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パソコン始末記(その2)

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(2)メール交換

メールの接続に再々の往診をして下さったN 先生は「いいですか、メールは打っただけでは行きません。送信トレイにのせて配信を押さなければ駄目です」とおっしゃる「試しに自宅に送ってみましょう」と、ささっと手順を踏まれますと、斜め字になったメールがすっと消えていきます。

うひゃーなんだか解らないけど面白い、これがやみつきになる最初のカルチャーショックでした。先生は「私は教えるのが大好き人間ですから何でも聞いて下さい」と言われますが、聞く質問すら出てこない程の初心者ですから、ひたすら頭を下げてお見送りしました。

さあやってみようか!


「まず宛名やな、これでよしっ、次ぎは件名?件名てなんや?」

「見出しみたいなもんとちがうの?なんでも良いって言うてはったし」

「ほんならAm 先生からメール来とったからまず、ええと、(を)はどこを打ったらいいねん?」

「どこって、、(を)は(お)でしょうが」  

「ちゃう!ひっつきの(を)や!」   

「ひっつきの(を)ねえ・・本を見なわからんわ」

「何ですぐ解るようになってへんねん、もういいわ(お)で辛抱してもらおっ!」

ひっつきの(を)が(O)や(お)のままのメールはしばらくの間続き、なんぼなんでもみっともないと本をひっくり返してやっと(W O)と打つと(を)が現れ、「やった!!」なんて感激して二人で万歳万歳、まるで幼稚園のごときお粗末さでした。この(を)が正確に打てる様になった時、Am先生から「随分上手になられましたな」とメールでお褒めいただいたのをみてもわかるようにそれはひどいメールを臆面も無く送っていたのです。

往診医N先生にお礼のメールを送るのに頭を寄せ集め医薬分業ならぬ送信分業をしてやっと一通のメールが出来上がる・・・といった有り様なのに他の先生方は軽々とメールを送って居られる様子で、すでに「メール魔」等というネームを持つ先生も現れ、焦るばかりの毎日が過ぎて行きました。

ある夜のこと、N先生に質問しなければどうしても解らない所が出てきて、メールを送信トレイに載せ配信ボタンを押して飛んで行くのを、今か今かと二人で固唾を呑んで見守っていましたが一向にメールは飛んで行って呉れません。おかしいなとしばらく待ってみましたが全然消える様子もなくメールは居座っていて動きません。

「もう12時過ぎたしきっとN 先生がパソコンやってはって、先生のところのメールが混んでいるからや」

「毎晩パソコン触ってはるって聞いたし、そうやねきっと、昼間は先生の

メール箱も空いているから今度から昼間にしょうか?」

全く見当はずれの会話をして納得して、もう一度配信ボタンを押したらアッと言う間にメールは飛んで行きました。今から思えば単に配信ボタンのクリックがまずかっただけのことで、勿論N先生のパソコンが混んでいたわけもなく、全くメールの仕組みが解ってなかったということでした

。翌日N先生に「昨夜は長い間メールが行かずに参りました」と爺が言いましたら先生は「おかしいですね、そんな筈は無いのですが・・」と本気で心配して下さったのです。

メールが長時間行かない等と言う事は先生にはその失敗の原因すら想像出来ない程馬鹿げたものだったのでしょう。それでもN先生はメールとは私書箱に配達されている様な状態で、パソコンでメールを使っているから受け取れないのではない、と説明して下さったのです。

そうでした!そうでした!私書箱にのっている・・ということを忘れて、夜中に良い年をした爺と婆が、N先生が機械を使っておられるからメールが行かないのだ・・等と納得をして、頷きあっている図は噴飯物だったなあとケションとしています、済みませんと、返信メールを大真面目で送りかえしました。

N先生は多分このメールで
(あかん!トシや!全然解って無い。やっぱり無理やったな)ときっと思われたことでしょう。

そうこうしている内にやたらマウスを押していたら突然デスクトップの背景がピンク色にバッと変わってそれっきりになってしまい何処を押したら修復出来るのかさっぱり解らず、しばらくパソコンが恐ろしくて触れない、という事態になりました。

仕方なくパソコン例会で爺が「ピンクに変わって弱ってます」と言ったら皆様の大爆笑を誘ってしまい、気の毒に思われたN先生はデスクトップの色を変える方法をメールして下さいました。

やれやれ、ほっとする間もなく、今度は受診トレイを開く前に98ランチが居座って電光石火に「受診トレイ」をクリックしないと、もうメールが読めない状態(今から思えば98を最小化してゆっくり受診トレイのショートカットを押せばOKだったのでした)になり、それも単なる勉強不足にすぎないといった、アホらしい失敗ばかり繰り返し、やっとまともに婆がメールを送った時、N先生は余程ほっとされたのでしょう、物凄く褒めて下さったのです。

「最初のメールでこのように整ったメールを私は知りません」

この褒め言葉は婆をすっかり有頂天にさせ、パソコン中毒にさせる麻薬のような響きを持っていたのです。げに誉めるということは馬鹿力を出させるカンフルのようなものです。ここで誉めておかなければこの最高齢爺婆は挫折するとN先生は予想されたのだと思いますが、バカ正直な婆は真に受けて舞い上がり、とうとう木に登る豚になってしまったのでした。(その3)へ

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