Evangelion Genesis y:x 更新日誌(1999 年 5 月)

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5 月 31 日。
アサヒネットで書いている話の 3 つ目の骨格をつらつらと記す。 あからさまに e:x のサイドストーリーと化した関係で久しぶりに e:x に目を通した。 書き上げてから半年がすぎ、ほぼ完全に別人のモノとなった今、..... うむ。よくこんなの書いたな ....

なぜあれを書かなかったか、なんてあたりはまだけっこう覚えている。 誤字もけっこうある。でもやっぱもう手を入れられるトコは無い。 そのへん本家 y:x より気ぃ入ってるかも。

ちなみにアサヒネットでのこのシリーズ、after EoE を標榜しているくせに シンジ、アスカの話がまったく進んでいない。 いきなり北海道から書き起こす人あり、 カヲルのモノローグだけで話とする人あり。 おかげで書き辛いのなんのって。


5 月 28 日。
話題沸騰している 「ゲームは映画ではない」、判決
おまえら下手すぎ > エニックス & ACCS 弁護団。
著作権法でいう「映画」とは普通言うところの映画でなく、 映像、音声などを組み合わせた複合的な著作物、という意味だったはず。 マルチシナリオが入ったくらいでは、この定義から外れることはない ── と思っていたらこの判決には驚いた。 しかしこれなら久しぶりに高裁判決が出るなぁ。怪我の巧妙か ...

「映画」であるなしの著作権法上の大きな違いは二つ。
一つは頒布権(26 条)。ふつーの著作物ならば貸与権となるところ、より強い権利を 著作権者は有する。こちらがこの判決に関する議論の本筋だが本筋だけあって 脇から言うようなことは特になんもない:-) しっかりやって下さい > 関係者様方
さて、もう一つが、著作権者が集約されるという効果(16 条)。つまり、 明らかに著作権をもっているはずの役者にまでデフォルトで著作権があることにすると 非常にうっとおしいことになるため、主たる製作者(たいてい映画製作会社) に著作権を集約する、という趣旨が「映画である」ということの効果である。

この程度で「映画」ではないことになると ゲームの大部分は勿論のこと、i-CD や DVD のかなりが「映画著作物」でなくなる。 マルチシナリオになると「映画」でなくなるとしよう .... いいかげん面倒な二次利用のための許諾手続きがいっそう面倒なものになるんだけど。

そーねぇ ...
たとえば Leaf や Tactics のように二次利用に関して開放的なゲーム会社があるが、 彼等が部分的に外注したゲームも「映画」であれば 主たる製作者によってのみ二次許諾が出せた。 これが「映画でない」ということになると 外注先という著作権者の言い分も聞かねばならなくなるとか、そーいったこと。

『ターン A ガンダム』。
これぞプロのバランス感覚。社会を描くのに忙しく どうしても忘れられがちになっていた人物描写を 話を進めるのを犠牲にしても... の覚悟で 1 話まるごとかけて描き込み、 なおきっちり話を進めた。 下積み生活を続けていたハリー中尉も、この話でほぼネタふりと人物設定を終えて そろそろ出番かな。
かっこええぞ > 御曹司、シャアハリー中尉。
音楽も菅野よう子なセンス全開、主役は御曹司だぞーと主張しているがのごとく sophisticated されてる。名作劇場的な視点に流れるのを防いで雰囲気の調整に一役。

多少、気にかかるのがラストの新聞記事の論調で、 ムーンレイス=ロランに好意的な記事になっているが、 地球の新聞がそういう論調で社説を書けるという 空気をどこかで表現しておいて欲しかったかな。 これだけしつこく地球-月の軋轢を描いておいていきなりこの甘い論調は無いだろう。

「同じ人間じゃないですか、死ねばいいなんて酷い、酷すぎます!」
今話「ローラの牛」をもって『ターン A』、今期アニメトップグループへ参入。
5 月 27 日。
情報の回流、還流ということ。
いざとなれば(たとえば戦争時) 第三次産業に関わる者よりも第二次産業、 それよりはさらに第一次産業に関わる者のほうが強いというのと同じく、 情報を回流させるだけのサイトよりは結局は情報を生み出すサイトのほうが強い。

EVA サイトの多くが EVA 終了後に立ち上がったように、EVA サイトは 実は EVA への依存度は低いし またその役目は EVA のデータを回流するだけではなく、多くは SS などとして自力で情報を生み出した。 現在のアニメ関連サイトとは質そのものが異なる。
たとえば評論サイトは アニメ 1 話についてたかだか一つの感想文が存在できるだけであって、 それに含まれる情報はアニメ 1 話よりも遥かに小さいだろう ── 本質的に縮小再生産にしかなっていない。

MP3 などのコピーサイトにいたっては自力ではなにも生み出していない。 つまりは積極的に活動しないことにはサイトの存続にかかわる。
EVA サイトも高品質なグループが 2 次創作からさらに 1 次創作へとその情報生産密度を上げていく傾向にあるのとまったく逆のセンス。

MP3 サイトがついに摘発されたようだが、 基本的にはこないだのピカチュー同人誌が摘発されたのよりも同情する点はない。 なくなってもらったほうが Internet の S/N 比向上のためにはむしろ望ましいくらいである。

というところで本題。
この MP3 サイトの著作権法に基づく摘発、 JASRAC の告訴「前」に家宅捜査した らしい。親告罪である著作権侵害の捜査を告訴前にやるってのは 予備調査はともかく家宅捜査ってのはちとまずかろう。 ただでさえ著作権法の扱いは民法としてはやや特殊な位置にある。 妙な反駁を食わないよう、法の議論が正常な方向に向くよう、 捜査も堂々としていただきたいものである。

ついでに法律の話もうひとつ。こないだ成立した盗聴法案。
現在 Internet Protocol(IP) は snooping し放題であって、 暗号化手順がそろそろと普及を始めている。 ちょっと考えれば分かりそうなものだが「盗聴法案」によって盗聴が合法化されれば 盗聴されてマズいサイトは真っ先に暗号化されるに決まっている。
そして RSA 公開鍵暗号系は当の受信者本人を買収しないかぎり事実上突破不可能だ (公開鍵を盗聴しても仕方が無い)。 ... アメリカのようにデフォルトでは (突破しやすい)短い鍵長のものしか使えなくなっていても、 自力で長い鍵長の RSA 公開鍵暗号系暗号化ソフトを作ってしまうように なるのは目に見えている(原理は簡単だ。そのまま素朴に組むと少し効率が悪いくらいで)。
また、電話業界もまもなく IP の上にのせるようになるだろう。 ..... この回線も実に速やかに暗号化 (電話局が提供する暗号化でなく、自力での) されるだろう。
暗号化するだけの動機をもたないところだけしか盗聴できないはずである。 プライバシー侵害をゆるす法的根拠となる害以外のなにものでもありえないと思う。

