雛山理緒は、ひょんなことから知り合った浩之に 弟のプレゼントの買物に付き合ってもらうことになった。 彼は彼女の以前からの憧れの人でもあり、 待ち合わせたところを志保に見咎められ「デート?!」に 「まあ、そんなものだ」と浩之が答えたのに彼女は頬を染めた。 とはいえ、彼はその買物のついでにあかりに贈るキーホルダーも買っていたのだった ──
Double story は『センチ』に比べれば才気を感じない正直な造りだけども、 あかり側の筋は全 13 話を見据えたものになっているあたり 理緒側の筋ともども明確な視点が与えられて腰の座った演出は観ていて気分良かった ── が、ラストが意図混濁しているような気がしないでもないな。
あかり側の筋は浩之とあかりの距離に関するもので、 2 話から 3 話に繋いだところで 一旦は近づけたものを 4 話、今話とゆっくりと広げた感がようやく一線を越えた、という話。 具体的に書けば 3 話であかりに見られると慌てて芹香の手を離していたような浩之が 6 話では「デートだ」と認めた展開に対して、あかりにようやく表情が生まれたということ。 4 話でかいた「懸念」な演出ってな、けっこう意識的なものであったのね。
ついでに志保の筋が微妙にあかりの筋にまとわり付いているけど、
もしかして志保シナリオ的な展開もあるのかな。
つまり、あかりだったから浩之に手を出さなかったんであって、第三者に割り込まれるようでは
自分の立場というものがなくなる、という筋が噛んでるみたいなんだけど、
まあ、これまでも同様の筋があったとは思うけど、
あかりが不安を感じるところまでいかなかったからぜんぜん印象にないのね。
6 話は、2 話以降で初めて志保が志保のポジションに落ち着いて、志保の語りがうるさくなかった。
この 2 点、"To Heart" 全体としての、先を期待させる造りと思う。
ただ、理緒はあからさまに 6 話しか出て来れない造りになってんだし、 あかりの筋は副筋だと思うんだけど、 したら夕方の理緒の無言のシーンから浩之とあかりの会話のシーンを繋いじゃったら 理緒のシーンが力負けするんでないかい ... 理緒が主筋なんだから理緒から見えないこのシーンは理緒と同じく 観る側も想像させるだけで十分で、 理緒のところからもう 0.7 秒ひっぱって ED に繋ぎ、 キーホルダーを渡すシーンは ED 内の回想にでも置けば十分だと思う。
たとえば、この感想の一番最初の要約にはあかり側の筋が一言も入ってないけど、 でも確かに志保からあかりが浩之のことを聞き、そののち浩之からキーホルダーを貰うまでの 流れが裏にあるのがわかり、そしてそれで十分にあかり側としての筋が きちんと立っているのではなかろうか。 そして、書かれた事実は想像よりも重く、あかりの筋を書かないことによって確かに 理緒の筋が表にたつ。
この話、どうしても理緒は最終的に使い捨てになるが、
それは理緒の筋で感動させてごまして理外にふっとばしてしまうベキ:-)であって、
次話の存在を内包するあかりの筋で終わらせては、使い捨てを強調することになってしまうだろう。
校門前の志保のセリフも余計で、「さわやかに駆け抜けてった」ら
ますます使い捨てが目立つんだけど ...
『センチ』もラストの取りまとめは必ずしも綺麗にいってなかったけど、 なんかこういうのを置かないと脚本家って不安に感じるのかしらん?
主要部分にあたるくるくる変わる理緒の言葉使いをトレースしていて ちと疲れたかもだけど、 この筋の形で問題になりやすい、自己完結の論理の処理も許容範囲かな。 理緒が努力しようとした瞬間に浩之が潰した形になったから、 それ以上の気力は無かったということで。
この話、わりとはっきり理緒に沿って眺めていたので 3, 4 話などで あかりがぜんぜん表情を変えないことに憤っていた人達の気分が良く分った。 けっこう顔色が変わっていた 6 話でこうならなるほど 3 話(芹香な人達)、4 話(葵な人達) でのアレは腹立つかもしれないが、 しかしあかりの世界観的には確かに反応しなくていいところだからねぇ ...
今回は予告がぜんぶちゃんと入った。よしよし。 かわりになんだかの CM の後ろが少し切れたという とてもとても珍しい状態になっていた。そういうこともあるのね。抗議の電話でも来たのかな。
「私も、私ん家も、藤田君家から歩いてたった 5 分だし、近所といえば近所だよねっ」こういうセリフ、表情、間が描けるのに、なんであんなに説明の煩いラストになるんだろう ...?