道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 嵐山・平澤寺  ◆◆◆◆◆◆

平沢寺

平沢寺(へいたくじ)は都幾川村の慈光寺と並ぶ天台宗の古刹です。かっては壮大な寺域を誇る寺院であったと伝え、寺の縁起によれば、七堂伽藍と多数の僧坊が建ち並んでいたと記されています。平成8年に実施された範囲確認調査により、当地内から礎石を伴う方三間の建物跡が検出されました。建物の規模は一辺が約10メートルの正方形で、周囲には縁がまわり、地方寺院としては破格の大きさの建物であったようです。建物跡は旧参道の正面にあり、下方には池跡があることから平安時代中頃以降、盛んに信仰された極楽浄土思想に基づいた庭園を伴うお堂であったと考えられています。

嵐山町平沢の平沢寺

平沢寺隣の白山神社石段下には付近から出土した大きな礎石が並べられています。また経塚も幾つか確認されていて、その一つからは、教典を納めるための容器である経筒が出土していて、平茲縄(たいらのしげつな)らにより久安4年(1148)に如法経(法華経)を埋納したことを示す銘がありまました。平茲縄は畠山重忠の曾祖父にあたり、秩父重綱と考えられている人物です。これは県内最古の経筒として貴重なものとされています。平沢寺はこの経筒や重忠の居館、菅谷館と近いことから畠山氏との関係がうかがわれ、また鎌倉街道上道推定ルートとの関連も調味が持たれます。

平沢寺経筒(鋳銅経筒)

江戸時代の享保年間に平沢寺の裏山で発見されたといいます。現白山神社の裏に「長者塚」と呼ばれる塚があり、その塚が経塚とされています。銘文から施主者は平朝臣茲縄、製作年は久安4年(1148)、製作者は藤原守道などがわかります。 藤原守道は地方鋳物師で、他に旧松蓮寺経筒2基や伝池上本門寺経筒、府中市旧定光寺経筒など5基の経筒を作製していることがわかっています。なお旧松蓮寺は日野市百草にあった寺で、近年その地は『吾妻鏡』に登場する幻の寺院「真慈悲寺」の地とする説があります。

嵐山町平沢の平沢寺

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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