どーせ現在でも電話番号を手書きで渡すことはあまりない。 これからは E-mail address, 電話番号と RSA 公開鍵を書いて渡すようになるだけである。


5 月 25 日。
"To Heart" と『十兵衛』を見んとす ...
『十兵衛』なページを作り掛けでダウン。ので、簡単に。

"To Heart"
淡々とした物語は本気で淡々と描いちゃダメです。 細かいとこでそれなりに香料をきかせないと見てて飽きます。 はっきりいって、その辺の同人誌見てるようでしたな。
とりあえずラストは最低限、白鳥座が沈むところを遠景に二人で歩いて去っていくところ、 くらいのスパイスは欲しかった。どーせ地学な話題でシメてんだし。
いちおー補足しておくと、白鳥座が相々傘にみえるってやつ

『十兵衛』
わずかな演出ミスがちと気になった回。「努力して家族になったんだ」なシリアス前半から ギャグな戦闘にいたる流れはこれまでと変わらず切れ味よかったんだけどねぇ。 そこを大切にしすぎて時間くいすぎで「四郎が生きてた」ってとこがものすごく唐突だった。 前回の流れからすれば一方の主役のはずで、バランスを欠いたと思う。


5 月 24 日。
本日 EVA NOVEL 階層 170000 hits 突破。
PLP 階層は 26000 hits, ANIME 階層が 500 hits. 最上位層は記録とってないのでいくらか知らない。

対象人数の差といいましょうか。『エース』の EVA なやつは初日に見たっきり すでにドコにもなく、沈み込んだとはいえ EVA の力というものはある訳である。


5 月 23 日。
なんか久しぶりに(こらこら) EVA の話書いたりして。 でも公開先はアサヒネットの BBS 内だったりして。

あちらさんで(そろそろ閑散としてきた EVA のお部屋の活性化のため:-) After EoE の連作が始まって、 で、モデレータ氏によるプロローグに続く 2 つ目。 e:x 書く時にボツにしたネタをしっかりパクってるなんてことは BBS では秘密にしておくことにしよう。適当に書き直せば e:x の外伝くらいにはなるかもしれないけど。

連作という性格上、基本的にすべてのメンバが地上に復活する (ようにしないと、なにせ書き手の贔屓の人ってのがあるからねぇ)ことになってるので、 とりあえずはレイ復活の背景(の一部)を書いてみたんだけど、 EoE 系でレイが地上に復活する話ってどんなのがあったっけ ... さすがにここんとこ読んでないから思い出せないぞ。


5 月 22 日。
ううんやっぱ『さくら』も良い。『十兵衛』との首位交替は来週持ち越しってことで。
ところで『さくら』で一つ気になるのが、「カード」に出来ないことを やらせようとしたケースがまだないことである。 今回のケースでいえば、「サイレント」を捕まえるのに「シャドウ」を使った訳だが .... 「自分の影」にカードを捕獲する能力が無かった日には そーとー間抜けな格好だった筈である。

ちょっとした食い違い、な話。

「この作者のセンスすごく変!」
「いやその展開には訳があって xxx なんだけど」
という論理をここしばらく目にする機会が何回かあった ── つーか そのうちの 1 回は自分も絡んでるけど。
このふたつ、議論としてはぜんぜん噛みあってない。 後者の言いたいことなんぞ前者は十分に分かった上で「ヘンだ」と叫んでる訳であって、 単なる価値観の相違である。 ここんとこヘンなのが多いからねぇ ... 『To Heart』しかり『ヨーコ』しかり。
ってことで後者な口を挟んだちょい前の件、 あんまりやる気なかったこともあってすっかり忘れていたが、いちおう補足。 もとネタは ワタルさん家の「米山君の設定の意図」 から。 題して「賽の目の作為」 ... ってのをそのうち書こう。 とりあえずは ──

「米山君の設定にはコンテクストとは無関係な要素が入っている」とのことなれど、 コンテクストに無関係な要素が入ること自体はべつに非難すべきことではない。 たとえばサイコロの賽の目は大抵の場合、作者の作為の内にあるけど その賽の目が選ばれた事情がコンテクストと関係のある要素だけでできてたら さぞかしそれは不自然なものに見えるに違いない。

「たまたま」青白い子であったために浩之の意図は部分的にあかりからマスクされた。 このシーンはコンテクスト的にはそれ以上でもそれ以下でもない。 「ふつーの子ではマズかったのか?」と尋ねられれば以上の理由で それは出来なかったのだ、と答えることはできるが、 それが現在のコンテクストの中から直接読み取れる必要がないのはサイコロと同様である。

何にひっかかってゴネてるのかぜんぜん分からん ...

ところで前回で言いたかったことはイヴュマーさんが(ここの話を受けて)自分家で 展開した話 のほうが遥かにまともである(O_O) ...... いやだから「一言だけ口を挟む」くらいしかするつもりはゴニョゴニョ(^^;


5 月 21 日。
こまごまと、コマゴマとした話いくつか。

『エース』の表紙を『エヴァンゲリオン』が飾っていた。中身は見てないので 連載が実際に始まったのかどうかは知らない。明日みてみることにしよう。

(アニメ)本編は倍速で観てるのに GAMERS の CM だけは標準速で観るようになってるような気がする。 あの CM の曲を口ずさむよーになっちゃ終わりかもしらんな。

PocketLinux なページが 一つ増えたらしー。 まだ大した内容は無いよーだが良いことである。うん。

PLP はぼちぼちと雑誌からの offer が出て来始めた。時期的に予定通りなれど、 ここしばらく何も出来なかった遅延が痛く、こちら側の準備がまだということで 機会を逃しつつある。とりあえず BBS の S/N 比の改善から始めることにするも、 しばらくほっといたら草ぼうぼうになってしまったなぁ。面倒いぞ。

完成期に入った PocketBSD の人達は徐々に CE 機への NetBSD 移植に移行しているようだ。 CE 機への linux 移植チームは .... やっぱりどこにもいなかったらおもいっきり笑ってやる。
CE 機はやらんのか? という話も来ないでもないが、 使えんキーボードの CE やるくらいなら私は PSION 5 に行ってると思ふ。

いかに酷くてもイマドキの IBM-PC 下限はうちの suezo あたりだろうと思っていたら、 なお下が ... ってゆーか、皆さんけっこうロースペックやん。
ところで HD 2.5M ってな、さすがにミスプリだよねぇ。30 年位前のマシンですかい (^_^?


