道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 美里・一里塚跡・陣街道  ◆◆◆◆◆◆

広木の一里塚跡

国道254号線の美里町と児玉町の境で見馴川橋手前西側に写真の一里塚跡碑があります。以前ここには町指定天然記念物の樹齢400年の榎がありましたが現在は枯れて切り株のみが残っています。かっての榎は幹の周囲は、目通り2.3メートル、高さ15メートルで、枝振りも良く実に素晴らしいものだったと伝えています。古い鎌倉街道の案内書などにはその写真を見ることが出来ます。切り株の根元には文化4年(1807)の馬頭尊が立っています。

追記・・・
この一里塚碑の周辺は景観がすっかり変わってしまいました。切り株もなくなり道の南側に平成一里塚公園が出来ていました。

美里町広木の一里塚跡

鎌倉街道に一里塚が存在したのかどうかはわかりませんが、このあたりの鎌倉街道上道は近世には八幡山に通じた脇往還であったことから江戸時代に一里塚がもうけられたのかも知れません。
広木の一里塚跡のところから西に向かう道が旧街道で、この道沿いの地名を陣街道といいここから児玉町になります。

広木の一里塚跡前からの陣街道

現在の陣街道は道沿いに数戸の家が立ち並ぶだけですが、道端にはわずかに石塔類が残り古い街道の面影を偲ばせてくれます。ここをなにも知らずに通り過ぎればただの狭い道路でしかありませんが、現在残る鎌倉街道跡の道とはこのような道がほとんどなのです。しかし鎌倉街道歩きを続けていると何気ない舗装道路でも古くからあった道なのか、あるいは最近出来た道なのか、その違いはある程度は判るようになるものです。

追記・・・
ホームページ作成後に一里塚跡と下の写真の陣街道と伝わる道は工場造設のためなくなりました。

陣街道

小山川は以前は見馴川と呼ばれていました。国道254号線に架かる橋は見馴川橋といいます。現在の川岸は下の写真のように綺麗に整備されていて街道の渡河点がどこなのかはっきりしていません。『歴史の道調査報告書』には明治9年作成の地籍図を調べると、陣街道と児玉市街の下八幡神社(旧国道沿いの稲荷神社付近)を直線で結んだ線上に道を示す地割が部分的に残されていて、これが街道跡ではないかと推定されています。

小山川の街道渡岸付近

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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