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時の栖ときのすみか(静岡県御殿場市)



御殿場高原 時之栖(ときのすみか)は、富士山の麓に6万5千坪をようし、多数のレストランや温泉施設、スポーツ施設などを併設した高原リゾートで、毎年のイルミネーションが人気を呼んでいます。園内にはホテルやレストラン、各種手作り工房があり、御殿場の地場産業の振興にも貢献しています。パン、チーズ、生ハム、ソーセージなどが品揃え豊富でした。(2012.12.14.)


時の栖光のアーチ


光のトンネルは3個あり、長く続いています


今年の噴水テーマはベルサイユの光だそうです












時の栖イルミネーションは規模が小さいですが、キュートです


今年のテーマは青森ねぶた


青森ねぶたを模したイルミネーション

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冬の富士山(御殿場への道)


由比町付近から、右側は駿河湾


裾野市から御殿場方面へ(宝永の噴火跡が真正面に見えます)



中村家住宅(重要文化財) 浜松市西区



今川氏の家臣として代官を勤めた中村家は、浜名湖の航行権利を得て繁栄していましたが、永禄11年(1568)当主だった十八代中村源左衛門正吉は、徳川家康が今川領だった遠江国(遠州、現在の静岡県大井川以西)へ侵攻した際に、自ら船を出して家康を迎えたのだそうです。その功によって、浜松城に移り住んだ家康にとりたてられました。そして、天正 2年(1574)2月 8日、家康の 二男である於義丸(秀康)が、中村家の離れ屋敷で誕生したと伝えられています。生母は家康の側室小督局(お万の方)です。

国の重要文化財に指定されている主屋の建築は、貞享 5年(1688)頃だそうです。平成12年(2000)浜松市に編入された雄踏町が、平成13年度から15年度にかけて解体修理を行い、当初の姿に復元されたということです。

邸内で催される秋の茶会にお誘いを受け、邸内を見学することが出来ました。(2012.11.11.)


屋敷を取り巻く塀と古木


長屋門


中村家裏庭


胞衣塚の門扉(葵の紋所がついています)




雨上がりのガーデンパーク(花の広場 コスモス畑)浜松市西区








 (2012.10.19.)


(2012.11.10.)




中央アルプス駒ヶ岳ロープウエイ 長野県駒ヶ根市




駒ヶ岳 2612メートル


駒ヶ岳 千畳敷カール


アルプスの向こうに富士山(2612mの駒ヶ岳から望遠で)


最高地のロープウエイ(好天で満員)


少しだけ紅葉(ロープウエイ降下中の動画から)


夕刻お迎えのゴンドラが到着


頂上の駅施設が小さいのが難点です(人が溢れていて驚きでした)
PM5時に下山、気温すでに5度 (2012.10.13.)




本田宗一郎ものづくり伝承館(浜松市天竜区二俣)


(こじんまりとした建物、以前は二俣役場でした)


玄関前に置かれたホンダC型バイク(バイクのさきがけ)


ホンダカブ(一番売れたバイク)



あなたが一代で作った会社の名は、いま地球を蔽っている。 ニッポンを知らない人も、あなたの会社を知っている。それほどの会社を、あなたは20年も前に、若い後輩たちに託し、一気に身を退いた、まるで急に仕事に飽きたかのように。

そのあなたの中で、いまも仕事がそれほど好きであろうとは、、


引退後は何が一番面白いかと聞いた城山に、本田は「仕事、本当に面白いのは仕事だけ」と答えたといいます。引退後はゴルフをやり、絵を描き、陶器をつくり、様々に楽しんでいるかに見えた本田が、仕事が一番面白いと言ったことにたいする驚きと、敬意があふれるこの言葉は、読む人の心を打ちます。


引退後に習った絵画は、上達が速かったと聞きました
(ふるさと天竜の村風景が穏やかに描かれています)



本田宗一郎独特の笑顔(浜松やらまいか精神に溢れています)

質素なたたずまいの「本田宗一郎ものづくり伝承館」に行ってきました。ホンダと言えばバイクです。戦後ようやく復興の兆しが見え始めた頃、四輪よりも先に、庶民はホンダのバイクに出会いました。バイクの時代が、遠い昔の日本にもあったのです。ホンダは実用一点張りのバイクの椅子を赤色にして、貧乏一色だった日本に元気色を伝えていました。