5 月 19 日。
ウグイスの谷渡りを聞く。今月頭くらいまではドがつく下手だったウグイスの鳴き声、 今年もダメかいなと思っていたら、今年の本番は上手かった。 自前なエコー:
ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ ...
も綺麗。7 - 8 年振りくらいにまっとーな声を聞いたように思う。 こう、伸びるような声が聞けると、なるほど声を楽しむ鳥である、というのを実感する。
ホー ...... ケッ? ケ、キョ、
とかそんなんばっか聞かされてたからねぇ。

ツキイチなアニメ散見。
『カードキャプターさくら(再)』
さくらのお母さんの話は『さくら』としては初めて観た話。 人物配置を全開に使いまくった展開は初めて観るにはやや辛く、 前半はややワカメだったように記憶している。 今観てみれば、物語に膨らみをあたえるようなこの話、このあたりでは よくできていて最初にみせられた理由はよくわかった。これより前の話では 内容は初見で分かっても構図が単純に過ぎるかもしれない。

『十兵衛ちゃん ─ ラブリー眼帯のひみつ ─』
すげえ ... の一言。 『さくら』がまだ先が長いのと、そろそろクライマックスの『十兵衛』 の差から首位の座は近い。

『ポポロクロイス物語(再)』
うむ、やはりこのあたり(『魔法のスープ』〜『アネモリトス』)は良い。 この物語ではほとんど無きに等しい毒気もこのあたりは手頃に混じってアクセント。 ま、でもそろそろ見ないだろう。一通り見たし。

『ターン A ガンダム』
いつのまにやらそろそろと順位を上げるターン A ガンダム。世界観が濃密に描かれて、 ... でも多少、人物がおろそかになっている面もないこともない。

『ベターマン』
アサミさん以外に観るところがなくなりつつある。

『名探偵コナン』
ここしばらく灰原が出て来ないのと、新 OP の印象の悪さで順位急速に悪化。
『センチ』と違って列車内部の構造はおおむね合っていた、つーか露骨に資料写真ママ なところがあった。これくらいの努力はしていただきたかったなぁ > センチ第 3 話。

『To Heart』
7 話、話の造りのやる気のなさがなんともいえず。
ところでこの話がつまらなかったのは、浩之と琴音が会話さえしなかったから ... ではない。 話の筋はまったく変えずに、たとえばあかりと雅史が琴音のことにもうすこし一所懸命に なるとかして浩之の疎外感を出しておいて雅史があとでフォローに回るなどする程度でも アニメ "To Heart" の話として成立する。 要は、浩之 - あかりの筋とゲストキャラの筋がちゃんと立っていればいいのであって、 今回は特にあかりの筋がボロボロだったのが問題である。この展開なら、 浩之 - あかりの筋を動かしはじめた 5, 6 話よりも前に置いておかなければいけない。

『それゆけ 宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』
くだんねー話になってしまった。ターニングポイントはせっかく気ぃ使ってるのに、 バックグラウンドに流れるセンスが大ボケ物。
つまり、この話単独で眺めれば最重要点は洋子がどういう契機で心変わりするかってことで、 それを「電話が鳴らない」という想像力を要する状況を使ってみせたってあたり けっこううまかったんだけど、綾乃が NESS との交渉に入るとこ でなくどーせなら単に席外してただけ、ってくらいにしておいたほうが気が利いてる。 それに全体の流れとしては、「あんたたちがいたから負けた(私だけなら負けない)」から 「みんなで協力したから勝った」という『ヤマモトヨーコ』としては 禁忌な論理を使ったセンスが話にならない。原作者、よくこのチームにアニメ化を許可したな。

私信:
うむ、たしかに召喚師の資格はあるかもしんない(驚)


5 月 18 日。
『Software Design』誌に PLP が 2 ページほど載った。 みごとなまでに「何もできないよ〜」な内容で そのすぐ前に書かれてる PocketBSD との差がえらく目立つとか、 原稿〆切がけっこうきつかった影響として紙面のレイアウトが腐ってるとか、 .... ま、細かいことは気にしないことにしよう。 なにしろ最終〆切の 4/21 から kernel patch の更新一回しかやってないから あまり大きなことは言えない。
本人のやる気減退にあわせるかのよーに雑誌連載の話がくるってーのもタイミングを大外しで なかなかよろし。

PocketLinux を人に使ってもらうための最大の障害がバイナリキットが存在しないことだが、 そのための要となる loadlin がいまだに動かず ... っていうか 当然とはいえ今はまだソースインストールしてる人ばっかりで 必要に迫られてないもんだから誰も作業に入ってない。 必要に迫られて loadlin patch に興味を示している人もいないこともないが、 これまた当然のことながら彼は PocketLinux が動作した姿をみたことがないはずであり、 つまりは reference machine を持っていないから作業の進度は遅い。 かなり強固な卵と鶏といえよう。

「必要は発明の母」原理を最大の推進力とする free software development のウイークポイントの一つの姿が、ここにある。
ってゆーか誰かやって。お願いだから ....


5 月 17 日。
まあ、眺めてるだけでもよかったんだろうけども ...
BBS からさらに評論ページ間のやりとりに飛び火した議論の流れの先に ちーとばかし不本意なところがあるので一言だけ口を挟む: 「青白い子」という設定の意図 という問題のことだけども。

アニメ階層ないしこの日誌の感想を読んでそれに賛同する方向に意見が変わるというのは 嬉しいことではあるが、 理解が中途半端な時点で意見が物語の評価を悪くするほうにずれるというのは やや救われない意味がある。
「についてはどーでもいいとして...」と書くことがけっこうあるように、 感想に書く時は観点をかなり絞る。わざわざ断りをいれるというのはつまり ありうべき観点については他人にやってもらうとして .... から さらには感想ではある種の価値観を掲示するという意味合いが強い。 この場合、一義的には鑑賞視野を広げるためにあるのであって、 物語の評価をおとしめる方向に感想をずらしてもらうことでは、断じてないのである ..... いちおう、タテマエとして(^^;
だから、ま、たまにはというので defense 側で口を挟んでみた。 いやしかしここんとこ 1/3 くらいは defense 側(褒める側)かな?

ところで、物語の鑑賞は私にとっては、そこにながれるコンテクスト、論理の流れが 演奏会の調べにも聞こえる。その演奏が上手であれば上手であるほど、 微妙な音のずれが耳に障るのと同様、完全無欠に近い論理展開をなせばなすほど 些細な飛躍が障るし、 あるいはどんな演奏でも非常に演奏が難しいところにさしかかってくれば 聴いていてもそこを見事に演じることを期待するのと同様、 難しい論理になることが分かっていれば そこに掛かる時に鮮やかにそれを凌いでくることを期待する。

音楽の調べは美しいのがデフォルトである。どちらかといえばやや瑕疵に目が止まるのも、 やむを得ないと見逃していただけるとありがたい。

いまのところ例えばコンサートマスターの演奏のみに着目するといったことは出来ないが、 それとほぼ同等の意味でいちいち物語の登場人物に感情移入したりはしない。
「鑑賞者 = 浩之」論のたぐいの、 人物に沿って眺めることを仮定した論旨展開がすこし窮屈に感じる結縁でもある。


5 月 16 日。
PLP コアメンバーによる初会合、またの名をオフとも言う。PocketBSD な人達にせよ、 PocketLinux な人達にせよ、ここ何年か UNIX から遠ざかっていたのが また戻って来てコード書いてる、ってなケースが多い。

皆そろって「ここ数年やってなかった ...」って、「ここ数年」とやら PC-UNIX って (コード書きのいない)冬の時代かなんかだったのかしらん?


