個展・審査員・オカザキ
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個展
今までに2回、1994年のP-HOUSEと2015年の世田谷文学館で開かれています。
岡崎京子展「戦場のガールズ・ライフ」(工事中)

岡崎先生の原画を中心とした個展が開かれました。原画300点超&単行本未収録作を展示し、終了間際の3月29日には小沢健二氏によるライブも行われました。
2015年1月24日-3月31日、世田谷文学館
アートディレクション:祖父江慎
招待券を10組20名にプレゼント→CINRA
レポート
藤本由香里『街の時計・時代の時計…』ACROSS
小沢健二ライブSTARDUST RENDEVOUS
400ページ豪華カタログ+新刊二点同時刊行
(5/20/2015)
『第1回個展 ぼくらはいったいどこに行くのだろう』

P-HOUSEの第1回企画。小さなスペースに、針の芝生に寝転がるシャツとジーパン、正面の大きなボードに描かれた(私の記憶では)背中合わせでオナニーするカップルの絵、解剖されたネズミ、愛読書、原画、職場でのインタビューのビデオなどが展示されていた。シンポジウムもあったらしい。
ディレクター:布施英利/コーディネーター:村上隆/アドバイザー:椹木野衣


sitebbiwの「非公式HTML Vr.」
②2012年11月美学校での中ザワヒデキ氏による講義 →USTREAM
→ブログ田原書店外伝
→村上隆@DICTIONARY
↓P-HOUSEのチラシ→具足虫さんのtwitterから。具足虫さんありがとうございます!




原画展
吉祥寺パルコで原画展があったらしい(佐竹、1998)
講師、審査員
1994年頃から、積極的にマンガや映画の審査員を引き受けていたようです。ぴあフィルムフェスティバル
1996年のPFFの審査員を打診されたが、その一週間後に事故にあったとのこと
→PFFディレクターブログ
水戸芸術館ワークショップ:相談芸術大学
1995年4月1日〜5月28日、水戸芸術館のワークショップに講師として(?)参加。
1995年の文芸春秋マンガ賞
審査員として参加したらしい。詳細不明。
GOMES 漫画賞
PARCOのフリーペーパー『GOMES』の漫画賞『GOMESマンガグランプリ'95』で、吉本ばななやしりあがり寿らとともに審査員を務める
→骰子の眼『マンガ漂流者』第22回
→1992年、「パルコ GOMESマンガグランプリ’93」で岡崎京子賞を受賞した風間サチコ氏の公式サイト
→『GOMES』とは
イメージフォーラムフェスティバル
1994年に審査員を務めたようです。『女性作家の怖さと開放』と題して審査員講評を雑誌『イメージフォーラム』に書いています。
『私は貴兄のオモチャなの』(『私は貴兄のオモチャなの』に収録)の元ネタとなった歌川恵子『みみのなかのみず』が上映されています。
また、1994年制作の村上賢司『水心』の評も書いています。 →村上賢司ブログ
第1回TOKYO FMショート・ストーリー・グランプリ
1992年に審査員を務めたらしい。
「『はじまりは、恋』TOKYO FM出版、1992。北方謙三、林真理子、村上龍、岡崎京子、見城徹の5氏が、全応募作品6,329編の中から選び抜いた珠玉の10編」
グランプリ受賞は中山可穂『ルイジアンヌ』(参考:WEB本の雑誌)
佳作は狗飼恭子
『東京国際最低8ミリ映画祭』
80-90年代の毎年末に、池袋文芸座ル・ピリエで開催された映画祭。本当に最低な自主制作映画ばかりだった。手塚眞ら主催。審査員として参加。
→1993年の映像(右、トナカイの着ぐるみ)
→ブログ『とんち協会&滑稽珍聞』
→手塚眞公式サイト
→岡崎京子賞受賞作
『三宅裕司のいかすバンド天国』
1989年5月13日にゲスト審査員として登場 →Wikiその他
俳句の会
サエキけんぞうや小西康陽もメンバーだった俳句の会に入っていた。(ふかわ、1999)
オカザキ

高校在学中から投稿雑誌『ポンプ』にイラストなどを投稿していた後、跡見学園短大在学中に『漫画ブリッコ』 (白夜書房)1983年6月号より連載の「ひっばあじん倶楽部」で商業デビュー。 「新しい女の子マンガ」を開拓し、1989年『pink』で脚光を浴びる。
マンガにとどまらず各方面で活躍するが、1996年5月交通事故に遭い、以後休筆しリハビリ中。
2004年『ヘルタースケルター』で第8回手塚治虫文化賞マンガ大賞と文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。
好きな花はスイートピー、好きな諺は「湯あがりは、親でも惚れる」。













