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最後のジジババ同窓会


今年は梅雨入りが早いように感じました。トシをとると月日の過ぎゆく時間が若い頃とは違ってドンドン前屈みになってくるように思えてなりません。平均寿命が延びたのはいいことなのですが、元気で楽しく暮らせない不健康な長生きは、何の意味もありません。

今年で最終回となる「同窓会」に出席してきました。入学してから来年で60年となる1957年度生の集いは、今年が最後という通知を受けて、いつもよりは出席者が少し増えておりました。よくも59年もの間続いたことよと、幹事さん方のご苦労にあらためて感謝です。稀代の雨女であるおババの同窓会にしては、まっことピーカンの雲一つ無い晴天の日でした。最後くらいは「晴れ」を恵んでやろうという天の思し召しかもしれないと、いいように解釈して、ウハウハです。

木漏れ陽がキラキラと降り注ぎ、揺れる緑が輝くレンガの校舎は、新しいものが数棟増えて、キャンパスは美しく整備されていました。校舎の間の径は、丁度講義の合間だったようで、大勢の学生であふれかえり、華やかな女子学生が小花のように散らばっています。そのせいか広かった径は昔より狭くなったように見えました。地下鉄がその新しい校舎の地下に乗り入れ、階段を上がれば広いカフェテラスのようなサロンがあり、学生たちが楽しげに話をしています。

1957年、田舎からぽっと出の女子学生は、昼の時間をどこで過ごせば良いのかもわからず、校舎の間をあちらへ行ったりこちらへ廻ったりしながら、心細くウロウロしていました。混雑した窮屈な学生食堂は、黒い詰め襟の男子学生ばかりが目立っていました。やっとの思いで手に入れた学食の「素うどん」を食べ終えて、ふと横をみると、置いたはずのバッグがありません。学生証や教科書、なけなしのお金、総てが消え失せていました。おかっぱ頭の女子学生は、盗人の格好の餌食だったのでしょう。日本がまだ貧しかった頃の遠い遠い昔のお話です。



今回会場となったK館の上はフレンチのお店が入り、そこでの会食となっておりました。三人の幹事さんのうちお二人は、昨日から体調が良くないとかでショボンとして顔色も冴えません。集まった人たちもなにかしら不調を抱え、毎度の事ながら、老人会の様相を呈するのは仕方の無いことです。
肺炎で入院し、やっと退院されたという方は、持ち時間の大半を携帯用酸素の調整法の説明に使われました。他の話題も結局は「ためしてがってん」風になってしまいます(笑)。

91才になられる先生も出席して下さいました。いささかお耳の遠い先生との会話は、ついつい大声になって、お互いに疲れてしまいます。先生はコースのフレンチを総て召し上がられましたから、長生きの秘訣はやはり食べることにあるのかもと、、食の大切さを再認識いたしました。

60代から70代の頃には、みんな子供や孫のことに関する話題が多かったように思うのですが、80代前後ともなりますと、健康を維持して生きた後「三途の川」をうまく渡りたいものだとということを、実感を伴わないままについつい話し合ってしまいます。それでも時々笑い声や歓声が聞こえたことが、まずまずの集まりでした。乾杯のシャンパンも飲みきれず、グラスに大半を残したまま閉会となりました。

散会後は親しい二人の友人と学校のすぐ隣にある「相国寺」に参りました。学生時代に一度行ったことがあるだけです。相国寺は 京都五山の第二位の名刹で、正式名称は萬年山相國承天禅寺、1605年(慶長10年)豊臣秀頼の寄進によって再建されました。法堂の建築としては日本最古のものだそうです。



天井には狩野光信が仰向けになって描いたという龍の絵があります。決まった場所で手を叩くと反響音がするために「鳴き龍」と言われているそうです。「鳴き龍」と呼ばれる物は、建仁寺やその他の寺にもあるのですが、名刹のせいでしょうか、その龍は際だって美しいように見えました。
龍は眼光も鋭く、見上げる者に視線を合わせ、ついてきて離さないということでした。一回りして手を叩いてみましたが、はっきりとした音は聞こえません。信仰心がないせいでしょうね、、


会場を出るときにバッグを置き忘れたことを、相国寺に来てから気付いた友人が、慌てた様子で探しに戻って行きました。声をかける間とてないほど大急ぎです。無理もありません、もし無かったら、一文無しになってしまうのですから、、後を追いかけて心配しながらキャンパスを横切って急ぎました。まもなくスマホに連絡が入り、無事にバッグが見つかったことがわかり、ホッと一安心です。あまり好きでもない重いスマホが役に立って、なんとなく複雑な気分でもありました。

「外国やったら、もう無かったかも知れへん、日本で良かったね、、」などと話しながら、こんな忘れ物をするなんて、やはりトシやねぇ、、などと、ひとしきり盛り上がりました。なんともはやお粗末なお土産話です。昔も今も、失敗話で落ちがつくというジジババの最終同窓会は、それでも安堵の笑い声が響き、「終わりよければ総て良し」となり、有り難い一日でした。(2016.6.7.)

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