5 月 13 日。
つらつらと "To Heart" 6 話感想を読み返す .... 書いててちっとも面白くなかった ── 6 話が、でなく書いてる感想文が ── んだけど、 いま読んでもいまひとつ自分の感想になってないなぁ。自分で書いてて混乱してないか?

だーれも知らないだろう(なんせ宣伝一切やってないもん。ついでにココに入れる予定のコンテンツ 別のトコで使っちゃったからほとんど何にも入ってないだもん) が実は geocities.com にもホームページを持っている。 ここはほっとくと「更新せんのならアカウント消すよ」と警告が来るらしい .... 知らなかったぞ、 geocities からくるメールぜんぶまとめて > /dev/null してるぞ (^^;

... えーと、去年の 10 月からほったらかしか。まだあるかなぁ〜と入ってみたら まだあった。良かった良かった。


5 月 12 日。
昨日の予告どーりというかなんというか.... 疲れたので寝ます。お休みなさい。
5 月 11 日。
すっかりアニメ日記になりつつある日誌。ま、たぶん今日くらいまでだろうけども、 といいつつ "To Heart" と 『十兵衛』。 "To Heart" がけっこう良く出来てたのでこれならと思ったけど、 先週の予告を思い返してみれば『十兵衛』も気ぃ入った回ということで フタを開けてみれば『十兵衛』の勝ち、 とあいなりし。

"To Heart" 6 話。
腐ったラストを見なかったことにするとして 2 話を抜き、ただいまトップの出来、というところで 別ファイル。 なにしろ初めて 2 回、通しで観たもんねぇ ... 第 2 話はラストだけ繰り返して観たけど。
ちなみに『センチ』は 1 回しか観てないのが第 2 話だけってあたりが "To Heart" との評価の差というやつである。

『十兵衛』 6 話。
前回、使い捨てにされかけていたバンカラ 3 人組を含め、 すべてのキャラが自分のあるべき位置を得てきちんと立つ。 主人公の四郎(だよな、どーみても)がどう考えて自由に決闘を申し込むところまでいくのか、 その論理が前回の予告を見てからの主たる興味だったけども、ずいぶんと捻って、 四郎としては「これしかない」ところまできっちり追い込んだあたりが次回(か次々回)に 四郎を救い上げるためのネタ振りとして鮮やか。
それにしても家族ネタはぜったいに忘れませんねぇ、大地監督ってば。

こころもち ギャグ担当メンバが(どシリアスにカラーを換えた)話の筋に融け込んでない嫌いがある。 たとえばバンカラ三人の扱いは物語としての休息タイム的なところで使われたが、それだけでは ... ん、やっぱちょっともったいないのでその辺の処理をよろしく、ってところ。


5 月 10 日。
昨日の『っポイ!』の感想、理由が書いてないなぁ。これだと単なる誹謗中傷になるなぁ。
感想・批評でいちばん重要なトコは理由が書けるかどうかで、 どんなのであっても「これ好き/これ嫌い」と書くダケなら見ずにも書けるからねぇ ... これは誹謗中傷に陥りやすい辛口系で特に注意すべきことだと思う。
が、..... あー、まーその、 んなトコがちゃんと書けるまでアレを観つづける気力は到底なかったのでかんべんして。
他にも最近では "To Heart" 3 話目の感想、も若干そういう傾向にあるな。 あれは芹香のセリフを聞き取るために真面目に耳を傾けているとセリフ回しの寒いとこが ぜんぶ聞こえてしまうとゆーやつであった。
たとえば人の話を繰り返す時は ちゃんと人称や態を入れ替えて自分の語りに直してから喋って欲しいものである。 人は語られる一字一句をそのまんま耳にしたりはしない。 一部が欠落してもそれを文脈で補完して聞いているものである。 芹香のような非常に聞き取りにくい語りの場合は特に欠落が多いはずであり、 結果的に confirm のためにセリフを繰り返すにしてもそれは浩之が自分で理解したあとの、 自分の語りとしてのセリフになるところであって、 けっしてテープのように繰り返すところではない。 それができるなら浩之はそもそもセリフを反芻する必要がないのだから .... ってあたりは、 でもべつにいちいち書く必要がないくらい自明に寒かったので、いいよね。

ところで辛口系批評・感想書きのページでは 「辛いからね。注意せーよ」とか、「こーゆーのが嫌いなら見んでえーよ」 なる注意事項が書いてあったりする。いちおう私ん家のアニメ階層のトップにも書いてある。

しかし。単なる誹謗中傷書いておいて 「あんたバカぁ」メールを受け取るのが嫌だからって 「こーゆーのが嫌いなら見んでえーよ」 って論理は、基本的にヘンだと思う。 「そーゆーメールを受け取るのが嫌なら、んなもん書くなよ ...」 とか言いたくなるのであった。言いたい放題かけばそれに対して言いたい放題いわれるのは 理の必然というやつである。

まぁ、誹謗中傷メールが届くようになれば一人前、という話もあるか。

ここに書いたことは実はどれも以前日誌に書いたことがあることだけど、 まあ、世にはリンクの都合とかいうやつもあるのでもういちど記しておく。


5 月 9 日。
1 月に atropos のマザーを 2.2V 対応した時から準備をすすめてきた K6-2-300 移行。 1997 年 8 月 より使い続けてきた K5-133 ともいよいよお別れ ........... と書く予定の今日だったが、秋葉まで出かける元気は無かった。 出かけるくらいならともかく、換装みたいな不自然な姿勢の多い作業はまだちょっと。 来週末にそーゆーことが出来ないことは決まっているので、しばらくそーゆー話は無いだろう。

『カードキャプター さくら(再)』
ええやんかええやんか紺のドレス(激爆)
白、赤系の服はくるくる変わるさくらの表情とのバランスで どうしてもかわいい「だけ」にずれがちだったんやけども、 ... たまになる真剣な表情とのマッチングに優れる紺系だからこそ、 「かわいい」時の表情が冴えてた。

ところで話的にも知世側とのダブルの展開は手が込んでて良かった。 でも一応言っておくと屋探しは犯罪でし。 結果オーライとはいえカードがでてこなかったらどないすんだ?