ある日、裏庭に、カブと称する自転車の親玉のようなバイクが置いてありました。動く物が何でも大好きだったオテンバは、恐る恐るエンジンをかけてみました。簡単にブル~ン、、と音がして、振動が伝わってきます。表までこっそりと引き出してまたがってみますと、簡単に発進するではありませんか、「ウワ~ッ、、動いた」そのままトコトコと駅まで走り、駅から隣町まで一直線についている電車の線路脇の、県道を走りだしました。クルマなんかめったに見ない時代でしたから、道路には人影も、自転車もなく、土埃がときたま舞い上がっているだけの田舎道です。アクセルの握りを手前に回せばスピードが加速されます。これはイイ、、気がつくと、駅を出た電車が走ってきて並走しています。アクセルをふかせば、すぐにノロノロ電車を追い抜くことができました。「ヒヤ~ッ、、」

5キロほど先の隣町に入り、黒い板塀の角を廻ろうとしたときです、砂利道がザザ~ッと滑り、バイクは横倒しになり、その黒塀に激突、オテンバは放り出されてしまいまいした。あちこちが痛かったのですが、そんなことより、転倒したということがショックでしたから、急いでバイクを引き起こし、少ししおたれながらも、素知らぬ顔で戻ってきました。よく見れば、ミラーがひん曲がり、折れかけて、擦りキズが横腹にギーッとついています。こそっと裏庭にバイクを戻しました。

右手の親指の付け根を強く打ったらしく腫れてきて、ずきずきしてきました、おしりをしたたかに打っていて、ここも痛みました。父親におそるおそる報告しましたら、意外なことに、「気をつけろ」という一言で放免されましたから、ホッとして、もう済んだ気になっていました。

翌日の夕方、会社から戻った父親は、それまで見たこともないような顔で言いました。
「電車と競争していたそうだナ!どういう気でそんなことをした?」なんでばれたんだろう、、

電車の車掌が、並走するオテンバの顔を見知っていて、父親に言いつけたということがわかりました。「みっともないことをするんじゃない!」それまでは父親に叱られたことがなかったので、心底こたえました。母親からは「そういうことをしていると、不良娘だと思われる」と、またまた毎度のお説教を、たっぷりと聞かされることになったのです。

懐かしいホンダのバイクでした。すっかり忘れていたカブが、さまざまなことを思い出させてくれました。
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河口湖周辺と忍野八海(おしのはっかい)



富士山の噴火によって出来た堰止湖である本栖湖、精進湖、 西湖、河口湖、山中湖、の富士五湖のうち、最も長い湖岸線を持ちます。水深は3番目、湖の中央に鵜の島と呼ばれる小さな島があります。
周辺は店舗が多く、観光化して景観が悪くなり、自然を楽しむには難があるように思いました。



河口湖からの富士山



802年の富士山延暦噴火により、宇津湖が山中湖と忍野湖に分かれ、後に忍野湖が乾き盆地になり、湧水口が8カ所、湧泉群として残った姿が忍野八海ということです。ここからの冬の富士山が絶景と言われていますが、観光客も多く、雑然としていて、富士山もめったに良い姿をみせないようで、あまり魅力的とは思えませんでした。


忍野村の古い民家


澄み切った水の中を、金色の鯉が泳いでいます


忍野村の水車 82012.9.24.)




強い西風に吹き飛ばされながら揚がった花火  (2012.7.07.)

昨年は東日本大震災のため、花火は自粛されました。舞阪弁天の花火は、遠州の花火の先陣を切るものですから、皆が心待ちにしています。ここへ移って来たときに、遠州灘と浜名湖の境目から打ち上げられる豪快な火の美しさと、仕掛け花火特有の儚さに大感激して、大喜びで見物したものでした。

心配された大雨は、朝までに上がり、今の時期には珍しい西風も吹き始めました。かなりの大風です。花火の中止も心配なほどでしたが、夕刻から打ち上げが始まりました。我が家の2階から見えていた花火は、向かいの松林の木が大きくなり、花輪の上の部分しか見えなくなりました。よく見える場所まで少し移動し、次々に打ち上げられる火の舞いを楽しみました。雨上がりで風が吹き、夜空は澄み切って、バックスクリーンの黒も最高でした。

今朝の中日新聞には、大風に吹き寄せられながら乱舞する花火の見事な写真が載っていました。遠州灘の風と花火の競演です



2012年舞阪弁天の花火 (中日新聞写真より)


満開のバラ (2012.5.25.)





(2012.5.25.)

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クレマチスの丘 (静岡県長泉町東野)
ジュリアーノ・ヴァンジ美術館



ヴァンジ彫刻庭園美術館は、イタリアの現代具象彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジの、世界で唯一の個人美術館として、2002年4月28日、静岡県の愛鷹山の中腹に開かれました。

クレマチスの丘は温暖な気候の駿河平に広がるにエレガントな庭園です。あたり一帯は、植えられた花の名前にちなんで、クレマチス ガーデンと名付けられました。日本ではこの花は「鉄仙」とか「風車」と言われています。多様な色を持つ美しいこの花で周りを飾られたヴァンジ美術館は、こじんまりとした美しい静かな美術館でした。(2012.5.11.)


