「長篠の戦い」は、1575年6月29日、三河国長篠城(愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍と、武田勝頼が戦ったとされる争いです。決戦地が設楽原(設楽ヶ原)だったため、「長篠・設楽ヶ原の戦い」とも言われます。昨年の大河ドラマ「どうする家康」の舞台にもなりまたし、浜松からは近いですから、連休前の春の晴れ日に出かけてみました。
低い山や深い谷が折り重なるような山深い所から開けた土地に出ました。信長の提案により「三千丁の火縄銃」を繰り出したとされる「馬防柵」が地元の方々によって再現されて残されていました。そこに立ってみましたが、ここで3万を越える兵が戦ったとはどうにも思えない周辺の土地のサイズでした。
設楽原歴史資料館には火縄銃や鉛玉など、が展示されていました。近くに併設されている「長篠城史跡保存館では城の危機を救った鳥居強右衛門の「磔死」の雄姿(?!)が目につきました。郷土の誇りなのでしょう。
新城市の新城総合公園近くにある長篠堰堤(ながしのえんてい)に行ってみました。、「三河のナイアガラなどと書いた小さな看板がありましたが、またまた大袈裟な、、、などと思っていましたら、ナイヤガラもびっくりの大きな滝でした。幅100メートルに広がる長篠堰堤の「余水吐(よすいばき)」の迫力は圧巻です。この素晴らしい景色をもっと整備し、広めたら、大きな観光資源になると思いました。(2024.4.26.)
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