『ヤマモトヨーコ』
(負けることで)本編から離れることが宣言され、 不興を買いまくっていた前回。私的にはどっちでも良かったが、 ってあたり『オーフェン』の時とえらく差別待遇だが、『オーフェン』と違って単に アニメ版『ヤマモトヨーコ』になんも期待してなかったぶん文句が出てないということではあった。
とはいえ、こういう展開を造りたいならこれを原作とするべきではないと思う。 ほんと脚本書きに恵まれない話(原作)だなぁ。 こういう静かな話(アニメ今話)はけっこう好きではあるけども ...

「動きたくないんなら、... 死ねぇ」
すいません、今日はちょっち動きたくないです(^^;

『っポイ!』
絵の酷さをあわらすものとして AWOL という単位がある。5 AWOL = 1 ガントレス、 だそうだが「酷くない」基準点が分からないのでガントレスがどれくらい酷いかは分からない。
実写なドラマにおいて、演技が酷くない基準点を『大岡越前』などの時代劇に置いたとして 『プライベート アクトレス』の酷さを 1 PA とする。 『ガラスの仮面』は 0.6 PA くらいだろうか。『P.A.』の榎本(の酷さ)は目立ってたが、 『ガラスの仮面』の... 誰だったか忘れたが、榎本と同じくらい酷かったけど こちらは物語的に目立ってなかったから 0.6 くらい。 で、今日の『っポイ!』は 7 PA くらい。出て来る人物がことごとくことごどく 学芸会以下の大根(と言うとふつーの大根役者が嫌がりそうだ)。 『っポイ!』という人物演技の難しい話で実写の企画を立てたというのも凄いセンスだが、 このデキでリテイクをかけなかったというのもすごい。 夜うなされそうだったので 5 分くらいしか耐えられなかった(いちおう『P.A.』は ほぼ 1 話耐えたから そういう意味でもだいたい合ってるよな)。

アニメ界の予算不足という話を最近よく聞く。 時代劇の演技が最近の人は出来なくなっているという話も聞く。 だからといって現代ドラマはといえば、......... まだアニメのほうが予算潤沢なんじゃないか...?

私信:
あ、ほんとだ。失礼しました > ワタルさん


5 月 8 日。
左足かばってたら右膝、ついでに腰、はては背骨までおかしくなりつつある。 本気で体験したくないレベルに移行中、吐きそうなくらい痛い。 .... ふみ、やっぱ骨か?
ちなみにかばいながら何してたかといえばテニスしてたりした。自業自得ともいふ。

足ヤってしまうとやっぱスポーツは出来ませんな。 その昔、右の舟状骨(掌の付け根)折ったまんまで平気な顔してプレイしてたりしたけど。

青のページといふもの。
なんだかしらないが(とゆーよーなコトを言ってはいけないが)、ここんとこ(また?) 青のページ経由で「y:x はよ書け」メールが届くようになった。 もしかしてどっか新規な方々がいらっしゃるのかしらん? いずれにしても明日は書けそうにないが (キーボードに向かってると身体が痛ひ (x_x))、ちゃんと最後まで書くつもりはある、 つーか、始めたからには必ず仕上げるつもり。

5 日に暫定開業したばっかのアニメ階層。
この領域の人口ってかなり少ないのね。 カウンタが 4 階層で最低の出だし、最低のペース。 ── 内容がないからだ、とか、リンクしてるとこが JUN さん家 くらいしかない、という自明の突っ込みは棚の上ということで。 LINUX 階層なんてリンクしているとこはひとつも無いと思うし ...
これほど市場が小さいとなれば、なるほど製作費用回収には ビデオ売るだけでは辛くそれこそグッズでも売りまくらないといけないわけだ > TV アニメ。

この分野、もともとエヴァで急激にふくれあがった領域のはず、 エヴァ熱がおさまれば基本的には しぼんで当然の領域で、エヴァ以降もそこそこのヒットがでたものの、そして作品的にも 高品質なものも出ていた(たとえばビバップ)けど、 どれもアニメ人口を増強するだけの力がなかったという意味で、 エヴァって凄かったのね。
次号エースで連載が復活するそーだけど、 でも今時これがエースの看板しょってた日には他の漫画の立場ないよな と思わないでもないんだけども。


5 月 7 日。
昨夜、柱の角に左足小指をぶつけた。.... 爪が割れ、血だらけで すごく痛かったの;_;
でもよくあること(いやそんなにあっちゃ困るが...)とて、ほったらかしにした翌日(今日)。 .... まだ完治せず、きちんと左足に加重をかけられない。 母指球にただしく? 加重すればどうということはないが、指が反応して丸くちぢこまり、 かえって action がヘンだ。

で、こういう時は下りのほうが辛い。分かっていたことではあるが、 新聞にたまに投書されている高齢者の嘆きというものは べつに好んで体験したいものではないというところであった。
階段を登る時は(前方の)手摺に手が届くからサポートになっても、 降りる時は手摺には手が届かないからねぇ。

ちなみにどうしたかというと、階段の角を土踏まずで降りてすませた。

ところで。
いちおう ICQ は持っていて 25848859 と言うが、ロクに使ってないこと たぶん R 氏の上を行くであろう ... ISDN のおかげで連続して Internet に接続しているのはせいぜい 1 分である、 ICQ なんぞ立ち上げたとすぐに OFF することになる。


5 月 6 日。
呼ばれて飛び出てジャジャ... という話。
昨日、某氏が diary に "自分が毎日巡回してる日記" なるもののリストを挙げた。 ソコにはここしばらく顔を出していなかった某氏の名前も記されていた。 すると、その某氏の Journal が昨日のうちに更新されていた。
── すばらしい召喚力である。

同窓会やオフ会などで、「この日なら行けるんだけど...」等ではなく「この日に行くよ」 という一言で紛糾していた日程が決まることを何回か見てきたが、 それに匹敵する破壊力といえよう。
.... ってゆーか。毎日 WWW を巡回してるんなら更新せぇよ ...

