今川氏の家臣として代官を勤めた中村家は、浜名湖の航行権利を得て繁栄していましたが、永禄11年(1568)当主だった十八代中村源左衛門正吉は、徳川家康が今川領だった遠江国(遠州、現在の静岡県大井川以西)へ侵攻した際に、自ら船を出して家康を迎えたのだそうです。その功によって、浜松城に移り住んだ家康にとりたてられました。そして、天正
2年(1574)2月 8日、家康の 二男である於義丸(秀康)が、中村家の離れ屋敷で誕生したと伝えられています。生母は家康の側室小督局(お万の方)です。
国の重要文化財に指定されている主屋の建築は、貞享 5年(1688)頃だそうです。平成12年(2000)浜松市に編入された雄踏町が、平成13年度から15年度にかけて解体修理を行い、当初の姿に復元されたということです。
邸内で催される秋の茶会にお誘いを受け、邸内を見学することが出来ました。(2012.11.11.) |