美術館前庭









ここの彫刻をどう感じるかは、見る人まかせのほうがいいようです(2012.5.11.)



新緑に包まれた薄緑の寺 龍譚寺(井伊家菩提寺) 浜松市北区














井伊家
井伊 直政(いい なおまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将です。家康の「天下取り」を支えた功臣「徳川四天王」の一人として世に知られています。

政治的手腕に優れ、当時の有力武将達から「直政は小身なれど、天下の政道相成るべき器量あり」と評価されたといいます。これは直政がその気になれば、天下を取ることもできるということを意味していますから、かなりの人物であったことは事実でしょう。

後に彦根藩の第15代 藩主となり、政治的権勢をふるった井伊直弼は「桜田門外の変」で水戸藩の脱藩浪士たちに殺害されました。終末期の 江戸幕府で大老 を務め、日米修好通商条約 に調印し、日本の開国 近代化を断行した人物としての評価は大きいものの、強権をもって反対派を粛正した「安政の大獄」によって、直弼の評価は二分されることになりました。
幕末という一つの時代の終わりにおきた「大老暗殺」テロは、脱藩浪士たちの悲惨な最期をとおして、先を見通せなかった者の憐れさと、権力者達の狡猾さを、今なお考えさせられます。 (2012.5.03.)


ご案内頂いた龍譚寺は、本当にいいお寺でした。
徳川四天王、直政出生の地はいつか訪れてみたいと思っていました。駿河、三河には徳川ゆかりの場所がいくつもありますが、見応えがあり、格調高いお寺は珍しいです。徳川時代の岡崎にある菩提寺でさえ比較になりません。

三河は単に家康の生誕の地というだけですが、直政の時代には「家康四天王」とは言っても一番の年少なのですが、それでいてもうその頃にはすでに財力の違いがあったのでしょうか、、財力をひけらかす秀吉とは違い、精神的文化、仏教精神が浸透していたことがうかがえますね。
なにはともあれ、良い一日でした。有り難うございました。
(Sさんの手紙より)


龍譚寺山門




浅春の花たち(浜名湖ガーデンパーク)2012.3.30.




クリスマスローズ(白)





新緑のガーデンパーク(2012.5.14.)














新芽を伸ばすジャカランダ(2012.5.14.)



護国山安寧祥寺(浜松市雄踏町)2012.4.06.





ひっそりとした雄踏の桜名所です


撮影者は年々老いていますが


ジジ渾身の一枚です
今年は寒波で開花が遅れました 2012.4.06.




寒春 龍雲寺 (浜松市西区佐鳴湖付近)


連日の強風も少しおさまり、陽射しも春めいてきました。

浜松市西区佐鳴湖畔近くにある臨済宗の名刹龍雲寺のしだれ桜が満開だという記事が出ていました。早速出かけてみました。

山門にはピンクの桜が咲いていますが、本命のしだれ桜は境内の奥にありました。白っぽいピンクの花がいっぱいについた枝は、重たげにしなって垂れ下がっています。身延山久遠寺のしだれ桜を接ぎ木したという由緒ある桜なのだそうです。6メートルもある幹からさがっている枝は見事でした。

龍雲寺は南北朝時代に建てられたということですが、甲斐の国の開山夢窓国師との縁があり、「三方原の戦い」では武田軍に味方したために徳川家康から攻められ、火をかけられたのだそうです。焼け残った山門と本尊の阿弥陀如来像をもとに復興し、今日にいたっているということでした。(2012.3.28.)


玄関前の白木蓮の花も満開です


下からささえられている1本のしだれ桜


龍雲寺西側の佐鳴湖の桜は、まだ蕾が堅いようでした
春の賑わいはもうすぐです (2012.3.28.)



豊川稲荷 (愛知県豊川市)




豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院で、正式名は妙厳寺(みょうごんじ)と言います。
古くから、商売繁盛の神様として信仰を集め、伏見稲荷、祐徳稲荷とともに日本三大稲荷の1つとされています。本尊は千手観音、これは吒枳尼真天(だきにしんてん)という女神様なのだそうです。奉納された幟には、この吒枳尼真天の赤い文字が書かれていました。

豊川吒枳尼真天は、白狐の背に乗り、稲束をかついで宝珠を持ち、岩の上を飛ぶ天女の形だったということですから、なんとも勇壮な姿であり、絵画的でメルヘンチックな感じもいたします。

狐の好きな油揚げに包んだお寿司が名物とあって、門前町は稲荷寿司の店がいっぱい並んでいます。「いなり寿司」がことのほか好物である連れの為にも、そして本場物を食べてみたいという口卑しい気持ちの両方で、行列に並んで食べ物を買うということをいたしました(笑)。帰宅してすぐジジババは、お茶を淹れ、ソワソワと包みを開けて、食べてみました。

、、、何の変哲もない、ごくフツーのおいなりさんでした。
どこからかぬるい風が吹いて、狐がコーン、、と、ないたような、、冬の終わりが近い暖かい日のことでした。 (2012.2.21.) 