軌道にのるころには飽きてきた、という話。
PLP もそろそろとバグレポートやらパッチ報告やらが上がってくるようになってきた。 で、本人はといえばラクになった分、 PSION 5 linux 化 に触手を延ばしていたりもする。スペック的には MC-MK32 あたりとトントンで、 サイズは一回り以上小さい(横幅 170mm)くせに キーボードがけっこうイケてた(15mm ピッチ)、ってあたりが興味の源泉、 見目はモバギのほうが精悍だが、問答無用に絞りまくったシェイプは合理的で美しい。 別に linux 化せんでも 日本語が使えるようになったらしく、そのうち数も出るだろう。 カードスロットが CF 用一つしかなくて LAN で使えそうにないのがナンなのだが、 そのうち CF サイズな LAN カードが出たら誰かが何かするに違いない。

日記は一日が暮れてから書くものだ、という話。
昨日の日記は 4 日にあらかた書いて、 5 日の昼頃 WWW 上に送ったものである(昨日は雨なんぞ降っとらん)。

「今日はネタ探し用 daemon を頭のスミで動かさなくて良いんだぁ\^_^/
と半日あそびほーけていたところ、なぜかそーゆー時に限ってネタがポコポコと。 daemon が動いてなかったのでもはや綺麗さっぱり忘れているが、2, 3 日は それだけでいけそうなほどポコポコ、ポコポコ ...;_;

一度 up してしまうと修正する気力は無くなるもんだ、という話。
未推敲ということになっていたこれの後半。 おとといあんなに一所懸命書いてたと思うが、昨日今日となんもしとらん。わはは。 いーや、これで ... いつものごとく二重否定ばっかの文はべらぼーに読みにくいのだけども。


5 月 5 日。
実は 4 日に書いているが、細かいことは気にしてはいけない。 雨降ってどこにもいけず泣いてるんだから。 でもこれで久しぶりに 1 日、日誌書きが(堂々と)サボれるな。 さて、書いてなかった "To Heart" 4 話感想 ── と思ったんだが、すさまじく膨れ上がったので やむをえずアニメ階層を作成、 "index.html" の名をもたせて link free 予告し、 その下に "To Heart" のページをおくなどしてたら その準備に追われてあんまりサボれなかった ;_;

メンテの手間が増えるからサイトのディレクトリの混乱にもかかわらず アニメ階層を造らずにねばってきたんだけど、 わずか 4 日間で日誌のファイルサイズが 40k を越える事態になっては ちと問題ありだろう ...

といったかつての事情のおかげで <~bg3k-ysd/> 下はいいかげん混乱しているが、 おおきくわけて 4 階層、サイトマップは↓な感じ。

  
~bg3k-ysd/                ホームページ (linux 系トップページ)
          pocketlinux/    PLP 階層 (MobileGear への Linux 移植プロジェクト公式ページ)

          linux/          LINUX 階層 (私的な Linux との付き合い)

~bg3k-ysd/ss/             SS 階層 (Fanfiction 系トップページ)
          ss/update??.htmlSS 階層、日記
          eva/novel/      SS 階層 Evangelion 系 side story.

          anime/          ANIME 階層 (アニメ論、感想)
          ss/sj/          ANIME 階層、センチメンタルジャーニーの議論
直観とは逆に、深い階層から浅い階層へ辿ることはできるがその逆のリンクは必ずしも張っていない。 より private 色の強い深い階層にたどれる人が浅い public 階層に来れるのは かまわなくても逆はちょっと、という趣旨。 まあ、すべての中心である SS 階層が infoseek でひっかかるんだから 辿ろうとおもえばドコにでも辿れるんだけども。
肝心の PLP 階層がひっかからんでやんの、ったく > infoseek

<~bg3k-ysd/> 下にあるのはこれだけではなかったりするんだけど、 それはサイトマップをみなければたどれないような人が 興味をもつようなところではないからここには書かない。 どーせ eva/novel 下だけだって もはや専用のサイトマップがないと迷子にならずには辿れまい(整理しろよ...)
~bg3k-ysd/**/index.html しか外に link 可で公開してないからファイル名は けっこう自由に変更できるんでべつに良いんだが、 そーこーしているうちに残ったのがディレクトリ名の捻れ。 変えてもいいんだろうが いろいろと大義名分と覚悟が現状のディレクトリ名に現われているので動かしたくない (^^;

こーして眺めてみると、日誌がすべての階層の notice を担当しているところからして これを独立階層にするべきような気がしないでもない。最新の日誌ファイルが月毎に変わる現在の構成では SS 階層が link 元にならざるをえないが ...

というところで書いてなかった "To Heart" 4 話の感想は こちら。 むろん先日のに反論つうか説明が上がってきたことに対する 反論および説明も含み、題して「物語での人物の能動的役割」といったところ ... なんだが、階層作成のテストで put してしまった結果、まだ未推敲 mOm


5 月 4 日。
昨日の『コナン』での 「レリーズ押し込んだままでシャッターを開けない方法があったら教えてくれ...」
単に(バルブにせずに)ふつーに切ればよかったんだな。レンズの前を適当に覆って 1/1000 くらいでシャッターを切って覆いをとれば押し込んだままでシャッターは閉じている。 うむ、レリーズ着けて高速シャッターを切ることはないから盲点であった。

"To Heart" 5 話。
今回は観るのにちょっち書き手モードが入った。ので、ふつーの意味での感想はあんまり無い。

体育祭当日。リレーに入ってくれと言われた浩之、直前に 400m 走を走って疲れてるから と言って最初は断るが、いろいろと自分のやるべきことをこなしている葵達の姿を見て ──

話の骨格になったのは二重交替 (主題は浩之の心の移り変わりだが、そんなのはどーでもよろしい)。
このネタはλ:5 での主筋ネタの一つで、その処理の難しさが λ が suspend している理由(のひとつ^^;)でもあった。 これをどう処理するのか ── ってのが興味の一つなんだけど、やっぱコケてるよな。
二重交替問題、つまり何かの事情でメンバを換えたが、それが直前になってもう一度換える、 というネタでの困難は二つある: 交替のタイミングとクラスの人材バランス、である。

2 回交替するからには 2 回交替しなければならない ^^; つまり 1 回目は当初予定メンバの怪我なりなんなりで良いが、2 回目は怪我って訳にはいかない (それは作為がありすぎ)し、交替のタイミングも競技間際でないといけなくて(でなければ 1 回目の交替の存在意義がなくなる)、 たいていの場合、それはルール上、マナー上の反則である。
人材バランスの問題ってのは、 "To Heart" 的に言えば浩之しか出せない、浩之以外では期待できないが ... という二重交替のための条件を整えると、どうしてもクラスとしては 人材難という状況をつくりださねばならず、そうするとこんどは優勝戦線に絡ますことが難しい、 つまり二重交替したあとのゲームで勝つことの動機を維持することができない、 という問題である。

"To Heart" 5 話としては、リレーが始まったあとでのメンバ交替が認められるはずはないし、 横車押して交替しておいて「疲れてるから勝てなかった」という理由付けは 相当に問題有りだろう。 これだと最初の逃げ腰が正解ってことになってしまう。どういう風にダメだったのか、 あるいはせめて無理矢理交替させられた某の称賛を受けるかなにかの描写がないと 論理として辛い。自画自賛ってな、論外である。

2 つ目のほうでいえば、雅史までの 2 人であっさりビリになるあたり、 B 組は人材不足のようだがそれで前評判が高いってのはかなり変で、 浩之の非協力的な態度をクラスとして許容してなお 最終競技まで首位を維持した戦力の豊かさは 浩之なしで十分に戦い抜けることを意味しなければならず、 それなら雅史にバトンが渡った時点でビリになってる訳にはいかないだろう。 雅史が 2 つ以上の競技に参加している以上、 浩之に 400m 1 本で「十分に仕事した」と言わせてお仕舞いにできるのなら、 浩之に 2 つ目の競技に参加させるよりは よっぽど期待できる人材がクラスとして揃っていた筈なのだから。

