌を食らって綾巻で返す」
綾巻は槌より、長さも太さも倍以上あります。仕返しをするときは倍にして返すという意味です。
「綾巻に花が咲く」
綾巻は丸太の棒ですから、これに花が咲くわけがありません。つまりいくら願っても実現しないという意味になります。
「綾巻で牛を追う」
綾巻は太くて重いですから、あまり振り回すことはできません。これで牛を追うのは難しいものです。無理を強いることの意味です。
「砧の台を枕にして寝ると口が曲がる」
これまではT型でしたが、これはU型の砧です。台を枕にするのは非常に行儀の悪いことです。品のないことをするな、という意味になります。「口が曲がる」というところは「夫に嫌われて実家に帰される」という場合もあるようです。
4、日本と朝鮮の砧の比較
日本と朝鮮の砧について詳しく話してきましたが、両国の砧を比較して共通点と相違点を指摘して、私の話をまとめたいと思います。
共通点
共通点としましては、砧打ちは洗濯後の仕上げ工程の一つとして、布の皺を伸ばして艶を出すこと目的にするもので、家庭における女性の仕事とされました。
着物、朝鮮ではチマチョゴリといいますが、糸をほどいて反物のようにしてから洗濯し、砧を打ちます。
打つときは座って打ち、立って打つことはありません。また一人だけでなく二人が相対して打つことも多いです。
砧にはT型とU型の二種類があります。T型は綾巻に洗濯した布を巻いて打つので折り目がつきませんが、U型は布を折り畳んで打ちますので折り目がつきます。
相違点
違いとしましては、日本では12世紀からの絵画資料が豊富ですが、朝鮮では19世紀末より以前の資料が見つかっていません。砧の歴史は日本では追えるのですが、朝鮮ではちょっと分かり難いものです。
T型については、日本の江戸時代初めまでのものと朝鮮のものが同じT-a型です。日本ではそれ以降にT-g型まで八つの段階に変化したのですが、朝鮮ではT-a型の形が変化せずにそのまま残ったのではないかと考えられます。
日本では砧に使う横槌はAあるいはBタイプで、一本を片手に持って打つ資料が多いのですが、朝鮮ではGタイプで、二本を両手にそれぞれ持って交互に打ちます。
日本では明治以降に砧の風習は廃れて、今やその道具を見つけることは困難になっていますが、朝鮮では1970年代まで砧打ちの習慣が残り、道具の遺存例も多いです。
(補遺)砧の実物展示
日本の砧はこれまで何回も申しましたように実物はほとんど残っていません。西宮の資料館に収蔵されていますが、展示されていません。従って絵画資料から推測するしかありません。
一方、朝鮮の砧は在日朝鮮人社会でも1960年代まで使われていましたが、こういう道具は注目されることがほとんどなく、多くがゴミとして捨てられてきました。今はかなり少なくなってきたようです。私が10年ほど前に一組入手しておりますが、在日家庭を探せばまだ見つけることができると思います。
博物館では、近在では先ほど申しましたように千里の民族学博物館に韓国で使われていたT型の砧が収蔵され、韓国コーナーに展示されていました。
http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutazu1(民族博物館所蔵)
しかし今は展示替えの際に外されてしまい、見られなくなりました。
大阪人権博物館(リバティおおさか)では、在日朝鮮人家庭で使われていたU型の砧が展示されていました。「洗濯の道具」という説明でしたが、これは間違いで砧です。しかしこれも最近の展示替えで外されており、見ることができなくなりました。
http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutajinken(大阪人権博物館のしおり)
ちゃんと調べたわけではありませんが、他の博物館・資料館で収蔵・展示されている例はないようです。
残念なことに、日本では砧の実物を見ることが非常に難しい状況となっております。私の入手したこの砧が、実物を見て触ることのできる滅多にないチャンスだということです。
なお私自身はまだ見ていないのですが、韓国の中央博物館や地方の博物館にはU型の砧が展示されています。ただしT型の砧の方はないとのことです。
砧について長々とお話させていただきました。これは民具学あるいは民俗学の話で、歴史学・考古学とは直接関係のないことですので、果たして皆様のご興味を頂けたか分かりません。つたない話を長時間お聞きくださったことに感謝して、私の話を終わります。
(講演:2007年3月11日)
【参考資料―講演の際に配布したレジュメ】
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/kinutarejume
http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutarejume1
http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutarejume2
http://www.asahi-net.or.jp/~rq2h-tjmt/kinutarejume3
【関連論考】
「砧(きぬた)」
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai
「朝鮮の砧」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai
「誤りの多い“砧”の解説」http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuusandai
「角川『平安時代史事典』の盗用事例 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485
「“砧”と渡来人は無関係」
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192