門側の鐘撞き堂


豊川稲荷本殿


本殿前の守り狐(近くで見るとなかなかの風格です)


本殿横


千本幟の道(吒枳尼真天にそれぞれの願いをこめて奉納された幟がはためく参道)
(2012.2.21.)




世界遺産 雪の五箇山菅沼集落(富山県 南砺市)

世界遺産登録 平成7年12月9日




2012年は豪雪の冬になりました。雪が見せてくれる素敵な風景はいっぱいありますが、その中でも幻想的で美しいのが、雪に埋もれた合掌造り集落の景色です。大雪のこの時期は、ライトアップが限られた日しかない五箇山を訪ねる絶好のチャンスです。東海環状道路に東海北陸道路がつながり、浜松から富山までは日帰り往復が可能になりました。

解説によれば、ここは、もともと加賀藩の、いわゆる「政治犯」を流し、牢に押し込めておく所に指定されていたということです。五箇山は山深く、冬は豪雪で人が近づけない地域でしたから、簡単に出入りが出来ない土地でした。そのために政治的な対立者を閉じ込めておく為の流刑地になったのでしょう。加賀藩は、流人の逃亡を防ぐため庄川に橋を架けることを禁じ、一人では往来できないように、ロープに篭を引っかけて渡すという方法をとらせていました。明治以降は流刑の制度がなくなり、橋も架かりました。今は当時をしのぶ一軒の流人小屋だけが残っているのだそうです。

時の権力の側(がわ)から疎んじられ、抹殺される者は、いつの時代にも居りました。 幽閉され、志かなわず、この地で一生を終えた人の無念が伝わってくるような話でした。

想いと恋と笹舟に乗せりゃ 想いは沈む恋は浮く
まどのサンサもデデレコデン
はれのサンサもデデレコデン


地元の人が歌い継いできた「こきりこ節」は、日本最古の田踊り歌なのだそうですが、労働の歌にしては寂しい旋律です。繰り返される囃し詞(ことば)の単調な響きは哀切を帯び、降りしきる雪のせいか地を這うように低く流れ、豪雪地帯の厳しい冬を、急ぎ送る御詠歌のように聞こえました。

茅葺きの屋根作りでも知られるように、五箇山には細い草や茅を上手に編む技術が古くから受け継がれていて、黄緑色の萌葱糸(もえぎいと)の「網」を掛けたセンスのいい上品なデザインの「蓑(みの)」を作ることが出来ました。この集落から加賀藩が買い上げた「蓑」は、おしゃれな「加賀蓑」として評判をとり、他藩の武士の羨望の的だったのだそうです。

集落では、和紙漉きや養蚕が盛んでした、そして鉄砲の火薬の原料である塩硝(えんしょう)を作る技術も持っていましたから財政は豊かだったそうです。しかし、塩硝の生産は、明治になって加賀藩の庇護がなくなり、輸入品が安く入ってくるようになり、衰退していきます。

平成7年、世界遺産になった五箇山集落には今は住む人はなくなりましたが、町を挙げてこの集落を盛り上げようとしています。降りしきる雪の中で、多くの人達が観光客の案内と接待につとめていました。(2012.2.04.)


雪は小止みになりました。人の住まいの暖かさを感じさせる灯りです


急に降ったかと思えば晴れ間がでる、雪は気まぐれです


国道から見下ろした管沼集落(すぐに日が暮れます)


頭上に、国道156号線の柵が見えます


内部が公開されている重要文化財村上家の前(大雪です)


村上家住宅の障子格子


激しく降りしきる雪


菅沼地区遠景


雪は果てしなく降ってきます


雪道は凍てつき、その上に新雪が絶え間なく積もります (2012.2.04.)

予報「気温が上がり晴れる」、しかし雨女が大荒れの雪女になった五箇山でした(笑)





舘山寺温泉のホテル九重(浜松


浜松舘山寺温泉随一の老舗ホテル
舞阪港で揚がるトラフグや浜名湖のウナギ、スッポンなどの遠州料理が人気です



九重のうなぎ料理「曳馬野」からの眺望


曳馬野のうな重(パリッと焼けていて香ばしい)


  (2012.1.24.)



まだ冬枯れのガーデンパーク
 




枯れ木立の間に見える展望塔


バラの花のような葉ボタン


冬の屋外ステージ

 (2012.3.01.)

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