この話、あからさまに脚本の都合だけで B 組が強かったり弱かったりしているぞ。 こういう一貫性のない作為は嫌いだな。

細かい点ふたつ。
4 話が「がんばったけど勝てなかった」という終わり方だったんでこっちは「なんとか勝った」 というオチかと思ったんだが、それにそのほうがまだ倫理的に問題が少ないんだけど、 連続して「でも勝てなかった」オチでおとすあたりセンスいまひとつ (いや勝たすわけにはいかなかったってのは実に良くわかるんだけども、 それならふたつ並べるなよなぁ ...)。
格闘技同好会の旗上げ後、浩之がそれに参加しているのかどうか、ってのが 4 話後の興味の一つだと思うが、葵との会話からして参加しとらんな。 マジメに葵の練習に付き合っていたのとちょっとギャップがあるぞっと。葵も あの勧誘努力からすれば、逃げられた浩之の再確保に走るくらいはしていただきたい。

『十兵衛』
ふむぅ、ポルトガル語。なるほど。 むちゃくちゃな力押しのギャグながらいちおう統制も考えてはいるのねぇ。 キャラ配置も微妙に入れ替えられて、 個人的にはこれくらいがいろいろバランス取れて観やすい。

あらたなる刺客 2 人組。彼等は鯉之介と菜ノ花彩の二人を人質にとり、 ラブリー眼帯との交換を要求した。 眼帯が拒絶反応を起こし燃え上がる御影から眼帯を奪い返した自由は、 初めて自分から眼帯を付ける ──

「その上で勝負もすると言っている。生身の菜ノ花君と ...」
「負けますよね、絶対 ....
行きます」
「──。うん」
前回、この回そして次回の四郎三部作。 構成ってなこうあるべきだろうと思う。ちったあ見習え > "To Heart"
5 月 3 日。
バス停を見ながら困惑した。
「これは ... "道に迷った" というやつか?」
勘が告げる方向とバス停が示す方向がまったく逆。 しばらくバス停の表示板を眺めたあげく、バス停を信じて動く。 結論から言うと、方角は勘が告げた方向で合っていた。 ただ、目的地との間には川があって、橋を渡るためにはバスと同じく逆に戻るのが近い、 ということであった。
知らないトコでは方向勘といっても(局所的で)たかが知れている、という話。

『コナン』
やはり星見モノだとアラが見えてしまうな ... ただそれはそれとして、 野中が撮ったことになっている 2 枚の写真の時間順序とか撮影時間は現実とおおむね合っていた。 撮影内容は「北斗七星の下方通過」(北斗七星が北極星の真下を通過する現象)で、 これを 23 時過ぎに撮ったのなら この話は 8 月の中旬過ぎということになって夏休みの話、 長野くんだりまで出かけられている理由も納得いくというものである。 また、夜通しの撮影のわりに軽装で、そのへんも気温が高いことを示唆している。

まあ、人工衛星は真夜中に南の空に見えたりしない(どっぷり地球の影だって)し、 そもそもこいつら南の空と称して西の空を見上げているし、 っていうか火星が北の空をうろついていたような気がするし、 流れ星の飛んだのは東の空なのに写真では北西の空を飛んでるし ... むしろ望遠鏡の極軸が間違っている(北でなく西を向いている)ってほうが 他との辻褄が合いやすいが、その場合、極冠が見えるほど強拡大した火星は 望遠鏡の経緯軸を動かし続けていないとすぐ望遠鏡の視野から外れるだろう。

他にも、コナンてめえ撮影中のカメラにライト近づけるんじゃねぇ、とか 長時間撮影するのに薄い鉄板の場所で撮影するかぁ(振動が酷そう)? とか、 三脚のセンターポール伸ばすか? ふつー... とか、 レリーズ押し込んだままでシャッターを開けない方法があったら教えてくれ、 とかとか。

カメラはアイピースが丸いことからニコン、 背面からしてペンタプリズムが交換できないタイプ(中級機)で、 軍艦部は Nikon FE って雰囲気だが フィルムカウンタが無く、巻き上げレバーが異様に痩せているあたり とくにモデルは無い感じ。

「11 時すぎに北の空に流れ星が流れていたなんて。
あの時はこれから殺す野中のほうばかりみて空なんて見ていなかったよ」
いや、いずれにしても流れた時には建物の中だったんじゃないか ... とか言ってはいけないんだろう。ペルセウス流星群がまだ残っている時期とて 星野撮影をアリバイに使おうと考えること自体が間違っているし。

『ヤマモトヨーコ』
「誰に喧嘩売ってるのか ...」「このあたしに後ろをとらせない ...」 ってあたりがすっかりリナ=インバース vs. 辻本夏実の戦い。 レッドスナッパーズと一戦し、次回ようやく話が動く。

「ほんとうにごめんなさい、こんなことしたくないんです、ごめんなさい、 でも、負けてください、ごめんなさいっ、... ごめんなさぁいっ」
ゲームで謝りながら相手の息の根を止めたことは ... 何回かあるなぁ。 典型的なのが、優勢な碁でこちらの手持ちの考慮時間がほとんど切れているのに 相手の時間はそこそこ残っているケース。 終局を急げば十分の展開でも、 相手の気力を削いで投了に導くため「だけ」に攻勢の手を緩めないことがある。 ま、難しい攻め手は使えない(そんな複雑なことを考える余裕はない)んだけど、 攻めがハマった時のショックは攻め手が単純なもののほうが大きいから一応辻褄は合っている。
謝られながら息の根を止められてもあんまり嬉しくないのも確かなんだが、 相手が謝っている(そうしたくない)のに息の根を止めなければならないという事情を 吐露しているのに、 その事情を突いての action が起こせなくなっている時点ですでに勝負は着いているのであった。
5 月 2 日。
アニメ 2 論、その 2 として "To Heart" と『センチメンタルジャーニー』... はおいといて、その前に、なんてやると書く機会はなくなりそうだけども 先にやっとくことがひとつ。

「物語を鑑賞するうえですべてを知っておく必要があるか?」という話。
物語を鑑賞するだけでは手に入らないような、つまり物語に描かれなかった部分の情報を 「知らねばならない」と主張されてはならないと思うし、 また、鑑賞し味わうにあたって物語の全話を鑑賞する必要さえあるはずがないであろう ... 第 1 話の感想は全話観終わったあとに書かねばならないというルールがある筈がなく。

