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パソコン始末記(その1)

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人生どこにどんな縁がころがっているか分かりません。ひょんな事からパソコンなるものに触れ、生まれて初めてマウスという理解を超えた物と仲良くする破目!?に陥り、悪戦苦闘の日々がこようとはつい一年前までは思ってもいなかったのですから。

そこで、医師会最高齢の爺とその連れ合いのお婆は、パソコンとの1年間のドタバタを、教えて下さったN先生への感謝を込めて振り返ってみようと思いました。

以下はその奮闘漫才です。(1998)

 

交野医師会のパソコンクラブは96年夏に発足しました。この会にこともあろうにわが連れ合いが参加すると言出し、大反対をしたのですが聞く耳持たぬ有り様で・・・

「パソコンなんてどうしてやる気になったん?やめた方がいいと思うけど]

「なんでやめなあかんねん?」

「だってビデオの予約もようせんでしょう、あんなん無理!無理です!」

「やってみんことにはわからん!そんなこと言うてたら流行に遅れる!」

あれよあれよという間に会員名簿が送られてきて、訳のわからない手引き書や本が持ち込まれ、怒涛の如くいろんな物が入って来て、たちまち一部屋を占領。つぎの日、パソコン会世話人たるN 先生がスタスタと往診にお越しになり、いきなりインターネットやらいうものに接続をされる段取りになりました。

色々触ってみてかの往診医は回線を接続するのに特別の線が必要と見立てられ、それを買いにドドドドとN先生と爺は車に飛び乗り(この光景はとても60過ぎの人々とは思えない程素早く、まるで10代の若者さながらの勢いでした)事故らないで下さいよーとの声も届く間も無い速さであっという間に又ドドドドと戻って、長い長い線をさばいて繋ぎにかかられましたがどうも上手くいきません。夜の診察時間が迫ってきてお互い開業医、又明日ということになりました。

翌日、N先生は二度目の往診においでになりました。(ご苦労様なことでした)

「あんた昔ワープロやってた事あったやろ、はよ来て教えてもらいなさい」

ナ、なにを言出すねん、私は何も知りませんよ、だいたいパソコンなんて見た事も触った事もない。だから反対したじゃないですか。逃げ腰の婆さんを前へ押し出して爺さんは台所に消えてしまい、得意のエスプレッソコーヒーの機械に取り付いてなかなか現れず、往診のN 先生は手持ちぶさたのご様子です。

仕方無く何を説明なさっているのかも解らないまま横に座って講義を受ける事になってしまいました。
(自分がしたくてパソコンを始めたくせに、なんやねん)と心中穏やかではありませんでしたが、神妙にお話を聞いてみました。しかしさっぱり何の事やら分かりません。ただ、マウスであちこち押さえれば何か画面が変るのやな、と言う事だけは解りました。

すごく慣れたご様子の世話人往診医サマは、ちゃっちゃっとキイボードを軽ろやかに打ち込まれ、何やら言われますが、パスワードたらいうものの意味が分かりません。すると丁寧に説明して下さり、インフォームドコンセントは完璧なのですが、こちらがさっぱりついていけず、雲を掴むような話で漠然とさえ理解出来ません。「はぁ・・?はぁ・・?」返事をしているうちにようやく爺さんは自慢のコーヒーをささげ持って現れ、「どうですかいな」なんて。

コーヒーなんてどうでもいいんですこのさい、それに砂糖入れすぎで甘すぎる・・早く座って講義を受けたらいいのに、と内心ぶんむくれました。だから(婆天下)などと人様に言われるのです。御接待は私がしますからこのしちめんどうなお話をしっかり聞いて下さいよ!


世話人様は懇切丁寧にメールの接続の方法を教えて下さるのですが上手くつながらない様子で電話回線を気にされているようです。しかしまたもや時間一杯になり、又次ぎとなりました。

「家の電話が悪いんとちがうか?」

「うん私もそう思う」「どうも電話線があかんみたいやな」

「ダイヤルだからかな」

「うちはダイヤルやったん?それや!プッシュでないとあかんのや、きっと」

「プッシュに変えよ、明日一番に電話しいや」

「ハイッ!」

翌日9時になるのを待ってN T T に電話するとあっけなくプッシュに変えてくれました。よーしこれでO K や。しかしプッシュでもダイヤルでも大局には影響なかった事は後日に医師会ホームページに掲載されたN 先生のパソコン物語で知る破目になったのです。(その2)へ

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