「青白い子」という設定の意図

(Last updated: May. 17, 1999)

もとはといえば、"To Heart" 5 話感想における
あるいはせめて無理矢理交替させられた某の称賛を受けるかなにかの描写がないと 論理として辛い(= ちょっちこの某の扱いがひどいんでないかい?)。
に端を発した議論の話。この某とやら、某と書いてるだけあって ぜんぜん印象に残っていないのだが 「米山」というらしいので以下でもそう書く。

アンカーに「あまり走れない子」 を置かざるをえなくなったという状況をクラスとして用意した という無理矢理な作為については感想に書いた。 そしてそのこととは逆に、「あまり走れない子」がここに置かれたこと、 そのこと自体に対しては実はあまり異論がないのだが、 議論を眺めているとどちらかといえばそちらに興味が移っているようである。 そして、これを理由にして

「だんだんと私も、第五話はコケたように思えて来ました。」
というのは評価の変遷としてはちとあんまりな気がするので、 そのことについて以下に少し触れる。

元ネタは Animeall BBS で、それに対する議論が
ワタルさんの 「第五話の青白い子を巡って」
イヴュマーさんの 「米山くんに対する扱いの問題」
再びワタルさんの 「米山君の設定の必然性」
と続いてきたものである。


まず、このコンテクストでは浩之が横車を押す展開しかありえないことに注意したい。

ほかの場面で、たとえば 5 話でもフォークダンスを一つ飛ばしてあかりと 踊ったというあたりは、必ずしもそういう展開にする必要がないが故に そこには浩之の「こうしたい」という意志、あるいはそういう描写を用いて 浩之という人物を表現したいという作者の意図がある。

横車を押す部分については、そういうことはない。この部分はたとえ浩之と 雅史の役割が入れ替わっていたとしても雅史は横車を押さざるをえないところである。 いいかえれば、この部分の描写をもって(制作者は)浩之という人物の描写を成した、 と考える訳にはいかない。
もっとも、横車を押してもよさそうな浩之をこの役につけたからこそ、全体で 二重交替ネタを使うことができた ── という弁護もなくはないが、 そこまで見通しておいたとすると「青白い子」 という安易に流れた事実の説明がつかないから、これは考えなくて良いと思う。

したがって、この部分で

そうしますと、あかりのためにならどんな規範で あろうとも破ってしまうほどの強い(浩之の)意志
なるものを explicit に描いた、あるいは描こうとしたのだ、 と考えるのはややピントを外しているのではなかろうか。 ここで何が起こるのか、それは浩之が置かれた役「だけ」で決まることであって、 彼の性格、意志その他にはほとんど関係がない。

議論するまでもなく、米山の「青白い子」という設定はそれによって 浩之の横車をできるだけ論理的に ── という言い方で悪ければ鑑賞者に ここの無理を飲み込みやすくする意図があることは明らかである。 それは、上記のような「意志」をこの場面で描くつもりがなかったからこそ、 「青白い子」という 浩之の内心の事情とは独立の「理由」を用意せざるをえなかったのだと思う。

これまで浩之の無理押し、ないしその類の行動の動機は、おおむね public な皮(大義名分) を一枚かぶせられてきた。 これは 6 話になってもあまりかわることはないし、あかりシナリオにおける ブレークスルーの手前側のキーの一つだから、 安易に突き抜けてしまうわけにはいかない。

つまり 5 話のこの場面でも浩之に横車を押す交渉には (自分自身の感情以外の)大義名分が必要である。 そしてその「大義名分」こそが、"青白い子" というものであった。

と高らかに宣言するにはこれまでの全話の浩之の検討が要るのだが、 テープが残ってないので理由節は書けない mOm

ま、実をいえば、あかりと踊るために一人飛ばしたところは少しひやっとした。 私ならそんなカミソリの刃渡りのような無理な演出はせず、 アイコンタクトの時間を少し長めにとる程度だと思うが、 こころもち早め早めに浩之 - あかり間をせばめる努力があるようだから、 理解できないことはない、こともない ... (^^;
5 話本筋外のことなのであまり気にするつもりはなかったけども。

それはともかく本題に戻って ...

浩之が走るのは、もちろんクラスのためではなく、あかり のためであることがよりいっそう前面に押し出されること になります。
そこまで強い動機と行動を、この場面で描いてしまって "To Heart" 全体として、 とくにあかりの筋として大丈夫なのかどうか、という検討はなされたのだろうか?
あかりに関して明瞭な筋書きがみえるようになったのは 6 話になってからだが、 5 話の時点でこれほど大きな動きがあったのなら、6 話でのあかりの表情の動きは もっと小さいものになるべきだし、それでは「最初の出来事」を表現したと思しき 6 話が弱くなるだろう。

5 話の 2 回目の交替は、すくなくとも あかりからは浩之の口癖 ── 「しょうがねえなぁ」的な交替に見えないといけない。 その理由の用意として「青白い子」というのは確かに安易で、ついでにフォローが ぜんぜん無かったってあたりがナンだけれども、 しかしここで何も用意しない訳にはいかなかったのだと思う。

原因は、浩之の走ろうとした動機が、 米山君の設定とは全く無関係なところにあったからです。 あかりのために走るのだから、米山君が青白い子である必要はないのです。
確かに走ろうとした動機は米山君の設定とは 全く無関係なところにあったかもしれないし、 あかりのために走るという意味では彼が青白い子である必要はないけども、 それでも、あかりから浩之を眺めた時のことを考えれば、 青白い子であったことは物語上でしっかりと意味を持つ。 それが「青白い子」という設定がもたらす嫌らしさと引き替えにできるほど重要かどうか はともかくとして。
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