ただ、全話観たか観ていないかによって 感想、批評、非難は質的に異なるものにならざるをえないし、 話を観た者が観ていない者をなんとか emulate できてもその逆はぜったいに出来ず、 したがって観ていない者は自分の(観た者の感想の)理解に重大な欠陥があるかもしれない にもかかわらずそのことに気付きにくいことを自覚しなければならない、という意味で、 「全話観ていなければならないということはない」という主張を「観ていなくてもかまわない」 ことの理由付けに使うのはすこし変だと思う。
そしてこれが、いままで『カウボーイビバップ』論に手を出さなかった理由でもあったし、 ようやくここでアニメ 2 論に手をつけた理由でもある。

さて、 ワタルさんの "To Heart" 第 4 話感想にたいする感想。
彼は「4 話はアニメだけの人には好評でした ...」と語った。 もちろんゲーム人にとっては自分達が感じた不満は、 非ゲーム人が感じる種類のものではないであろう、 ということは十分に分かっているから、こう語られることに別に大きな不満は無い。 しかし「好恵に最大の魅力を感じます」というだけでも 実はこの話の大きな欠点を語っていることになることは理解してほしいものだ、 と少なくとも私は思う。
葵シナリオのこのあたりは PC 版から PS 版で大きく異なるべき理由をとくに感じないから、 たぶんそのままであろう、という前提で以下を記すけども、
葵シナリオは "To Heart" というゲームでは入門編として扱われ、マルチシナリオと並んで 他のシナリオからの独立性が高く、もっとも "非日常的" な物語でもある。 つまりはアニメ(の中の 1 話)にもっとも翻案のラクな話であり、 予告でゲーム本編に沿った話になるのが見えた時点で「いかにもさもありなん」 と思った人は多いはずである。

そして 4 話の出来はマルチの物語(これは葵の物語と同じ程度の翻案になるはずだ) に期待を抱かせないに十分な出来であった ... ということが「(葵でなく)好恵に最大の魅力を感じ」るくらいでも 想像はつくのではなかろうか。
なんといわれようとも "To Heart" の要はあかりシナリオであり、 その裏を志保シナリオがささえた骨格の上で、 "To Heart" を豊かに仕上げたのがマルチシナリオであって、 アニメ "To Heart" 各話おのおのへの感想、期待とはまた別のところで この "To Heart" 主筋への、まだ見ぬマルチ、あかりの両シナリオへの期待が語られる。 たとえば 3 話、来栖川グループの説明セリフへの言及も 将来マルチでの話で再び繰り返さないためにあるのなら ここの語りは耐えられる、しかし現在のセンスではそれは期待できないのが ... というコトがその裏にある。

これは本質的ではないけれど ──
好恵の人物描写はほぼゲームに沿った。 そしてゲームの葵シナリオにおいて「好恵に最大の魅力を感じ」るようでは それなりに変人扱いされるであろう(その程度には単なるバイプレイヤーである)。 この「好恵に最大の魅力を感じます」という語りは、うらをかえせば 葵の描写がいかに足りなかったか、ということの主張でもあった。 語った本人はそのことに気付いていなかったようだけども。


5 月 1 日。
1 日から 2 日にかけて怒涛のアニメ鑑賞。
『カウボーイビバップ』のほぼ全踏破(結果的に 19 話「ワイルド ホーセス」のみ未鑑賞、 2 時間の仮眠を挟んでおよそ 7 時間の連続鑑賞はさすがに疲れた ^^;)、 "To Heart" 1 話の補完による全話揃い踏み、 その他に『南海奇皇』、"Ghost in the Shell"、『さくら』、『ぱられル』など。

というところでアニメ 2 題、その 1 としてまずは『カウボーイビバップ』。
さいしょに断っておくと、 放送時にリアルタイムでの全話鑑賞の見通しがたたなかったものについては いちいち他人の感想を封印していないため、 『カウボーイビバップ』も物語を観るまえに 一通りの感想、批評、非難をすでに目にしてしまっている。

全編を通して流れるセンスが、物語を素晴らしいものに仕上げたと同時に それが最大の制約になったか? というのが基本的な印象。 3 話ラストにてチップを金に換えず費ってしまおう、というシーンが象徴的で、 確かにあれ以外のラストは置きようがないけれど、それはそれで物語の構成に 「武士は食わねど高楊枝」的な制約をつけることにもなった。 その矛盾が吹き出したのが 25, 26 話「ザ・リアル・フォークブルース」である。

「ビバップ」は基本的に

(仲間を)助けに行く位はしてやってもいいが助けに来てもらうことは特に期待しない
人達の集合である。 各プレイヤー(語り手)の意志に他人の状況による縛りをつけずにすんだために 物語のプレイヤーがほぼすべて「味方」の関係にあるにもかかわらず、 つまり大きな対立構図を必要とせずに確立した個を描くことに成功した。 しかしこの構図は 互いの意志に深く切り込んだ干渉ができないという制約を生み、 物語の深みあるべき描写を削ぎ落すことにつながる。 これを補うべく設けられたのが「第三者」なんだろうと思う。

「助けに来てもらうことは特に期待しない」ことによって、各話の主要プレイヤーは 主筋から追い出された登場人物に対してフリーハンドを保つ。 主筋にいない者が何を考え、どう行動しようとも、主筋に関わる者は それに気兼ねすることなく物語を形作れ、そこで描かれるものが『ビバップ』 という物語のカラーを決めた。
と同時に「助けに行く位はしてやってもいい」という動機付けによって 主筋から追い出された登場人物にも動きが生まれることになる。たとえば 24 話「ハード・ラック・ウーマン」の主筋 フェイ(エドもか?)の物語の裏でスパイク、ジェットが卵を頬張るシーンは、 ゆで卵を用意するという行為が「助けに行く位はしてやってもいい」 という、4 人の間での普遍的なものを象徴するために、フェイの心情の語りでもあった。

これに対して「個人で立ち向かうことは困難である」という 25, 26 話の主筋設定は 「助けに行く位はしてやってもいい」という動機を強めすぎ、 バイプレイヤーの主筋関与を深めるか(フェイ)、 あるいは邪魔として徹底的に追い出さざるをえない(ジェット、エド)。
他人の心情描写の説明のために使える人物がいなくなってしまっており、 これまで便利に使えていたリンの代りに弟のシンが唐突にでてきたのも その補完の一端だろうと思うけど、 それでも '後方支援部隊' の人材不足はどうにもしようがなかったんだろう と思う。 すでに言われていることだけど、 ジュリア、ビシャスなど主要メンバの語りにさえこと欠いている。 なにしろ独白の似合わない連中だから、手も足も出なかったんだろうな。

一応書いておくと 25, 26 話は嫌いではない。 これにそこはかとなく窮屈さを感じざるを得なかったとしても、 それによって『ビバップ』という物語の魅力が半減したといったことも特にないと思う。 物語性を犠牲にしてセンスを一貫させた脚本の気迫の鼎の軽重を問うだけの力量は 私には(まだ)ないというだけのことである。


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