道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 川越・初雁橋周辺  ◆◆◆◆◆◆

小ヶ谷の最明寺

下の写真は川越市小ヶ谷にある最明寺で、現在ある新しい門を撮影しています。最明寺縁起によると、この寺院は弘長2年(1262)に鎌倉幕府五代執権北条時頼が創建したものとあり、当時は七堂伽藍があって栄えていたといいます。現在この寺は写真のような新しい綺麗な門や本堂が建っていて、古い寺の雰囲気は感じられません。寺の西側は川越水上公園で、公園には各種スポーツ施設があります。鎌倉街道は最明寺西側の墓地と公園の境であったとか、またこの門前であったとも伝えられていてはっきりしません。現在のこの辺りの景観から、街道が通っていたことを想像するのは難しいようです。ここからすぐ南にある池辺の稲荷神社前の道が鎌倉街道と伝えられて来ているそうです。

川越市小ヶ谷の最明寺

この付近を通る鎌倉街道は、上の写真の最明寺の西側近く、現在の県道川越日高線の初雁橋付近の入間川を渡っていたと思われます。下の写真は入間川土手、初雁橋西側付近にある駒形明神碑です。駒形神は一般に馬頭観音のような馬に関係した供養塔として扱われているようです。駒形神の石碑の多くは近世の後半に立てられたものだそうです。ここの駒形明神は水の神を祀ったものともいわれています。碑の隣には一本の松の木がありますが、今にも枯れそうで、「しっかりしてくれ」といいたくなるそんな感じです。しかしこの松の木には北条氏と戦った新田義貞が馬を繋いだという伝承があり、「駒つなぎの松」と呼ばれています。現在あるこの松はそんなに古い物とはとても思えませんでした。

川越市入間川初雁橋前の駒形明神

川を渡った街道はこのすぐ北の上戸にある常楽寺の河越館へ向かっていたと考えられています。東武東上線を越へ入間川の土手伝いに北へ進むと、下の写真の祠があります。付近一帯は新興住宅地になっていますが、このような祠の存在は、まもなく河越館跡が近いことを感じさせてくれます。この祠は周囲は堀のような池があったと思われます。あるいは池の中の小島であったのかも知れません。

ところで皆さんのお住まいの近くや近辺の道端には、お地蔵さんや馬頭観音・庚申塔などの石仏はありませんか。石仏がある前の道は昔からあった古い道の可能性が考えられます。現在では、道の殆どが車道になってしまい、古い道か新しい道か、なかなか区別がつきません。身近にある古い道を意識して歩いて見ると、見馴れた風景が違って見えて来るかも知れませんよ。

川越市上戸の入間川土手下の地蔵尊

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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